学力低下は錯覚である

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著者 : 神永正博
  • 森北出版 (2008年6月27日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784627975118

学力低下は錯覚であるの感想・レビュー・書評

  • 大学等の教育現場や各種メディアでも耳にする
     「大学生の学力が低下している」
     「日本の子供の学力が低下している」
    という内容を、著者が取り揃えたデータから否定してみたという本。

    著者があとがきにて触れているように「大学での議論がかみあわず、その原因はデータがないこと」という体験をもとに、それではデータを取り揃えて説明を・・・と。


    例えば大学の教育現場等での実感として「学力が低下している」のは事実で、全体の学力が「下がっている」のではなく、”少子化と大学定員数から来る必然”とデータで示しています。


    世の中の通説となりつつある認識違いを突いたという点では評価していますが、残念ながら言っていることが全て正しくて、論理展開も十分納得できるものとは思いませんでした。(本にあるデータだけでは適切な判断ができない内容もあります。ページ数の関係から敢えて不要とし省略したのだと解釈していますが。)


    重要なのは、データなどの根拠に基づく論理展開すると“人を納得させやすい”ということ。


    ロジカルシンキングを学びたい人に対して、導入のためのビジネス本としてお勧めしたいです。

  • ゆとり世代と言われた自分達の教育について学力の観点から理解してみたくなり、手に取る。

    近年叫ばれている日本人の学力低下をテストの結果だけで判断することなく、様々なデータを用いて解明し、あるべき教育システムについても述べている。

    例えば国際的学力達成度を図る調査で日本の順位が下がっていることを取り上げているが、実施国の増加を考慮しておらず、割合で判断するとむしろ学力が向上している科目すらもある。

    ゆとり教育での学力低下を大学教授が叫ぶ理由は、学校の定員が人口減少に対して調整を行っていないためであることで発生しているという見方もわかりやすかった。

    また、ゆとり教育の影響で授業の内容が削減されたことで授業の内容を本当に理解するまで教えられなくなったことを上げていた。

    他にも勉強で教えるべき科目や教える科目の順序など述べており、いちいち納得してしまった。

    本のタイトルに準拠するならば、世間で騒がれるようなことは物事の一面でしか判断していないこともあり、客観的なデータはときに思考停止に陥ることもあると改めて教えられた。

    物事の因果関係を理解するには、様々な要因を客観的、時には主観で仮説をたてて検証するなどが必要であると思う。

    もちろん教育が不完全であり学力の低下を楽観視できないことには間違いないと思うが、原因や解決策を発見するには複雑な物事のメカニズムをきちんとしたデータの扱いで行うべきである。

    本のなかでも深刻だと感じたのは、
    よく分かるという子供の割合が減ったということ。


    日本は教育に対する私費(特に高校以降)が高いということである。
    ペーパーテストで客観性を測ることを重視した偏差値を導入したことの意図は理解していないが、私見では偏差値導入がすべての根源でありそうに思える。

    偏差値を導入することで客観性は担保されるかのように見える。
    客観性は人を安心させたり説得するための手段としても用いられるため、民間や他の組織が営利目的で教育を行うために用いて参入するには数十年という期間は十分であっただろうと思う。

    大学側も偏差値で人材を判断する方がある程度効率的だろう。

    批判されている偏差値主義も、経済成長下では急速に先進国に追いつこうとするための有効な策だったのかもしれないが。

    子供の勉強に対する好奇心やインセンティブは受験に向けられてるべきではないだろう。
    それが学問のことを「よくわかる」子供を減らすことになるだろうと多くの人が言っているように思う。

  • まあまぁ。フィンランド崇拝はどうかなって思うけど。日本の教育は私費負担が大きいのはわかるけど、だからって公費で好きなだけ出せるってわけではないでしょ?
    縮小のパラドックスは理解できるし、納得。まぁ若い自分からすれば、結構馬鹿にされた感じはあるけど。

  • 長女は現在中3ですが、彼女が使用してきた教科書を見て私が30年前に使用していたものと比較すると(記憶に残っているものですが)その薄さに愕然とします。「ゆとり教育」は失敗だったと国はもう気づいていて、既に教える内容を増やそうとする試みがなされていることが、次女(現在小5)の教科書を見ると感じられます。

