宗教改革とその時代 (世界史リブレット 27)

著者 :
  • 山川出版社
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  • Amazon.co.jp ・本 (90ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784634342705

作品紹介・あらすじ

「宗教改革」といえば、普通、ルターやカルヴァンの名があげられ、イギリス国教会の成立などと合わせて、十六世紀前半の歴史的事件として取り扱われることが多い。しかし実際は、宗教改革は十七世紀半ばまで続く長期的闘いであった。しかもそこで闘っていたのはプロテスタントとカトリックだけではない。出現しつつあった主権国家同士、また主権国家と教会が、自らの生存をかけて闘いを繰り広げていたのである。宗教改革の世俗的側面に眼を向け、その思想的基盤や文化とのかかわりを明らかにして、宗教改革の全体像に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • ・しかしプロテスタンティズムの聖書中心主義は、単なる神学上の問題や聖書研究の方法上の問題にはとどまらなかった。というのもプロテスタントは、自らが敬虔な生活を送っているかどうか、いつも良心にかけて点検しなければならなかったからである。カトリック教会にあっては、ミサや告解などの秘蹟が、罪の赦しを保障していたのにたいし、プロテスタントはそのような万能薬をもっていなかった。そして自らの良心の導きとなるのは、聖書をおいてほかにはなかった。したがって敬虔なプロテスタントにとって、聖書を読むということは、自らの欠くべからざる信仰生活の一部となった。

    ・これまでなんとなく宗教改革を近代社会に結びつけて理解する傾向があったとすれば、それは過去をすべて進歩勢力と反動勢力のあいだの闘いと見なす歴史的思考に由来している。その前提となっていたのは、「ルネサンス=進歩、中世=反動」であり、同様に「プロテスタント=進歩、カトリック=反動」であるという図式的理解で、それが暗黙の了解となっていたのである。多くの高校の世界史教科書において、「ルネサンスと宗教改革」という項目が立てられているのは、このためにほかならない。そのうえ「新教」「旧教」という表現が、新しいものこそ進歩をあらわし、古いものは反動をあらわすと理解されたので、なおさら誤解を増幅させることになった。

  • 宗教改革について、世界史で習った断片的な知識 -- ルターの95カ条の論題、贖宥状の乱発、教会の腐敗しか知らず、もう少しちゃんと勉強したいと思い読んでみた。

    思想的には日本の浄土宗にも似た救済観があったとか、時代背景的には主権国家の誕生と密接につながった動きだったということが興味深かった。宗教改革を100年に及ぶ歴史の流れとしてとらえることができた。

    90ページで簡潔にまとまっていてよかった。

  • これは、とても良かった。

    とても分かり易いし、プロテスタントと産業革命(資本主義)の関係とか、イギリス正教会と王族との在り方とか、宗教と国の治め方とか、世界史で習ったことを一歩踏み込んで書いてあるところが、すごく興味深くて読み行ってしまった。

