生命、エネルギー、進化

  • みすず書房
3.83
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  • Amazon.co.jp ・本 (408ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622085348

作品紹介・あらすじ

高い評価を得た『ミトコンドリアが進化を決めた』の著者が、当時の理論を直近十年余の研究に基づいてバージョンアップし、進化史の新たな切り口を問う一冊。
絶え間なく流動する生体エネルギーが、40億年の進化の成り行きにさまざまな「制約」を課してきたと著者は言う。その制約こそが、原初の生命からあなたに至るまでのすべての生物を彫琢してきたのだ、と。
「化学浸透共役」というエネルギー形態のシンプルかつ変幻自在な特性に注目し、生命の起源のシナリオを説得的に描きだす第3章、「1遺伝子あたりの利用可能なエネルギー」を手がかりに真核生物と原核生物の間の大きなギャップを説明する第5章など、目の覚めるようなアイデアを次々に提示。起源/複雑化/性/死といった難題を統一的に解釈する。
本文より──『生命とは何か(What is Life?)』でシュレーディンガーは……完全に間違った疑問を発していた。エネルギーを加えると、疑問ははるかに明白なものとなる。「生とは何か(What is Living?)」だ。──

最前線の研究者の感じているスリルと興奮を体感できる、圧倒的な読み応えの科学書。

感想・レビュー・書評

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  • 著者であるニック・レーンは謝辞において本書を、「私個人の長い旅の終わりを告げるとともに、新たな旅の始まりでもある」と書いた。すでに『ミトコンドリアが世界を決めた 』、『生と死の自然史』 、『生命の跳躍』という主著で、生命の起源についての考察を世に問うてきたが、本書はその集大成ともいえるものだ。

    ビル・ゲイツが、「この男の仕事についてもっと多くの人が知るべきだ」とブログで絶賛したことでも有名になった。ゲイツはさらに重ねて、五年後にはここに書かれたものがずっと先へ進んでいるだろうから、この本を早く読むべきだとも言った。本書では確かに筋が通った説得力があるストーリーがまとめられているが、多くのパーツはいまだ仮説である。いくつかのものは今後修正されたり加えられたりしていくのだろう。しかしながら、全体のフレームに関しては、おそらくはこういうことなのではないかと納得することができる。

    本書で言われるように、生命進化上の大きな謎は二つある。一つはどのようにして生命が誕生したのか、もう一つがわれわれ人間を含む複雑な真核生物がどのようにして誕生したのか、である。その謎を解く鍵の中心にあるのがエネルギーの代謝である。

    一つ目の謎に対しては、原始スープに雷が落ちて有機物が生成されるというミラーの実験による生命誕生のストーリーが有名であるが、現状ではおそらく多くの科学者の間で棄却されている仮説である。著者も同様で、すでに既刊著でも主張しているようにアルカリ熱水噴出孔において始まったという仮説の確からしさと必然性とが本書でも示される。

    そもそもの起点はエネルギーの流れであり、著者が「生命はエネルギーを放出する主反応の副反応なのである」と言うのは、より根本的な第一原則として受け入れることができる主張だ。エネルギーの流れは物質の自己組織化を促す、という発想は、『自己組織化と進化の論理』スチュアート・カウフマンの理論にも通じる。著者が、生命が生まれた場所として想定するアルカリ熱水噴出孔は生命誕生の条件を満たす散逸構造を形成することができる。高いCO2濃度、弱酸性の海、アルカリ流体、FeSをもつ熱水孔の薄い壁構造の組み合わせが、生命誕生に必要な化学反応を熱力学と反応速度の化学原理から必然的に生み出すことができるのだ。まずは、FeSを含む薄い無機の膜を挟んだプロトン勾配が有機低分子を形成し、その後熱水噴出孔の細孔内で有機の原子細胞が形成される。そこから遺伝コードが誕生し、原子細胞が自らのコピーを作ることができるようになり、細菌および古細菌の共通の祖先(LUCA)となったというのが著者が信じる生命誕生のストーリーだ。現時点では、このストーリーに理論的に破綻するところはないように思われる。この膜を隔てたプロトン勾配を利用して炭素とエネルギーの代謝を促すという仕組みは、今もわれわれの体内で行われていることなのである。生命とは秩序であり、エネルギーの流れなのである。