    従ってそれを補うために、私の住んでいる所では、殆どの人が別に塾に通っています。塾、予備校と7年間も通った私は、子供には同じ思いをさせたくないと思っていましたが、現実に長女が5年生の1月の時に気づいて、慌てて塾に通い始めさせました。

    「学力低下」は、私の中では当然のことなのですが、この本のタイトルを見て、どういう根拠で論理を展開しているのだろうと思い、手にとってみました。志願者が減っている中で、定員を一定にしていれば、学力レベルが変わらなくても、学生の学力は下がって見える(p39)というのは納得できました。

    統計の結果とは、解釈の仕方・議論の持って行き方によってはいかようにもコントロールされてしまうということを肝に銘じておく必要がありますね。また大学への進学率ですが、私の時代(1989年:男33%、女15%、合計24%)から大きくアップ(51,36,44%)している事実に驚きました。

    以下は気になったポイントです。

    ・OECDが行った学力調査は、2000,2003,2006年で母集団が変化している、全てに参加した国で比較すると、読解力:7→13→11位、数学:1→4→6位、科学:2→1→3位となり、数学以外は順位が上下している(p29)

    ・これまでと高校生の学力レベルが全く変わらなくても、大学の入学定員を減らさなければ、大学志願者が減るごとにどの大学においても学力の低下は下がる(p39)

    ・1992年から2007年までに18歳人口は1992年比較で63%にまで減少した、現在偏差値50の学生は昔で言えば偏差値42程度、この前提は大学志願者が横ばいとしている、実際は50(p41)

    ・上位者の学力分布は、正規分布ではなく、べき分布になっている、上位に行けばいくほど学力差が極端に大きく開いてくる、資産分布と似ている(私のコメント)(p42)

    ・昭和45年も平成17年も、男子の4人に1人は、工学系(25.624→25.92%)に進学している、女子も合わせると21→17%となる(p67)

    ・但し、志願者数でみると、1992年と2005年比較において、工学部志願者:66→37万、医歯薬:19→26、理:19→22万であるので工学部の人気が下がっていることは事実(p70)

    ・日本の場合、修士修了者は、その同期入社(学卒入社)の最高ランクに位置づけられるが、博士の場合には、それまでに費やした費用(2500万程度)を回収できるほどには考慮されない(p83)

    ・難易度の高い国公立大学出身者のアンケート結果から、社会科学男子の生涯年収:4.15億円、工学士男子:3.67、工学修士男:3.54、文系男子:3.53、文系女子:2.46億円である(p85)

    ・生涯年収が5000万円も異なるのは、文系において最も稼げる「金融業を含めた」社会科学系と、医学部歯学部を含まない工学系一般を比較した額である(p87)

    ・立地によって大学の人気がかなり異なってくる、年少人口比、人口比が2005/2035年比較で0.55/0.8となってしまう地域にある大学(秋田、和歌山、青森、長崎、山口、奈良、北海道、徳島、愛媛、新潟、岩手、高知)は危険な状態になる可能性が大きい(p111)

    ・科挙は、西暦587~1904年の清朝最後の年まで実に1300年以上も続いた官吏登用試験、試験内容... 続きを読む

  • 学力が低下しているから詰め込み教育を復活させた方がいいだろうか?データの意味をわかっていないとなどと間違ったことを言い出すという内容。高校卒業生の学力は低下していないのに、大学生の学力は年々下がっている。それはなぜか、という解を出す。
    http://booklook.jp

  • 作者情報:神永正博
    東北大学工学部電気情報工学科准教授、東京理科大学、京都大学大学院修士・博士課程(数学専攻)。
    東京電機大学助手を経て日立製作所中央研究所に手ICカードコンピュータのセキュリティ技術の研究開発に従事し、勤務の傍らで、大阪大学で博士(理学)取得。
    2004年より東北学院大学で数学・情報を教え始め、「日本の教育問題」に直面。
    本書は「経験」や「感覚」ではなく、客観的事実を分析する中で、「多くの人がいつのまにか根拠もなく信じていること」に対して考え直すきっかけを提示している。


