空気感(アトモスフェア)

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制作 : 鈴木 仁子 
  • みすず書房 (2015年6月26日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (76ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622078692

空気感(アトモスフェア)の感想・レビュー・書評

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  • 古典の香りのする名著。理知的でありながら、観念に溺れることはなく、詩情に溢れている。自分もこういう文章を書いていかなければいけないなと反省をした。

    端的に言えば、身体が捉えた「機微」のその質が全く失われることなく、言葉の上に表出されている、だから文章に淀みがない。どこか渦の中に入っていくようなそういう感覚に襲われる。

    こうした感覚することの鋭利と、それを表出するための技術(言語)の両立は、おそらく建築家としての「atomospher」の構想・イメージと、それを具現化するプロセスや技術に関係があるだろう、ツトムアはそこの接続が常人よりもスムーズであるように思われる。

    あとは、本を読む時というのは、「わからないけれど、どこかきっかけをつかもうとしている」時か、または、潜在していながら言語化できていないときか、そのどちらかに限定されるかなとふと思った。

    加えて、建築家の出力は結局「想像力(質的なものへの構想力。たぶんこれは身体でしか出来ないし、それまで体感し、実際的に触れて来た世界に多分に影響されるだろう)」と、それを具現化する「技術」の両輪が要になるんだろうと。

    、、、「鬼海さんの言葉はひっくり返すと、認識したものを言葉にして、暗号化すると写真や絵画などの作品になるってことかな。」まさにそうだと思う。ツトムアが構想の段階でイメージ出来ることって、たぶん彼の身体に「血肉化」された「体感」や「機微」だと思うんだよね。イメージって観念的なものじゃないから。それで人がイメージできる範囲って、結局は「ことば」によって整理された範囲なのかなぁということを思った。だから、暗号化するというよりは、結局どこまでイメージとして構想したところで、言葉で整理された範囲の「世界」しか、表出されないということなんだろうね。いやーおもしろいわ。あと、僕、今かなり自分の知覚が揺れている、けっこうカオスな状態なんだけど、今の自分の知覚とか認識を超えていく、引っ張り上げられる、そういう時に、僕は他人のことばを読めるし、見たことのない世界を見たいと思うような気がする。そういう時は、自分の知覚を信用していない。揺れてる。その中で、新たな高次の認識に至るヒントなり、回路として、他者の感覚的なことばや作品、世界にふれる機会を希求するんだと思う。つまり根底には、自分の感覚への疑いと、また破壊がある。世界に飽きているのと、新しい世界からの光が共存している感覚かな。


    ことばにするってのは、ちゃんと「現実にする」っていうことなのかな。自分の“血肉”として、昇華するということ。それをしないと存在忘却しているのと同じで、まるで世界と関わっていないことのなる。そして、作品にはその人が住んでる「世界」=ことば しか出ないんじゃないか。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

    ★すぐれた建築の質とはいったいなんだろうか、という問いです。これには私は比較的簡単に答えが出せます。少なくとも私にとって、良質の建築とは、建物が心に触れるということ、それだけに尽きます。


    ★雰囲気(atomospher)という概念です。これは誰もが感じて知っているものです。ある人に会って、その人についてある印象を抱く。私は経験から、人を第一印象で決めつけてはいけない、ほかの機会も待たなければ、ということを学びました。しかし私もいくらか歳を重ねまして、いまはやはり第一印象こそ大切だ、と考えています。建築についてもおなじようなことが言えるように思います。ある建物の中に足を踏みいれ、そこの空間を目にし、同時にその場の空気を感じ取る。しかしほんの一瞬のうちに、そこがどのようなところか感知するわけです。

    あの広場のあの空気がなければ、ああいった感情はけっして生じなかった。

    さて、いったい当時、なにが私をあんなに揺さぶったのだろう?すべてだった!事物が、人間が、空気の質が、ざわめきが、音が、色が、あらゆるものが。物質の存在感、テクスチュア、そして形が。

    建築的な空気感を作りだすという課題には、つまるところ職人的な側面が関わっているのです。プロセス、興味関心、器具・道具類、それらぜんぶが私の仕事に含まれる。私はいまから、設計する建物に空気感を醸し出そうとする際に、私自身がどんな関心に動かされているのか

    私が出した答えはまったくの私見であって、自分にはこのようにしか考えられないというものです。きわめて感覚的、個人的であり、ひょっとすると、私がやっているいろいろなことはじつは感性の産物、ごく個人的な感性の産物なのかもしれません。

    ★「建築の身体」、建築をみているそう感じますし、そう考えるようにしています。身体として捉える。ひとつの塊であり、被膜をもち、被いをまとっている、布やベルベット絹いった布地、私のまわりのあらゆる物がその被いである。身体そのものです。文字通り私に「触れる」ことのできるものなのです。

    →●これだ、あらゆるものを見るときに、これをやって以降、その対象の身体を見る(身体に入っていくイメージ)

    ★素材の響き合いです、、、、、。具体的な物置いてみますーまず頭のなかに、つづいて実際にもです。そして素材がたがいにどのような反応をするか観察する。ご存知でしょうか、本当相互反応が生じるのです!素材相互が共鳴し、するとそこがぱあっ輝き出す。しかもそうやって素材が組み合わされることによって、どこにもないひとつ限りのものが生まれる。素材は無限です。

    →これまでこのことにあまりに無頓着にすぎた、でも今気づけて良かった。また、これは書も同じだろうな。おそらくかつての政治家に良い書が書けたのは、「有機的に人を配備し、組織すること」を、日々職務の中で体得していたからだろう、また禅僧などにおいては、自然や人との関係性の有り方を日々修練していたからだろう。