    その後、生命は細胞壁を有する能動的なイオンポンプを手に入れることで、細菌および古細菌となって熱水噴出孔から自由になって離れられるようになった。この流れにおいて、著者は地球上の生物すべてが化学浸透共役を利用しているし、さらには全宇宙の細胞もこの化学浸透共役を利用すると予想するのである。このエネルギーの通貨として、地球上のすべての生物が膜を挟んだプロトン勾配を利用したATPと呼吸鎖を利用しているのはこの生命の起源に由来する。

    実際のところ、このエネルギー利用のサイクルは生命にとって非常に基礎的なものである。われわれの体の中で、毎秒およそ10の21乗個のプロトンをひっきりなしに汲み出しているらしい。膨大な数だ。これが止まると大変なことになるのは、そのプロセスを阻害するシアン化物の摂取が、急速な生命の停止につながることを見れば明らかである。そして老化もそのプロセスに関係する。「シアン化物は電子やプロトンの流れを止め、あなたの命をいきなり絶つ。老化も同じことをするが、ゆっくりと穏やかにそれを進める。死とは、電子やプロトンの流れが止まり、膜電位が消失し、その絶えざる「炎」が消えることだ」 ー 著者が遺伝子よりもエネルギーに着目したのは、当然の帰結であった。「エネルギーは遺伝子よりはるかに許容性が低い」のだ。

    二つ目の謎は、真核生物の誕生だ。「生物学の中心には、ブラックホールがある。率直に言って、なぜ生命は今こうなっているのかがわかっていないのだ」― 細菌や古細菌などの原核生物から、真核生物がいかに生まれたのか、これこそが著者がブラックホールと呼ぶものであり、本書で明らかにしようとするものでもある。

    菌類、藻類、植物、人間を含む動物の全ての真核生物の共通祖先は、すでに線状の染色体、膜に包まれた核、ミトコンドリア、細胞小器官、膜構造、細胞骨格、有性生殖といった複雑な特徴を兼ね備えていたとみなされる。この事実は、全ての真核生物が単一の祖先を共有しているということであり、進化の過程において多細胞生物となるための有用な変化は40億年においてたった一度しか起こらなかったということを示す。そして、不思議なことに、その共通祖先は非常に複雑な特徴を持つ細胞であったということだ。細菌や古細菌は40億年、形態上は単純なままであるのに対して、15~20億年前の単一の祖先からこれほどまでに多様な生物が生まれた。考えてみれば、本当に不思議なことである。

    言われてみれば当然のことのようにも思えるが、単純に遺伝子の数を少なくする方が自然選択上は有利に働く。コピーする遺伝子が少ない方がより少ないエネルギーで増殖することができ、増殖速度も速くなり、より多くの子孫を残すことが可能になるからだ。単純な遺伝子の自然選択の法則によっては、細菌から大きくて複雑な細胞を生み出すことはできない理由がここにある。内部共生だけがこれを乗り越えることができた。これを理解するためにはゲノムや情報の点で考えても答えは出ず、エネルギーと細胞の物理的構造から考えることが必要になってくる。

    著者はその問題において、一遺伝子あたりの利用可能エネルギーという概念を導入する。原核生物(細菌・古細菌)と真核生物を隔てる壁がこの数字だという。真核生物が必要とする一遺伝子あたりのエネルギーは、原核生物の二十万倍にもなるという。細菌が単独で真核生物になれない理由がそこに潜んでいる。その壁を打ち破ることができたのが、原核生物同士の内部共生である。「エネルギー面の理由から、複雑な生命の進化にはふたつの原核生物による内部共生が必要」だったのである。

    すべての真核生物はミトコンドリアをもっている。これほど多様な生物が、ひとつの共通の祖先をもつ単系統であることは驚くべきことである。複雑なこの真核生物には、これまでいかなる中間体も変種も見つかっていない。同じような形質が独立に何度も起こっていない、少なくとも子孫を残すことに成功していないという事実。複雑であっても何度も独立に進化をしてきた眼と比べるとその特異性が際立つ。ここにひとつのブラックホールがある。いったいどうしていきなりこんな複雑なものができたのか。どこからそのパーツを持ってきたのか。

