夜と霧 新版

  • みすず書房
4.26
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  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622039709

感想・レビュー・書評

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  • インスタでオススメされていた本で興味は持っていました。先日ちょうど仕事場で、読んでいる方を見かけたのがきっかけで購入。

    アウシュビッツ強制収容所に収容された心理学者である著者が、収容されてから解放された後までを心理学者としての視点で描かれています。

    表現が私には難しかったですが、節々に突き刺さる文がありました。

    厳しく辛い現実の中でも、未来に希望を持ち、諦めずに生きていく事の大切さを学びました。
    彼らが経験した事に比べれば、今の自分の厳しさ、辛さは比べものにはなりません。

    理解を深めるために、少ししたら再読しようと思います。

  •  今更ながら、この有名な本を読んでみた。
    体験者と、体験せずに読んでいるだけの自分との距離に圧倒的なものを感じ、途方に暮れてしまう。どんなに想像しても、当時の映像を見ることがあっても、当事者の苦しみの10000分の1すらも真には理解できない気がした。

    人が犯した残虐さばかりに焦点を当てるのではなく、悲惨な状況下であってもどう生きる気力を損なわずにいられるか、どうふるまうかなど、生きる姿勢や、どんなに痛めつけられても介入できない人の尊厳にまで触れている。

    正直なところを言えば、個人的には、どうしてここまで辛い状況下で、そこまでして生き残りたいのか、理解できなかった。この前提がわからないときっとこの本の大切なところは受け止められないのだと思う。だから、多くの人が感じるであろうこの本の良さや醍醐味をわからない自分自身を、悲しく感じた。

    生きる目的(子供や仕事など)を被収容者に思い起こさせることが、生き続ける意志を持たせるとあった。誰にでも生きる意味がある、目的があるといった考えは、個人的には理想論でしかないと感じ、共感できない。でも、生きる目的があるかないかで生存率が変わるのはそうだろうと心から思う。

    日本国が戦時中に国民にしていたことも、あまり変わらないと考えている。遠い国の、遠い昔の話ではなく、人間の中にある増悪さは確固として変わらず存在し続けていて、それが、形は変われどもまた何かをしでかすことは大いにあり得るだろう。どうしたらただの一国民が、国を牛耳っている一部の人達の愚行を止められるのか。これだけ悲惨な歴史を繰り返してきたにも関わらず、それがわからない、出来ないのが悔しい。

    どんな過酷な状況でも、善行ができる人が僅かながらいたという事実は、この世界に、人間に期待する一抹の希望になり得た。

  • ベストセラー作品の割にこの年まで読まずに来てしまっていたので、一度腰を据えて読んでみようと思って手に取った。ホロコーストは、高校生の時に市の図書館でホロコースト展を見たことがきっかけで、シンドラーのリストを見たり、いくつかそれ系の本を読んでいたのだけれど、久々に読んだこの本は、収容者側の心理が事細かに書いてあって、とても興味深く読めた。よくレビューで書かれているように、ものすごく感動したり心を揺さぶられることはなかったけれど(10代のころに読んだらまた違ったか?)、歴史的に価値のある本であることは確かだと思った。
    原題はとくに変哲もないものなので、日本での売上に最も貢献したのは、「夜と霧」という詩的な素晴らしいタイトルに変えた翻訳者の功績だと思った。

  • ナチスの強制収容所については、戦争映画などではお馴染みであり、割りと予備知識はある方だと思ってましたが、被収容者の心理的なところまで踏み込んだ事はなかったので、本作によって当時の凄惨な状況がより詳しく知れました。

    作者が生き延びれたのは、希望を捨てなかったという点もあるが、ほぼ運頼みだったようにも思える。

    しかも、解放された先に家族は1人も残ってなかった訳で…むしろ解放後の絶望はなかったのだろうか。その後どう立ち直ったのか、の方が興味があるな。

  • 作者は自らの体験を交えながら、収容所を構成する様々な立場の人間を通して、極限状態の精神を分析してゆく。話は、人間の生きる意味や、そもそも人間とは何かという本質的な事柄にも及ぶが、普段の日常からかけ離れた体験から導き出される考察はどれも新鮮で、時代が変わっても似たような本が出て来ることは無いように思う。
    抑留や収容などの体験談を読み聞きするたびに、どうしてこんなにも非人道的な事が出来るのだろうと一種のフィクションに近い縁遠さを感じてしまっていたが、冷静に且つ客観的に分析された本の内容が、一気に現実的なものとしてそれらを身近に引き寄せてくれたような感覚。
    宗教的な内容もあり、少し理解しづらい箇所もあったが、とても興味深く読めた。

  • アウシュビッツの収容者に起こった心理的変化
    収容ショック…死やガス室を全く恐れなくなった
    感動の消滅…苦悩や家族に会いたいといった、内なる感情が消滅した

    飢えによって、魂をすり減らす内面の葛藤や意志の戦いが起こる。
    頭の全てが生きることしか考えなくなるため、精神状態が退化し、生きることに役立たないものは破棄される。

    わずかな例外をのぞいて、自分自身や気持ちのうえでつながっているものが生き凌ぐために直接関係のないことは、全て犠牲に供された。この没価値化は、人間そのものも、また自分の人格も容赦しなかった。

    人は強制収容所に人間をぶちこんで全てを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかに振る舞うかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。人間は一人ひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような存在になるかについて、なんらかの決断を下せる。

