死すべき定め――死にゆく人に何ができるか

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制作 : 原井 宏明 
  • みすず書房 (2016年6月25日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622079828

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死すべき定め――死にゆく人に何ができるかの感想・レビュー・書評

  • 原題は"Being Mortal --Medicine and What Matters in the End"。

    著者は現役の甲状腺外科医であり、ハーバード大学関連病院であるブリガム・アンド・ウィメンズ病院に勤務するかたわら、文芸誌「ニューヨーカー」の医学・科学部門の執筆も務めている。本書は同誌に連載されたエッセイが元になっている。

    臨終に際して、人と医療がどう関わるか、またどう関わるべきかがテーマである。
    類書は数々あろうが、本書を際だったものにしているのは、多重性がある視点であり、その柱は3つある。
    1つは、患者とその家族の「その日」に向かう日々を描くルポルタージュとしての側面。1つは、医療界の内幕も知る医師ならではの臨終期医療が孕む問題についての鋭い分析。そしてもう1つは、死を間際にして、よりよく生きるとはどういうことかに関する著者自身の深い思索である。

    現代医療の発展は、かつてないほど人を長生きにした。しかし、終末期医療は、必ずしも人を幸せにはしない。ところどころで落とし穴にはまりながら坂を転がっていくような経過を辿ることも珍しくない。治癒する可能性はゼロではないものの限りなくゼロに近い治療を続け、「こんなはずではなかった」最期を迎える人もいる。
    なぜそうなのか、そうならないためにはどうすればよいのか。多くの実例、分析、考察を示す本書は、示唆に富む。

    病院は、基本的に病気を治すところである。患者の体調に不具合が生じれば、何らかの対処法を示し、実践することになる。その際、示される治療法は、効く可能性もあるが、効かない可能性もある。病気を治そうと頑張る患者は自分が治る方に賭けようとする。医療者が余命はあと数年と思っている場合でも、患者と家族は10年、20年単位で考えている。患者の期待に反する告知をするのは、医師にとってもつらい。こうした認識の相違は容易には解消されない。

    老人ホームは、歴史的に、「医学上の問題」を「長期間」抱えている人の受け皿として発展してきた。慢性疾患や加齢から生じる問題に、従来の病院は十分には対処できなかったため、受け止めきれなかった人々を「ケア」する場所として生まれてきたのである。余命わずかとなった人が残りの人生を豊かに過ごすことを目的とはしてこなかった。

    こうした流れに疑問を抱き、自ら施設を立ち上げた人々の例が本書で紹介される。
    なるべく自分の家と同じように過ごすことを可能にし、本人が望まない医療行為や過剰な管理を止める試みである。もちろん、世の流れに反すると言うことは、簡単なことではなく、こうした施設もすべて丸く収まっているわけではないのだが、可能性を感じさせる事例である。
    これらの施設や緩和医療を中心としたホスピスを見ていくと、「攻め」の医療を施した際よりも、場合によって、余命が伸びる傾向が見られるという。実現可能かわからない未来を目指して現在つらい治療を続けるより、現在を心地よく過ごすための最善の策を採る方が、結果的に、よい効果を生じる場合もあるということだ。

    終末期医療がテーマであるので、出てくる患者はほぼ最期を迎える。患者も家族もつらい時を過ごす。出口が見えない日々、胸を締め付けられるような話も多い。
    著者自身の父も、終末を迎える1人である。著者も両親も医師である。そうした家族にとっても、終末期は簡単なものではない。著者の父は脊髄腫瘍を患った。放っておけば四肢麻痺になるという。化学療法や放射線療法を採ることもできるが、効果はさほど望めない。手術はこれらより効果的と考えられるが、かなりのリスクを伴う。息子である著者はよりよい選択肢を求めて奔走する。父は自分の望む生活と治療のリスクを天秤に掛け、選択をする。
    選択は一度では終わらない。人生は続く。状況は... 続きを読む