    ひとつの材料には千通りの可能性がある。そしてこの作業に取り組めば取り組むほど、ますます謎が深まっていく。あれはどうだろうこれはどうだろうと頭の中で想像してみる

    →このプロセスこそが、最終のアウトプットを左右する、これを省いていてはいかん。

    ★素材相互には、臨界点というべき距離があるということです。ひとつの建物において複数の素材を組み合わせる場合、ある点までいくと素材同士が離れすぎてしまって、共振することができなくなる。
    →大事な指摘

    場の空気の持つエネルギーが、パッラーディオの建築です。場の空気の持つエネルギーが、突出している。

    →結局「場」の話に戻る。構成されるものが、響きあう、その突き抜けたところにしかない「自由」な空間


    ★空間の響きです。耳を澄ましてみてください。空間というものは、すべてひとつの大きな楽器のような働きをします。空間は音を集め、拡張子、伝達する。それを左右するのが、その空間の形態、素材の表面、素材の固定方法です。

    ★例を挙げましょう。唐檜の床を木材の下地の上に敷いた居間があるとします。こんどは同じ物がコンクリートのスラブに貼りつけてあります。響きの違いが感じられるでしょうか。もちろんですね。

    →★結局インテリアは、この繰り返しだろうな。この「響き」を聞分ける微細な感覚が、出力を左右する。

    私は、音を立てている。たえず鳴っているのです。たとえ触れるものがなくても建物は鳴っているのです。なぜかはわかりません。風かなにかなのかもしれない。

    空間の温度。

    まったく知らない人の空間に入った時、私が繰り返し感銘をおぼえるのは、住まいや仕事場でその人々が身辺に置いている物に対してです。

    建物が信じがたい数の美しいディティールに充ちていた。じつにいろいろな物があるのです。美しいオブジェ、美しい書物、すべて陳列されている。楽器がある、チェンバロ、バイオリン、、、それにしてもあの書物、、、ともかくも非常に感銘を受けました、まさ心に語りかけてくるものでした。

    →こんな空気を自分も作りたい。読んでいるだけでうっとりする。

    建築は時間芸術でもあります。ある建築を一秒間で体験することはできません。

    私たちにとってきわめて重要だったのは、「自由にぶらつく」という感覚を生み出すことでした。人を誘導するのではなく、人を誘惑するというのに近い雰囲気かもしれません。

    人に誘い掛け、人を解き放って、自由にぶらついてもらう、ということ

    ★空間がある-私が入っていくと、その空間の作用で私の足がゆるみはじめる、私はもう通り抜けしようと思わない。立ちどまる、しばし留まる。けれども、また隅の方になにか私に誘い掛けるものがある、あっちに光が射している、あちらにも、、、そうやって私はさまよっていく。指示によって動くのではなく、自由にそぞろ歩くことができる

    人を導き入れ、心構えをさせ、刺激をもたらし、嬉しい驚きを生み、緊張をゆるませるこうしたものに、教育的な押し付けがあってはならない、あくまで自然な印象として

    環境が人を委縮させるのではなく、大きくさせる

    物に射す光。どこになんという光があることか、どこが翳っていることか。ある表面は鈍い光を放ち、在る表面は煌き、ある表面は深い所から光がやってくる

    ★建物をまず影の塊と考え、その暗闇にあとから光を置いていく。光の洞を順々と作っていくかのように、光を闇の中へ滲ませていく

    →このイメージ大事だ、真似しよう

    日光というもの、物に射す日の光にときに私はひじょうに心を揺さぶられるのであり、ときどきそこに霊性をすら感じる。太陽が朝、いつものように昇ってくる、そのたびに感動するのです。毎朝かならず陽が昇るとは、なんと不思議なことだろうかーそして事物をまた照らし出す、その光はこの地上に発する光ではないのだ!

    →これ書いているときに思ったけれど、今の自分の知覚とか認識を超えていく、引っ張り上げられる、そういう時に、僕はことばを読めるし、写したいと思うような気がする。そういう時は、自分の知覚を信用しておらず、揺れている。着地していない。そこで、新たな高次の認識に至るヒントなり、回路として、こうして新しい近くのあるよう、他者の感覚的なことばにふれる機会を希求するんだろう。つまり根底には、自分の感覚への疑いと、また破壊がある。世界に飽きているのと、新しい世界からの光が共存している感覚かな。

    環境としての建築

    いくらか愛情というものと関わっているのかもしれない

    褒め言葉として嬉しいのは、ほほう、こういう超クールな形を、、、と言われることではない。使ってみてすべて腑に落ちましたという言葉。

    ★私たちが関わっているのは、形ではないのです。別のものごとである。響き、音、素材、構造、解剖学的構造、そういったものなのです。
    →くれぐれも肝に銘じよう。全く今まで思ってもみなかった。

    整合性はある、いろいろなものがぴたりと調和している。だがそれからじっくり眺めてみて、私はこう言うことがある。確かに何もかもぴたりと合っている。しかし美しくない!

  • リッチモンド駅の天井までの高い空間がなんとも言えずいい

  • 読んだ。

  • 2003年6月1日にドイツのヴェンドリングハウゼン城で行われたペーター・ツムトアの講演録。

    建築の「空気感(アトモスフェア)」を生むものは何か。「実在するものの魔術」とは何か。
    美しい写真と簡素な言葉で語られる。

    (以下ネタバレ)

    1. 建築の身体
    2. 素材の響きあい
    3. 空間の響き
    4. 空間の温度
    5. 私のまわりの物たち
    6. 冷静と誘惑のはざま
    7. 内と外の緊張関係
    8. 親密さの諸段階
    9. 物に射す光

    そしてあと3点
    1. 環境としての建築
    2. 整合性
    3. 美しい姿

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