例外状態

  • 未来社
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  • Amazon.co.jp ・本 (193ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784624011758

作品紹介・あらすじ

「世界的内戦」下の現代にあって統治のパラダイムと化した「例外状態」。そのミニチュア・モデルを古代ローマにおけるユースティティウム=「法の停止」に求めつつ、法の空白をめぐるシュミット=ベンヤミンの戦いの意味を批判的に検討する。「ホモ・サケル」シリーズ第3弾。

感想・レビュー・書評

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  • 本書はジョルジョ・アガンベンのホモ・サケルシリーズの第Ⅱ部-1にあたるとのこと。
    「なぜあなたがた法学者はあなたがたの職務について黙して語らないのですか?」という挑戦的な冒頭の一文から始まる。
    グアンタナモ基地に収監されているタリバーン兵士や、ヴァイマル憲法下で大統領により首相指名された後、個人的自由権を一時停止したヒトラーの行為など(日本の憲法9条と自衛隊の関係もそうかもしれない)を直接の課題トリガーとし、法を超えた存在としての「例外状態」とはいかなる状態で、生の政治とどのような関係にあるのかを解き明かす。かつてカール・シュミットに「例外状態に関して決定をくだす者」としての(真の)主権者という論理の下で定義されたり、「必要は法律をもたない」という格言から法的形態をとらない政治と法の境界にあるともされ、法理外としてあいまいな状態にされ続けたともいう「例外状態」。
    内戦状態とか革命などの緊急状態に際し、法の停止に伴い現れる事実をまた法とするような、法理論としてはアポリア(袋小路)状態に陥っている「例外状態」を、アガンペンにおいてはアノミー(無統制状態)的空間であると定義し、法律と生の政治が未分化のまま交叉する限界点であるとする。そこでは法の停止(ユースティティウム)が行われることにより、むしろ法以外の力(暴力など)により逆説的に法に転化するような、生の政治に関連させられ包摂しようとする装置の存在があるとする。そして本来、法的権限のない者がユースティティウムを宣言するにいたる淵源は何かの答えとして、個人から湧き上がる「権威」=カリスマに行き着き、「権威」が巧みに「例外状態」を利用する姿をみるのである。
    生の政治(暴力)と法律との結合点である「例外状態」を明らかにすることで、政治状態とは何かの端緒を示した論考だが、論理の流れが明解で面白く(逆に直線的な指向に限定されているようにも感じられるが)、現代政治に横たわる根源問題を考えさせてくれる一書です。アガンペンが辿る「例外状態」の淵源から、現在に残る祝祭としての「例外状態」、ベンヤミンとシュミットの論争整理など、その探求の幅と掘り込み方は凄い。

  • 例外状態とは、憲法や法律を廃止するのでも修正するのでもなく、ただそれらの適用が停止された状態を意味する法技術的な概念である。

    たとえば、ナチス国家による12年に亘って継続したワイマール憲法の停止が典型的な例外状態である。例外状態は司法権力に対する執行権力の拡大を伴い、不可避的に全体主義体制に繋がっていく。

    この例外状態は、法の領域を超えたもっと原初的な政治的な領域として捉えられることが多かった(必要は法律をもたない)ようだが、法律的形態をとれないものが法律的形態をとった現れであり、法と政治の未分化な領域に位置しているというのがアガンベンの見解である(と思う)。

    70年代にポール・ヴィリリオが予見したように、現代の戦闘は戦線を持たず時と所を選ばない。現代は世界的内戦の状態にあり、例外状態が通常の状態となっているのである。アガンベンは「アメリカ合衆国愛国者法」によって法的根拠を無効化されたグアンタナモの拘留者をナチスの強制収容所のユダヤ人と比較しているが、フランスやベルギーでの連続テロをみていても、米国に限らず世界的な趨勢だと思わされる。

    規範が停止された例外状態が常態になってしまうというのは、卑近なところでも(デスマーチとか)観察できる状況で、本書の論考をそこまで拡大してよいのかはあれだが、なにがしか示唆的なものはあったように思う。

  • アガンベンのホモ・サケルのプロジェクトの1冊。

    ホモ・サケルは、フーコーの生政治とアーレントを統合しつつ、シュミットの概念を使いつつ、ローマにおけるホモ・サケルという状態を絡ませ、それが収容所につながり、そして我々の今の生にまでつながっているという大変な議論なのだが、その前半部分のシュミットの例外状態の議論はやや難しい感じがしていた。

    そんなわけで、その議論をより丁寧に展開、発展させたのが、タイトル通りのこの本。

    これは想定以上に驚きの説得力のある本であった。

    シュミットの概念を丁寧に読み解きつつ、ベンヤミンやデリダの議論と接続しつつ、ナチスの全体主義を法哲学的な観点から読み解いていくプロセスは圧巻である。

    そして、それはいわゆる現代思想の中にとどまらず、ローマの法律と絡ませながら、権限と権威との関係を整理し、それがまた全体主義における人間の人格からくる権威に繋がるという説明にまた驚愕してしまう。

    さらにさらに、さまざまな思想家や法学者の議論を整理して、論を進めるだけでなく、我々がまさに生きている世界の中で今起きているようなとこにも例外状態がたくさんあるという指摘も鋭い。

    アガンベンについては、最近、読み始めたのだが、想像を遥かに超えてすごい人なんだな〜と実感した。

  • ここで言う「例外状態」とは、法的例外状態のことで、法の外部でもあり内部でもあるような位地を言っている。
    が、よくあることだが、巷では「例外状態」という言葉(シニフィアン)の一人歩きが始まってないか? 法の外部が全て「例外状態」ではないし、ましてや、特殊な位置付けが全て「例外状態」なのでもない。

  • 難しい。例えるなら、知らないスポーツの解説をいきなり聞かされている感じ。
    例外状態という概念の存在に気づけただけでも良かったと思います。

  • 難しい。例えるなら、知らないスポーツの解説をいきなり聞かされている感じ。<br>
    例外状態という概念の存在に気づけただけでも良かったと思います。

  • ゼミで使用。難難難。

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著者プロフィール

1942年生まれ。哲学者。マチェラータ大学、ヴェローナ大学、ヴェネツィア建築大学で教えた後、現在、ズヴィッツェラ・イタリアーナ大学メンドリジオ建築アカデミーで教鞭をとる。『ホモ・サケル』(以文社)、『例外状態』(未來社)、『スタシス』『王国と栄光』(共に青土社)、『アウシュヴィッツの残りのもの』(月曜社)、『いと高き貧しさ』『身体の使用』(共にみすず書房)など、著書多数。

「2019年 『オプス・デイ 任務の考古学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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