サバイバル登山家

著者 :
  • みすず書房
3.64
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本棚登録 : 342
感想 : 49
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  • Amazon.co.jp ・本 (257ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622072201

作品紹介・あらすじ

「生きようとする自分を経験すること、僕の登山のオリジナルは今でもそこにある」ハットリ・ブンショウ。36歳。サバイバル登山家。フリークライミング、沢登り、山スキー、アルパインクライミングからヒマラヤの高所登山まで、オールラウンドに登山を追求してきた若き登山家は、いつしか登山道具を捨て、自分の身体能力だけを頼りに山をめざす。「生命体としてなまなましく生きたい」から、食料も燃料もテントも持たず、ケモノのように一人で奥深い山へと分け入る。南アルプスや日高山脈では岩魚や山菜で食いつなぎ、冬の黒部では豪雪と格闘し、大自然のなかで生き残る手応えをつかんでいく。「自然に対してフェアに」という真摯な登山思想と、ユニークな山行記が躍動する。鮮烈な山岳ノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 著者の本としては傍系であろう小説『息子と狩猟に』や家庭生活を綴った『サバイバル家族』、書評本『あなたは読んだものに他ならない』を読んだあと、第一作にあたる本書を読んだ。

    全三部の約250ページ。「Ⅰ サバイバル登山まで」は章題のとおりサバイバル登山を実践するにいたるまでの心理的な動機やその原型であるフリークライミング思想、背景のひとつである屠畜に関する体験などを語る。「Ⅱ サバイバル登山」が本書の核心でもっとも長く、実践編にあたる。初回のサバイバル登山である1999年の南アルプスでの活動を綴る「サバイバル始動」、具体的な手法についてもっとも多く紙数を割いた「サバイバル生活術」、執筆時点でおそらくサバイバル登山として最大の試みである「日高全山ソロサバイバル」の3パートにわかれる。「Ⅲ 冬黒部」はサバイバル登山を離れて冬の黒部を舞台にした三回の登山活動について記している。第三章は「サバイバル登山」から離れ、「僕のなかではサバイバル山行と黒部横断は同じベクトルをもっている」としながらも余録に近いものだと思えた。

    「サバイバル登山」の活動内容を知らしめつつ、その精神的な背景を描き出すエッセイ集である。先のとおり第二章にある「サバイバル生活術」などを中心に具体的な実践方法についても記載はされているが技術的な話は主ではない。想像していたよりも「サバイバル」より、どのような「登山家」であるべきかを考えることに重きが置かれていた。本編のピークといえる「日高全山ソロサバイバル」もラジオを携行するなど著者自身が語るとおり厳密な「サバイバル登山」を実践することにはこだわりがない。旅の途中で遭遇する学生に食糧をたかるくだりでは虚をつかれる思いもした。「サバイバル」要素だけであれば先に読んだ(出版順でいえば逆で時期的には10年以上あとになる)『サバイバル家族』のほうがそのエッセンスが詰まっていると感じた。

    どのように登山すべきかについての考え方は、著者が親交をもつ角幡唯介氏にとっての探検のありかたとも相通じる。地図上の空白地帯が存在しなくなり、技術の進歩によって過去に比べれば登山や探検のハードルが下がった現代、だからこそ個人個人が本質的な行為がなにかを問うて行動する必要に迫られる。著者にとってのその答えが「衣食住のできるかぎりを山の恵みでまかなう」「サバイバル登山」だった。「都市型生活をする人々は地球環境にとってどこまでもゲストである。自分がこの星のお客さんだと知るのは悲しいことだ」「僕らの時代はただ生きているだけでは、何の経験も積み重ねることができない時代なのだと信じていたのだ」といった他の著作でもみられる痛烈なコメントには、自分の弱さを見透かされたようで、やはりどきりとさせられてしまう。

    本書内でもっとも魅力を感じたのは「序章 知床の穴」と、先にも触れた第二章のラストにあたる「日高全山ソロサバイバル」だった。とくに「日高全山」は登山出発までの著者が所属する会社でのトラブルや、数少ない妻との会話シーンも良く、日勝峠を始点にはじまった旅の終点である襟裳岬に到着するラストでは、自分自身の旅が終了したかのような感慨があった。

  • サバイバル登山家ーー
    本書をご存知の方はどれくらいいるのだろうか
    私の中で、この作品は長年「心の積読」ともいえる存在で、気にはなるけど読んでいない、実際に買って手元にある(積読している)わけでもない、微妙な距離感と評価のものだった。

    今年は数年ぶりに読書に取り組み、際してやはりというか、本書の存在も久方ぶりに思い出した。

    初めて著者を知ったのは、何かのドキュメンタリーか、ニュースのコーナーだった気がする。もう10年以上前のことだ。
    そのときの、飢えたような野性味の強い目つきと、サバイバル登山家、という自己主張の強い呼称から、手にとるのに二の足を踏んだ。