  • 死との対面、言葉の慎重さ
    できること、感謝愛情
    対話
    経験を共有できた

  • 【「教職員から本学学生に推薦する図書」による紹介】
    永野宏治 先生の推薦図書です。

    図書館の所蔵状況はこちらから確認できます!
    http://mcatalog.lib.muroran-it.ac.jp/webopac/TW00357866

  • 現役医師ガワンデ氏が実際関わってきた人達のエピソードが書かれている。
    死に行く人にどう向き合うか。気持ちの整理ができる。

  • 死すべき定め

    数多くの死を見続けた医療従事者が自らの医療体験ならびに家族の死から、現代の高度に医療が発達して寿命が延ばせる時代に死とは何か?幸福な死とは何かを問う本。

    現代医学の介入がない時代は人々は命にかかわる病気に自分が冒されていると気がつくのと死ぬまでの間隔は数日から数週間の単位であった。
    しかし現代はCTスキャンなどの早期発見や延命技術によって年単位にまで伸びている。
    それだけ、その余命期間は人や家族は思い悩むことになる。
    重い病気にかかってる人は単に長生きしたい以外に大切なことがあり、調査によると、苦しまないこと、家族や友人と絆を深めること、意識をたもつこと、他人の重荷にならないこと、自分の人生を完結させたという感覚をもつことになる。

    とくに余命宣告をうけると人は時間をより意識する。人が自分の時間をどうつかうかは与えられた時間がどのくらいあると認識するかによって影響をうける。
    人は単に存在してるだけでなく、衣食住のためだけでもなく、己自身をこえた大義を人は求めている。

    死を無意味にしない方法は自分自身を家族や近隣、社会、神、歴史などなにか大きなものの一部とみなすことだ。
    そうしなければ死すべき定めは恐怖でしかない。
    マズロー理論だとまず安全安心の次に自己実現となる。そう考えると余命宣告の人は生きがいよりまずは余命を伸ばすことが最重要になるはずだが、患者のQOLはそれではいちじるしくさがる。限られた時間のなかで医療の依存状態にある人が生きる尊厳を保てるようにえんじょすることが大事だ。

    だからこそ家族は事前にもし自分が余命宣告をうけた場合、どうするか?何を望むかをはなしあっとくべきだ。
    たとえばラ・クロッセ市はエンドオブライフ(人生の終焉)にあたって組織的キャンペーンを行い以下の4つの情報を集めた。
    1、心臓がとまったときに心肺蘇生を希望しますか?
    2、気管内挿管や人工呼吸器のような積極的治療を望むか?
    3、抗生物質の投与を希望するか?
    4、自分の口で食べれなくなったらチューブや点滴で栄養補給を希望しますか?
    このことで、患者がICUにはいる前から大事なことについて時間をもって関係者と準備をできるようになった。
    エンドオブライフをどうすごすのか?についてしっかり話し合ってないと、「私としたことがなんてことなの!お父さんが本当にやりたいことをきいてなかった」という事態になりうる。


    そのうえで終末医療の医師に切なのは治すことのできない病を相手にしてる自覚と、患者が残りの人生をどういきたいのか?を「問い、つたえ」ること。コーチングのような存在になるのだろう。

    少子高齢化社会、超高度化社会にこれから日本は突入するがこれはうらをかえせば、歴史上、例をみないほど人がたくさん死ぬ時代になる。
    いかに育てるか?いかいに生きるか?が問われたこれまでの時代から、いかに死ぬか?がおおきなテーマになっていくだろう。
    自分も人生の折り返し地点を迎えてるので、いかに死ぬか?に向き合ってみたい、とおもわれる人生を考える上でおおきな転換点となる一冊であった