    これに対する答えがビル・マーティンらから提案された、古細菌が細菌を取り込み、その内部共生体の遺伝子を自らの遺伝子に取り込んだという仮説である。この仮説によると、このミトコンドリアを内部共生という形で取り込んだのと複雑な生命の誕生は同時に行われたという。そして、核や性や食作用まで、その出来事の帰結として、内部共生から進化したということが、この枠組みから説明可能とされる。エネルギーの観点から必然であったプロトン勾配の利用が細菌と古細菌の構造に制約を課したが、内部共生体だけがその制約を乗り越えて複雑な生命となったのだ。いずれにせよ、最初の真核生物は遺伝的に不安定で、小さな集団内で急速に進化した可能性が高いと思われる。内部共生はダーウィン的ではない、と言われる。著者は、内部共生が行ったものは一連の出来事の起動である、と表現する。選択の環境が、原核生物同士のただ一度の内部共生によって一変したということであり、その後はずっとダーウィン的であったのだ。それだけ、内部共生が成功するのは非常に稀な出来事であったとも言える。

    実は、細菌や古細菌はその代謝を含む生化学的メカニズムや遺伝子も多彩であるという。一方で、真核生物はその複雑さにも関わらず代謝の方法は共通している。いわば、細菌や古細菌は化学的な代謝の可能性を探ることによって問題に対処してきたのに対して、真核生物は体のサイズと構造の複雑さを増すことによって対処してきたといえる。

    著者は、この後、内部共生による真核生物の誕生がなぜ有性生殖を行い、また老化し、死すべき運命にあるのかについて説明する。「進化には実は、生命の極めて根本的な特性の一部を第一原理から予測できるようにする強い制約 ― エネルギーの制約 ― がある」と著者は言う。「少なくとも真核生物の普遍的な特質の一部は、宿主細胞と内部共生体との親密な関係の中で形成されたのであり、それゆえ第一原理から予測可能なのだ、と私は主張しよう。こうした特質には、核、有性生殖、二つの正、さらに、死を免れぬ体を生み出す不死の生殖細胞などがある」ー「そうした特性がなぜ生じたか、生命がなぜ今こうなっているのかを第一原理から ― 宇宙の化学的組成から ― 予測できたら、統計的確率の領域に改めて入り込めるようになる」という。

    有性生殖の必然性は、個々の遺伝子が自然選択の目に止まるようになったことにある。有性生殖は個々の遺伝子に対して選択が働くようにしたのだ。有性生殖を完全に失っても絶滅していないものはほとんどない。有性生殖がここまで普遍的なものであるのは、有性生殖を発明できなかったものは、すべからく絶滅したからだと言える。その有性生殖の中でミトコンドリアだけが母親の方から伝わる。生殖細胞は、どこまでも分裂し続けられるという意味では、不死である。老いることも死ぬこともない。内部共生によりミトコンドリアの変異率が上がり、特殊化した生殖細胞を隔離せざるをえなかった。生殖細胞が分離されると、他の細胞は不死となる必要はない。生殖可能な生体になるまでの時間によって決まる。ここから有性生殖と死のトレードオフ、老化の根源について理解できることになる。「二つの性の進化、生殖細胞と体細胞の区別、プログラム細胞死、モザイク状のミトコンドリア、さらに、有酸素能と生殖能力や、適応性と病気や、老化と死のあいだに見られるトレードオフの関係。こうしたすべての形質は、細胞内の細胞という起点から生じることが予測できるのだ」

    著者は、寿命と死について次のように説明する。
    「この見方で、加齢とともに病気や死亡率が急激に増加することも説明できる。組織の機能が何十年もかけて徐々に衰え、やがて正常な機能に必要な閾値を下回ってしまうのだ。我々は次第に活動に対処できなくなり、ついには何もせずに生きることさえできなくなる。このプロセスは、死に至る数十年でだれにでも繰り返され、急激な衰弱をもたらす」
    そして、「われわれには自らの進化史で決まっている最長の寿命があり、それは結局のところ、脳内の複雑なシナプス結合と、他の組織における幹細胞集団のサイズに左右される。... 生理機能を調整するだけで120歳を優に超えて生きる手だてが見つかるとは、私には思えない」と結論づける。

