落語の国の精神分析

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著者 : 藤山直樹
  • みすず書房 (2012年11月10日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622077046

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落語の国の精神分析の感想・レビュー・書評

  • 筆者も才能あるゆえに孤独なのだろう。そしてもっと生きたいのだろう。そういう筆者が自分を談志に重ね合わせて支えられたように、私も支えられた。特に『立川談志という水仙』がよかった。
    ちなみに、2015/12/31天声人語を見てこの本を読んだのだが、筆者の言いたいことを十分に理解して引用したとは思えなかった。そこにまた筆者の孤独をみた気がした。

  • 落語が好きな精神分析家が落語について精神分析家として話す本。

    「このことが、「落語とは人間の業の肯定である。」と言ったことの意味である。」彼は50代になろうとする頃、この言葉を書いた。現役の落語家がこれほど落語の本質を射抜く言葉を発したことは空前絶後のような気がする。落語は人間の不毛性、反復性、「どうしようもなさ」をまざまざと具現するものなのである。不毛で反復的な人間存在をいとおしみ、面白おかしく、愛情をこめてらわうパフォーミングアートなのである。」

    心理学においてもしばしば課題になるのは、現実の自己と理想の自己が異なるなかでの葛藤だと思う。簡単に理想的な人生をあきらめることはできず、だからといって簡単に理想の自己になれるわけではない。そのため、葛藤してしまうのである。しかしながら、それはそれでつらい。変えられるなら変えたいものであるが、変えることができないので、悶々とする。でも「どうしようもない」のである。
    笑うしかない、気にしても仕方がない。それが落語のようにも思う。落語が人間の業をあらわして、かつ、それを皆で笑うなら、笑うしかない物語なのである。落語を聞くことで、自分の人生を重く受け止めず、ただの話と受け止めることができるかもしれない。

    「そうした文化的な媒介項を導入することが私たちが何とか「人間の自然」を取り扱い可能にするひとつの方法なのである。そうした文化の枠組みがなければ、「人間の自然」は私たちを圧倒し、その結果として私たちは現実から大きく逸れることで安全を確報するかしない。私たちは気が狂うのである。」
    「職業柄経験するのは、知的障害や精神病をもつ人たちが私たちがにもたらす異物感、了解不能性、ある種の不安や困難の感覚は想像以上のものだということである。その今日ごを否認してごまかしていてはいい臨床はできない。嘘になってしまうからである。もちろんそれに圧倒されてもダメである。私たちの仕事はそのあいだで生き続けることである。そこで出会う可能性アあるのは、ほんとうのところ言葉で表すことのできない、むき出しの現実なのであり、「考えられない」ものである。それはビオンという分析家が「名付けようのない恐怖」と読んだものであり、それは私にとって..」

    引用がめんどくさい笑
    「自然でいること」が自然であるはずである。しかし、例えば精神病の患者に会ったらどのような感情を抱くだろうか。それは、了解不能感とともに、庇護すべき感情を抱くだろうか。同時に蔑みや嘲りもあるのだろうか。私たちはそのような感情とを統合しながら生きていくわけだが、そのような複雑な体験を通して私たちは人を愛しているわけである。それなくして、単に道徳的な考えに基づいて生きていくことは難しい。私たち、蔑みと愛の葛藤の中で生きていく...のかな。

    などなどいろいろ話が出てきたわけだけど、この本で最も感心したのは、著者はどこまでいっても精神分析家なんだと感じたことである。落語の話を聞いていても、別に分析したいわけではないが、分析してしまう。そこには「精神分析家」としての性があるように感じる。その道を生きていく以上、彼の眼には世界は基本的に精神分析家としての世界が見えているんじゃないだろうか。

    職業を選ぶということは、どんなメガネで社会を見ていくかにつながる。もちろん、その職業を選んだ時点で、その人が見たいメガネで社会を見いるんだろう。

    しかしながら、最近人間関係の仕事を選んだからこそ、富に思うことがある。人の人生が自分の仕事で人を見るメガネと完全に無関係に見ることが難しくなっている。映画や小説を見ても、無意識に仕事のメガネが入ってくる。仕事を選ぶということは、やはり社会のメガネを選ぶことでもあるんだと感じる。だからこそ、見たいメガネの仕事を選ぶたい... 続きを読む

