明るい部屋―写真についての覚書

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制作 : Roland Barthes  花輪 光 
  • みすず書房 (1997年6月7日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (157ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622049050

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明るい部屋―写真についての覚書の感想・レビュー・書評

  •  「写真とはそれ自体何であるのか、いかなる本質的特徴によって他の映像の仲間から区別されるのか」。冒頭に置かれたこの問いへ応えるため、著者は本書で「無秩序性(分類が不可能)」、「実践(写真の物理的性質)」、「自己同一性(撮られた自分の写真を、本当の自分ではないと感じる)」などをキーワードに、写真の深部を注意深く探り当てていく。そして、「ストゥディウム(一般的関心)」と「プンクトゥム(著者を惹きつける細部)」という術語により、その特異性を説明できると結論する。
     けれども、まったく突然に著者はそれを取り消す。そして、亡くなった母への思慕や追悼を通過することで写真の本質に迫ろうとする後半では、論理が支配した前半から一転して、本書は私小説の気配を濃くする。
     哲学者・批評家であった著者の個人史と、学術的な写真論が融合した、比類のない一冊。

  • 写真論。論文としても読めるし、私小説としても読めてしまうって驚き。かなりメランコリーに傾いてはいるけれど・・・でも写真史にとっては重要な一冊。文章に、行間に、余白に、母への愛がそっと息をしている

  • バルトは個別的なことと普遍性の間のギャップという問題意識を長く持ち続けたような気がする。この写真論もその問題意識上にあるだろう。個別性をダイアン・アーバス的に普遍性へとつなげようとする姿は、たぶん失敗しているにせよ感動的。

  • ~狂気をとるか分別か?「写真」はそのいずれも選ぶことができる。

    なんと魅力的な文章か。バルトの解説本よりもバルトの言葉に触れるべきなのだ。

    抽象化を避け、だからといって具体を語り、陳腐化することのない視点。そこがすごい。

    ・写真が芸術に近づくのは絵画を通してではない。それは演劇を通してなのである。
    ・写真が心に触れるのは、その常套的な美辞麗句、技巧、現実、ルポルタージュ、芸術等々から引き離されたときである。
    ・思い出すことができないという宿命こそ、喪のもっとも堪えがたい特徴の一つ。
    ・プルースト:私はただ単に苦しむというだけでなく、その苦しみの独自性をあくまでも大事にしたかった。
    ・写真には未来がないのだ。写真にはいかなる未来志向も含まれていないが、これに対して映画は未来志向であり、したがっていささかもメランコリックではない。
    ・逆説的なことに、歴史と写真は同じ19世紀に考え出された。・・・写真の時代は、革命の、異議申し立ての、テロ行為の、爆発の時代、要するに我慢しない時代、成熟を拒否するあらゆるものの時代でもあるのだ。
    ・私は映画を一人で決して観ることには耐えられない(十分な数の観客がいなければ、十分な匿名状態は得られない)が、しかし写真を見るときは、一人になる必要がある。
    ・写真は、私の気違いじみた欲求に対して、ただ何とも言い表しようのないあるものによって応えることしかできない。・・・そのあるもの、それが雰囲気である。・・・言葉を欠いた悟りであり、「そのとおり、そう、そのとおり、まさにそのとおり」という境位の希に見る、おそらく唯一の明証であった。
    ・要するに雰囲気とは、おそらく、生命の価値を神秘的に顔に反映させる精神的なある何ものか、なのではなかろうか。
    ・一般的なものとなったイメージが、葛藤や欲望に満ちた人間の世界を例証すると称して、実はそれを完全に非現実化してしまうことが問題なのである。

  • 名文。写真に対する熱狂的な考察を、面白い観点、鋭い感性、分かりやすい文章を用いて書いている。写真論の先駆的な本。写真のオントロジーだけでなく、見る•見られる•撮る•撮られるなど立場をかえてそこに現れる人間の本質についても述べられていて、かなり面白い。

  •  ナポレオン皇帝の写真を見るということは、ナポレオン皇帝を見た誰かの眼になるということである。この事実は驚くべきことなのだが、一緒になって驚いてくれる人はいない。映画その他の映像の仲間とは別に、なぜ写真は存在するのか。写真は、ただ一度しか起こらなかった偶発的なものとして、二度とふたたび繰り返されることのないあるがままのものとしてある。

  • 「写真」の基本的特徴や普遍性を定式化しようと試みた、写真論の古典。「写真」の本質を、<かつて、そこに、あった>と捉えて、様々な角度から説明を行っている。正直、難しくてあまり消化できなかったけど、ところどころに、新鮮な驚きを感じる鋭い考察があって、それだけでも面白かった。もっと知識をつけてから読み直そうと思える本。
    こんど写真展に行って、心にひっかかる作品があったら、何がそうさせるのかを見つけ出そうと凝視するのではなく、目を瞑ってみることにする。

