わたしは邪魔された: ニコラス・レイ映画講義録

制作 : スーザンレイ 
  • みすず書房
3.33
  • (0)
  • (1)
  • (2)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 17
感想 : 1
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (462ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622042686

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ニコラス・レイをご存じだろうか。映画史に残る才能を誇りながら極めて少数の作品史か残すことができなかった非業の映画監督を。『理由なき反抗』や『北京の55日』という映画の名前は知っていても、案外それらの映画を監督したのが、ニコラス・レイであることを知っている人は少ないだろう。むしろ、今となってはヴィム・ベンダースの『アメリカの友人』に出演した老俳優といった方が分かってもらえるのかも知れない。

    時代というものがある。1950年代のハリウッドには「赤狩り」の嵐が吹き荒れていた。ニコラス・レイの親友でもあり、その才能を誰よりも認めていた『エデンの東』の監督、エリア・カザンが、自分の友人達の名前を証言することで、ハリウッドに残り映画を撮り続けることができたのは誰もが知っている話である。蓮實重彦の『映画はいかにして死ぬか』で読んで以来、故国を遠く離れマドリッド郊外で『北京の55日』を長期にわたって撮らされ、酒浸りになり、最後には癌で死ぬニコラス・レイのことを、50年代ハリウッドの犠牲になった悲劇の監督と思い込んできた。

    しかし、事態はそんなセンチメンタルなものではなかった。この本を通じて見えてくるニコラス・レイは、徹頭徹尾自分というものに自信を持ち、映画作りを最後まであきらめることなく、いわば自分自身を映画のミューズに捧げ尽くした男である。「裏切り者」、「転向者」という目で見られがちなエリア・カザンに対する友人としての態度は終始誠実で、それは生涯変わることがなかった。ニコラス・レイは、自己憐憫などとは最も遠いところにいる人間であった。

    副題にもあるように、この本の大半は、彼が、大学の映画学科で、学生相手に映画について語った講義が収められている。それは、講義というより、討論であり、映画というより、俳優のアクションや演出についての詳細な授業である。映画監督の仕事というものについて漠然としか知らないものにとって、ニコラス・レイの講義は、たまらなく新鮮である。スタニスラフスキーの演技理論に基づき、一人一人の学生にアクションというものを教えていくニコラス・レイの姿はこの本の編者でもある40才年下の妻スーザンの「ニックにとって、教えることと生きることは同じだった」という言葉通り真剣で熱の入ったもので、これが老監督の余技でなかったことを物語っている。

    最近の様子を見るまでもなく、アメリカという国は、自国の過ちに対しては目を瞑り、過去に冷遇した才能を再評価することに極めて冷淡な国である。ニコラス・レイが脚光を浴びたのは、ゴダールやビクトル・エリセ、それにヴェンダースなどのヨーロッパの監督達による絶大な支持があったからである。晩年の彼は、若い才能に囲まれ、意気軒昂なところを見せているものの、癌との格闘、若い妻への愛、懐かしい役者についての思い出などにさすがに人生に対する愛惜の感が滲む。手記から窺うことのできるのは有り余る天賦の才能を持ちながら、十分に発揮することがかなわなかった悲劇の人の像なのだが、彼の倨傲の精神は、そう見られることを許さないだろう。

ニコラス・レイの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×