  • 母の闘病と看取りに迷いや後悔があって、それがこの本の序にあることと重なった。トルストイの「イワン・イリイチの死」を取り上げた授業からの提起。

  • 途中で挫折した、

  • アトゥールガワンテ2冊目。終末期医療についてで、重苦しく目を背けたくなるエピソードも多いが、それでもなお多くの人に読んでほしい。前半は各種類の老人ホームについて。 患者サイドが手作りで理想の施設を作っていくというあたりはアメリカのすごさだなあ。後半は緩和ケアについて。現実を直視することの難しさ。完治するかもしれないが、成功率が低く苦痛も伴う選択肢を選び続けることから逃れられない。きちんと患者に判断材料を与え、優先順位を聞いて、それを守ること。バランス感覚の優れた著者がホスピスを選択したエピソードばかり選んでいることからも、現在の医療は戦うことに偏っているのだろう。

  •  医師であるアトゥール・ガワンデが『死すべき定め』で扱っているのは、死にゆく人に対して医療(*1)には何ができるか、ということだ。なかでも「社会情動的選択理論」や終末期医療の話が印象的だった。

     「社会情動的選択理論」とは、簡単に言えば、日々の生活における目標や行動などの志向は、年齢そのものではなく、自身に残された時間をどう認識するか次第で変わるというものらしい。老人はもちろん、残りの人生は短いと考えている。一方でたいていの若者は、まだまだ人生は長いと思っているだろう。しかしたとえば病気だったり不安があったりする場合など、なんらかの事情で先行きに不透明さを感じているときには、若者でも「老人のような価値観」になるそうだ(医学の進歩で寿命が20年も延びたと想像してもらったケースでは、老人が「若者のような価値観」になったとのこと)。
     ここでいう「老人のような価値観」とは、「現在ここにあるもの、日々の喜びと親しい人たちを大切にする」(*2)といったものだ。これは私の好きな言葉である “you have to die a few times before you can really live.”(*3) に通じるところがある。病気になったり怪我をしたりするのは、一時的にであれ死に近づくことだ。それは普通と見なしがちなことのかけがえのなさを、実感するきっかけにもなりうる。

     終末期医療に関しては、以下の部分に驚かされた。

      “がん対処研究に参加した終末期がん患者のうち三分の二が、自身の最期の目標についての話を主治医としたことがなかった。調査が行われたのは平均で死の四カ月前だったにもかかわらず。しかし、残りの三分の一、死について医師と話をした患者は心肺蘇生をされたり、人工呼吸器をつけられたり、ICUに入れられたりすることが前者よりはるかに少なかった。この患者のうち大半はホスピスに入った。あまり苦しまず、体力もより保たれ、そして他者との交流をよりよい形で、より長い間、保つことができた。さらに加えて、患者の死から六カ月後で、遺族が長期間のうつ状態におちいっている割合が明らかに減っていた。言い換えると、最期について自分の嗜好を主治医と十分な話し合いをした患者は、そうしなかった患者よりも平穏に死を迎え、状況をコントロールでき、遺族にも苦痛を起こさない可能性がはるかに高いのだ。”(p.174、訳:原井宏明)

      “病院での通常の治療を諦めた患者は、高用量の医療用麻薬を与えられて痛みと闘っているだけであり、他の多くの人々も私もホスピスでのケアは死を早める、と思いこんでいた。しかし数多くの研究がまったく反対の結果を示している。”(p.175)

      “この教訓はまるで禅問答のようである――人は長生きを諦めたときだけ、長生きを許される。”(p.176)

     一縷の望みに賭けて苦しい治療に耐えながらより長く生きるか、苦痛の緩和を優先してより早く死ぬか、このどちらかを選択するのだと漠然と思っていた。しかしどうやらそれは思いこみだったようだ。

     死に際して多くの人が望んでいるのは、最期の日々を可能なかぎり平穏で価値あるものにすることだろう。会いたい人に会い、伝えたいことを伝え、やりたいことをやり、周囲の重荷にならず、苦しむことなく安らかに死に、最期の姿を悲痛なものにしない。
     残された短い時間をできる範囲で本人の希望どおりにすること、それは死にゆく人のためであり、遺される人のためでもある。どのような生に耐えられて、どのような生に耐えられないか、優先順位や許容範囲は人によってずいぶん違う。望みを叶えるには、まずその望みを知らなければならない。しかし大切な人への思いやりから、望まぬ治療を受けてしまったりもする。
     本当の希望をどうやって知ればいいのだろう? じつは相... 続きを読む

