- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784627975118
感想・レビュー・書評
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学力低下は、「縮小のパラドックス」が原因である可能性が極めて高い。
つまり、集団全体のレベルが何も変わらない、「上澄み」の人数は減る。
それだけではないだろうが、このことが最も強く効いているのは間違いないだろう。
この手の誤解は、もの凄く多いと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
統計を使った論考
人口の減っている地域の大学は学力低下する -
大学等の教育現場や各種メディアでも耳にする
「大学生の学力が低下している」
「日本の子供の学力が低下している」
という内容を、著者が取り揃えたデータから否定してみたという本。
著者があとがきにて触れているように「大学での議論がかみあわず、その原因はデータがないこと」という体験をもとに、それではデータを取り揃えて説明を・・・と。
例えば大学の教育現場等での実感として「学力が低下している」のは事実で、全体の学力が「下がっている」のではなく、”少子化と大学定員数から来る必然”とデータで示しています。
世の中の通説となりつつある認識違いを突いたという点では評価していますが、残念ながら言っていることが全て正しくて、論理展開も十分納得できるものとは思いませんでした。(本にあるデータだけでは適切な判断ができない内容もあります。ページ数の関係から敢えて不要とし省略したのだと解釈していますが。)
重要なのは、データなどの根拠に基づく論理展開すると“人を納得させやすい”ということ。
ロジカルシンキングを学びたい人に対して、導入のためのビジネス本としてお勧めしたいです。 -
ゆとり世代と言われた自分達の教育について学力の観点から理解してみたくなり、手に取る。
近年叫ばれている日本人の学力低下をテストの結果だけで判断することなく、様々なデータを用いて解明し、あるべき教育システムについても述べている。
例えば国際的学力達成度を図る調査で日本の順位が下がっていることを取り上げているが、実施国の増加を考慮しておらず、割合で判断するとむしろ学力が向上している科目すらもある。
ゆとり教育での学力低下を大学教授が叫ぶ理由は、学校の定員が人口減少に対して調整を行っていないためであることで発生しているという見方もわかりやすかった。
また、ゆとり教育の影響で授業の内容が削減されたことで授業の内容を本当に理解するまで教えられなくなったことを上げていた。
他にも勉強で教えるべき科目や教える科目の順序など述べており、いちいち納得してしまった。
本のタイトルに準拠するならば、世間で騒がれるようなことは物事の一面でしか判断していないこともあり、客観的なデータはときに思考停止に陥ることもあると改めて教えられた。
物事の因果関係を理解するには、様々な要因を客観的、時には主観で仮説をたてて検証するなどが必要であると思う。
もちろん教育が不完全であり学力の低下を楽観視できないことには間違いないと思うが、原因や解決策を発見するには複雑な物事のメカニズムをきちんとしたデータの扱いで行うべきである。
本のなかでも深刻だと感じたのは、
よく分かるという子供の割合が減ったということ。
日本は教育に対する私費(特に高校以降)が高いということである。
ペーパーテストで客観性を測ることを重視した偏差値を導入したことの意図は理解していないが、私見では偏差値導入がすべての根源でありそうに思える。
偏差値を導入することで客観性は担保されるかのように見える。
客観性は人を安心させたり説得するための手段としても用いられるため、民間や他の組織が営利目的で教育を行うために用いて参入するには数十年という期間は十分であっただろうと思う。
大学側も偏差値で人材を判断する方がある程度効率的だろう。
批判されている偏差値主義も、経済成長下では急速に先進国に追いつこうとするための有効な策だったのかもしれないが。
子供の勉強に対する好奇心やインセンティブは受験に向けられてるべきではないだろう。
それが学問のことを「よくわかる」子供を減らすことになるだろうと多くの人が言っているように思う。 -
まあまぁ。フィンランド崇拝はどうかなって思うけど。日本の教育は私費負担が大きいのはわかるけど、だからって公費で好きなだけ出せるってわけではないでしょ?
