82歳の日記

  • みすず書房
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (330ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622070962

作品紹介・あらすじ

死の予感とともに"未知の国"へ。お供は猫のピエロ。過酷で壮麗な自然、友人たち、深い気鬱、読書と詩作。「楽天主義を手放さないこと」。サートン最後の日記。

感想・レビュー・書評

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  • カイロス= 人生におけるユニークな時間、すなわち変化の機会。

    「ああ、このすばらしい本のおかげで、わたしは考えていた以上にあなたを知ることができ、ひとりの友だちを失ったような思いでいるのです。」

    細かい数字的なことは忘れてしまうようだけれど(メイの父母が亡くなった歳とか)、煌めく思い出は、いまでも彼女からは溢れてくる。79歳の日記の痛みと倦怠感から、82歳のメイはどうしているだろう、とおもっていたけれど、友人の出演するミュージカルを観にいったりと、あいもかわらずときどき吹き抜ける幸福と、高なる波のように訪れる絶望感とともに、生きているようだった。
    冒頭にも本人から説明があったように、一度書き記したものを手直しなしというルールをもう自分に課すのをやめて、補足して内容を深めることにしたみたい。なんだかメイが若返ったみたい、、!! そのうえ彼女は81歳のときにはまた朗読会をしている。 そしてなんと詩の翻訳の仕事もしているし、なりよりまた、詩をかいて、車も運転している。例のホリスティック療法はどうなっただろう?あれは?これは?って 、これじゃあまるでストーカーだ(ストーカーなのだとおもう)。
    たしかに、以前までの深くまでおよぶ思索や詩の引用などは少なくなったけれど、この日記はとても穏やかで率直で、輝く陽は美しく、あいもかわらず瞬間を歓びで満たしてくれる。冬がだいすき、といっていたメイは「わたしは冬のあいだ眠り、春に目覚めたい」なんていっていて、なんだか安心した。それでいいんだって。
    そして、
    「以前、日常を神聖化することについて話した記憶があるが、いま夕食のために豆を切ったり、冷蔵庫から必要なものを取り出して、テーブルをセットしていると、ただの家事ではないという感覚が産まれてくる。なにかゆったりした感じになり、祈りのときのよう。」わたしも最近こんなふうに感じることがあり、驚いた。日々の細々としたルーティンを愛しはじめ、感謝している、ということなのだろうか。不思議。

    「日々生きる努力をするのはきわめてたいへんで、死への願望も強い。みんなあきらめたい、もう努力なんかしたくないという思いもある。」
    この世界から解放され、穏やかなときを、美しく咲きみだれる花々とともにすごしていることを祈ります。あなたにはほんとうに救われたのです(聞いてますか??)。これは感謝というにはぜんぜん足りない、ようやく人生そのものを与えてもらったように思うのです。






    「わたしたちは受け身のまま、悪いニュースにうちひしがれているよりは、できることはなんであれ、自分で見つめなければならない、とナンシーは言う。混沌のなかから、なにか肯定的なものをつかみとるために。」

    「しかし、そうしたことがこの日記を持続させてもいる、つまり挑戦と可能性に生きるよう自分を仕向けてくれるのだから。」

    「ひとは成長して永遠の謎であるなにものかを超え、そして苦痛であるとはいえ現実を受容して安らぎの世界に踏み入るのだ。」

    「その、「どうしようもなく楽天的」という言葉がすてき。ひとがいやなことに直面し、なんとか理解しようと思うことは数多くあるのだから、ともかく楽天的でいるためには〈どうしようもない〉ほどでなければ。」

    「ひとたび耽溺したものはずっと不足をかこち、
    ひとたび口に出したものにはけっして戻る道は見つからない。」J・V・カニンガム

    「劇中でシビルが、芸術を「権力をもたない魔法」とていぎしているように、金は権力となり危険なものだけれど、芸術は害を与えず、金がもたらすような破壊力をもたない魔法だということ。」

