きっかけの音楽

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著者 : 高橋悠治
  • みすず書房 (2008年10月7日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (309ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622074175

きっかけの音楽の感想・レビュー・書評

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  • 作曲家が描いた詩集、エッセイ集ともいうべき情感にあふれた本です。「音はどうしようもなく、消えていく。瞬間ごとに新しい音がある。それはたえず沈黙のなかに落ちこんでいく。だれもそうすることもできない。音楽とは、音楽が壊れていくことでもある。」「すぐそばにいたはずのひとのかたちが、もうない。あのひとたちは、どこへいったのか。そのひとたちと過ごした時間は、どこにも存在していない。その時間は一度も存在したことがなかったと言えるだろうか。それだけではなく、いま、こうしている自分が、やがていなくなり、このいまという時間もどこかへ行ってしまい、実は存在していなかった、と知る、そんな時は、まだ存在していない。・・・」これらの感覚は音楽を聴いているときにたしかに感じる感覚です。まさにそのように思うことがよくあるからです。後半はドビュッシーの音楽の評論ともいうべき内容で、楽譜が出てきたり、難解になりますが、「ペレアス」の解説はオペラの情景を思い浮かべながら、水の女であるというメリザンドの髪を梳くシーンなどを想いました。

  • mixiレビューから転載。長いですが。。


    『題名に惹かれて学校の図書館で借りてきた本。
    芸術家の感性に触れることができてよかった。
    父親が「左翼雑誌の元編集者」らしく、その辺が影響しているのかやや夢見がちに感じられる部分もあってそこには賛同できなかったが、豊かな感性に裏打ちされた心を打つフレーズが多数ちりばめられており、非常に魅力的な詩集だった。
    ことばや音楽、人間の感性の持つ力を実感したくなったら読んでみるといいのでは?

    気になった言葉をあえて後半の範囲からだけピックアップ。
    前半は自分で読んでください(笑)

    ・1945年8月15日は朝から晴れていた。(中略)その頃うちは鎌倉の浄明寺にあった。借家だったが生け垣に囲まれた広い庭があり、その向こうには畑があって、トウモロコシやナスを植えていた。どこの家でもその周りにはそういう空き地があった。それはだれの土地だったのだろう。そこで家族の分を作り、近所の農家で作ったものをわけてもらっていた。ヤギを飼っている家もあった。ニワトリを飼っている家もあった。
    (p.159「しずかな敗戦」2005、『子どもたちの8月15日』(岩波新書新赤版956)所収)
    ・組合派(congregational)というのはピューリタンの一派で 会衆の直接民主主義によって各教会が独立している 自分にきびしく ひたむきな人間は 不幸の空気を漂わせ 周囲の人間を引き込む力があるようだ

    (p.178「記憶違い」2007)

    ・あたりまえに過ごしている日常のなかに
    多くのだいじなことがある ということに
    人は それを失うまで気がつかない

    ・It is possible that to seem----it is to be

    そう見えることは 存在すること――でありうる
    (ウォレス・スティーヴンス「場所のない記述」)

    (p.183「花筐(はながたみ)―高田和子を悼み」2007)

    どうやって目の裏側から縫うことができるのか
    目を取り出してまた入れるのか
    まだ聞けないでいる
    今度のレンズは目よりも長生きするらしい

    (p.197「硝子体手術」2007)

    この見方は、和声的音楽の正統性という前提からでることができない視野のせまさをあらわしている。ドビュッシーの個人的な発明は、ラヴェルの古典主義のなかに吸収され、あたらしいフランス・アカデミズムのためにつかわれる。和声が音楽の根本であるというかんがえからは、機能とは独立に「自由に」、あるいは色彩的にむすびつけられる和音には和声以上の原理がはたらいているとかんがえつくこともできない。色彩は構造の外側にある装飾であり、個人的なこのみ以外に選択の基準はない。
    この見方は、ドビュッシーの「毒を含んだ魅力」に抗しきれなかった作曲家たちの音楽を骨抜きにし、みじかい流行のあとで風にふきとばされる色あせた花びらをまきちらした。

    (p.228「ドビュッシー序論」1975、「あんさんぶる」104―109号所収)

    やっぱり前半も載せることにしました。

    ・思想とは、だれかが考えたことだ。考えるとは、明滅することばの残像で、現在形ではとらえることもできず、コントロールすることもできない、この無人称のプロセスを、後から辿りながら論理によって組み立てるとき、考える人が考えたこと、思想が生まれる。この意味で、あらゆる思想は、はじめからにせものだ。それは考えるプロセスに対応していないばかりか、そこで考えられている、と思われている現実と、どこまでもずれている。

    (p.101-102「書きかけのノート」2001年5月~2002年8月) 』

  • この時に何でこういうチョイスをしていたかって、今考えると文章で生きていない人、むしろ文章にならないことを生業にしている人の文章を読みたいっていう欲求があったからだと思う。高橋悠治はいい。こういう感覚を持っている人は好きだ。(09/9/28)

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