- Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622077299
作品紹介・あらすじ
第2巻には「われら難民」「パーリアとしてのユダヤ人」「シュテファン・ツヴァイク」「シオニズム再考」など1940年代の有名な論文を筆頭に、1960年代前半、『イェルサレムのアイヒマン』刊行後の大バッシングのさなかに書かれた「G・ショーレムへの書簡」はじめアイヒマン関係の重要な文章をはじめて収録する。巻末にはアーレントの姪エトナ・ブロッケの「あとがき」および資料を付す。
感想・レビュー・書評
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アイヒマン論争: ユダヤ論集2
(和書)2014年01月12日 22:04
ハンナ・アーレント みすず書房 2013年9月21日
悪の陳腐さについて知ることができた。パーリアとか悪の陳腐さとかそういった思考がどうありえるのか良く解る本です。とても有益でした。
僕的にこのユダヤ論集シリーズはかなりいいと思ったよ。
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肝心なのは反ユダヤ主義は、少なくともヨーロッパでは、帝国主義の政治的武器として、たんにその煽動の武器としてではなく、発見されたということである。人種概念が政治の中心になるところではどこでも、ユダヤ人が敵意の的になるのだろう。確かなことが1つある。それは帝国主義はナショナリズムとはきわめて対照的に、限られた領土ではなく、「大陸規模」で考えるものである以上、ユダヤ人は、世界のどこにいてもこの新しいタイプの反ユダヤ主義に対しては安全ではなく、帝国主義の諸利害が交錯する場所の1つであるパレスチナにおいては確実にそうだということである。それゆえ今日シオニストに問われるべきなのは、散在するユダヤ人個人というよりも、むしろどこに住んでいようと民族全体に向けられる敵意を目のあたりにするとき、彼らがどのような政治的立場をとるよう提唱するのかという問題である。シオニストに問われるべきもう1つの問題は、国民的な組織に関するものである。我々は同時代に国民国家という制度が壊滅的に衰弱するのを目にした。第一次大戦以来ヨーロッパの諸民族のあいだで、国民国家は国民の生存を守ることも、人民主権を保障することもできないという新しい感覚が次第に強くなってきた。国境線は、かつては歓迎せれざる外国人の流入にも侵略に対しても内部を守るまさに安全保障のシンボルdあったが、それにはもはやなんの現実的効用もないことが明らかになった。古くなった西方の諸国民が人的資源の不足と、それにともなう工業化の遅れや同化しえない外国人の流入によって脅かされている一方で、東方の諸国は、国民国家は多様な住民の混住とは両立しえないことを命じする最も良い見本である。けれどもユダヤ人にとっては、国民国家とナショナリズムの衰退を喜ぶべき理由はあるとしてもごくわずかである。人類史の次の段階を予見することは我々にはできないが、とるべき選択肢は明らかなように思われる。諸民族を政治的にいかに組織すべきかという再度よみがえった問題は、帝国という形態か連邦という形態のいずれかによってしか解決されないだろう。後者は、他の少数民族とともに、ユダヤ民族にも生き残るための利子的に見てかなりのチャンスを与えるだろう。前者は、かつては人々を行動へと駆り立てる動力ではあったが、今では廃れたナショナリズムに代わるものとして、帝国主義的な情念というべきものを喚起しえない限り実現不可能である。もしそうなったら天に助けを祈るほかない(アーレントが1944年に執筆)。