  • 医療倫理

    現代医学の発展により、平均寿命が延び、100歳まで生きることも夢ではなくなった。だが、そのため高齢者医療及び介護サービスのクオリティが問題視され続けている。

    日本では生活保護をピンハネする悪質業者や監獄のような高齢者介護施設など医療とは程遠い施設が当たり前のようにあった。海外の事例は不明な点が多いが、高齢者への畏敬の念があった昔と比較して現代は老い=避けるべき対象となるのはどこの国でも類似しているようだ。
    その中で、本著の著者は医療とは何か、老いて生きる意味とは。医師がどのように患者と向き合うべきかなど哲学的な問いを模索し続けている。

  • 今年のNo1 その2

  • 医療技術が進歩した結果、生きながらえることができるようになったが、死なせないことが目的となり、幸せな最期を遂げられなくもなった。
    回復の見込みのない絶望的な状況でも今を幸せにすごすにはどうすべきか。
    多くの終末のケースが出てきて読み進むのが辛い本だが、スピリチャルではなく、淡々と事実ベースで書いていてる。
    人生の後半にさしかかった人や老い先の長くない家族を持つ人は心構えとして読んだ方がいい。


    〈読書メモ〉
    最期に向かって確認すべきこと
    - 置かれた状況とこれからの可能性を本人がどう理解しているか、
    - 恐れていることと望んでいることは何か、
    - 何を犠牲にしてもよく何を犠牲にするのが駄目なのか、
    - この理解を深めるのに役に立つ最善の行動とは何か。
    「今を犠牲にして未来の時間を稼ぐのではなく、今日を最善にすることを目指して生きることがもたらす結果を私たち目の当たりにした。」
    ピーク・エンドの法則: 苦痛または快楽のもっとも強い瞬間と終了時の感覚とで経験を代表させる。
    死にゆく者の役割: 記憶の共有と知恵や形見の伝授、関係の堅固化、伝説の創造、神と共にある平安、残された人たちの安全を願う。

  • 今までの医療は病気に対してかなりいい成績を出してきた。数多くの疾病を克服し、寿命を延ばしてきた。しかし、老化を防止することはできず、人生の最後の時間を病との戦いに当ててしまうことになっている。
    医者はまだそのことに十分には立ち向かっておらず、政府や患者側および家族も理解は進んでいない。メディケアの支出の25%は5%の対象者の最後の年に使われるものらしい。
    この本にはナーシングケア、アシステッドリビングや、ホスピスなどの数多くの例で患者の生きる理由を見据えそれに対してどういう治療をするか(あるいはしないか)を考えることが終末期のQOL(という言葉は使っていない)を上げるのには重要だとしている。医者側としても、1パターナリズム、2情報提供者、3患者側に寄り添った解釈をする医者というものをあげ、3によって患者のことを理解しそれをサポートすることが目指すべき道だとしている。家族もまず患者が本当に大切なのは何か?を知りそのためには何を失ってもいいかをはっきりさせておくことが、無駄に患者の時間と体力を摩耗し後で皆が後悔しないことにつながる。

  • 医科学の進歩は人の生物としての限界を先に延ばし、この能力が持つ有限性を疑わなくなっている。医療者の仕事は健康と寿命を伸ばすことであるが、それよりも大事なのは人が幸福でいられることである。そして幸福でいるということは、その人がどのように生きたいかということである。これは終末期や要介護状態のになったときだけでなく、一生を通じて必要なことである。残念ながら、そのような事がわかるのは、重大な病気になったり死期が迫ったときであり、そのような患者に対するケアとして緩和ケアが始まった。緩和ケアが特別な領域である時は決して喜ばしいことではなく、すべての医療者が担当するすべての患者にこのようなアプローチが取れるようになったときにより良い医療が提供できるようになるのだろう。著者は外科医としてそのような場面に出会ったことで、そして身内の最後に出会ったことで思索を進めた。死すべき人を目の前にしたとき、色々な悩みや困難が生まれてくるが、今、その現場にいるような筆致で読ませる本であった。訳文もこなれて読みやすく、一気に読みきり、深い余韻を残した。

