自分だけの部屋 (ヴァージニア・ウルフコレクション)

  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622045021

作品紹介・あらすじ

経済的自立と精神的独立を主張し、想像力の飛翔と軽妙な語り口によって、女性の受難史を明らかにしたフェミニズム批評の聖典。

感想・レビュー・書評

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  • いつもちょびちょび読むのが自分のスタイルなのですが、珍しく一気読みしました。

    女性作家・女性詩人について真面目に語られた一冊。
    現代では女性の書き手はそれはもう掃いて捨てるほど存在するわけだけれど、それが昔は普通ではなかった。
    思えば偉大な作家も偉大な音楽家も男性しか見つからない時代が確かにあった。その中で我こそはと台頭して来た女性たちに拍手を送りたい。あなたがいるから、わたしもいるんです。

    ウルフの言葉にある。

    傑作はそれだけが単独で生まれてくるのではないのですから。傑作とは、長い間大勢の人々がともに考えたことの成果なのです。

    (20120123)

  • 高橋源一郎の「飛ぶ教室」で紹介されていたのを聞いてから読みたいと思っていた本。
    図書館でぶらぶらしていたら見つけたので読んでみた。
    ただし、ラジオで紹介されていたのは、おそらく片山亜紀翻訳の版だと思われる。私が読んだのは、1999年に出版された、川本静子翻訳。
    翻訳された時代も違うだろうし表現がどう異なっているか気になるが、とりあえず今回読んだ1999年版を紹介したい。
    1928年当時にウルフが考えていた女性と男性の社会的な地位の格差、女性としての生きづらさ、不自由さを豊かな表現で読める新鮮な一冊だった。
    「女性と小説」をテーマに講演をした草稿を元に書かれたもの。

    「これまで何世紀もの間、女性たちは、男性の姿を実物の2倍にして映し出す快い魔力を具えた鏡として役立ってきました。」
    「鏡は、文明社会ではどんな風に役立っているにせよ、すべての荒々しい勇ましい行動には絶対必要なものです。」
    「女性が男性より劣っているのでなければ、男子えは実物以上に大きくならないでしょうから。女性が男性にとってしばしば必要品であることは、これでいくつか説明がつきましょう」と痛烈だ。
    なぜこれほどまでに女性が前に立ち批判をしたり、意見を述べたりすると、男性たちがそれを必死に押し黙らせようとするのか、納得してしまった。
    「女性が男性に向かってこの本は駄目だとか、この絵は力がないとか…言うと、同じような批評を男性がした場合よりも遥かに大きな苦痛を与え、遥かに大きな怒りを掻き立てすには置かないことも説明がつくでしょう。」とウルフ。思わず声に出して読んでしまった。
    シェイクスピアに、もしも同じように才能溢れる妹がいたとしたら、とのウルフの創作話もユニークでなおかつ説得力のある話だった。

    自由に選択すること、旅行すること、想いにふけることなどを許されなかった当時の女性たち。
    「女性が小説なり詩なりを書こうとするなら、年に年収500ポンドの収入とドアに鍵のかかる部屋を持つ必要がある」と言う結論に至るまでの過程を、あらゆるたとえ話や小説などをあげて辿っていく。

    私には理解できない部分も少なからずあり、決してわかりやすい本ではないし、部分的に差別的に思える表現もあったが、女性が個人として生きていくためには、経済的自立と精神的独立が必要不可欠であると言うことがこの時代に熱く語られたことに感動を覚える。

    シェイクスピアに妹がもしいたとしたら、才能があってもそれを生かすここともできず、自分に救いの手を差し伸べた男との間に身ごもり、絶望し命を断つ、きっとそう言う結末だっただろうとウルフは語る。
    でも、今を生きる私たち女性が、たとえ貧しく無名であろうとも、彼女が叶えられなかった無念を果たそうと努力するならば、彼女は私たちの中に生き続けるのだ、そしてそのために努力することはやり甲斐のあることなのだ、と女性たちを鼓舞する。

    どんなに困難で、出る杭を打たれても、それに負けずに闘い続けるのだ、と私は解釈した。
    1928年は、今よりもずっとずっと女性たちへの抑圧は凄まじかっただろうから、ウルフの言葉が重く切実に感じる。

    21世紀に生きる女性たちにも生きづらさは根深く残っている。
    それに抗おうとたくさんの女性たちが傷つきながら闘い続けている。だからこそ、女性たちは学び、連帯しなければならないのだと思う。