    私は、冒険が好きだ。冒険小説も、ドキュメンタリーも、わくわくする。
    ただ、なぜか本書には心の距離を覚えた。

    それなのに、10年以上たってもやはり思い出す訳だ。それで、今回なぜ気になるくせにそんな風にもやもやを感じるのか?改めてちゃんと考えてみた。

    結論を言えば、私は、険しい自然を克服していくことやその中での思索の深まり、畏怖と感謝の念、人によっては神のようなものとの対話、哲学的対話、研ぎ澄まされていく肉体と精神、圧倒的な自然の美しさと厳しさに浸れる装置として冒険を捉えているのだろう。
    つまり、ただただ野生に同化し、獣のように生きることは、あまり好みではないようだ。

    著者は、「生命体としてなまなましく生きたい」という。ひとつの獣として、自然の中でフェアに生きる。…極端に言って、「この人は、自然界の弱肉強食の一部としての自分を感じるために山に入るのだろうか」そう私には思えた。
    失礼な話だが、大丈夫なんだろうか?と思った訳だ。肉体派だろうし、文章もさほど期待できると思えなかった。数年後生きているのか、生き急ぐ人ではないのか。短い時間でそんなことさえ思ってしまった。


    前置きが長くなってしまったが、私にとって長年の積読になったのはそんな理由からだった。
    テレビを見たときは既に発売から時間がたっていたのだろう。本屋で見かけることもなく。わざわざ図書館で探すには気が重く。そのままになった。


    で。今回図書館の書庫から取り出してもらい、借りて読んだのだが、、
    いろいろと、本当いろいろと、予想と違うものだった。


    まず文章が素晴らしい!
    情景が目に浮かび、たまらない冒険記となっている。

    サバイバル登山のスタイルに至ったきっかけ、山で死にかけた体験からとにかく引き込まれた。読ませる文章で、情景描写と心理描写のバランスも良い。
    あと、たしか狩猟をしながら山では命を喰らうと記憶していたのだが、哺乳類といったものよりも、魚(川魚の岩魚)を食う描写が多く、少しホッとした。魚釣りが好きなこともあって、どんどんのめり込んだ。

    先日読んだ別著者の本があまりに薄味だったのも相まって、野草や野外での行動のひとつひとつが知識にあふれ、読み応えがあり、満足。

    他にも作品が出ているみたいなので、読んでみたい。じっくり時間をかけて。繰り返し。瞳を閉じて情景を浮かべながら。
    個人的に、心の積読本は大当たりか大外れな場合が多い。がんばって他も手をつけよう、忘れずに読めて良かった。そう思えた。

  • 登山を始めて約4年 自分の登山に対する考え方を変えてくれた男、服部文祥さんの本
    文祥さんを知るきっかけはテレビ番組情熱大陸 毎週録画している番組だか文祥さんの回を果たして何回みただろうか
    初めて見たときは何故だか涙が溢れて止まらなかった
    こんなにも熱く、真摯に山と向き合うなんて、生きるってこういうことだ って感じた
    それからネットですぐに注文した本です
    まだ狩猟はしてないころのサバイバル登山ですが十分に楽しめました そしてますます好きになりました 後半はサバイバルというよりチームでの冬山登山について書かれています
    次は狩猟サバイバル読まなきゃ

  • 表紙の写真からしてキョーレツ・・・。夫が借りてきたのだが意外と面白い。サバイバルな部分は、私が自然を求める気持ちの源流の源流なのかも。

  • 生態系の輪の中に入りたい、山にはいるときは便利さを排除して、自分の命を危険に晒す覚悟を持ち、自然と対等に接したいという服部さんに共感する。

  • 地図で計画を立てて、その通りに整備された登山道を辿る、何をやっているんだろう?という疑問に対する、それは登山ではない、という一つの回答。
    限られた資源を消費していくサバイバル登山が本当よ登山なのか?という疑問も残ったが。

  • 服部文祥さんの第一作目。
    個人的には『狩猟サバイバル』や『ツンドラサバイバル』など哺乳類の狩猟要素が加えられた方からがもっと面白く感じますが、それらを読むためにまずここから読み始めた方が次回作をより面白く感じれると思います。

  • 黒部横断の章は、読んでるだけで寒気が伝わってくるようだった。描写の緻密さのせいだろうと思う。
    日高山脈縦走の章がとても良かった。相変わらず自然に対するフェアネスと自分の体力その他の限界との間で揺れて葛藤している。
    襟裳岬に到着したときの戸惑いにはじーんときた。

  • 登山で身を立てるにあたって、未踏峰、未踏ルートではなく、以下に自然のままに立ち向かうかを重視して行ったのが著者。K2の伝統的な登山隊に参加してある程度既存の権威への免疫を獲得した以降は、黒部などでできるだけ装備を持たない、あるいは食べ物も岩魚釣りで確保していくという方向に突き進んでいく。

  • 社会が築き上げてきたものを「フェアじゃない」って感じるのはどこからくるものなんだろうか。登山中の悪戦苦闘や乗り越えた際の達成感の描写は面白いんだけど、著者が常に向き合っている自然/文明との関わり方に共感できず、のめりこめなかった…。
    文章的には、専門誌に掲載されていたものだけに専門用語が多く、ところどころ詰まってしまった。

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著者プロフィール

登山家

「2023年 『ベスト・エッセイ2023』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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