夜と霧 新版

  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622039709

感想・レビュー・書評

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  • 様々な本で紹介されていたが、なかなか読む気になれなかった。しかし、今興味ある分野である心理学を学ぶ上では必要だとは思っていた。そんな中ふと書店で見付け、読むタイミングは今かなと思い、手にとった。

    アウシュビッツ強制収容所という言葉によるイメージでどんな体験が書かれているのだろうと読み始める前は少しばかりの恐れもあった。

    しかし、読み始めると確かに内容としては凄惨なことも書かれているのだが不思議とスラスラと読み進めることができた。この著者は自分の体験をなぜこうも客観的な視点でとらえることができるのだろう。

    そして、こうも人間のもつ様々な側面を、「人間とはなにか」という僕がもつ問いにわかりやすく答えてくれた書物に出会ったのは初めてだった。
    いろいろな方が進める理由がわかった。教育に携わるものとして、子どもと関わるものとして、周囲の環境が及ぼす影響がいかなるものか、潜在的な意識を超えて人をどれだけ変えるのか。また、読んでみたいと思う一冊であった。

  • どんなに過酷な状況でも、未来に希望を持つこと、自分は他に替えようのない唯一の存在だと自覚することで心を強く持てる人もいる。
    良い集団にも悪い人はいるし、悪い集団にも良い人はいる。善悪は環境に左右されるのではなく、自分がどう振る舞うかで決まる。

    自分がおかれた悲惨な状況を、いつか強制収容所の心理学という講演のテーマにしようと考え、目標を持ち、自分の苦しみすら研究対象にしたことで著者は救われたという。

    「人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない」p.110

    「強制収容所にいる人間に、そこが強制収容所であってもなお、なんとか未来に、未来の目的にふたたび目を向けさせることに意を用い、精神的に励ますことが有力な手立てとなる」p.123

    「勇気と希望、あるいはその喪失といった情調と、肉体の免疫性の状態のあいだに、どのような関係がひそんでいるのかを知る者は、希望と勇気を一瞬にして失うことがどれほど致命的かということも熟知している」p.127

  • 生き延びなくては意味がない、ではなく、その瞬間どんな行動を示すかという積み重ね、どう死に至るかというところまで含めて意味を見いだす。
    苦しむ勇気を持つ、苦しむに値する人間でい続けるという態度、言葉にならないな……

  • 先月、アウシュビッツ=ビルケナウ博物館を訪れ、帰国後に購入した一冊。冒頭の「おびただしい数の小さな苦しみ」で心が折れそうになったけど読了。死の選別や病人のガス室送り、サディスティックなカポーなど、収容所内がひどい惨状にあったことは博物館の方でたくさん解説を受けたけれど、実際に収容所暮らしをした心理学者の著書ということで改めて感じることがたくさんあった。収容のショックから精神の幼体化、そして解放後の後遺症、心身の自由を奪うことが人にどれだけ大きなダメージを与えるのか、この本を通していくらか理解できた気がする。不謹慎ではあるけれど自分がそちら側にいたらと思うと手が震える。

    「人間はなにごとにもなれる存在だ」
    これは被収容者も支配する側もそれも取り巻いていた人たちにも当てはまる、恐ろしくもときには必要な人間の性質の一つであり、人間の定義として芯をとらえていると改めて思った。

  • 自己啓発本でしばしば引用されているのを見て、気になったので購入。

    寡聞にして知らなかったが、名著と言われているだけあり相当なインパクト。アウシュヴィッツ関連というだけで内容の凄さは予想が付きはするが、著者がフロイトやアドラーに師事した著名な心理学者という事実がまた凄い。およそ考えられ得る限りでも相当な部類の極限状態である、強制収容所の生活にあって、実際にその中から見た被収容者の心理を紐解く内容。心理学者だけあって、過剰に物語調にした文体ではないが、粛々と論理的に、単なる情緒ではない「心理学」としての観点で見る収容所の日々は、それだけにリアリティがあってうち震えるものがある。

    この本が自己啓発本で取り上げられるのは、何らかの刺激を与える出来事は、それがすなわち特定の感情を引き起こすのではなく、いくばくかの「主体」が関与できる余地があり、その余地によって、人はどのような状況でも精神的な自由を得て、自ら決断を下せるのだ…という部分を引用するためである。確かに、強制収容所にいた人間その人から、その言葉が出るのはこの上ない説得力で胸に刺さるものがある。また、その他にも「生きる意味」に言及した部分などは、凡百の宗教もどきのような自己啓発本とは比較にならない、濃密な言葉だと感じた。

    迷っている人、悩んでいる人、閉塞感を感じている人、多くの方に読んでもらいたい一冊。

  • 人間の生命力を感じる作品。人間がどうあるべきなのか、、、人間学の授業の課題で読んだ本。それからたまに無性に読みたくなって何度も読んでいる。

  • およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。(P.113)

    この先の進路がどうなったとしても踏ん張ろうと思えた言葉。

  • 体験しなければ語れない、リアル。

  • 極限状態の人間の心理学を紐解いた作品。

    感想となると稚拙になってしまうため、印象深い文を引用する。

    「苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在は初めて完全なものになるのだ。」p113
    非収容者が、この言葉を残すことに驚いた。読み進めていると収容所には苦悩と死しかないように思えるからだ。

    今生きている者で、苦悩がない者はいないのではないか。また、生物である以上人はいつか死ぬ。この二つがあってこそ人は完全なものになる。
    苦悩はできればない方がいい。しかし、この苦悩こそが感情であり、人としての象徴なのかもしれない。、

  • 生きることの意味を漠然と曖昧な言葉で語るのではなく、生きることに具体的な行動で答えていくこと。その状況は人それぞれで、人それぞれが答えを出していけるはず。
    強さと希望をもらえる一冊。

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著者プロフィール

ヴィクトール・E・フランクル[Viktor E. Frankl]はウィーン大学の神経学および精神医学の教授であり,同時に25年間にわたってウィーン市立病院神経科科長を務めた。彼が創始した「ロゴセラピー/実存分析」は,「精神療法の第三ウィーン学派」とも称される。ハーバード大学ならびに,スタンフォード,ダラス,ピッツバーグの各大学で客員教授として教鞭をとり,カリフォルニア州サンディエゴにあるアメリカ合衆国国際大学のロゴセラピー講座のディスティングイッシュト・プロフェッサー(注:Distinguished Professorは,日本語の名誉教授,特別栄誉教授に似ているが,厳密にはそのどちらの概念にも当てはまらない)でもあった。
 フランクルは1905年にウィーンに生まれた。ウィーン大学で医学博士号を取得し,のちに哲学博士号も取得した。第二次世界大戦中は,3年間にわたってアウシュヴィッツ,ダッハウ,その他の強制収容所での生活を経験した。
 フランクルは40年もの間,世界を股にかけて数え切れないほどの講演旅行に出た。ヨーロッパ,北アメリカおよび南アメリカ,アジア,アフリカで二十九もの名誉博士号を与えられている。アメリカ精神医学会のオスカー・フィスター賞,オーストリア学術アカデミーの名誉会員資格などの表彰や名誉資格も多数ある。
 39冊の著作はこれまでに43か国語で出版されている。“…trotzdem Ja zum Leben sagen”(注:邦訳名『夜と霧』)の英語版はミリオンセラーとなり,「アメリカでもっとも人々に影響を与えた十冊の本」に選ばれた。
 ヴィクトール・フランクルは1997年にウィーンで没した。

「2016年 『精神療法における意味の問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ヴィクトール・E・フランクルの作品

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