  • 重いテーマ。頭ではわかっても、いざジブン自身や身内のことになったら"正しい"判断ができるか、、、ということか。そもそも何が"正しい"のかも難しい。

  • ネットで書評を読んで興味を持つ。
    http://www.bookbang.jp/review/article/517575

  • 人生の最後に、人はどうやって生きがいを見い出すことができるか。どうやって尊厳を保つことができるか。
    僕自身も祖父母と両親を病院で見送り、四人四様の最後を経験してきたので、人間の死に方というものにはいろいろと思うところがある。

    「あなたも歳をとればわかると思うけど、人生で一番いいことは自分でおトイレに行けるときなのよ」

    今の自分にはまだ実感としてはわからないが、この言葉は本当にそうなんだろうなぁと思う。
    厳しい現実と、しかしながら希望も感じる著。

  • ”Being Mortal” - 『死すべき定め』。「Mortal」という単語は、高校のときにお世話になった『試験にでる英単語』、いわゆる「しけ単」に、”試験によく出てくる単語”のひとつとして載せられていたのを見て知った。日本語には、これを一言で表すことができるような単語はない。こんな言葉が試験によく出るとは彼我の死生観の違いを表しているのではないかと強く印象に残った。結局「Mortal」という単語を試験で見ることはなかったけれども。本書は米国で大変なベストセラーになっているという。英語における「Mortal」という言葉の存在が死に対する感受性を上げているせいなのだろうかと思った。

    それにしても、”Being Mortal”という表現は、人間という存在をある意味で見事に一言で示している。言うまでもなく、われわれの死亡率は100%だ - 今のところ。

    本書は、医学の進歩により最期の刻を人工的に長く引き延ばすことができるようになったという新しい事態に直面したわれわれが、どのように大切な人の死を看取っていくか、そして自らはどのように死んでいくのか、についての本だ。しかし、そのことに対して何らかの明快な答えはこの本の中にはない。そもそも、適切な答えがあるかどうかすらわからない。そして、少なくとも今のところ、医学も社会もうまくそれを扱っているようには思われない。

    「科学の進歩は老化と死のプロセスを医学的経験に変え、医療の専門家によって管理されることがらにしてしまった。そして、医療関係者はこのことがらを扱う準備を驚くほどまったくしていない」ー 医師である著者も含めての実感をこのように表現する。1945年にはほとんどの人が自宅で死んだのに対して、1980年代にはその割合はたった17%になっている。そういえば、1970年代になくなった祖父は自宅で往生したが、それ以降に亡くなった他の親類はほぼすべて病院に入院し、そしてそこで亡くなっている。

    「この本は、死すべき定めについての現代の経験を取り扱う」ものだという。「衰え死ぬべき生物であることが何を意味するのか、医学が死という経験のどこをどう変え、どこは変えていないのか、そして人の有限性の扱い方のどこを間違えて、現実の取り違えを起こしてしまったのかを考える」- 考えるその先に答えは用意されない。われわれも著者と同じようにそれぞれに考えるべきなのだろう。考えたその先もそれぞれどのようなものになるかはわからない。この本は、それがこれまで人類が経験してきたものとは異なる体験になっていることについて多くの人が見て見ぬふりをしていることを教えてくれる。

    本書では、多くの死に直面した人の最期の刻が描かれる。その中には著者の父も含まれる。そういえば、自分の父も比較的長い闘病の末に亡くなった。当時はがんであることを本人に教えるかどうかの選択は親族に任せされていた。母は伝えないことを選んだ。それは当たり前のことのようにも思えたが、それが父にとっても母にとっても正しかったのかはわからない。しかし、今では許されることではないだろう。