    著者は、これまでの知見に基づき、地球外生命の様態の可能性について論じる。「一個の細菌がなぜか別の一個のなかに入るというただ一度の出来事がこうした細菌に絶えず加わっていた強い制約を乗り越えさせた。その内部共生で生まれた真核生物は、桁違いに大きなゲノムをもち、それが形態上の複雑さの原材料となったのだ。そして宿主細胞とその内部共生体(ミトコンドリアとなるもの)との親密な関係が、真核生物に共通する多くの不可解な特性の背後にあったのだ、とも訴えたい。進化は、宇宙のどこでも同じような制約に導かれて同じような道に沿って繰り広げられる傾向があるはずだ。私が正しければ(詳細までことごとく正しいとはまるで思わないが、全体像は正しいと思いたい)、これが予言性の強い生物学の起点となる。いつの日か、宇宙のどこの生命の特性も、宇宙の化学的組成から予言できるようになるかもしれない」と大胆に予測する。
    われわれはプロトンがエネルギーの原動力であることを知っているし、プロトン勾配が細菌、古細菌、真核生物を含むすべての生命に共通で利用されていることも知っている。このことは遺伝コードと同じくらい普遍的なものである。このエネルギーの仕組みを持ち込んで初めて生命の進化を理解することができる。このことから、プロトン勾配を利用して炭素を還元するレドックス反応は地球以外の生命体においても重要なものになるはずだと想像する。細菌や古細菌のような単純な生物は、それほど厳しくはないであろう条件さえそろえば比較的簡単に発生しうる。しかし、地球において細菌や古細菌はその発生までの期間と比べて相当に長い間その単純さにとどまっていることと、複雑な真核生物が生まれるまで相当の時間がかかったこと、またかつて真核生物の誕生が一度しか起きていないことを鑑みると、内部共生の成功は極めて稀なことであったのだと予測される。岩石と水と二酸化炭素という比較的ありふれた環境がそろえば発生するプロトン勾配からの生命の誕生が必然であったとも言えるのに対して、真核生物の誕生は偶然に近いものであった。なぜならプロトン勾配で利用される化学浸透共役の利用が物理的に複雑性を制限するものでもあったからである。「複雑な生命は宇宙でまれな存在だろうと結論付けてもいいと思う。自然選択には、ヒトやほかの複雑な生命を生み出す本質的な傾向はないのだ。細菌レベルの複雑さで行き詰る可能性のほうがはるかに高い」

    とここまで書いてきて、本当にどこまで自分がこの本を理解できているのかわからなくなってきた。ポイントは何とか押さえられているような気はするのだが。

    「われわれの頭脳という、宇宙で最高にありそうになり生体マシンが、いまやこの絶えざるエネルギーの流れの経路でありながら、生命がなぜ今こうなっているのかを考えられるというのは、なんと幸運なことだろう」との本書の最後の言葉に賛同する。そして、その幸運にあずかるためにこの本はもっと広く読まれるべきなのである。


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    『ミトコンドリアが世界を決めた』のレビュー
    http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4622073404
    『生命の跳躍――進化の10大発明』のレビュー
    http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/462207575X

  • 著者はユニバーシティ・カレッジ・オブ・ロンドンに籍を置き、ミトコンドリアに関する幾つかの著書がある生物学者。彼によれば、生命を巡る種々な「重要な問題(The Vital Question…原題)」に対する答えは、細胞呼吸において重要な役割を持つミトコンドリアの「呼吸鎖複合体」がもたらす「プロトン勾配」にあるという。本書はその起源を探りながら生命が何故このようなアプリケーションを備えているかを演繹し、それが偶然でなく必然であること、ひいては地球外でも恐らく生命は我々に馴染みが深い形態を取るだろうと予告する。
    「ぶっ飛んだ」とビル・ゲイツは驚いたらしいが、僕が得た印象はむしろ「目が回った」に近い。自分の身体を構成する40兆の細胞に1,000兆ものミトコンドリアが存在し、そのサッカー場4つ分の表面積を持つ膜上にある無数の分子ポンプが毎秒100回転しながら、ATPを細胞あたり1,000万個も消費している。それは単位あたりでは太陽のエネルギーをも上回るという。全く想像を絶する世界だが、それは間違いなく僕の身体で起こっていることなのだ。自分がとてつもない能力の無数の分子のモーターで駆動している…花や木も、目に見えない微生物でさえ、しかも20億年前にミトコンドリアの祖先が古細菌に潜り込んでから今に至るまで同じやり方で…という考えは目眩がするほど信じ難く、そして魅力的だった。
    さほど長くはなく、最近の翻訳ものにありがちなくどいほどの繰り返しによる嵩増しもないが、訳者あとがきにあるようにこの種の一般向け科学啓蒙書としては例外的と言っていいほど専門的で難しい。当初原書で読み始めたが1/3で挫折、和書に切り替えたがそれでも読了に相当の時間を要した。たまたま直前に光合成に関する本を読んでいなかったら読了できなかったかも。