    およそ100年前の女性の言葉にも学ぶことがこんなにもあることに、とても新鮮な気持ちを覚えた。

    ヴァージニア・ウルフの本、実は読んだことなく、彼女をテーマにした「めぐり合う時間」を何度か見たけど理解できなかったので、色々手にとってみたいと思う。

  • 「ヴァージニア・ウルフなんか怖くなんて劇があるくらいだから、きっと怖い人というか、難解で近づきがたい人なんだろう、という先入観があって、ウルフはこれまでよんでなかった。

    最近、レベッカ・ソルニットが、この「自分だけの部屋」について言及しているのを読んで、面白そうだったので、読んでみた。

    女子学生にたいする講演なので、結構、読みやすいかな?言及されている文学についての知識があまりないので、全部理解できるわけではないのだが。

    文学をやる前提として経済的・社会的な基盤が必要というある意味当たり前といえば、あたり前の話なんだけど、それをウルフがじっくりと語りかけていて、説得力ある。

    最後のほうの語りかけは結構あついな〜。

    ちょっと、ウルフ興味でてきた。

  • ヴァージニア・ウルフってフェミニズム系の本とか読むとたまに名前が出てきて気になってたけど、確かになんかすごくかっこいい感じの人だなぁ。(あと『めぐりあう時間たち』というヴァージニア・ウルフについての映画は観たことがあってそれは好きだった。)
    寂しい時に読むと友達になれそうな種類の本だし。

  • 有名な作家の本なので読みたいのだが途中で放り出す。難しすぎる。

  • 「女性が小説なり詩なりを書こうとするなら、年に500ポンドの収入とドアに鍵のかかる部屋を持つ必要がある」

    小説家だけではなく、女性が社会性を持つのには、経済的自立と精神的独立が必要だということだろう。
    ウルフは、文学史の男女格差を話しながら、学校では教えない現実を、自分が実感してきたことを、女子学生に説いている。

    今読んでも元気づけられる。

  • 図書館に予約して受け取ったとき「ハテ?何でこんな本を?」と
    首をかしげてしまったが、たしか「サルトルとボーヴォワールと
    過ごした12日間」という本に出てきて興味を持ったのだった。
    本の内容は、時代が第一次対戦やらそれ以前のイギリスにおける
    上流階級の女性を取りあげて、いかに女性には文化的な自己表現
    をする機会がもたされなかったか(自分だけの部屋を持てない、
    経済力がないことから)が面々と書かれてある。
    分量も多く、読みくたびれたが、最後に結びの言葉として
    「自分自身であることこそ何よりも大切である」と述べていること
    に深い共感を抱いた。

  • 『オーランドー』を出版した1928年の10月、ヴァージニア・ウルフはケムブリッジ大学を二度訪れ、講演を行っている。いずれも女性のためのコレッジで、演題は「女性と小説」であった。その時の草稿をもとに、翌年出版されたのが『自分だけの部屋』である。ウルフが座談の名手であったことは以前にも書いたが、同性のしかも若い学生相手ということもあり、いかにもくつろいだ雰囲気で語られる調子が、話術に長けたヴァージニアの語りを想像させてあまりある。

    ウルフは、冒頭でこの話題には致命的な欠陥があり、けっして結論には到達できない、そしてせいぜいできることは「一つの小さな点について或る意見」を述べるだけだと言い、「女性が小説を書こうとするなら、お金と自分自身の部屋を持たねばならない」と語る。そして、なぜ自分がそう考えるに至ったかを、作家らしく作り話をして聞かせることで明らかにしたいと話しはじめる。

    まず、ウルフは、オックスブリッジ(ウルフの創作)の柳が影を落とす岸辺で思索にふけっていた「私」がある着想を得、芝生を横切ろうとして、大学の祭式係に制止されたことを持ち出す。特別研究員以外は別の小道を歩けというのである。さらに、図書館で調べものをしようとすると、係にご婦人は研究員と同伴か紹介状持参の場合にのみ入館できると言われたことも。

    話は料理にも及ぶ。舌平目に山鶉、ワインが供される男子学寮の午餐会と、皿の底が透いて見える肉汁のスープと牛肉、青野菜、じゃがいも、それに干しプラムとビスケットと水の女子学寮の晩餐との比較。「彼女の作品を読むときには、食事の描写の部分に目をつけると、決まって教えられる点があります。必ずいいのです。いかにも感覚的な楽しみに敏感な女性だと思わずにいられない」と、E・M・フォスターが言う通りに、前者はとびっきり美味しそうに、後者はなんとも不味そうに、いささか公平を欠くとさえ感じられるほど最大限の誇張表現を用いて語られる。簡単にいえば、男性が尊ばれ、女性が貶められるイギリスの家父長制社会の批判である。

