- Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622039709
感想・レビュー・書評
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H29.7.24 読了。
・第2次大戦中のナチスドイツが行ったユダヤ人迫害について記載された本。
・「どんな状況下でも人間は適応できる。」
・生きる意味を考えるうえで苦しむことと死ぬことの意味は不可欠である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1946年に出版された、ナチスによる強制収容所での壮絶な経験をつづった本作。
1940年代に到来したナチス・ドイツによるホロコーストの実態が、フランクルの見聞きしたこと体験したことを通して淡々と、生々しく記録として描かれています。この起伏ない文章がむしろ恐怖を越えたさきにある絶望を表しているようでヒヤリとします。
この本の存在を前々から知りながらもなかなか手に取れませんでした。その後何度か手にはしたものの冒頭数ページで挫折したり。それくらい読み切るには覚悟が必要な一冊でした。
フランクルが語ったのはおびただしい大衆の「小さな」犠牲や「小さな」死。ホロコーストでの犠牲は今なお正確には分かっておらず、とてつもなく大きな被害の数字に、実感すら薄れてきます。しかし現実にあった“事実”であること。そして、その1つ1つに人生があり、その1つ1つが残酷な運命を辿ったこと。それらを刻むようにフランクルはこの本をかたちにしたように思います。
読んでいる先から正直気が滅入ります。人はここまで残忍になれるのかと目を覆いたくなるような所業の数々。負の歴史の詳細を知るのにもとても有効な資料ですが、それと同等に人間がしたこと・人間がされたことを想像し「人間とはどうゆう存在か」「生きるとはどうゆうことか」という問いを読み手に強く訴えてきます。
ここに書かれた全てを汲むことは出来ません。そして一冊を読み通したところで完結できる話でもありません。うまく言葉に表せない気持ちは、今後この本を開くたびに少しずつ整理できたらと思います。 -
今更ながら、この有名な本を読んでみた。
体験者と、体験せずに読んでいるだけの自分との距離に圧倒的なものを感じ、途方に暮れてしまう。どんなに想像しても、当時の映像を見ることがあっても、当事者の苦しみの10000分の1すらも真には理解できない気がした。
人が犯した残虐さばかりに焦点を当てるのではなく、悲惨な状況下であってもどう生きる気力を損なわずにいられるか、どうふるまうかなど、生きる姿勢や、どんなに痛めつけられても介入できない人の尊厳にまで触れている。
正直なところを言えば、個人的には、どうしてここまで辛い状況下で、そこまでして生き残りたいのか、理解できなかった。この前提がわからないときっとこの本の大切なところは受け止められないのだと思う。だから、多くの人が感じるであろうこの本の良さや醍醐味をわからない自分自身を、悲しく感じた。
生きる目的(子供や仕事など)を被収容者に思い起こさせることが、生き続ける意志を持たせるとあった。誰にでも生きる意味がある、目的があるといった考えは、個人的には理想論でしかないと感じ、共感できない。でも、生きる目的があるかないかで生存率が変わるのはそうだろうと心から思う。
日本国が戦時中に国民にしていたことも、あまり変わらないと考えている。遠い国の、遠い昔の話ではなく、人間の中にある増悪さは確固として変わらず存在し続けていて、それが、形は変われどもまた何かをしでかすことは大いにあり得るだろう。どうしたらただの一国民が、国を牛耳っている一部の人達の愚行を止められるのか。これだけ悲惨な歴史を繰り返してきたにも関わらず、それがわからない、出来ないのが悔しい。
どんな過酷な状況でも、善行ができる人が僅かながらいたという事実は、この世界に、人間に期待する一抹の希望になり得た。 -
今まで読んでこなかったのを悔やむくらい感銘を受けた。
難しそう、というイメージをぬぐって思い切って読んでよかった。
アウシュビッツなどの収容所で行われていたこと、それを知るということそのものも必要かもしれないが、この本はもっと深いところ、人間や心について書かれている。
人間とは何なのか、生きるとは、苦しむことの意味は…。
さまざまなことを考えさせられる。
ハッキリ言って簡単な本ではないと思う。
前半部分は収容所内の出来事が描かれているので、具体的で読みやすいと思うが、後半になってくると、精神論、哲学、生きること、苦しむことといった、内面の話が多くなってくる。
何度も何度も繰り返して読み取りたい内容だった。