    以下は要約というか覚書。僕の理解が浅い部分があるためやたら長くなってしまい、興味を削ぐうえに不正確である恐れがあるので、本書を読む用意のある向きは避けるが無難かと。

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    第Ⅰ部「問題」
    1. 生命とは何か?
    ヒトを始めとする脊椎動物からアメーバのような原生生物まで、真核生物の生態は広範な多様性を持つが、その細胞は極めて似通った複雑さを有している。これは何故なのか?なぜ細菌や古細菌には同様の構造が見られないのだろう?複雑さの類似性は真核生物が単系統(起源がただ一つ)であることを示唆するが、ではなぜその複雑性は40億年の地球の歴史の中でただ一度しか起きなかったのか?
    2. 生とは何か?
    生命はその秩序の維持の為に、エネルギーの継続的な流れを必要とする。つまり、呼吸という不断の反応で酸素を燃焼させ、環境に熱を与えエントロピーを増大させなければならない。その為には予め環境からエネルギーを吸収し貯蔵する必要があるが、不思議なことに地球上のあらゆる生物は、その為のエネルギー通貨「ATP」の製造プロセスである「呼吸」において、膜を挟んだプロトン勾配を生み出す「化学浸透共役」を利用している。そしてこの機構こそが、真核細胞が出現するまでの事実上の制約条件として、細菌や古細菌の進化を阻んでいたのだ。

    第Ⅱ部「生命の起源」
    3. 生命の起源におけるエネルギー
    生命が有機物を合成して細胞組織を生成するには、たゆまぬエネルギーの流れにより散逸構造を維持する必要がある。アミノ酸の「原始スープ」が稲妻や紫外線によりイグナイトされ組織化が始まったとする説はこの観点から否定される。まずエネルギーの流れが必要なのだ。さらに、炭素とエネルギーが効率よく代謝されるよう、触媒となる酵素に経路を集約するような物理的構造も。
    著者はこれらの条件を満たす環境として海底から噴き出す熱水孔の一種である「アルカリ熱水孔」を挙げる。水素から電子を引き抜き(酸化)、二酸化炭素を還元し有機分子を生成するレドックス反応は、水素と二酸化炭素が互いに不活性であること、並びに還元された炭素(蟻酸イオンなど)が水素より還元されにくいことにより、通常は成立困難だ。しかしアルカリ熱水孔では、アルカリ流体とFeS鉱物の無機の薄い壁により、流体側で水素の還元電位を下げて酸化されやすくする一方、電子のみを海水側に受け渡して二酸化炭素の還元を促す。つまり、薄い半導体の壁を介した天然プロトン勾配が細胞を作り上げた可能性があるというのだ。つまり原始の生命を育んだ環境が現在も我々の微小な細胞膜の構造内に保存されているわけだ(ここに気付いた科学者の発想には恐れ入るばかり)。
    4. 細胞の出現
    複数の遺伝子情報から合成した系統樹によれば、細菌と古細菌はそれぞれの共通祖先から発生しながら互いに全く異なる酵素を持つ。しかしアセチルCoA経路という無機的な炭素同定回路は共通していて、これがアルカリ熱水孔と極めて類似した無機クラスタを持つという。アルカリ熱水孔では前章のプロトン勾配で生成した有機物が細孔で濃縮され、触媒として利用されて原始細胞を形成する。これはエネルギーの流れによる強制的なプロセスだが、原始の細胞は極めてリークしやすい膜を持つことでプロトン濃度勾配を維持し、これを対向輸送体(ナトリウムイオンとプロトンを交換する機構)でブーストして炭素やエネルギー代謝に利用していたらしい。この対向輸送体を備えたことにより、原始の細胞は熱水孔を脱し他の環境でも生存可能となった。
    細菌と古細菌は、このプロトン勾配を利用した「化学浸透共役」を構築するにあたり、異なるオプションを選択した。これが両者の細胞膜の違いとなり、ひいてはDNA複製のあり方も異なる原因となった。