    次に、ロンドンに戻った「私」は大英博物館の読書室の中に、いかに男性が素晴らしく、女性が劣っているかを書いた本が多いかを例を挙げて論証する。著名な文人の中にある男性優位の意識を完膚無きまでに暴いてなんとも見事である。さらに、シェイクスピアの妹ジュディスを登場させ、兄に劣らぬ才能を持つ彼女が当時の社会では自滅してゆかねばならなかった様子を書き出し、女性がものを書くということに対する偏見の前で、作家として立つことがいかに困難を極めるかを、17世紀から現代に至る女性作家の数々の例を挙げながら語り続ける。

    たしかに、今となっては、少々時代遅れの気がしないでもない部分もある(ついこの間までイギリスは女性首相に率いられていたのだ)。しかし、ウルフが、本当に言いたかったのは、女性の地位の向上などではない。創造のためには両性を具備する必要があり、女性が女性を意識しなければならないことは創造の場において致命的だということである。それを確保するために必要なのが経済的自立と精神的独立なのである。

    講演の最後に至ると、それまでの皮肉交じり、軽口交じりの調子は影を潜め、年若い学生に向けての期待が前面に押し出されてくる。過去に比べれば恵まれた立場にある現代の女性の中から、過去において偏見に抗いながら、物を書き続けてきた女性たちの意志を継いで、よりすぐれた書き手、より素晴らしい女性が現れることを期待して話は終わる。それはまた、ウルフが、イギリスの女性文学という長いリレーの中で、大事なバトンを託され、次に渡さねばならないという自負と使命感を示すものでもあった。

  • ヴァージニア・ウルフが、ある女子大で「女性と文学」について講演する場を与えられたときに、彼女が語ったこと。
    それは「いかに書くか」ではなく
    「女性が詩であれ小説であれ書くために、年に500ポンドの収入と自分だけの部屋をもつことがいかに大切か」ということでした。
    いうまでもなく年に500ポンドの収入とは経済的自立、鍵のかかる自分だけの部屋とは精神的自立の象徴。

    18~19世紀の女性たちは、いかに才能があろうとも、
    女でありながら書かずにはおれない自分のエゴに自責の念を感じたり、
    「女がものを書くなんて!」という社会の敵意に対して無為な自己防衛を余儀なくされたりで、
    その才能が、歪みのない健全なかたちで発揮されることはなかったと…。
    そのしがらみから解き放たれるために、
    いまこそ詩であろうが小説であろうが紀行文であろうがエッセイであろうが、
    「いかに書くか」よりまず、なんでもいいから自分のことばで書くんだよ!
    それを決してやめちゃいけないよ!
    そう語るヴァージニア姐さんの語りは、饒舌で勇ましくパワフルでありながら、
    過去の女性たちに捧げる言葉に、時に胸をしめつけるような哀切も漂います。

    昔見た「オルランド」という映画、そういえばヴァージニア・ウルフ原作の作品だったなあと思いだしました。

    主人公が時空も性差も超えてしまうという、とてもとても不思議な映画で、とてもとても「分かった」なんて言えなかったのですが
    とにかく圧倒されたことは確かで、
    とくに後半、女性になったオルランドが「結局、私はこの世紀の精神に負けたのよ」というセリフは強烈に覚えています。

    もう1回「オルランド」を見たくなりました。

  • 原題:"A Room of One's Own"

    <note>
    芸術家自身が己の精神状態について語ること:
     18世紀以降、ルソー『告白録』より
     19世紀:自意識の発展

    シェイクスピアとジェイン・オースティンの共通点:
     精神があらゆる障害物を燃焼しきっている
     自分の書いた言葉一つ一つに彼らは滲み付いている

    作家:両性具備者たるべき(Cf.Proust)→精神の広がり、相対物の統合→創造

    “風はおのが好むところに吹く”ヨハネ伝 3-8

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著者プロフィール

1882年―1941年、イキリスのロンドンに生まれる。父レズリーは高名な批評家で、子ども時代から文化的な環境のもとで育つ。兄や兄の友人たちを含む「ブルームズベリー・グループ」と呼ばれる文化集団の一員として青春を過ごし、グループのひとり、レナード・ウルフと結婚。30代なかばで作家デビューし、レナードと出版社「ホガース・プレス」を立ち上げ、「意識の流れ」の手法を使った作品を次々と発表していく。代表作に『ダロウェイ夫人』『灯台へ』『波』など、短篇集に『月曜日か火曜日』『憑かれた家』、評論に『自分ひとりの部屋』などがある。

「2022年 『青と緑 ヴァージニア・ウルフ短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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