とんぼの目玉―言の葉紀行

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著者 : 長谷川摂子
  • 未来社 (2008年11月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (217ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784624601096

とんぼの目玉―言の葉紀行の感想・レビュー・書評

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  • 絵本「めっきらもっきらどーんどーん」などを書かれた長谷川さんの言葉を中心にしたエッセー。
    改めて日本語についていろいろ考えたり、ほほ~と思うことも。
    たくさんの本を読んでいる人は本当に豊かだなーとしみじみ思った。

  • 大好きな「きょだいな きょだいな」「めっきらもっきらどおんどん」をつくった方。あの言葉のリズム感が楽しくて、何度も子どもたちに読んでいた。その言葉の群れの向こうで、長谷川さんはこんな風に言葉を捕まえていたんだな、と窺うことができて興味深かった。

  • 資料用 13.8

  • 言の葉紀行という副題にあるとおり、母語(?)の出雲弁のことやら、正しい日本語の話やら、言葉に関するあれこれがまとめられた一冊。

    わたしが英語を教えた六年生の恵太君という男の子は「アイ・アム・ケイタ」という言葉を復唱させようとしたら、長い間じっとうつむいて黙っていた。「どうしたの?」ときいたら、小さな声で「そんな恥ずかしいこと、言えない」とつぶやいたのである。私は感動してしまった。~外国語の本質を探りあてているように思う。外国語は吸おうとして、まったく肺に入ってこない空気だ。恵太君は「そんな変な空気、とても吸えない」と思ったのだろう。それこそ異文化、異民族体験の正体なのだ。空気の吸い方を勉強するなんて、なんて厄介なことだろう。
    しかし、バベルの塔の罰は克服されなければならない。外国語を学習するということは民族を超えて人間の普遍性を信じること、つまり言葉はちがっても、人間は人間、お互い思いは通じあう、と考えることから出発する。P15

    人間は生まれ落ちると、母から乳をもらう。それと同時に言葉ももらうのだ。「よしよし、おなかすいたねぇ」と母は言葉をかけながら乳をやる。そのとき、子どもは乳を吸うと同時に耳から言葉も吸い取って、全身にしみわたらせる。そのようにして乳幼児期に体内に入っていった言葉を母語という。P29

    「ほえらいた」の「らいた」は「られた」の穏便で、いわゆる尊敬の助動詞。出雲弁では人間の所作、動作をいうのにこの「られる」をつけていうことが多い。子ども同士では特にそうで、「ほえらいた」でもわかるように、相手への攻撃的な言葉でもこの「らえる」ははずされることはまずない。上下関係を意識する大人社会とはちがって、子どもらは互いに上に立つことも下に立つこともなかった。だから、この尊敬の助動詞は人間さま、すべてに平等に認められる権利のようなもの、という気がしていたのだ。P38

    『毎日の言葉』のなかの「どうもありがたう」という章は日本語の返還をとても自然な描写で伝えてくれて興味深い。~
    「どうも」も「とても」も「トモカク」という言葉から派生してきたものだ、という。

    言語学者田中克彦は『ことばの差別』という著書のなかでその問題に率直にふれている。
    彼はことばは「運動ぁkん書く」としてひとつの共同体に共有されるものであり、そのかぎりではどんな言葉も同党であると考える。つまり、私の言葉にかえれば、どんな地方、どんな階層もそれなりの言葉の海をもっている、ということだ。P128

    早口と同時に言葉の短縮化が次々と始まった。P163

  • 県立図書館。

  • 資料ID:W0163850
    請求記号:914.6||H 36
    配架場所:本館1F電動書架C

  • 出雲弁と東北弁が似ているというのは不思議です。 言葉に関するエッセイ。若者の言葉日本語と外国語との比較、学生運動の世代の考え方や行動はピンと来ないモノがありますが、よく勉強するんだなあ。と、感心してしまいます。

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