白桃―― 野呂邦暢短篇選 (大人の本棚)

著者 :
制作 : 豊田 健次 
  • みすず書房
4.33
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本棚登録 : 112
感想 : 4
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622080893

作品紹介・あらすじ

豊かな詩情、現実に立脚した視点によって紡ぎだされた確かな文学がここにある。故郷長崎に原爆が落ちたその日を描いた渾身の作「藁と火」(単行本未収録)所収。

感想・レビュー・書評

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  • 『「え?」「いや、何でもない」と弟は口ごもった。目のまえに出現した夜景の珍しさを再び兄に語ろうとして、そのとき自分の見ている物を兄もまた必ずしも見ているとは限らない、ととっさに理解したのである』-『白桃』

    主人公の悩みはもっぱら決断すべきことを決断できぬままに打ち遣っておくことから生じる厄介に関するものだ。その決断しなければならないことというものだって大層なことではなく、例えば、万歳と叫ぶことであったり、止まれと声を掛けることであったり、という自分の意志さえ働けば、何も倫理上の禁忌を破ってまでというような重々しさのない、まるで葛藤することなど必要のないことばかりなのだ。にも拘わらず主人公たちはおしなべて決断を先送りにし、葛藤とも呼べないような葛藤を続ける。

    短気な質の人からすれば全く以て共感することなどできないような態度に見えるだろうと思うけれど、不思議とその不必要な逡巡には人間味がある。そしてその人間味は、迷い、という若者に特有のものと一般的には受け止められがちなニュアンスとは裏腹に、円熟した人からこそ醸し出されるであろう、それ、であるように思えて仕方がないのである。それ故、そのコントラストは主人公が少年の時に一層目立つのだと思うのだ。

    たとえば、それは物語の展開する速度が比較的ゆっくりであることの効果なのかとも考えてみる。ああ蚊が飛んでいるなあ、ああ近くへきたなあ、ああ腕にとまったなあ、と順繰りに(そして丁寧に)物語は描写され、やがて、ああかゆいなあ、という心情に至る。こうして書かかれたものが年寄りの物語だと言われれば、まあそんなものかなと思うのだろうけれど、それが少年の物語だと言われた時に感じるようなすわり心地の悪さが、この本の物語にはあるのである。

    その速度の遅さは、ひょっとすると時代と結びついてしまっているものなのだろうか。ふと現代人である自分は訝しく思ってみる。だとすると、時代を隔てた少年の苦悩は理解しえないものなのだろうか、と。しかし、主人公の少年の苦悩は切実であり、こちら側の勝手な違和感を易々と凌駕して、迫ってくる。その指の、その体の震えは、本物だ。

    何でもないなあと思ってしまうこと、違和感があるなあと思ってしまうこと。それは全て読む側の思い込みなんだということがしんしんと理解される。そんな勝手な思い込みの壁を、いともたやすく突き抜けて、この本の主人公たちは終わることのない逡巡を続ける。

  • 本日の読書は野呂邦暢さんの白桃。

    教科書に載っていた事をふっと思い出して、読んでみました。

    覚えてませんか?弟がお食べなさいと出された白桃を食べようとしたら、

    兄に窘められて食べられない…というお話。非常にザックリしていますね

    野呂さんは芥川賞を受賞されている、長崎県出身の作家さんです。

    短編集なのですが、藁と火という話は

    原爆が投下された日を少年の目を通して語られている。

    目的は白桃を読むためだったのですが、気付けばするすると読み終わりました。

    繊細な描写が非常に巧みな方ですね。具体的には書かれていなくても

    読み手側にはショートムービーを観ているかと思うほど伝わってくる。

    言葉が沁みて、胸が詰まる。もっとゆっくり読めばよかったと思える本でした。

    派手な作家さんではないですが、私の心に灯火を置いて去っていく本でした。

  • (野呂邦暢著/豊田健次編/みすず書房/2800円+税)ブックデザインはみすず書房の編集者・尾方邦緒さん。
    http://www.msz.co.jp/book/detail/08089.html

    みすず書房の「大人の本棚」シリーズは、この『白桃』だけに限らず、どれもすてきな装丁だ。シリーズ全て、カバーは凸版で色ベタが印刷され、そこに題箋を模したタイトルが刷られている。紙自体に細いエンボスラインが入ったNTストライプGAを使っていて、そのエンボスラインもまた、この教養高いシリーズに合っている。薄表紙でしなやかな造本も、読みやすくてすきなところ。シリーズ通していいのだが、この『白桃』はカバーのビンクが何とも言えずいい色。

  • 題名とピーチピンクの装丁から「ほのぼの系随筆か何かだろう」と想像していたら、全然違ってハードボイルドだった。どれくらい固茹でかというと、柴田元幸が訳すジャック・ロンドンの短編くらい。

    これはまたごっついなあと思って読み始めたのだけれど、独特な立体感のある短編ばかり。文字で書かれている具体的な情景もくっきりしているのだけれど(聴覚より視覚の文章)、著者の頭にあったであろうイメージというか、文字を並べて伝えたかったんじゃないかという気持ちが、いつも二重写しになって見える。今の自分に身近な題材は使われていないのに、こんなに伝わってくる小説ってすごい。

    損なわれていくもの・損なわれてしまったもの・そこから再起することを書いた「鳥たちの河口」がとてもよかった。

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著者プロフィール

野呂邦暢(のろ・くにのぶ)
1937年長崎市生まれ。戦時中に諌早市に疎開、長崎被爆のため戦後も同市に住む。長崎県立諫早高校卒業後上京するもほどなく帰郷、1957年陸上自衛隊に入隊。翌年除隊し、諌早に戻り家庭教師をしながら文学をこころざす。1965年「ある男の故郷」が第21回文學界新人賞佳作入選。1974年自衛隊体験をベースにした「草のつるぎ」で第70回芥川賞受賞。1976年、初めての歴史小説「諌早菖蒲日記」発表。1980年に急逝する。著書に『愛についてのデッサン』(ちくま文庫)、『野呂邦暢ミステリ集成』(中公文庫)、『野呂邦暢小説集成』(文遊社)、などがある。

「2021年 『野呂邦暢 古本屋写真集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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