- Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622076148
感想・レビュー・書評
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終わり部分にある筆者の急性ストレス障害に関する記述が一番気になった。たんたんとした記述だが、現実には相当堪えたものがあったのだ。
・デブリーフィーング
・フクシマ・フィフティズは架空なのでは?
・「状況が全てである」というドゴールの言葉
・神戸のホームレス受容
・取材のヘリコプターに対する過敏、憎悪
・人間は燃え尽きないために、どこかで正当に認知される必要がある。
・弱音を吐けない立場の人は後で障害が出る。
・全財産を無くしても感謝の気持ちは伝えたい。 -
資料ID:21101171
請求記号: -
17年前、大阪の実家で阪神淡路大震災に遭った。昨年、結婚して転居してきた千葉で東日本大震災に遭った。東日本では、1晩ながら避難所で過ごすということも経験した。
家に帰ってテレビに映し出される画像が、阪神淡路のときの街の様子と重なり、しばらくの間息をするのも苦しくなったことがあった。そんなころ、この本とめぐり会った。
少しずつ読んでいく中で、いつも中井先生の文章で感心させられる観察眼、冷静な記述に、読みながら自分の中で起きていることを整理し、落ち着くことができた。
阪神淡路大震災の際の医療現場の記録しても貴重なものである。 -
中井久夫が阪神大震災時後に書いた『1995年1月・神戸』は、昨年の3月の大震災後に、まずネットで無償公開された(そのきっかけとなったのは最相葉月さんで、東京の住まいで落下した本のなかにこの本があり、これはいま役に立つと判断したことだという)。
その後、編みなおされて新たな本が出る予定だということは知っていた。その新しい本を図書館で見かけたので借りてきた。冒頭には新しい稿として、「東日本巨大災害のテレビをみつつ 2011年3月11日-3月28日」が置かれ、『1995年1月・神戸』から「災害がほんとうに襲ったとき」が再録されている。
『1995年1月・神戸』を去年の春に読んでいたけれど、新編のこの本を読みなおして、「災害がほんとうに襲ったとき」の末尾、1/17からおよそ40日後の3月2日に記されている、この一節が印象にのこった。
▼夕方、秘書とJR神戸駅前に向かって歩いた。春の匂いを風が運んでいた。すべてはほどけてやわらかかった。「終わったという感じが流れているね、まだ不通の電車も避難所もあるのに」「4、50日しかスタミナは続かぬだよ、生理的に」「その間に主なことをやってしまう必要がありますね」。われわれはやりおおせたのだろうか。(p.111)
この4、50日の「戦闘消耗」の話が、「私の日程表 1995.1.16~2/28」に書かれている。
▼「戦闘消耗」とは、ベテランの下士官など、戦争のプロが、程度の差はあっても突然戦闘を継続するのがバカバカしくなり、武器をかなぐり捨ててどうでもなれという態度に出ることであって、ナチス・ドイツが戦争末期までこまめに兵士に休暇を与えて鉄道で故国に帰していたのも、米軍がベトナム戦争で三週間ごとにヘリコプターで兵士を前線からサイゴンに送り返していたのも、40日から50日をピークとする「戦闘消耗」を避けるためであった。ここで、興味を感じたのは、軍事精神医学では「戦闘消耗」は困った病的状態とされるが、実際は、戦闘という無理を自己激励によって心身に強いてきたのが限界に達して、雪の積もった竹が跳ね返るように、精神が正常化する事態だということである。(p.129)
95年に61歳の精神科部長だった中井は、昨年77歳だった。神戸の記憶をよびさまし、重ね合わせ、比較し、考えたことが冒頭には書かれている。「現場は重要だが、まわれる場所の数は限られている。現場に立てば、そこの眼の前の印象に支配されてしまう」(p.13)と中井は書き、神戸の経験を重ねながら新聞記事やテレビ報道をみていた、という。
私は去年の3/11の夕方以降、いつもはほとんどみないテレビ映像を何時間かみて、ひどくつらくなった。翌日はテレビを消し、ネットのニュースも、メールもあまりみないようにした。その3/12には、また長野北部を震源とする大きな地震があった。以後も、かなり大きな「余震」が頻々とあり、けれどその揺れをは身体でほとんど感じることのない大阪の私には、17年前の1月や2月のあの余震の続いた日々、ぐっすり寝た気のしなかったあの頃を重ねて、かろうじて想像できるものだった。
その距離感を、あらためて感じる。
今回読みなおして、中井が「長大な天皇論」を執筆した話が書かれていることに気づく(前に読んだ時には、何も印象に残っていなかった)。「私の中の「昭和」が私を突き上げ、私はほとんど狂わんばかりにして」(p.101)書いたというその論文は、知る人は少ないと思うとあるのだが、図書館で探してもらえば、読めるだろうか。
(3/15了)
※追記:ネット検索で探してみたところでは、「「昭和」を送る─ひととしての昭和天皇─」(文化会議239号、1989年)が近い気がして、図書館でこれを読みたいですと頼んできた。 -
東北と神戸は、様々に異なる面はあるだろう。15年前と現在、ネットワークの発達の違いを感じる。
メディアの報道、PCから携帯へ、パケット通信、SNS、Twitter、時間が早く、短時間でできる。
支援者・スタッフには休息が必要である。
災害の(救援の)情報は外部から得る。(神戸←東京)
テレビ・FAX・メディアが役立つ。
頭をクールに指揮。
統制・調整・一元化を要求したものは、現場の足をしばしば引っ張った。
トリアージ・避難民と避難所、ルート確保、地域が分かると良い。(その地区の地名の入った本をあらかじめ読んでおく) -
この本は阪神・淡路大震災のときに現地で医療活動にあたったある精神科医の記録です。出版社が同じなこともあるのですが「夜と霧」を連想させました。
今も現状が刻々と変わっているそうなので、この記事を書いたときにどうなっているのかわかりませんが、東日本大震災や福島の原発事故で被災した現地の写真や映像を見るたびに悲痛な気持ちになります。
この本は16年前、阪神・淡路大震災のときに精神科医として現場の指揮を取っていらした筆者の文章に新たに東北・関東大震災に関する文章を加えて再編集したものです。この本によると震災直後だと、怪我などの肉体的な傷が多いのに対して、被災生活が長引いてくると、今度はPTSDなどの、心の傷や障害が出てくるという記述を読んで、実感としてこみ上げてきました。
実は僕も震災直後に、避難所で2日ほど夜を明かしていたことがあって、その様子を自分のツイッターやフェイスブックに流し続けていました。非難解除が最終的に出たのは3日目だったのですが、この本に書かれているとおり、その場にいた人間のほとんどの顔に重い疲労、特にご年配の方にその傾向が見られました。
そして、この本の中には現場で医療活動に当たっている医師たちにもものすごいストレスがかかっていて、戦場にいる兵士たちと同じような精神状態になっている、という記述があって、僕は想像することしかできませんが、やはりそれだけ過酷な現場だったのだなと。読んでいてそんなことを考えてしまいました。今も現地で被災されているかたがたにはほんとうにお見舞いを申し上げたく思います。 -
資料ID:98110345
請求記号:369.31||N
配架場所:工枚普通図書
阪神淡路大震災の記録を読んで、東日本大震災で経験したこと、今一度、災害が起こった時のことを考えてみよう。