    第Ⅲ部「複雑さ」
    5.複雑な細胞の起源
    真核細胞はサイズと複雑さの点で原核細胞を凌駕する。これは何故なのか?真核細胞の遺伝子が原核細胞とのキメラ構造を持つことなどから、真核細胞は古細菌に細菌が「一度だけ(従って連続細胞内共生仮説は否定される)」内部共生して生じたものだという推測ができる。細胞の構造の複雑さはこの化学浸透共役に内在するエネルギー上の制約とトレードオフの関係にあるが、原始の真核細胞はミトコンドリアの祖先を取り込みながらそのゲノムを縮小させることによりゲノムあたりエネルギーを効率化し、その制約を乗り越えているのだ。
    《ここで少々わからなかったのは原始の真核細胞にとって、複雑性の要請が先であったのか、それとも内部共生による余剰エネルギーの存在が先であったのかということ。ニワトリか卵かの議論だが、著者は明確には述べていないように思える。》
    6. 有性生殖と死の起源
    では何故真核生物と原核生物はこれほど異なるのか。真核生物と原核生物の中間体が見つかっていないことから、原始の真核生物が不安定な小規模集団で急速に進化した可能性が示唆される。細胞内構造について全ての真核生物が同様の性質を共有していることもこれを補強する。明らかに、原始の真核生物は内部からのゲノムによる猛攻を受けていて、それに対処するため核膜などの真核生物特有の構造を備えるに至ったのだ。
    有性生殖についても同様だ。有性生殖には、染色体ごとでなく遺伝子それぞれを自然淘汰の対象とさせることができるメリットがあるが、そのメリットを最大化させたのが内部共生体のもたらしたイントロンであり、その結果真核生物が多様性を獲得できたというのだ。
    有性生殖についてはさらに、ミトコンドリアと宿主の利害の一致が指摘されている。ミトコンドリアが片親遺伝するのは、内部でのミトコンドリアの競合が宿主にとってコストだからという説があるが、著者はこれを否定し、その代わりに片親遺伝により受精細胞間のミトコンドリアのばらつきが大きくなり、自然選択が起きやすくなることを理由に挙げている。しかしこれが両親遺伝を凌駕するほど優位であることを示す証拠は得られていないようだ。
    一方、ミトコンドリアは変異率が高いので、体細胞の細胞分裂でも分裂後の細胞におけるミトコンドリアのばらつきは増す。すると2種類以上の器官を持つ複雑な細胞では組織ごとの適応度に差を生じ、全体としての適応度が下がってしまう。これに対処するには、ミトコンドリアをなるべく多く卵細胞に詰め込み、その後の分配によるばらつきを小さくするという戦略をとる必要があるという。
    つまり真核生物では、有性生殖により個体間でのばらつき増大による選択圧を高めつつも、ミトコンドリアの片親遺伝により個体内部でのばらつきを抑え適応度を高めるという「いいとこ取り」の戦略が取られているらしい。さらに、ミトコンドリアの変異率が高い高等生物は、卵細胞を発生初期から隔離保存して変異の蓄積を抑制しなければならないが、これにより不死の生殖細胞と使い捨ての体細胞の分化が進むこととなった。これらは全てミトコンドリアとの共生がもたらした影響なのだ《ここのところの理屈は極めて入り組んでおり難解。正しく理解できているかは自信がない》。

