バレンボイム/サイード 音楽と社会

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  • Amazon.co.jp ・本 (259ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622070948

作品紹介・あらすじ

ユダヤ人バレンボイムとパレスチナ人サイード。つねに境界をまたいで移動しつづけてきた二人が、音楽と文学と社会を語り尽した6回に及ぶ白熱のセッション。

感想・レビュー・書評

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  • 今のイスラエルとガザの戦争で言及された本として紹介された。イスラエルはバレンボエムが、ガザはパレスチナでのサイードとしてである。ただ、その対立がわかりにくい。
     実例としてイスラエルでバレンボエムがワーグナーを演奏したことの問題点が指摘されている。日本の例では、中国や韓国で君が代を演奏した場合の問題点であろう。
     音楽に国境はなしということが、いかにいいかげんなことであるかがよくわかる。

  •  
    ── バレンボイム & サイード/グゼリミアン・編/中野 真紀子・訳
    《音楽と社会 20040720 みすず書房》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4622070944
     
     Barenboim, Daniel 19421115 Argentina /ユダヤ人ピアニスト・指揮者。現国籍はイスラエル。
     Said, Edward Wadie 19351101 America 20030925 67 /パレスチナ系文学批評家。主著《オリエンタリズム》
     Ara Guzelimian,  19‥‥‥ Egypt /199809‥ カーネギーホール芸術顧問。シニア・ディレクター、
    /有名な“カーネギーホール・トーク”ホストとして、名だたる音楽家たちと対話(一聴一席)。
    https://www.msz.co.jp/book/detail/07094.html
     
    …… (テンポは)時には作曲家が指定するのだが、それはどうしても
    速すぎることになる。作曲家がメトロノーム記号を記入する時には、ま
    だサウンドの重量がないからだ。ただ頭の中で想像しているだけなのだ。
    暗記している詞を心の中で反芻することは2秒でできるけれど、声を出
    して読み上げることは絶対に2秒ではできない。それゆえ作曲家による
    メトロノーム記号は速すぎることが避けられない(20181231 西村 淳)。
    https://sonarmc.com/wordpress/site31/2018/12/31/ベートーヴェンのメトロノーム記号/ 
     
    …… M.M.=100とあれば、メトロノームの目盛りを100に合わせた時の
    テンポを示す。これは1分間におよそ100拍であり「テンポ100」と呼ぶ。
    ここでM.M.とはメルツェルのメトロノーム(Mälzel's Metronome)の
    意味である(Wikipedia)。
     
     Beethoven, Ludwig van   17701216 Duitch 18270326 56 /1817 採用
     Winkel,Diederich Nicoiaus 1777‥‥ Olanda 1826‥‥ 49 /1812 発明
     Malzel, Johann Nepomuk   1772‥‥ Germany 1838‥‥ 66 /1816 特許
     
    …… メトロノームの発明者は? 日本語版ウィキぺディアでは1816年に
    ドイツ人のヨハン・ネポムク・メルツェル(1772-1838)が特許を取得した
    とある。実はこれより4年前にオランダ人のディートリッヒ・ヴィンケル
    (1777-1826)が振子式音楽用速度計を発明している。2人は友人だった。
    ある日のこと、ヴィンケルはメトロノームの作り方をメルツェルに教え
    てしまった。メルツェルは抜け目のない実業家で発明を横取りして特許
    をとってしまったのである。(20120809)
    http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-5b7e.html
     
    …… 従来、「ベートーヴェンのメトロノーム数字は速すぎる」「信用
    できない」といった指摘が数多くなされてきた。しかし、オリジナル楽
    器派の演奏が主流になりつつある現在、「フルトヴェングラーが遅い
    のだ」。また、朝比奈 隆も「ベートーヴェンのメトロノーム指定が変
    なのは、速すぎるのだけではなく、ちょうどいいのもあるし、遅すぎる
    のもあることだ」という。
     もともと、ベートーヴェンの交響曲にはメトロノーム数字は記されて
    いなかった。第8番まで作り終えた後に、ベートーヴェンはメルツェル
    のメトロノームを手に入れ、それをもとに《一般音楽新聞 18171217》
    に8曲まとめてメトロノーム数字を発表した。楽章単位の大ざっぱなも
    のだが、これが後に出版譜に印刷されることとなった。
    http://classic.music.coocan.jp/sym/beethoven/edition/9-tempo.htm
     