    「わたしの人生は、いまはこんなふうだ。迷宮にもぐりこんでしまったようで、いつも出口を探しまわっている。」

    「民族浄化はじっさいに起きていることであり、これは人間の魂を崩壊させる行為だ。わたしたちは、このことによって滅びつつある。」

    「祈りの力を信じられる人たちが羨ましい。わたしは、個人的には神を信じないけれど、祈りはとても価値あるものだし、可能なかぎり祈りたい。祈りは、ひとを自己から解き放ち、より大きな領域へ、より大きな宇宙の一部へと引き上げてくれるものだと思う。」

    「これからどうなっていくのか興味もわく。興味がわくと言ったものの、八一歳にもなり、この四年間のように衰えが進んでくると、死は友だちのようなものなのだ。」

    「けれど、現実の海を超えるのとおなじくらい、時間の海を超えるのはたいへんな努力がいる。」

    「わたしは現在と同様に過去という時間のなかで揺れていて、未来のことはすこしも考えないからだと思う。過去がつきまとって離れない。」

    「あのときから、わたしは新たな局面に入って、すこしずつ死に近づいているのだ。その事実を受け入れられれば、いまを、これまでのペースを維持するための苦闘の時として受け止めず、自分になにも求めずらよく生きることしか意識しない瞑想の時として受け入れ、可能なかぎり楽しくすごく最後の冒険に向かってるのだと感じられるだろう。」

    「そして心に決める。けさのような鬱に対応するには、できないと思って苛々する代わりに、自分にできることだけを考えよう、と。」

    「老いについて語り、重くのしかかるもの、手放すべきとのはなにかを見いだすことは、わたしにとっていい作用をすることがわかった。」

  • メイ・サートンの日記、最終巻。サートンとお別れするのが悲しくて読むのを後回しにし続けてきたけど、とうとう読み終わってしまった。この一年後に亡くなるということだけど、ずっと心身の著しい不調に悩まされ、死を意識する中で以前の深い内省は鳴りを潜めている。サートンが以前の日記で「人がほんとうに老いるのは、先のことより過去のことばかり振り返るようになったときかもしれない」と書いていたけど、本当に過去の、子供時代のことをたくさん振り返るようになっていて限界の老いを感じさせる。
    思い通りにならない体と暮らしへの怒り、作家として思うような名声を結局得られなかったことへの失望と闘いながらの生活でも、友人との交流、読者からの賞賛、ネコのピエロと花への愛は彼女を慰めていた。それに対しても、疲れから苛立ちを感じさせるような時も多かったようだけど…。
    素晴らしい作品をたくさん世に送り出してくれたことに感謝して、サートンが安らかに眠っていることを祈ります。

  • この著者の、孤独に対する姿勢が素敵だった。体調不良と老い、文壇からの不遇な扱いにより日記のほとんどは憂鬱な日々が書かれている。しかしそのような毎日の中でもたくさんの人から届く花や手紙、深く信頼している人々への感謝と愛情が際立っていた。所々に掲載されている写真も良い。飼い猫のピエロが可愛いし、エピソードも微笑ましいと思った。

  • このかたの作品を読んでみたいと思った。
    たおやかさを感じる日記。湖面に小さくゆれる波のようだ。

  • 図書館で借りたけど読み切れませんでした。82 歳の詩人の生活はエキサイティングで魅力的。いつか再読を目指します。

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著者プロフィール

(May Sarton)
1912-1995。ベルギーに生まれる。4歳のとき父母とともにアメリカに亡命、マサチューセッツ州ケンブリッジで成人する。一時劇団を主宰するが、最初の詩集(1937)の出版以降、著述に専念。小説家・詩人・エッセイスト。日記、自伝的エッセイも多い。邦訳書『独り居の日記』(1991)『ミセス・スティーヴンズは人魚の歌を聞く』(1993)『今かくあれども』(1995)『夢見つつ深く植えよ』(1996)『猫の紳士の物語』(1996)『私は不死鳥を見た』(1998)『総決算のとき』(1998)『海辺の家』(1999)『一日一日が旅だから』(2001)『回復まで』(2002)『82歳の日記』(2004)『70歳の日記』(2016)『74歳の日記』(2019、いずれもみすず書房)。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。

「2023年 『終盤戦 79歳の日記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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