    第Ⅳ部「予言」
    7.力と栄光
    呼吸系タンパク質はミトコンドリア由来部分と核由来部分からなるモザイクだ。これら2つが「共適応」しなければ細胞呼吸に致命的な支障が出る。ミトコンドリアは細胞呼吸の「ブロンズコントロール」に必要な最小限を除き、殆どの遺伝子を核に移動させてしまった。何故これほどまでに重要な機構が、核とミトコンドリアのそれぞれの遺伝子で別々にコードされているのか?自然選択が適切に機能するためだ。核とミトコンドリアの遺伝子がマッチしないと、レドックス中心が過度に還元され、フリーラジカルを誘導してアポトーシス(プログラムされた細胞死)を引き起こす。これが自然選択の一種として機能し、適応度の低い細胞は発生のプロセスから除かれるのだ。これはその一方で発生段階初期の胚の死を意味するため、繁殖率の低下というサブプロダクトを生じさせてしまう。
    哺乳類の雄の細胞は一般に代謝率が高く成長も速いことから、性が温度、つまり代謝率により決定されている可能性がある。ここで、代謝の需要が高い細胞は呼吸鎖の処理能力を上回る電子を導入してしまい、アポトーシスに至ることを考え合わせれば、代謝率の高い性、哺乳類で言えば雄は生殖不能や生存不能となりやすいことが導かれる。
    これを更に掘り下げれば、適応度と生殖率のトレードオフが明らかになる。即ち、有酸素運動を活発にする種、例えば鳥は高い代謝率を必要とするため、核とミトコンドリアの適切なマッチングを強く要請し、胚を選別するふるいの目はきつくなり生殖能力が下がる。ただし分化した後の細胞は個体内部ではミトコンドリアのバリエーションが均一となり病変を起こし難くなる。つまり寿命が伸びるのだ。これとは逆に、ネズミのような代謝が低い動物では核とミトコンドリアの共適応への要求水準が低く多産となるが、病変には抵抗力が低くなる。このように、核とミトコンドリアの共適応は「死の閾値」とでも呼べるものを規定しているのだ!
    最後にやや付け足し気味に、フリーラジカルが老化を促すという言説の当否が検討される。フリーラジカルは呼吸能力低下のシグナルとして機能しミトコンドリアの合成を即す一方で、不適応なミトコンドリアを排除しているという。これによればこのプロセスを阻害するビタミン剤などの抗酸化剤の過剰摂取は害だ。ややこしいのは、フリーラジカルを多くリークするミトコンドリアほど呼吸不足のシグナルを発し自らのコピーを多く生むが、これは核ーミトコンドリアの不適合を同時に示すため、ミトコンドリアの能力低下により細胞死または変異の蓄積をもたらすという。つまり老化を促進するのだが、ということは世代を超えて高い有酸素能が維持されていれば(鳥のように)、長寿となりうるはずだという。つまり適度な運動は益となる。なぜなら運動は呼吸鎖における電子の流れを速め呼吸能を高め得るし、欠陥のある細胞を取り除くからだ《ここのところの因果も捻れまくっていてすんなりと頭に入ってこない》。

    エピローグ
    日本の沖合で日本の生物学者が発見した風変わりな微生物。一見真核生物だが、その構造に本質的な相違をもつこの不思議な生物が、実は最近になって細菌を獲得したばかりの原核生物であることを示唆することにより、著者は化学浸透共益=「生命のOS」が普遍的なものであり、宇宙のどこでも同様に繰り返し生じ得ることを示し、やや感傷的なトーンで本書は締めくくられる。

  • 研究者が脳で感じているスリルをこの本を読んで感じることができたのと、自分は生物学の専門知識が多少あったので、なんとなく理解したけど、ない人は少し厳しいかも

  • 人をマイクロに突き詰めてくとここに到達する最先端にいると思われる本。内容は難解だが、何度も読みたい本。

  • はじめに——なぜ生命は今こうなっているのか?

    第 I 部 問題
    1 生命とはなにか?
    生命最初の20億年小史
    遺伝子と環境に関わる問題
    生物学の中心にあるブラックホール
    複雑さへの失われたステップ
    間違った疑問
    2 生とはなにか?
    エネルギー、エントロピー、構造
    生命のエネルギーのメカニズムは不思議と狭い可能性に絞られている
    生物学の中心的な謎
    生命は結局のところ電子
    生命は結局のところプロトン

    第 II 部 生命の起源
    3 生命の起源におけるエネルギー
    細胞の作り方
    熱水孔は流通反応装置
    アルカリ性であることの重要性
    プロトン・パワー
    4 細胞の出現
    LUCAへ向かう岩だらけの険路
    膜の透過率の問題
    なぜ細菌と古細菌は根本的に違うのか

