- Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622078630
作品紹介・あらすじ
没後25年人気再燃中のチャトウィンの唯一にして古典の風格を帯びる長編小説、待望の翻訳。ウェールズ/イングランド境界の寒村に20世紀の到来と同時に生まれ一卵性双生児ルイスとベンジャミン。二度の世界大戦、飛行機や自動車の発展、辺境にまで忍び寄る近代化と消費社会……そのなかで村という小宇宙を時間を止めて何も変えずに二人は生きてゆく。『パタゴニア』『ウィダの総督』に続き「旅などしたことのない人たち」を描く感動作。
感想・レビュー・書評
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何故今まで邦訳がなかったのだろう、と読み終えて思ったほどの重厚な長篇小説。いかにも英国小説らしい、田舎に住む一族の一世紀にわたる年代記である。とはいえ、読み始めたばかりの頃は、これがあのチャトウィンか、と首を傾げたくらいの地味な作風。『パタゴニア』にはじまり、一作ごとにテーマも文体も変化させ、ジャンルすら横断してしまう華麗なスタイリストぶりは影を潜め、イングランドとウェールズの境界地方にじっくりと腰を据えた土臭い仕上がり。英国では賞もとり、ウェールズではカルト的人気を誇るといっても、気候風土も人々の風習も異なる日本で、広く読者を得られるかどうか、出版社が二の足を踏んだとしてもおかしくない。察するところ、初訳まで25年もかかったのはその所為にちがいない。
主人公は双子の兄弟。一卵性双生児にはよくあることらしいが、兄弟の一方に何か異変が起きれば、もう一方はどこにいてもそれを察知する。逆に離れては生きられない、二人で一人という濃密な関係にある。小説は年老いた二人の人物概況からはじまる。母の死以来、両親愛用の四隅に柱のついた寝台に並んで眠ることをはじめ、昔は見分けがつかないほど似ていた二人が歳経て、相貌に差が生じたこと。農場の仕事は兄のルイス、家事一切は弟のベンジャミンが担当すること。両親から受け継いで順調に経営してきた農場は遠からず、甥のケヴィンが相続すること、等々。
全篇は50に及ぶ短い章で区切られ、一章に一つの挿話が語られる。一族の年代記は第二章、双子の父が妻をもらうところからはじまる。ウェールズから一歩も出たことのない農民の子のエイモスが、インドやパレスチナを訪ね歩いた牧師の娘を妻にし、教養もちがえば育ちも異なる二人が、夫婦になることで起きるだろう齟齬を予感させる。事実、ことあるごとに対立しながら、それでいて別れられない二人の間で、双子は育てられる。どちらかといえば外向的で活発な兄は女好き。弟は頭がいい分、引っ込み思案。母は、病気がちな弟に文学を教え、兄は父の手伝いを任される。
荒地を鋤き、牧草を育て、羊を買う農場の暮らしと聞けば一見平和そうに思えるが、境界を接する隣家との諍いはいったんこじれだすと血を見るところまでいく。年頃の男女が親の目を盗むに絶好な窪地も多く、妊娠がからむ人間関係のもつれも多い。しかも、時代は両大戦期を間にはさむ二十世紀。非国教会派の信者である父は聖書の戒律「汝殺すなかれ」を盾に双子の徴兵免除を策すが、二人ともとはいかず弟は徴兵される。軍に批判的な弟は徹底的に傷め付けられ、心身に傷を負う。
隣家に忍び込み鶏を盗んだり、垣根を越えて馬が牧草を食べに入り込んだり、他家の娘を孕ませて逃げたり、田舎ならではのもめごとが、法律で解決されることのないまま、もつれにもつれて、人間関係を複雑化させる。教育環境が整備されておらず、無知で因習的な人々は、知恵の遅れた子や働く意欲のない若者を放置したまま助けようともしないので、不衛生な環境で育てられる子はよくて病み衰え、悪くすれば死んでしまう。母によって学校へ行けた双子に比べ、周囲の子どもたちの置かれた境遇は苛酷である。二人はそんな中で大きくなってゆく。
ほぼ百年にわたる年代記の後半は両親の死後、双子が巻き込まれることになる様々な人間関係につきる。相変わらず女性との出会いを求める兄と、それが引き起こすことになる厄介事に眉をひそめる弟の前に、共進会やページェントの催しを通じて、次々に現われる新しい女性や昔なじみの女たち。やがて、ヒッピーのコミューンがウェールズくんだりにまで波及したり、黒人兵が屯したり、とようやく覚えのある時代が近づいてくる。地道ではあるが着実な経営で近くの土地を買い集め、広げてきた農場は、後継ぎのいない二人の後はどうなるのか。
時代は変わる。母の死んだ後、部屋の飾りつけも家具もそのままであった双子の家<面影>(ザ・ヴィジョン)は、飛行機好きの叔父の八十歳の誕生日プレゼントにと、ケヴィンが企画した記念飛行を潮に、少し変化を遂げる。空から見た黒ヶ丘の空撮写真が壁の一画に掲げられたからだ。やがて、弟が購入を渋っていたトラクターが予言のように事を起こし、事態は思いもかけない結末を迎える。ほろほろと剥落してゆくような<面影>(ザ・ヴィジョン)のうつろいが心にしみる。