どのような環境にいるかよりも、その環境でどのような覚悟をするか、そういったことの重要性を教えてくれる。
生きる、ということの中には様々なものが含まれている。
苦しむばかりの人生を送っている人であっても、その苦しみを受け止めることそのものが生きること、こういう考えはとても大切だと思う。
今の世の中、ストレスをいかに軽減するか、いかに平和な心でいるかが重要視されている。
でも、苦しみしかなくて、生きる意味を考えずにはおけないような状況の人たちもいると思う。
どのような状況にあっても人の生に意味はある。
苦境を苦しみぬくだけの人生でも。
極限の状況で、人間としての扱いを受けなかった経験が、筆者の意見に説得性を持たせているし、その中で目にした人間の姿、心の動きは、日常を悠々自適に暮らす我々では感じにくい、本質的な人の姿が垣間見える。
状況的には私達とは遠いところにあるけれど、こういった本質的なことを思考することで、生きる上での基盤は築かれると思う。
仕事や恋愛、家庭といった、ごく一般の生活の中でも、生きる意味を見失う人にも、この本に示されていることをよく理解することで、なにか生きるヒントは生まれると思う。
人に求められるから、希望があるから生きるのではなく、目の前のものがどんなものでも、それを受け止めていくことそのものが生きること。
ほんとうに貴重な体験から生まれた本。
そして、生きる人すべてに通じる普遍性がある本だと思う。 -
フロイト、アドラーに師事し、精神医学を学んだ医師である著者が、解放前の一時期を除くほとんどの期間を現場の重労働者として働いていた強制収容所の、「内側から見た」体験記を、壮大な地獄絵図ではなくおびただしい小さな苦しみを描写しようとしたもの。
自由も、希望も、それどころか感情も、家族も、ささやかな持ち物も髪さえ奪い取られ、飢餓の中、精神的に耐えがたい極めて悲惨な収容所生活を、収容所への到着から解放、その後まで、極めて冷静に淡々と記していることに驚愕しました。
非常に苦しい内容ですが、苦痛の中で、収容者たちが強く家族や妻を強く思い、例えとっくに死んでいたとしても、心の中でそのまなざしを見つめ、会話したこと、美しい夕陽に感動したこと、極限の状況でそれでも人間らしさを失わずにいた収容者たち。
そのような描写に強く心を打たれました。
人間とはなんなのか、深く考えずにはいられませんでした。
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高校3年生のとき、文化祭でパレスチナ問題を取り扱った演劇をやることとなり、脚本を任された私は図書室で資料を探していた。
そのときに”ユダヤ人迫害”という視点から司書の先生が勧めてくれたのが旧訳版『夜と霧』だった。
ぱらぱらとページをめくって巻末の凄惨な写真にまず怖気付き、文字を追おうにもなんだか難解ですぐに読むことを諦めてしまったことをよく憶えている。
そして去年ふとしたタイミングで新訳が出ていることを知り、購入したはいいものの本棚に積んだままだった。
緊急事態宣言がでて図書館も閉館し、さてじゃあ何を読もうかとなって、10年近くかかってようやく再び本書を手に取ったのである。今の私ならきっと読める、という確信があった。
あらすじは言うまでもないだろうが、原題そのまま「心理学者、強制収容所を体験する」である。
ユダヤ人心理学者である著者が、ナチス・ドイツによるホロコーストで、強制収容所に送られていた過酷な体験を綴ったものだ。
私はまず、強制収容所=アウシュヴィッツ=即ガス室、といった半端な知識が間違いだったことを知った。
絶滅収容所だけではない強制収容所は、支所がいくつもあり、ユダヤ人をはじめとする被収容者はそこですべての時間を重労働に費やされ、親衛隊員の監視やカポーからの暴力、そして慢性的な飢餓に苦しんでいた。
いつ終わるとも知れない、妻や子供の安否さえも分からない、深い深い絶望(とてもこんな言葉では表現しきれない)の底で、でも驚かされたのは彼らがユーモアや好奇心や芸術、自然の美しさを感じる心、そして愛を失ってはいなかったというエピソードを読んだからだ。
もはやなにも残されていなくても、という章がある。凍えるような朝早く、収容所から工事現場までの暗い道を整列させられて歩いて向かっていく場面だ。
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わたしはときおり空を仰いだ。星の輝きが薄れ、分厚い黒雲の向こうに朝焼けが始まっていた。今この瞬間、わたしの心はある人の面影に占められていた。精神がこれほどいきいきと面影を想像するとは、以前のごくまっとうな生活では思いもよらなかった。わたしは妻と語っているような気がした。妻が答えるのが聞こえ、微笑むのが見えた。妻がここにいようがいまいが、その微笑みは、たった今昇ってきた太陽よりも明るくわたしを照らした。