     絶対速感;メトロノームは、一秒間の拍数を統一表記する。
     
    …… メトロノーム(伊: Metronomo、英: metronome)は、一定の間隔
    で音を刻み、楽器を演奏あるいは練習する際にテンポを合わせるために
    使う音楽用具である。ドイツのメルツェルが1816年に特許を取得した。
    音楽家で最初に利用したのはベートーヴェンである。(Wikipedia)
     
     指揮者、とくに吹奏楽で行進曲を演奏する場合に、いつも同じ速度で
    ないと、その時の気分で速かったり遅かったりするとよくない。
     
     与太郎の体験では、アンコールに用意した《トムタフ・マーチ》を、
    二通りの速さで練習した録音が残っている。練習では、本番よりも速く、
    本番では、練習よりも遅く、意図的である。
     
     これをもし逆にすると、練習では上手く吹けたのに、本番では下手に
    混乱する可能性が高い。どの楽器も、概して速いほうが困難だからだ。
     実例として、われながら優れた着眼だったと思う。
     
     もうひとつの問題点は、そのそも遅い速い(おそはや)は、音楽的な
    情感に、どれほど影響するか、という命題がある。かてて加えてテンポ
    ・ルバート(tempo rubato)は「盗まれた時間」と訳される。
     
    http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19711023
     トリルがハモる ~ 時を盗む人々 ~
    http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A5%EB%A5%D0%A1%BC%A5%C8
     
    http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C0%E4%C2%D0%B2%BB%B4%B6
     絶対音感
    https://twilog.org/awalibrary/search?word=%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E9%9F%B3%E6%84%9F&ao=a
     
    (20200701)
     

  • バレンボイムはユダヤ系ロシア人の指揮者で、イスラエルでワーグナーを指揮し、話題に(糾弾)。
    サイードはパレスチナ出身。この2人は友達という。
    後半は、ワーグナーについて語る。結局は、どんな芸術でも受け入れる柔軟さが必要ということか。

  • 大学新入生に薦める101冊の本 新版 (岩波書店/2009) で気になった本。

  • クラシック音楽が好きなので、たまに聴きに行くわけですが、同時に、これからも­こういうものが、より多くの人が、気軽に楽しめる形で残ってほしい、と思っています。­

    多様な音楽やエンターテイメントが存在するなかで、なぜ、わざわざ18-19世紀の­古めかしい音楽か。­

    正月のウィーンフィル­ ニューイヤーコンサートの指揮をしたダニエル・バレンボイムは、音楽が、­信仰、自由への欲求、体制への反抗といった、かつての役割と分断された今、その力は­「人間のいちばん奥底にある思考や感情の内面的プロセスとの相似」にあると言います。­

    人間はどのように自分自身と付き合うのだろう。実存の問題とどう付き合うのだろう。­
    社会における自分の位置という問題に、どう付き合うのだろう。自分自身をどう見るのだろう。­
    不安や苦悶にどのように対処するのか。喜びには、どう対処するのか。(中略)­

    そこには相似(パラレル)が、それこそ何百となく存在する。­
    誰もが内面生活において経験するプロセスの相似物だ。­

    良い演奏は、なんとなく風景やシチュエーションが目にうかび、自分を重ね、­また頑張ろうという気持ちになったり、こんなものが聴けてよかったと思ったりする。­
    そういう意味で「音楽は人生の学校として最良のものであり、同時にまた­そこから逃避するためのもっとも有効な手段にもなる」と。­

