- Amazon.co.jp ・本 (241ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622074892
感想・レビュー・書評
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日本では知られていないチャールズ・ローゼンが演奏家と聴き手のために書いた本、クラシックは聞かないのでこの本の作曲家や演奏家はわからない、完全なジャケ買いと言うか題名買い。ちょうど直後に西新宿の白龍館でピアノとサックスのライブを聴くので酒と音楽と本とでちょうど良いなあと即買い。
ローゼンは自分は伝統的な解釈を好むと言いながら、必ずしも作曲家が意図した(と思われる)演奏法や解釈にこだわらない融通無碍な人で、それでいながら論理的にピアノを語る。それでもこれはダメだと言うものはやはり有るらしい。「アマチュア、プロフェッショナルを問わず、あらゆるピアニストに関係のある演奏という経験について語りたい。なかでもわたしの最大の関心事は、演奏という身体的行為と、音楽のなかでも一般にそれより知的、精神的、感情的とされるものとの関係、いわば身体と精神がどう作用しあうかということだ。」「しかし、この本はピアニストだけでなく、聴き手にも向けられている。むろんピアニストに演奏法を伝授するつもりはない。わたしの偏見が入り込むのはいたしかたないとしても、そういうものはなるべく抑えるように努めた。」「なによりこだわったのは、さまざまな演奏体験、そしてその苦しみと歓びを伝えることだ。」
ほとんどのプロのピアニストは四、五歳からピアノを始めている。楽しみのために始めるのなら遅すぎることはないが、だがプロのピアニストになるということは綱渡りと同じで、ピアノを習い始めるのが遅ければ綱から落ちる。ローゼンの教育システムに対する一時的知識は限られている。ジュリアードを11歳でやめて個人レッスンでべんきょうしたからだ。音楽学校の利点はライバルと出会い、室内楽をたくさん演奏できることで、不利な点は自分のペースで練習できないことと、教授陣と音楽院が強いるスタイルにせいやくされることだ。ローゼンが言うにはピアノの演奏技術をテストする方法は年に一度のリサイタルで、ただ欠点も有る。誰もがプロのソリストにはなれない。楽しみで弾く人も含めてレパートリーが多い程むくわれる。画一的な教育は効率的かもしれないが誰にでもあっているわけではないからだろう。
最良の教授方は学生と一緒に練習すること、見本を見せあとは見守る。解釈は教え込まず生徒がどのように弾きたいかを引き出してやるのが良い教師だ。それは教師に忍耐を強要する。自分の好みや身につけた解釈を放棄することに他ならないからだ。とは言え学校の性質上奇抜な個性よりも機会的な学習を重んじる。ローゼンは誰かのモノマネの様な演奏は学校の試験では合格点をつけても、プロの演奏家としては評価しない。何度も同じ考え方が出てくるが好き嫌いが分かれる演奏を尊重しているからだ。
18世紀後半、ピアノが発明されてから50年ほどたったころ、ピアノ演奏は今よりもっとシンプルだった。公共的な場所でコンサートが開かれるようになるのはずいぶん後のことで、当初は室内楽、私的なサロンやハウスムジークだったことからすると(ベートーヴェンの生前、その32曲のソナタのうち、彼が二十歳以降暮らしたウイーンで公共に演奏されたのはわずか二曲だけだった。だから、当時の室内楽の音響を前提とした作曲家の演奏指示をコンサートホールで同じ様に演奏するのは作曲家の意図した演奏を再現することにはならない。
譜面も多数あり、演奏家や聴き手にとってはそうそうと言う部分が有るんでしょうね、残念ながら全くわかりませんが。でも専門家の教育については同意できる。「この先、ピアノの新しい使用法が生まれるのかどうか、わたしにはわからない。ピアノ・リサイタルというあり方が永続するかどうかもわからない。一般の人々がレコードでピアノを聴き続けるのか、現代の集合住宅にはかさばりすぎる家具となったグランドピアノを買い続ける家庭が有るのかもwぁからない。」「ピアノ音楽の未来への鍵をに握るのは、ピアノを聴くと同時にピアノを弾くという身体的な歓びなのである。わかる人は良いですね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ちょっと難しかったので飛ばし読みですが、ピアノや作曲家、演奏などなどについてのうんちくがたっぷり楽しめました。自分がピアノを習っていたり、クラシック音楽にもっと詳しかったりしたら、もっともっと楽しめるのではないかと...。
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偉大でありながら日本ではあまり名前を聞かないピアニスト チャールズ・ローゼン。ピアノのレベルがもう少し上がったらもう一度読んでみたい本。