    あらかじめ精神的に、人間的に脆弱なものが、収容所世界の影響に染まっていく。
    いつ終わるか目処が立たない環境下では、人間は目的を持って生きることができない。ほんの一握りの人が厳しい外圧下にあっても自分の内面の真価を発揮できたが、ほとんどの人は諦め、ただ過ぎていく日々に心を閉ざすままであった。
    人は未来を見据えて初めて存在できる生き物だ。強制収容所の人間を精神的に奮い立たせるのは、まず未来に目的を持たせることだった。

    生きることから何かを期待するのは間違っている。それは逆で、生きることは彼らに何かしらを期待しているのだ。生きていれば、未来が彼らに何かの義務を化してくれる。自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。

    解放された人間は、すぐに喜ぶことはない。今まで夢見てきたものが現実として精神に適応するには時間がかかる。また、精神的な抑圧から解放された人間が、人格を歪ませ攻撃的になるケースも多々ある。

  • 一読では名著の核心まで染み渡って来なかったので、これは何度も読み返す度に深めていくものなのだろうと捉えておく。

  • 夜陰に乗じて霧にまぎれて人々が何処ともなく連れ去られ、消え去ったというナチス大量虐殺。
    ユダヤ人というだけでアウシュヴィッツ強制収容施設に囚われ被収容者である著者が、一心理学者の奇蹟的な体験として綴ったもの。
    過酷で人としての扱いはなく、常に死と直面し、いつ終わりが来るかわからない中でも精神を保つには、未来の目的を持つこと。
    人生が自分を待っているということ。
    人生はどうなるかわからない。
    くるものをただ受け、その中で生きようと行動すること。
    227冊目読了。

  • 本の裏に「想像を絶する感動」とあったが、特段感動はしなかった。しかし、心理学を通して極限状態に陥った人間が取る行動というのは興味深かった。
    身体的に極限状態に陥った人間が取る行動の例を著書で見た時に、過去に家にいたほぼ寝たきりの祖父のことを思い出した。祖父は話し好きであったのに、体の苦痛のことばかり話し、世間話や趣味の話をよくしていたのだが寝たきりになったらパッタリと話をしなくなった。自己が無くなり、苦痛に支配された肉体に精神さえも囚われ、苦しみに喘ぐ肉塊と化した祖父。このような極限状態で自我を保ち、生理的欲求が満たされていない状態でいかに人間らしさを出して生を確立していけるというのだろうか……。
    「生きる意味」という言葉について著書を読んだら誰しも考え直すことだろうと思う。私自身考えたことはあっても深く考えたり結論を出したりしたことはなかった。だが、「なぜ生きるのか知っている者はどのように生きるのかを知っている」という言葉を見たときに生きる意味を問い、考えることは皆深くやっていないが、結論が出れば迷わず生きれるとなればとても魅力的であると感じた。
    しかし、「人は暫定的な存在である」とも書いてあり、移ろい行く自己の精神、周囲の環境に合わせた納得できる人生の意味を見つけるのは大変厳しい作業であるとも感じた。

  • ナチスドイツのユダヤ人迫害を実際に生き延びた精神科医による体験記であり、かの状況下にあったそれぞれの立場の人間心理を分析した小説。

    個人的に「1度は読んでおかなければいけない」となんとなく感じて手に取った。
    究極的な状況に置かれたときの人間の残虐さと高潔さを見た。しかしながら常に生死を問われる究極的な状況が続いていたために、読者の私はあまり感覚的にリアルに受け取れず、どこか事実の羅列として受けっとってしまった。
    もう少し時間を空けてから再度読み直してよい作品なのかもしれない。

著者プロフィール

ヴィクトール・E・フランクル[Viktor E. Frankl]はウィーン大学の神経学および精神医学の教授であり,同時に25年間にわたってウィーン市立病院神経科科長を務めた。彼が創始した「ロゴセラピー/実存分析」は,「精神療法の第三ウィーン学派」とも称される。ハーバード大学ならびに,スタンフォード,ダラス,ピッツバーグの各大学で客員教授として教鞭をとり,カリフォルニア州サンディエゴにあるアメリカ合衆国国際大学のロゴセラピー講座のディスティングイッシュト・プロフェッサー(注:Distinguished Professorは,日本語の名誉教授,特別栄誉教授に似ているが,厳密にはそのどちらの概念にも当てはまらない)でもあった。
 フランクルは1905年にウィーンに生まれた。ウィーン大学で医学博士号を取得し,のちに哲学博士号も取得した。第二次世界大戦中は,3年間にわたってアウシュヴィッツ,ダッハウ,その他の強制収容所での生活を経験した。
 フランクルは40年もの間,世界を股にかけて数え切れないほどの講演旅行に出た。ヨーロッパ,北アメリカおよび南アメリカ,アジア,アフリカで二十九もの名誉博士号を与えられている。アメリカ精神医学会のオスカー・フィスター賞,オーストリア学術アカデミーの名誉会員資格などの表彰や名誉資格も多数ある。
 39冊の著作はこれまでに43か国語で出版されている。“…trotzdem Ja zum Leben sagen”(注:邦訳名『夜と霧』)の英語版はミリオンセラーとなり,「アメリカでもっとも人々に影響を与えた十冊の本」に選ばれた。
 ヴィクトール・フランクルは1997年にウィーンで没した。

「2016年 『精神療法における意味の問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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