そのとき、ある思いがわたしを貫いた。何人もの思想家がその生涯の果てにたどり着いた真実、何人もの詩人がうたいあげた真実が、生まれてはじめて骨身にしみたのだ。愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。今わたしは、人間が詩や思想や信仰をつうじて表明すべきこととしてきた、究極にして最高のことの意味を会得した。愛により、愛のなかへと救われること! 人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。
ーー
ひねくれ者の私が仮に小説でこの文章を読んでもきっとなにも心には響いていなかっただろう。綺麗事、と切って捨てていたかもしれない。でもこれは全て現実にあったことなのだ。平和な現代で平凡な日常にただ漫然と生きているだけの私は、死の淵に立たされた人間が最後の最後まで奪われない内なる自由、精神的自由というものを何一つ想像できない苦悩知らずの愚か者だったのだ。
著者はまた、収容所での苦しみの中で生きることの意味を失いかける他の被収容者たちに、精神医学と心理学を修した医師からの治療として、このようなことも述べる。
ーー
ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ、わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言葉を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることに他ならない。
ーー
訳者あとがきからは、読みながらずっと気になっていた『夜と霧』というタイトルの由来についても知ることができた。
”夜と霧”とは、なんと反ドイツと目された政治家や活動家を連行せよ、という総統令にナチスがつけた通称だったのだ。愕然とした。夜と霧。一寸先も見通せない夜と霧が立ち込めている様は想像でもとても恐ろしい。
でも今本書を読み終えた私は、微かな光と道筋をそこに見ることができる。
生きることがわたしたちからなにを期待しているか、と考えることができる。
これから生きる先で想像を絶するような困難にぶちあたろうと、きっと何度も著者ヴィクトール・E・フランクルのこの言葉を思い出し、助けられ、励まされ、勇気をもらい立ち向かっていけるのだ、と信じている。 -
被収容者はショックの第一段階から、第二段階である感動の消滅段階へと移行した。内面がじわじわと死んでいったのだ。 感情の消滅や鈍磨、内面の冷淡さと無関心。これら、被収容者の心理的反応の第二段階の特徴は、ほどなく毎日毎時殴られることにたいしても、なにも感じなくさせた。この不感無感は、被収容者の心をとっさに囲う、なくてはならない盾なのだ。
忘れられない仲間がいる。誰もが飢えと重労働に苦しむ中で、みんなにやさしい言葉をかけて歩き、ただでさえ少ないパンのひと切れを身体の弱った仲間に分け与えていた人たちだ。そうした人たちは、ほんの少数だったにせよ、人間として最後まで持ちうる自由が何であるかを、十分私たちに示してくれた。あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である。
『夜と霧』 -
過酷で生への絶望、その絶望を貶める数々の苦痛な経験の中で、収容所生活の過酷さや非人間的な側面にクローズアップせずに、精神医として客観的に「人間が生きることの意味」について深い洞察が描かれており、とても衝撃的であった。これからの、未来に矢印を向けて「生きることの意味」を見出すのではなく、まさに今、生きていること、現実に生きていることにこそ「生きる意味」あるのだという。今の不甲斐ない自分、未来にはもっと良い生き方があるのではという期待を持っていた自分に、バケツで頭から水をかけられた衝撃であった。人生を積んでまた暫く経ってから再読したい、そして中学生・高校生の時にこの本に出合えてたら人生が変わっていたかもと思えてしまう。
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本書は、ナチスの絶滅収容所から生き残ったユダヤ人心理学者の記録です。
冒頭に、自ら、心理学者が強制収容所を内側から見た体験記だと記しています。
アウシュビッツに収容されて、ダッハウ医療収容所に移されて終戦を迎えています。
心に残った言葉は次のとおりです。