  • 精神分析家が語る落語論。久々に面白い本を読んだと言う印象。一気に読み切った。
    落語家の孤独と分析家の孤独。どちらも、その「こころを凍らせるような孤独の中で満足な仕事ができるためには、ある文化を内在化して、それに内側からしっかりと抱えられる必要がある」。そのための長い徒弟制度の様な修行が必要なことが共通している。この孤独については巻末での談春師匠との対談で師匠は一旦は否定している。あとで否認に言い換えているが。
    「落語家の自己は互いに他者性を帯びた何人もの他者によって占められ、分裂する」「優れた落語家のパフォーマンスには、この他者性の維持による生きた対話の運動の心地よさが不可欠である」そして、「人間が本質的に分裂していることこそ、精神分析の基本的想定」であり、「自己のなかに自律的に作動する複数の自己があって、それらの対話と交流のなかにひとまとまりの私というある種の錯覚が形成される」
    「分裂しながらも、ひとりの落語家として生きている人間をみることに、何か希望のようなものを体験するのである」と。
    以上の基本理解の元、様々な根多を精神分析の観点から人間理解を行い、談志師匠を中心とした落語家の生き方についての論考が進む。

  • 落語の登場人物が精神分析的に語られている。談志論がとても面白い。

  • 精神分析家であり、素人落語家でもある著者による落語の登場人物とネタの精神分析を通して語る落語評論。「らくだ」の屑やの狂気や「よかちょろ」の若旦那のエディプス・コンプレックス等、精神分析による数々の指摘は興味深い。日本に30人程度しかいないという精神分析家の仕事ぶりも窺えてこちらも興味深い。話題の中心に常に談志がいる、立川談春との対談も面白い。

  • ずっと読みたかった本でした。読み終えて表紙を改めて、ああいいな、と談春さんの背中を見つめました。柳さんの写真はいいなあ。
    精神分析家の人が、落語の国をその視点から解説、解剖していておもしろかったです。「らくだ」はなぜおもしろいのか、死体の恐怖、「明烏」の若旦那のこと、ただ聞いているときに無自覚にこういうことを感じているのかなあと思いました。万能的な母親、の話はもう少しどこかで読んでみたくなりました。
    談春さんとの対談も好きです。

  • 「落語とは、人間の業の肯定である」と言った立川談志。藤山先生から見た談志という人物は世界をどんなメガネを通して見てたんだろうという素朴な疑問が浮かんでくる。

    本は一つの根多に対してその要約と説明と精神分析的な視点からの考察で,「落語家とは何か」「精神分析家とは何か」というものをあぶりだそうとする内容。
    読んでると落語のまくらを聴いて,本編と下げを聴いて,その後の小咄みたいなのを聴いてるような感覚になる。

    この本を読みながら思ったんだけれど,どの根多を実際に落語家から聴いて,どれを飛行機とかテレビとかラジオで聴いて,どれを藤山先生の寝床で聴いて,何を酒の席で先生から要約的に聴いて,どれを本で読んだのか…記憶が曖昧すぎて分からない…(*_*;クラシックもそうだけど,タイトルと内容を一致させること,それをどこでなにで聴いたかを覚えるのは苦手だなってのをふと思う。

  • 文章がしつこく前置きが長い傾向にある。形容詞の無駄遣いも多い。
    それでも面白く読めた。臨床精神分析学者による、専門性を生かした意欲作。
    落語ファン必読。

  • 著者は日本にたった三十人ほどしかいない精神分析家にして、年に一度はみっちりと新ネタを仕込んで客に披露する落語のパフォーミングアーティスト(職業的落語家ではない)である。小さい頃からの落語好きが嵩じて、喰いっぱぐれる心配のない今の職業についてから、落語修業を再開したという。このあたりの計算ができるのが、所謂「落語家」とちがうところだ。落語家というのは、単にネタを覚えて人前でしゃべることができる人のことではない、というのがこの本の大事なテーマの一つ。つまり、落語家論でもあるのです。この本。

    もう一つのテーマ、それは分析家から見た落語世界の住人たちの精神分析の臨床カルテなのです。落語には、かなりおかしな人々が登場します。いや、中心になっているのは、ほとんどおかしな人物であるといっていいでしょう。その人物の不条理な言動を落語家の語りによって聞きながら、客の方は涙を流して面白がっているわけです。どうして、そんなことが起きるのか、その不思議の理由を探る、というのがこの本のもう一つの主題という訳です。

    かいつまんでいいますよ。詳しくは本を読んでください。たとえば「らくだ」は、「死体」をめぐる二種類の人間の在り様、つまり「死体」を恐れる人間(月番と大家、漬物屋)と恐れない人間(屑屋と平次)、さらに酒を飲んだことによって、その平面からも逸脱していく屑屋の狂気を描いた物語ということになる。