    とはいえ、この学校は義務教育ではないので、選ばれ、残っていくためには、もう少し親しみ­やすい内容や形で、買い求めやすいお値段で、相手に伝わるプロモーションをして、提示­していくことが必要でしょう。­

    20世紀以降の、難解で「理解し、吸収するにはずっと多くの努力が必要」な現代音楽は、­素人には、居心地が悪いだけで、誰のために何を目指しているのか良くわからない。­
    音楽をやる方にはぜひ、そういう方向ではなくて、多くの人に伝わり、影響を与えられる方向へ、­創造の力を向けてほしい。­


    この本は、イスラエル国籍を持つ、ユダヤ人指揮者バレンボイムと、エルサレムに生まれた、­パレスチナ人批評家サイードの対談集。­
    二人は、戦乱状況にある故国の学生音楽家を集めたワークショップでオーケストラを編成し、­99年には、あの「のだめ」でR'sオーケストラが演奏したベートーベン交響曲第7番(べとしち)の­ドラマティックな演奏を行っている。­

    「紛争がいつの日か解消されるのであるとすれば、それは争っているもの同士が互いの接触を­通じて問題を解決していくことによってしかありえない」­

    ここでもまた、互いを知るという面では学校であり、同時にある面では逃避でしかない音楽。­
    依然かの地の平和への道のりが険しいのも、また現実である。­

  • めびいぞややににあとやわpりむらりりらららわら_ww

  • サイードさんの本を読んでいた頃、装丁を見かけて即買いしてしまった。音楽と社会の関係は分からなかったけれど、音楽が人を自由にしうる、という琴線に触れることはできた気もします。
    バレンボイム/サイードの二人に対するインタビューという形式で、物足りない気がするのは、残念ながらインタビュアーの(相対的な)力量なのかも。

  • 沈黙から沈黙へ。

    それぞれ祖国に定住せず育った来歴を持つ、パレスチナ人とユダヤ人の著者ら。
    彼らの間にはイスラエルの地に関わる大きな問題が横たわっているが、彼らはそのために憎む事はせず、音楽を通じてお互いを尊重している。
    音楽家のバレンボイムと文学者のサイードは似て非なる立場であり、その立ち位置を象徴する言葉が本書の原題である「Parallels and Paradoxes」(相似と相反)だ。

    似ているから分かりあえる、違うから興味深い。
    その感覚をお互いが持ち、且つ相手もそれを持っているという信頼関係があるように思う。
    二人の会話を読んでいると、言葉で人は分かりあえること、音楽は言語を超える存在であることを強く思う。
    おそらく異文化でも心に訴える音楽はあるし、人類共通の最高の音楽というものもあるだろう。

    現在はオーケストラが至上のように思われているが、それはその形態が時間と文化の中で洗練されたものであるからだと思う。
    例えば、和楽であってもそれをもっと身近な存在にし、競争と評価にさらすことで、さらに普遍的な存在になり得ると思う。それはアジア、アフリカ等の地域音楽としてイロモノとして見られている楽器にも言えるのではないかと思う。

    元来、音楽は移り行くもので、楽譜があれど表現は千差万別。
    一度として同じものはない。
    二人の遍歴のようでもあり、人の一生のようでもある。

    アイデンティティとは、ひとところの塊ではなく、流れ続ける潮流のようである。

  • ユダヤ人とワーグナーの音楽の関係が、痛いほどよくわかる。
    少しづつ、色々な壁を崩していこうという活動に頭が下がる。
    音楽で壁を作ってはならない。

  • 【library222所蔵】


    世界的なピアニスト・指揮者のバレンボイム(イスラエル国籍)と、パレスチナについて真摯に語り続けるサイードとが出会う。パレスチナとイスラエルの音楽家を招いたワークショップの話、土地の問題化、音楽と社会を語る。

    音楽を愛し、芸術を愛し、生活を愛し、人を愛し、社会を愛する現代人必読の本。

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