    第 III 部 複雑さ
    5 複雑な細胞の起源
    キメラという複雑さの起源
    なぜ細菌はいまだに細菌なのか
    1遺伝子あたりのエネルギー
    真核生物はどうやって制約から抜け出したのか
    ミトコンドリア—— 複雑さへ導く鍵
    6 有性生殖と、死の起源
    遺伝子の構造の秘密
    イントロンと、核の起源
    有性生殖の起源
    ふたつの性
    不死の生殖細胞、死を免れぬ体

    第 IV 部 予言
    7 力と栄光
    種の起源
    性決定とホールデーンの規則
    死の閾値
    フリーラジカル老化説
    エピローグ──深海より

  • 【総合評価 ⒋3】
    ・革新性⒋5
    進化や生命の起源のプロセスにエネルギーの観点を持ってくるという発想に驚かされた。

    ・明瞭性⒊5
    内容が非常に高度、高校レベルの生物学(一部大学レベル)を要求されるため理解するのにかなり時間がかかった。

    ・応用性⒋0
    生物学の根幹を学べるため、生物系の分野全てに生かすことができそう。

    ・個人的相性⒌0
    生物好きの私にとっては大好物であった。内容の難解さを上回る興味を持って読み進めることができた。

  • ●真核細胞は一般的な自然選択によって生まれたのではなく、多くの細菌が緊密に協力するあまり、一部の細胞がほかの細胞の中に入ってしまうと言う、1連の内部共生によって生まれた⁈
    ●今では、すべての真核生物には1つの共通の先祖があり、それ故、地球上の生命40億年間に1度だけ生じたことがわかっている。あらゆる植物や動物が1つの共通先祖がある…真核生物は「単系統」なのだ。
    ●生命は結局のところ電子。炭素がベース。プロトン。

  • おもしろかったので2回読んだ。しかし、難しかった。全ての生物(細菌、古細菌、真核生物)は、化学浸透共役という共通の仕組みで、必要なエネルギーを得ている。つまり、呼吸によって得られたエネルギーを使い、膜の内側から外側へプロトンを汲み出してプロトン勾配(膜の内外でのプロトンの濃度差)を作り出し、その勾配に従って膜の外側から内側へと戻るプロトンの流れを利用して、膜内にあるタンパク質のタービン(ATP合成酵素)を(文字通り)回転させて、全ての生物に共通するエネルギー『通貨』であるATP(アデノシン三リン酸)を合成している。この事実から出発して、最初の生命はアルカリ熱水噴出孔で誕生したという仮説が説明されている。それが本当かどうかは、もちろん門外漢には確かめようもないが、生命の起源について、もっともらしい仮説が提示できるようになっていることに感心した。もっとも、この仮説は、前著「生命の跳躍」にも書いてあったのだった。すっかり忘れていた。そういえば、「生命の跳躍」を読んだとき、ミトコンドリアの獲得が有性生殖や死の起源となったという説明がよく理解できなかったのだが、残念ながら、この本を読んでもその点は相変わらず釈然としなかった。

  • 後半はやや構成が甘く散漫な印象になってしまっているが、
    前半の生命誕生を解き明かす件は素晴らしく、どきどきする
    ような読書体験であった。もちろん今のところ仮説の域を
    出ないし、これから様々な検証や訂正を繰り返していくの
    だろうが、少なくとも「生命スープ」仮説を聞かされた時の
    何とも言えないモヤモヤ感は吹き飛ばしてくれる内容で
    あった。「周回遅れ」になる前に読むべし。

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著者プロフィール

ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)遺伝・進化・環境部門、UCL Origins of Lifeプログラムリーダー。2015年、Biochemical Society Award(英国生化学会賞)を受賞。著書に、斉藤隆央訳『生命、エネルギー、進化』みすず書房2016、斉藤隆央訳『生命の跳躍』みすず書房2010、斉藤隆央訳『ミトコンドリアが進化を決めた』みすず書房2007、西田睦監訳、遠藤圭子訳『生と死の自然史――進化を統べる酸素』東海大学出版会2006、共著書にLife in the Frozen State, CRC Press, 2004がある。科学書作家としても高い評価を得ており、『生命の跳躍』は王立協会による2010年の科学書賞を受賞。

「2016年 『生命、エネルギー、進化』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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