    「芝浜」はアルコール依存症の患者が立ち直る姿を描いた物語に、「よかちょろ」は、父性の不在ゆえに、いい歳になってもエディプス・コンプレックスを克服しきれず「父殺し」を夢見る若者の不幸を描いた物語となる。以下、「文七元結」、「粗忽長屋」、「居残り」、「明烏」、「寝床」と続く。興味のある向きは是非読まれたがいい。

    文学批評理論に精神分析批評という流派がある。ラカンやスラヴォイ・ジジェクなどが有名だが、この本は、その批評理論を落語という分野に当てはめてみたという点で画期的といってもいいだろう。誰もやらなかったことをはじめてやるから意味がある。著者も書いているが、落語のネタ(著者は根多と表記している)の多くは、ずっと民衆の間に語り継がれてきたフォークロアである。昔話やファンタジーが精神分析に採りあげられるのだったら(実際によく採りあげられる)、落語だっていけるはず、というより、長年落語世界と親しんできた著者は、彼らとつき合ううちに、その職業的意識が発動し、どうしても落語世界の住人を精神分析しながら聴く癖がついてしまったようなのだ。

    与太郎や左平次にはとんだ迷惑だろうが、傍で見ている客には滅法面白い講義となっている。自分というものが一つではなく、いくつもの自分が同時に存在しているのが普通で、それをどうにか統御し続けているのが正常人であるとか、著者自身(「注意欠陥」と診断)も含め、全ての人間は何らかの意味で「病人」であるとか、すとんとこちらの腑に落ちる話が、落語論の前ふりに使われていて、生きることとか、自分とか、自殺とかについて一度でも真剣に考えたことのある人には、新しい展望が開けるような話が満載である。

    それにもまして圧倒的なのは落語家という存在について、である。巻末に著者偏愛の立川談志の弟子、談春との対談が組まれている。ここでの談春のはじけ方が半端でない。落語家というのは、殆ど落語世界の住人を地でいっているのだ。それまでけっこう奇矯な解釈を振り回してきた著者が、ただの正常人に見えてしまうくらい、その異世界住人ぶりはすごいの一語に尽きる。『赤めだか』が読みたくなった。

    落語と精神分析のどちらにも興味や関心のある人ならもちろん、どちらかに少しでも興味があれば頗る面白く読めるはず。おすすめです。

  • 「大きな事を言うようですが、春風亭柳昇と言えば今や我が国では・・・・私一人で御座います」という懐かしい挨拶もあったが、実は東西併せると数百人も居るので決して希少種職業とは言い難い。

    其れに比べ本書の著者によれば「精神分析家」は日本に僅か30名程度しか存在しないというのだから、まさに本当の「希少種」と言える。本書はその希少種である精神分析家を本業とする著者が、落語に魅せられた揚句、落語の根多と登場人物について病理分析という一見ミスマッチな組合せである。

    が、その分析に先立ち、著者の精神分析家としての日常と治療行為の一端が紹介されているのだが、なかなか興味深いものがある。落語家の日常、生態(?)についてはかなりあちこちで書かれているしテレビでも紹介されたりしているが、精神分析家の生態を知る機会はなかなか無いであろう。

    粗忽者、与太郎、若旦那、居残り佐平次達の言動・行動も著者にかかればみんな立派に精神を病んでいる「病人」と分析するのだが、この分析癖こそが著者の職業病と言えるのだろうという気もする。そういえば北海道を代表する名番組「水曜どうでしょう」の面白さを無謀にも分析しようとした著書「結局、どうして面白いのか」も京都の臨床心理学の先生だったからな。

    一方では談志の落語が一番好きだと言い、やや追っかけ気味な個人的嗜好が随所に出てくるのを読むと、登場人物の造形を理屈で語るところは談志落語の影響かとも想像できる。こう考えると精神分析家と談志ファンの組み合わせは落語の分析においては最強かもしれない。

  • ところどころ 面白し

    こんな風に 落語をとらえる人が
    いるのだなぁ

    という思いの方がつよい

    そして やはり立川談志さんなんだなぁ
    とも思う
    これを志ん朝さんのものなら
    どうなるのだろう とも思った

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落語の国の精神分析の作品紹介

与太郎、若旦那、粗忽者…落語の国の主人公たちは、なぜこんなにも生き生きとして懐かしいのか?登場人物たちのキャラクターと病理の分析を軸に、古典落語の人間観と物語の力を解き明かす。ひとり語りのパフォーミングアート・落語が生み出す笑いと共感のダイナミズムに迫り、落語家の孤独を考える。観て、聴いて、演るほどまでに落語に魅せられてきた精神分析家による、渾身の落語評論。巻末には立川談春師匠との対談「落語の国の国境をこえて」を収録。

落語の国の精神分析はこんな本です

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