  • てっきり古い本かと思ってたらそうでもなかった
    訳者あとがきにもあるようにお母さんの話が多いし
    写真という単語が頻繁にでてくるわりに
    写真そのものの話をしている感じがしない

  • 【7. 冒険としての「写真」】p29
    Cf. サルトル『想像力の問題』

    【44. 明るい部屋】p130~
    「写真」は、深く掘り下げたり、突き抜けたりすることができないということ。凪いだ海の表面と同じように、私は目で走査することしかできないのだ。「写真」は、語のあらゆる意味において平面的[平板、平明、平凡、単調]である。このことは認めなければならない。
    「写真」はその技術的起源ゆえに、暗い部屋(カメラ・オブスクラ)という考えと結びつけられるが、それは完全に誤りである。むしろ、カメラ・ルシダ(明るい部屋)を引き合いにだすべきであろう(カメラ・ルシダというのは「写真」以前にあった写生器の名前で、これは一方の目をモデルに向け、他方を画用紙に向けたまま、プリズムを通して対象を描くことのできる装置であった)。
    《映像の本質は、内奥をもたず、完全に外部にある、という点にある。にもかかわらず、映像は、心の奥の考えよりもなおいっそう近づきがたく、神秘的である。意味作用はもたないが、しかし可能なあらゆる意味の深みを呼び寄せる。明示されてはいないが、しかし明白であり、セイレンたちの魅力と幻惑を生むあの現前=不在の性格をもつ》

    【48. 飼い馴らされた「写真」】p145~
    狂気をとるか分別か?「写真」はそのいずをも選ぶことができる。「写真」のレアリスムが、美的ないし経験的な習慣(たとえば、美容院や歯医者のところで雑誌のページをめくること)によって弱められ、相対的なレアリスムにとどまるとき、「写真」は分別あるものとなる。そのレアリスムが、絶対的な、もしこう言ってよければ、始原的なレアリスムとなって、愛と恐れに満ちた意識に「時間」の原義そのものをよみがえらせるなら、「写真」は狂気となる。
    つまりそこには、事物の流れを逆にする本来的な反転運動が生ずるのであって、私は本書を終えるにあたり、これを写真の"エクスタシー"と呼ぶことにしたい。
    以上が「写真」の二つの道である。「写真」が写して見せるものを完璧な錯覚として文化的コードに従わせるか、あるいはそこによみがえる手に負えない現実を正視するか、それを選ぶのは自分である。

  • さくさく読めるのにわからない。
    興味深かったのは見る側からの評論だということ。
    「それはかつてあった」ことを確かに示しているが、未来は伝えない。「かつてあった」ことが今自分にむけて訴えかけているというズレ。

    だめだ、よくわからない。

  • 改めて読みなおした。
    とても面白かった。写真の存在論。
    ふと思ったのは、バルトが写真を定義付けする際に用いるあのあまりにも有名な「かつて-そこに-あった」は、黒沢清監督が語る映画のそれと極めて似ているということ(ドキュメンタリー『曖昧な未来』)。バルト自身は、本書において度々映画に付いても言及していて、写真と映画の差異を繰り返すのだが、どうもバルトの写真と黒沢の映画の存在論的な認識は似ている。もう少し詳細にトレースできるようにとりあえずここにメモ。

  • 写真とは何か。写真一般ではなく、バルトにとって重要な個別具体的な写真を手がかりに本質に迫ろうとする、私小説にも似た論考。最後まで読んでも答えははっきり出ず、もどかしい印象が残ります。
    でも、このもどかしさが何か重要な示唆を含んでいる気がしてなりません。

  • ロラン・バルトによる写真論。
    写真論にとどまらず私小説的な内容であったり、哲学的であったり、と不思議な本でした。写真に対する考え方が深くなること間違いなしの本ですね。
    写真から感じる様々な感情を美しい言葉で解説してくれていて、なかなか他に似たような本はないんじゃないかと思いました。

  • "美術としての写真"に僅かに残る違和感を、丁寧に摘み取り、言葉にしてくれたように感じ、少し肩が楽になった。
    考えて写真を撮ったり、悩みを持って写真と向き合っている方に勧める。

    また、カバーを取り去った本の装丁がとても綺麗で、本の厚み、レイアウトも素晴らしい。本棚に飾りたくなる本であり、旅行などに持っていき、常にそばに置いておきたくなる本である。