  • カテゴリ:教員著作物
    史学科:小泉徹教授の著作物

  • 宗教改革を政治史を中心にまとめたブックレットである。宗教改革を「アウクスブルクの宗教和議」(1555年)で終わったとせず、ウェストファリア条約(1648年)まで続く長期の過程としている。プロテスタントが単なる「異端」に終わらなかったのは、ハブスブルグ帝国など、当時勃興してきた「主権国家」が、君主の家計と切り離された「国家予算」を必要とし、教会や修道院の財産を没収したかったのだが、この理屈づけをプロテスタントの教義が提供したからである。これがこの本の要点であろう。贖宥状(免罪符)にも理があり、カトリックとプロテスタント、どちらが教義上正しいとも言えず、当時のカトリックの腐敗が他の時代と比べてひどいわけではない(要するに教皇庁はずっと腐敗していたのだ)。プロテスタントの思想としては、積善説の否定、信仰義認(人間の弱さの認識と福音の再発見)や予定説(救済される人間は決まっていて人間にできるのは世俗の職業にはげむこと)、アルミニウス主義(人間は救済を拒否して堕落する自由をもつ)、聖書中心主義などをあげている。著者の専門から、とくにイングランドの改革に詳しく、トマス・クロムウェル(オリバーじゃない)の弾圧で1540年にすべての修道院が解散させられ、土地は没収・転売され、比較的慈悲深い修道院の地主から、ビジネスライクな地主にかわって、農民は負担が上がったこと、これらの地主からジェントリーがでてくることを指摘している。また、プロテスタントの極端な儀式批判についても書いてあり、「陰鬱な日曜日」(神を思うこと以外を禁止)、祭礼と関係のあった伝統演劇の消滅(シェイクスピアの出現と関係あるか)、クリスマス禁止などの「粛正」も指摘している。この結果、イギリス国教会では教会に通う「敬虔な人々」と、酒場に通う「呪われた人々」に両極分離した。イグナティウスのイエズス会を中心として、「カトリック宗教改革」(対抗宗教改革)も書いている。カトリックが腐敗していたのは事実なので、教会は自分で正そうとするが、宗教改革のせいで教会財産が没収され予算がない。また、人文主義の影響をうけた聖職者、ガスパーロ・コンタリーニ、レジナルド・プールが教会の腐敗を調査し、『教会改革に関する勧告』を提出するが、プロテスタントの利用するところとなり、敵に塩を送ってしまった。ここに、カトリックの自己改革は頓挫し、イエズス会によるプロテスタントの再改宗という直接的反撃にでたのである。イエズス会の教育はプロテスタントもしのぐものであり、『学事規則』(1597年)は近世教育史に名をとどめているそうである。カトリックは腐敗もするが、一方で柔軟・寛容でもあり、海外宣教をし、異文化理解を準備するなど世界文明にたいする貢献も多い。南米など植民地の立場からの「解放の神学」も基本的にカトリックの思想から発展した。プロテスタントは産業資本主義と結合し、現代でも「グローバリズム」として異文明と対立しており、そのキリスト教的選民思想はナチズムを準備することになってしまった。王権神授説というのは、教会を媒介せず、君主が直接神から王権を授かったという理論である。と指摘している。

  • 宗教改革の意義がよくわかる本。

  • これまで宗教改革に対して教科書的な理解しかなかった自分にとって、
    その本質を分かりやすく指摘するこの本は非常に参考になるものでした。

  • ●構成
    宗教改革への視点
    宗教改革と国際政治
    宗教改革の思想的基盤
    宗教改革と主権国家
    宗教改革と民衆文化
    周辺地域での宗教改革
    カトリック宗教改革
    宗教改革の再評価
    --
     本書は、宗教改革という世界史上のトピックについて、宗教改革そのものより、宗教改革の背景を中心にとりあげる。その前提として、免罪符の販売とそれに続くルターの「九十五カ条の論題」から始まる宗教改革の終わりを、旧来の説では1560年ごろとされていた点について疑義を唱え、カトリックとプロテスタントの対立、およびブルボン家とハプスブルグ家の対立という縦横の軸で捉えることが出来る三十年戦争の終結まで続いたとする。短期的・一時的な出来事ではなく、100年をこえる長期的・持続的な変革運動なのである。
     カトリック聖職者の腐敗や権力闘争への批判として立ち上がったプロテスタントであるが、必ずしもプロテスタントがカトリックに勝っていたかというとそうではない。プロテスタントは国への帰属意識を醸成したが、一方で厳格的な態度が民衆文化としての様々な慣習、儀礼などを異教的なものとして駆逐することとなった。その点においてはカトリックの方がよほど寛容であった。また、プロテスタントとの抗争を経たカトリック自身にもイエズス会のような改革派が現れた。
     現代日本で生きる我々にとってはいまひとつ馴染みの薄い宗教論争が、何故発生しどのように推移したのかを概観できる。
    --
    【大学図書館】

  • 大学のゼミの先生が書かれた概説書。
    とてもわかりやすく面白いです。
    先生にもこの本にも大変お世話になりました・・・。

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