    「死はもちろん失敗ではない。死は正常である。死は敵かもしれないが、同時に物事の自然な秩序である」

    自分なりに理解することは、老いというものが徹底して確率的な事象の統計的な表れだということだ。それは比喩ではなくエントロピーの増大のように不可避で不可逆的な現象だ。優れた複雑なシステムはその中に多くの冗長性やフェイルセーフとなる機構を備えているが、統計的にはいくら冗長が取られていてもある確率でその機能は壊れていく。そして過剰な冗長性はコストを生じるがゆえに冗長度は適切に最適化される。人間の脳神経系システムも循環器系も細胞系も同様だ。小さな障害は起こっているが、初期のころは... 続きを読む

  • 読みながらいろいろと考えた。考えさせられた。

    劇的に医療技術が進歩・発展したおかげで、高齢化した。それと引き替えに、「死」というものが先延ばしになり、老化に伴うことにより、困難な病気に罹り、“人間らしい”余命を送ることも難しくなった。

    副題にあるように、「死にゆく人に何ができるか」がテーマであり、筆者の祖母のエピソードや、多くの他のエピソードなどを上げながら、“人生の最期までをいかによりよく送らせるか”ということが述べられている。

    人はいずれ死ぬ。

    医療従事者(医師)の「死にゆく人に何ができるか」という
    問いかけとともに、家族や自分がいかに最期を迎えるかという問いを考える貴重な一冊となった。

  • 原題は、being mortal.。mortalの単語だけで、死すべき定めを意味する。日本語の単語の中にもし同じ言葉を当てはめるなら、なにかしっくりくる単語があるだろうか。探したが見つからなかった。
    この本は人類の生死感を変えると思う。いや、西欧社会における生死感が東洋思想に相いれない部分があったのかもしれないし、単に医学の極端な発展が私たちの生死に関する考えを変えざるを得ないのかもしれない。
    いずれにしても、私が探していた答えがこの本には書かれている。その問いは、病院で人工的な生をもたらすことは、人々の死ぬ権利を阻害していないだろうか?ということである。死ぬ前に読んでおいて損はない本である。

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死すべき定め――死にゆく人に何ができるかの作品紹介

人類史上もっとも人の寿命が長くなった今、医師やまわりの人は死にゆく人に何ができるのだろうか? 全米で75万部のベストセラーとなった迫真の人間ドラマ。現役外科医にして「ニューヨーカー」誌のライターでもある著者ガワンデが、圧倒的な取材力と構成力で読む者を引き込んでゆく医療ノンフィクション。

【英語版原書への書評より】
とても感動的で、もしもの時に大切になる本だ――死ぬことと医療の限界についてだけでなく、最期まで自律と尊厳、そして喜びとともに生きることを教えてくれる。
――カトリーヌ・ブー(ピュリツァー賞受賞ジャーナリスト)

われわれは老化、衰弱と死を医療の対象として、まるで臨床的問題のひとつであるかのように扱ってきた。しかし、人々が老いていくときに必要なのは、医療だけでなく人生――意味のある人生、そのときできうるかぎりの豊かで満ち足りた人生――なのだ。『死すべき定め』は鋭く、感動的なだけではない。読者がもっともすばらしい医療ライター、アトゥール・ガワンデに期待したとおり、われわれの時代に必須の洞察に満ちた本だ。
――オリヴァー・サックス(『レナードの朝』著者)

アメリカの医療は生きるために用意されているのであり、死のためにあるのではないということを『死すべき定め』は思い出させてくれる。これは、アトゥール・ガワンデのもっとも力強い――そして、もっとも感動的な――本だ。
――マルコム・グラッドウェル(「ニューヨーカー」誌コラムニスト)

死すべき定め――死にゆく人に何ができるかはこんな本です

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