  • 【目次】


    1. 「写真」の特殊性
    2. 分類しがたい「写真」
    3. 出発点としての感動
    4. 「撮影者」、「現像」、「客観」
    5. 撮影される人
    6. 「客観」──その無秩序な好み
    7. 冒険としての「写真」
    8. 鷹揚な現象学
    9. 二重性
    10. 「ストゥディウム」と「プンクトゥム」
    11. 「ストゥディウム」
    12. 知らせること
    13. 描くこと
    14. 不意にとらえること
    15. 意味すること
    16. 欲望をかきたてること
    17. 単一な「写真」
    18. 「ストゥディウム」と「プンクトゥム」の共用
    19. 「プンクトゥム」──部分的特徴
    20. 無意識邸特徴
    21. *悟 り*
    22. 事後と沈黙
    23. 見えない場
    24. 前言取り消し


    25. 《ある晩・・・・・・》
    26. 分け隔てるもの、「歴史」
    27. 再認・認識すること
    28. 「温室の写真」
    29. 少女
    30. アリアドネ
    31. 「家族」、「母」
    32. 《*それはかつてあった*》
    33. ポーズ
    34. 光線、色彩
    35. 「驚き」
    36. 確実性の証明
    37. 停滞
    38. 平板な死
    39. プンクトゥムとしての「時間」
    40. 「私的なもの」/「公的なもの」
    41. 子細にけんとうする
    42. 似ているということ
    43. 家系
    44. 明るい部屋
    45. 《雰囲気》
    46. 「まなざし」
    47. 「狂気」、「憐れみ」
    48. 飼い馴らされた「写真」

    訳者あとがき

    *****

  • 【目次】

    ?
    1. 「写真」の特殊性
    2. 分類しがたい「写真」
    3. 出発点としての感動
    4. 「撮影者」、「現像」、「客観」
    5. 撮影される人
    6. 「客観」──その無秩序な好み
    7. 冒険としての「写真」
    8. 鷹揚な現象学
    9. 二重性
    10. 「ストゥディウム」と「プンクトゥム」
    11. 「ストゥディウム」
    12. 知らせること
    13. 描くこと
    14. 不意にとらえること
    15. 意味すること
    16. 欲望をかきたてること
    17. 単一な「写真」
    18. 「ストゥディウム」と「プンクトゥム」の共用
    19. 「プンクトゥム」──部分的特徴
    20. 無意識邸特徴
    21. *悟 り*
    22. 事後と沈黙
    23. 見えない場
    24. 前言取り消し

    ?
    25. 《ある晩・・・・・・》
    26. 分け隔てるもの、「歴史」
    27. 再認・認識すること
    28. 「温室の写真」
    29. 少女
    30. アリアドネ
    31. 「家族」、「母」
    32. 《*それはかつてあった*》
    33. ポーズ
    34. 光線、色彩
    35. 「驚き」
    36. 確実性の証明
    37. 停滞
    38. 平板な死
    39. プンクトゥムとしての「時間」
    40. 「私的なもの」/「公的なもの」
    41. 子細にけんとうする
    42. 似ているということ
    43. 家系
    44. 明るい部屋
    45. 《雰囲気》
    46. 「まなざし」
    47. 「狂気」、「憐れみ」
    48. 飼い馴らされた「写真」

    訳者あとがき

    *****

  • ところどころ理解が及ばないところもあったけど、「ストゥディウム」と「プンクトゥム」の説明とかわかりやすかったし、話の大筋は理解できたと思う。
    まとめもわからない部分があったけど、「現実がイメージに支配される」っていう記述がめちゃくちゃかっこよかった。

  • ソンタグが写真を社会との関わりを通じ社会批判しているのならば、バルトは写真と対話することで内的世界、解答のない人間にとっての大命題に向かう。

  • 写真にまつわる随想。
    「それは=かつて=あった」物の写実としての写真を論じるバルトは、ここでは批評の姿勢をとらない。彼は一人の抒情の人として危うく懐古へと傾こうとする。そこにはこの昔の思想家のたどった小さな人生がある。
    「写真を見るときには、あのときに被写体から放射された光線と、そのときに発射される私の視線とが出会う」と語るのは、やはりバルトである。
    バルトの好ましくやさしい人柄が表れている。

  • 2009/
    2009/

    読みたい

  • プンクトゥム(一般的関心事)/ストゥディウム(突き刺してくるもの)。
    「かつてそこにあった」という写真のノエマ。
    去っていってしまった人たちへの郷愁。

  • バルトの私的な記憶にまつわる写真論です。奥底に流れるバルトの人間らしさに触れると、なんともいえず感動することでしょう… この本の後で『失われし時を求めて』を読むと、また違った視点からプルーストを味わえると思います。

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明るい部屋―写真についての覚書の作品紹介

本書は、現象学的な方法によって、写真の本質・ノエマ(『それはかつてあった』)を明証しようとした写真論である。

明るい部屋―写真についての覚書の単行本

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