縮小のパラドックスは理解できるし、納得。まぁ若い自分からすれば、結構馬鹿にされた感じはあるけど。 -
長女は現在中3ですが、彼女が使用してきた教科書を見て私が30年前に使用していたものと比較すると(記憶に残っているものですが)その薄さに愕然とします。「ゆとり教育」は失敗だったと国はもう気づいていて、既に教える内容を増やそうとする試みがなされていることが、次女(現在小5)の教科書を見ると感じられます。
従ってそれを補うために、私の住んでいる所では、殆どの人が別に塾に通っています。塾、予備校と7年間も通った私は、子供には同じ思いをさせたくないと思っていましたが、現実に長女が5年生の1月の時に気づいて、慌てて塾に通い始めさせました。
「学力低下」は、私の中では当然のことなのですが、この本のタイトルを見て、どういう根拠で論理を展開しているのだろうと思い、手にとってみました。志願者が減っている中で、定員を一定にしていれば、学力レベルが変わらなくても、学生の学力は下がって見える(p39)というのは納得できました。
統計の結果とは、解釈の仕方・議論の持って行き方によってはいかようにもコントロールされてしまうということを肝に銘じておく必要がありますね。また大学への進学率ですが、私の時代(1989年:男33%、女15%、合計24%)から大きくアップ(51,36,44%)している事実に驚きました。
以下は気になったポイントです。
・OECDが行った学力調査は、2000,2003,2006年で母集団が変化している、全てに参加した国で比較すると、読解力:7→13→11位、数学:1→4→6位、科学:2→1→3位となり、数学以外は順位が上下している(p29)
・これまでと高校生の学力レベルが全く変わらなくても、大学の入学定員を減らさなければ、大学志願者が減るごとにどの大学においても学力の低下は下がる(p39)
・1992年から2007年までに18歳人口は1992年比較で63%にまで減少した、現在偏差値50の学生は昔で言えば偏差値42程度、この前提は大学志願者が横ばいとしている、実際は50(p41)
・上位者の学力分布は、正規分布ではなく、べき分布になっている、上位に行けばいくほど学力差が極端に大きく開いてくる、資産分布と似ている(私のコメント)(p42)
・昭和45年も平成17年も、男子の4人に1人は、工学系(25.624→25.92%)に進学している、女子も合わせると21→17%となる(p67)
・但し、志願者数でみると、1992年と2005年比較において、工学部志願者:66→37万、医歯薬:19→26、理:19→22万であるので工学部の人気が下がっていることは事実(p70)
・日本の場合、修士修了者は、その同期入社(学卒入社)の最高ランクに位置づけられるが、博士の場合には、それまでに費やした費用(2500万程度)を回収できるほどには考慮されない(p83)
・難易度の高い国公立大学出身者のアンケート結果から、社会科学男子の生涯年収:4.15億円、工学士男子:3.67、工学修士男:3.54、文系男子:3.53、文系女子:2.46億円である(p85)
・生涯年収が5000万円も異なるのは、文系において最も稼げる「金融業を含めた」社会科学系と、医学部歯学部を含まない工学系一般を比較した額である(p87)
・立地によって大学の人気がかなり異なってくる、年少人口比、人口比が2005/2035年比較で0.55/0.8となってしまう地域にある大学(秋田、和歌山、青森、長崎、山口、奈良、北海道、徳島、愛媛、新潟、岩手、高知)は危険な状態になる可能性が大きい(p111)
・科挙は、西暦587~1904年の清朝最後の年まで実に1300年以上も続いた官吏登用試験、試験内容は四書五経に関するもの(p119)
・初等教育から大学院まですべてを含めた教育費において、私費負担が最も多いのは韓国、次いでアメリカ、日本、ニュージーランド、メキシコ、イギリスである(p127) -
学力が低下しているから詰め込み教育を復活させた方がいいだろうか?データの意味をわかっていないとなどと間違ったことを言い出すという内容。高校卒業生の学力は低下していないのに、大学生の学力は年々下がっている。それはなぜか、という解を出す。
http://booklook.jp -
学力低下はおおげさである。
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200904