・収容所暮らしが何年も続き、あちこちたらい回しにされたあげく1ダースもの収容所で過ごしてきた被収容者はおおむね、生存競争の中で良心を失い、暴力も仲間から物を盗むことも平気になってしまっていた。そういう者だけが命をつがくことができたからだ。とにかく、生きて帰ってきた私たちは、みな、そのことを知っている。わたしたちはためらわずいうことができる。いい人はかえってこなかったと。
・アウシュビッツで迎えたのは、最初の淘汰だった。90%にとって死の宣告だった。左にやられた者は、プラットフォームのスロープから直接、焼却炉のある建物まで歩いて行った。
・私たちがもっていた幻想は、ひとつまたひとつと潰えていった。そうなると思いもよらない感情が込み上げてきた。やけくそのユーモアだ。
・人間はなにごとにも慣れる存在だ、と定義したドフトエフスキーがいかに正しかったかを思わずにいられない。
・アウシュビッツでは、収容ショック状態にとどまっている被収容者は、死をまったく恐れなかった。(ショックの第1段階)
・数日で変化がきざした。被収容者は、第2段階である感動の消滅段階へ移行した。内面がじわじわと死んでいったのだ。(感動の消滅の第2段階)
・苦しむ人間、病人、瀕死の人間、死者、これらはすべて数週間を収容所で生きた者には見慣れた光景となってしまい、心が麻痺してしまった。
・皮下脂肪の最後の最後までを消費してしまうと、私たちは骸骨が皮をかぶってその上からちょろっとぼろをまとったようなありさまになった。有機体がおのれの蛋白質を食らうのだ。筋肉組織が消えていった。
・収容所暮らしが長い被収容者の非情さはいかに生き延びるかというぎりぎり最低限の関心事に役立たないことはいっさいどうでもいいという感情になる。だが2つだけ例外があった。政治への関心、宗教への関心だ。
・楽観的なうわさで、何度も何度も失望に終わったために、感じやすい人びとは救いがたい絶望の淵に沈んだ。仲間うちでも根っから楽天的な人ほど、こういうことが神経にこたえた。
・わたしはすでにひとつの原則をたてていた。その妥当性はすぐに伝わり、ほとんどの仲間がそれを採用した。それは、たずねられたことにはおおむね正直に答え、聞かれなかったことには黙っている、だ。
・人が下す決定など、とりわけ生死にかかわる決定など、どんなに信頼のおけないものかを知ったのはそれから数週間後だった。(ダッハウの収容所に留まるか逃亡するか)
・未来を、自分の未来をもはや信じることができなかったものは収容所内で破綻した。
・希望と勇気を一瞬にして失うことがどれほど致命的かということも熟知している。1944年のクリスマスと1945年の新年の間の週にかつてないほどの大量の死者をだした。
・なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える
・わたしたちにとって、苦しみ抜くことで、何かをなしとげるという性格を帯びていた。どれだけでも苦しみ尽くさなければならないことはあった。気持ちが萎え、涙することもあった。だが、涙を恥じることはない。この涙は、苦しむ勇気をもっていることの証だからだ。
目次は以下です。
心理学者、強制収容所を体験する
第1段階 収容
第2段階 収容所生活
第3段階 収容所から解放されて -
精神科医・心理学者の著者が、自身のナチスの強制収容所体験をもとに、その精神的な反応に着目して観察した結果を記す内容。収容開始時の最初の反応→収容生活に慣れた後の精神の反応→収容所から解放された後の精神状態、と続く。
私はむかしヨーロッパに住んでいたこともあり、ナチス関係の博物館等にも足を運ぶなど、一時集中的にユダヤ人に対して行われた非人道的な行為と向き合った経験があり、だからこそ余計本書を開く勇気を出すのに時間がかかった。ただ読んでみた感想としては、本書が重点を置いているのはあくまで精神の反応の方であり、非人道的な行為自体を告発することを目的に書かれているわけではないので、そこまで怖がらずにもっと早く読めばよかったと思った。
本の中盤ではどんなに絶望的な外的環境下であっても、最後まで選択の余地が残されるのは自身の精神のあり方であり、苦しみを抑圧や安易な楽観で誤魔化すのはかえって危険だ、ということが書かれている。この極限状態で学び取られた「苦しむことも含めた生きる意味」への示唆が、本書が読み継がれている一番の理由だろう。
「生きる意味」というものを問われたとき、つい創造的な、ポジティブな面の「生きる」ことに囚われすぎて、苦しいこと、死ぬことも含めての生なのだ、ということを忘れかけていたと自分を顧みた。この認識に改めた方が、運命に対して無意味にもがくことなく、真っ向から向き合えるように思った。
一点、ガス室送り直前の、労働ができない人々を「ムスリム」とあだ名をつけてしまうのが、人間の業を象徴していてやるせない。(差別を受けて苦しんできた人自身も、差別的発想から自由ではない)