階段の真下がウェールズとイングランドの境界に当たる<面影>(ザ・ヴィジョン)と呼ばれる家を舞台に、紀行物語の名手とされるブルース・チャトウィンが、イギリスの地方から一歩も出たことのない農場主の一生を、飾ることなく、酷薄なまでに精緻に描いた三作目にして唯一の長篇小説。鳥と言葉を交わす娘が歌うケルトの血を引く哀歓溢れる歌声が、テント暮らしをするタオイストの青年の朗読する聖書の一説が、人々の間に積み重なった汚れや憎しみを洗い去り、浄化をもたらす。地方の人々や風物、自然、鳥や獣を見つめるチャトウィンならではの視線が、どこまでも静謐に掬い取ったウェールズの叙事詩ともいえる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
素晴らしかった。
簡素であるが故に想像力を喚起する描写、文体のもつ平熱の体温が、心地よい。
素っ気ない程乾いている様で、しっかりと読み手に温度と湿度が残る、やや薄暗いのだが、暗くはない、その丁度良さというのかなあ。その塩梅が見事で、纏わりつかず、パサパサでもない。
特に死に触れる時のあまりの素っ気なさと、だから読み手に残る何か。そういう関係において、絶妙なんです。
本作のテーマは境界なのだと思う。
表と裏のような性格であり離れて生きる事が出来ない双子。土地。国。信仰。内と外。男と女。世代。昔と今の時代。生と死。それらの力の均衡や共振や軋轢。
そして何より美しいのはそれらが融合しあうかの様に見える瞬間だろう。それらはどれも離れる事のできない表と裏であり、境界があってこそ個も他者もある。
その接合点にフォーカスする様にして描いたのが本作であるならば、あのクライマックスもまた夢と現実との境界なのだろう。
*ある章がプルーストへのオマージュとなっているのだと思うのですが、そういうのを見つけると愉しくてニヤニヤしてしまいますね。 -
いくつかの優れた旅行記と小説を遺し、早足にこの世から去っていった作家、ブルース・チャトウィン。そんな流浪のホメロスが私たちに遺していった、'どこにも行かない人'を主人公に据えた本作は、まさに現代の古典という名にふさわしい名作だと思う。
読み終わった後しばらくの間、感慨に浸っていた。こうして感じる重厚感こそが私にとって名作である証だ。またイングランドとは異なるウェールズの独自の文化を、小説のあちこちから垣間見ることも出来るのがおもしろい。美しい四季の自然や風景の描写と共に、作者が物語の舞台であるウェールズ東部に何度も足を運んだという成果がよく表れている部分だろう。全50章からなる細かい章がいくつも積み重なってゆくごとに、読者である私たちはジョーンズ家と黒ヶ丘を取り巻く物語が神話性を帯びてゆくのに気付くだろう。これはある時代の、とある場所を舞台とした一大絵巻物なのだ。
それにしてもブルース・チャトウィン、なんと豊かな才能なのだろう。彼の作品をもっと読んでみたかったと強く思う。そしてこの名作を素晴らしい日本語訳で私たちへ届けてくださった、訳者の栃木伸明さんにも大きく感謝したい。ありがとうございました。 -
決して読みやすいわけでなく、人生の地味に嫌なところ辛いところばかり描かれているのに、なぜか後半にむかって清々しい気持ちになり不思議だった。土地に守られ縛られ糧を得て何世紀も人間は暮らしてきたのだなあと黒ヶ丘の人々を通して知った。飛行機にまつわるエピソードがとても美しかった。人生の喜びや慰め美しい事や思い出がほんのり淡く描かれているのが良かった。しかし最後の一行はどうしてこの言葉なのだろう。今でも考えている。
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旅の人であるチャトウィンの唯一の小説。パタゴニアが名著であるとともに、「どうして僕はこんなところに」の表紙の写真を見ると痺れるほどかっこいいのだ。それはさておき。
旅作家扱いが嫌で「生まれた土地から一歩も出たことがない人について書く」として書いたのが本作というが、ウェールズの田舎で農民として生きる双子の一生をじっくりと描いている。ウェールズの土着の生活風土を丹念に描くミクロの視点がありながら、周囲の人物の造形や、文化や個性の違いを越え人間の生き様として俯瞰でとらえる視点、どこか神話的な双子の人生などに、やはりどこか旅の風を感じる。
飛行機事故に執着していた双子も、やはり移動する人生に憧れる人だったのかもしれない。最後の20ページほど、長年の夢だった飛行の体験以降のシーンは大変美しい。 -
旅をする人チャトウィンが、こんな、旅をしない人びとを題材にした小説を書いているとは知らなかった。まるで昔の小説(トマス・ハーディやD・H・ロレンス?)のような時間の流れ方、民話に登場するような双子の2人。大きな小説を書ける人だったなあ。。。
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文学
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登場人物たちの生活が丁寧に描かれていて、この小説好き!小説の中では悲しい出来事もいくつか起こるけど(若干そちらに寄り過ぎな感じもする)、それでも登場人物たちと読者の生活を肯定している作品のような気がする。
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結局ベンジャミンって生涯童貞だったの?『悪童日記』は恥ずかしながら未読なので、あの双子とは比較できないんだけど、『愛の妖精』の兄弟に似ている気がする。こちらは生涯愛する異性は得られなかったけどね。久し振りにオーソドックスな小説を読んだ。対立する二つの家とかいかにもだ。