- Amazon.co.jp ・本 (94ページ)
- / ISBN・EAN: 9784634342101
作品紹介・あらすじ
明治以来、日本がヨーロッパから学んだものは、技術中心の近代文明であった。人びとは、物質的な豊かさに達することによって精神的な豊かさを手にすることができると信じてきた。しかし、その豊かさを体験した今、人びとが手にしたのは心の荒廃であり、心の貧しさでしかなかった。今こそ私たちは、ヨーロッパの社会と文化を支えてきたキリスト教の精神に注目すべきではないだろうか。中世の修道士たちが聖書をいかに理解し、生きてきたか。その具体的な姿を時代の変化を通して描き、ヨーロッパの心を探究する。
感想・レビュー・書評
-
キリスト教のいう禁欲の本来の意味は、「目的のために集中する」ことだった。
聖ベネディクトゥス(480~550頃)
「西欧修道制の父」「ヨーロッパのパトロン(保護者)」
『聖ベネディクトゥス戒律』
ローマ帝国崩壊後のヨーロッパでは、この聖人の生き方そのものが、ヨーロッパ文明の源を発見させ、彼の生き方によりヨーロッパ文明が設計された。
はじめ修道院で重視されたのは、聖書を読む能力だった。
「国王や諸侯からなる貴族たちは、かつては異教的なカリスマに支配と要求の根拠を置いていたが、キリスト教へ改宗したのちは、政治的な立場を新しい宗教によって正当化することになった。」p.29
聖アウグスティス『告白』
ル・ゴッフ『煉獄の誕生』
スタンダール『パルムの僧院』
ただひたすらに福音書とキリストの生き方を追い求める人も入れば、教会の影響力と権力を行使して富をため込む人もいて…キリスト教も仏教もそんなに変わらないな。たぶんイスラム教もそうだろう。
トマス・アクィナス
「中世ヨーロッパの社会では、人々の病気の原因は罪の結果であり、したがって病気は罰とみなされる一面、他方では病人が床に伏せるということは神の試練として、つまり恩寵、選ばれた者の印として考えられていた。病院とは何よりもまず霊による聖別の場であった。(中略)
貧者と病人はキリストとともにあり、だからこそ病人や貧者に奉仕することは救いにあずかる最も近い道・方法と考えられていた。」p.82詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
・禁欲とは、ギリシア語で「アスケーシス」という。われわれ日本人にとっては、この漢字から受ける印象は、「欲を禁ずる」という極めて消極的な態度を連想する人も決して少なくない。したがって、自らの欲望を抑えて、積極的にはなにもしないことを想像する人もいるに違いない。しかし、この言葉の本来の意味は、「体を動かしてする訓練やトレーニング」のことで、わが国でもよく知られたドイツの宗教社会学者マックス・ウェーバーの名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のなかでもしばしば使用される「活動的な禁欲」という言葉からも理解されるように、極めて行動的な生活態度であり、行動様式を意味する。たとえば、マラソン選手がレースに勝つために他のすべてのことを忘れてひたすらゴールをめざして走る、このような生き方つまり行動様式をアスケーシスという。したがって、禁欲とは決して否定的なものではなく「極めて積極的な目的のために集中する」ことを意味する。
・「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人びとに施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、私に従いなさい」 -
w
-
修道院の歴史の整理に良い。
-
ヨーロッパにおける修道院の移り変わりがよく分かる。淡々と書かれているので面白みはあまりない。
-
物事の一つの結果には必ず外的要因と内的要因とがあり、従来の歴史教育では経済的・政治的な背景からの外的要因に主眼がおかれどちらかというと内的要因は無視されてきました。この本では、修道会の誕生から、修道会の代名詞とも言えるベネディクトゥス修道会、クリュニー修道会、シトー派修道会、托鉢修道会(ドミニコ修道会やフランチェスコ修道会)、騎士修道会(ヨハネ、ドイツ騎士団、テンプル)について教会内、キリスト教内からの刷新運動や個人の神へのあこがれという点から主導会を概観しています。こういう視点は逆に新鮮で面白く読むことができました。ただ、最初に述べたとおり物事への2方面からのアプローチのうち1つからしか述べてないので紙幅とともに内容も薄いのが難点です。