    若者の学力低下が叫ばれている。

    新聞、テレビ、雑誌などの様々なメディアによって、ゆとり教育をその原因とする学力低下問題が報道され、その頻度があまりにも多いので、我々国民は「学力低下」問題を既成事実として受け入れ、その本当の原因が何か、そしてその実情がどうなっているかについて、深く考えることはなかった。
    マスコミの報道によって、いわゆる思考停止状態に陥っているのである。
    しかし、学力低下問題は本当に起こっているのか。
    そしてもし起こっているのならば、その原因、真相は何か。
    学力低下問題について考え直すのは、今が最後のチャンスである。
    なぜならば、この問題が報道されている通りそのまま真実であるとするならば、日本の将来は希望の無いものとなり、今がその希望なき将来にかすかな光を照らす最後のチャンスだからである。

    大学教授などの多くの教育従事者が、「最近の若者の学力は低下している」 「こんなことも分からない学生がいるのか」 「ゆとり教育のせいで学生はバカになった」などと、悲鳴を上げている。
    その人数たるやあまりにも膨大な数なので、少なくとも現場の教育者である彼らの 「主観的」 判断においては学力低下問題は起こっているようである。
    重要なのは、その主観的判断の裏に隠れた本質であり、「客観的」 事実としての学力低下問題とはどういったものなのか、考えてみることである。

    神永氏は、以下のような例を使って学力低下問題の本質を浮き彫りにしてくれた。

    もし今仮に、日本人の大学受験生が15人(15人の学力は、上から5分の1ずつ、つまり3人ずつの同学力のグループ5つに分けられる)しかおらず、大学はA 大学、B大学、C大学の3つ(各大学の定員は3人ずつで、学力はA大学が最も高く、続いてB、C大学とする)しかなかったとしよう。
    では今この状況で入学試験が行われたらどのような結果になるか。
    試験でどんでん返しが起こらないとすると、最も賢い3人がA大学に合格し、次の3人がB大学、次の3人がC大学に合格することになる。

    では続いて、少子化によってこの15人の大学受験生が10人に減った場合、どういったことが起こるのか。
    ここで、受験生の学力の分布は先ほどの場合と同じ(上から5分の1ずつ、つまり2人ずつの同学力のグループ5つに分けられる)であり、大学の定員も変わらずに3人ずつであるとする。
    この状況で入学試験が行われたらどのような結果になるか。
    最も賢いグループに属する2人がA大学に合格し、更に最も賢いグループよりも学力の劣る2番目のグループの学生のうちの1人がA大学に合格することになるのである。
    そしてB大学については、2番目に賢いグループの1人と、3番目に賢いグループの2人が入学することになる。
    C大学についても同様のことが起こる。

    学力低下の問題とは、客観的な数字で考えると、こういうことである。
    つまり、これまでと高校生の学力レベルが全く変わらなかったとしても、大学の入学定員を減らさなければ、... 続きを読む

  • 学力低下はおおげさである。

  • タイトルは一見、衝撃的だが、よくよく考えると当たり前のことが連ねてある本。斎藤孝氏の推薦文の通り、とかくイメージが先行しがちな問題に対し、データに基づいた議論を展開しようとしている。

    著者の主張の一つは、「たとえ高校生の学力レベルが下がっていなくても、受験者数が減少し続けている今、大学の定員を削減しないならば、どこの大学でも学生の学力が下がったように見えてしまう」ということ。(39ページ。ただし、AO入試などは除外)つまり、集団としての質は、特に劣化したわけではないと考えている。ただ、著者は、「大学生の学力が低下している原因の大部分」(94ページ)と述べていて、それがすべてではないと断っている。

    40ページの偏差値の表は結構びっくり。平成4年の偏差値と平成19年の偏差値の差がわかるようになっている。先日、最近の大学偏差値ランキング(?)を見る機会があり、各大学、昔より偏差値落ちてるなぁと思ったが、これに照らすと、落ち幅はもっと大きいということかも。

    ゆとり教育については、判断保留。「よくわかる」層と「おちこぼれ」層がともに減少したように見えるという。

    理工系・工学部離れについても興味深い議論がなされているが、省略。

  • (2008/11/19読了)

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