世界史における時間 (世界史リブレット 128)

著者 :
  • 山川出版社
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感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・本 (90ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784634349667

作品紹介・あらすじ

キリスト紀年はなぜ世界共通紀年となることができたのだろうか?「もっとも強いもの、賢いものが生き残るのではない。変化に柔軟に対応できるものだけが生き残るのだ」という格言は、ダーウィンに仮託して流布しているが、その好例がキリスト紀年であるといえるだろう。

感想・レビュー・書評

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  •  普段特に気にすることなく使っている"西暦"の歴史。この西暦はキリスト年紀でもあるが、その発想がキリスト教を迫害していたローマ皇帝からもたらされたものというのが面白い。そのキリスト年紀が歴史の記述に使われるようになり、紀元前が発明され、世界に広がり受け入れられていく様子が描かれている。それぞれの国に暦はあり、また、キリスト教を起源に持つということで導入に際しては宗教色を消すよう注意がなされており、AD、BCという表現を止めようという動きがあるなど現在も多少の混乱が残っている。では日本はというと、導入時には多少の混乱はあったり、他の非キリスト教国と同様に宗教色を消すような取り組みはされているようだが、キリスト教であるとかはどうでもよく、"日付の書き方の決まり"として受け入れているようにも思える。新年の儀式を新暦に移した一方で、吉良邸討ち入りは日付に重きを置いて12月15日のままにするなど柔軟な対応をしており、やはり単なる日付のルールとして受け入れたと考えてよいのではないかと思う。まぁ、討ち入りについては季節が冬ということでそれほど違和感がないのもあるかもしれない。

  • SMb

  • 自分が当たり前だと思っていたことが世界では当たり前じゃない!という驚き。暦のことなどこんなに考えたこともなくて、へぇー!って思うことがたくさんありました。
    でも1番ビックリはアラビア数字はインド産ということ。あとローマ数字の複雑さ…。
    そしてどこが紀元か明確な決まりがないのなら受験で年号暗記する意味って…と思ってしまった…!
    私には難しい話もあったけどなかなか面白かったです。

  • キリスト紀元がヨーロッパ市民に広まったのは意外にも16世紀ごろからなのだとか。それまではオリンピック○○回目の二番目の年とか、15年ごとの徴税サイクルにあわせてとか、そういう紀年法が用いられていた。
    キリスト教徒(教会)も、最初はキリスト生誕の年ではなく、ディオクレティアヌス帝の大迫害の年から数える方法を用いていた。6世紀頃キリスト生誕の年を使うことが提案され、10世紀頃教会で広く使われるようになった。
    その後の歴史を通して、キリスト紀年は宗教色を消していく形で世界中に広まっていく。

    「紀元前」という考え方は画期的。それ以前の学者は、世界のすべてが始まる前を、紀元一年に設定すればよい、とか考えていた。

  • 歴史を学び始めるにあたり、子供たちがまずあたる最初の壁、それが“時間”です。紀元って何? 元号って? 今年は2013年でもあり25年でもある、1989年って昭和64年でもあり平成元年である、そもそも元年って何で1年と書かないの? 紀元前の話をしたら高校生でもおそらく3割くらいは分けもわからず卒業してきます。西暦元年が西暦1年と同じならば、この1年前は0年じゃないの? 紀元前って何? 「紀元前11世紀に殷が滅んで周が成立した」なんていわれてもぴんと来ない・・・。今21世紀というけれども、21世紀は2001年~2100年までと正確に言えない人は結構います。
    世界史の問題で同時代に世界各地で何が起こっているのかを問われる問題を一番苦にしている生徒もかなり大勢います。英仏百年戦争と室町幕府の成立がほぼ同じ時期、百年戦争の終了とビザンツ帝国の滅亡が同じ年なんていわれてもなかなか難しい問題です。
    時間を正しく認識するのに苦慮したのは何も現代の学生だけではなく、古来からの人類の課題でした。そのため、世界中でさまざまな紀年法が編み出されては消えていきました。今現在、地域や民族・国を超えて使用されているのがグレゴリオ暦とイスラーム暦(ヒジュラ暦)くらいかもしれませんが、日本の元号法や台湾の中華民国暦をあげるまでもなく、意外とさまざまな国や地域で独自の紀年法は命脈を保っています(「紀年が一つしかないキリスト教圏の国々が特別なのであって、自分の文化に深く根ざした固有の紀年と、世界共通紀年という複数の紀年が、現代の諸国家における紀年意識の基盤には存在している(36頁)」)。
    しかし、世界史を理解するためには、筆者が「世界史というのはこの地球上の歴史的できごとが一つの時間体系のなかに換算され再整理されてはじめて成り立つものである。世界史が成立する必要条件は、世界の歴史を一つの時間軸で並べなおす、基軸時間とでも呼ぶべき時間が存在してはじめて可能といえる。」というとおり、我々はこの問題を避けては通れません。その中で最も対応力があったのがキリスト紀年で、「キリスト紀年のように、歴史の通過点のある年を基準年としてそれ以前に遡り、またそれ以後に時を進めていくという時間のとらえ方(42頁)」は「過去に向かっても未来に向かっても無限に時間を数えることのできる(51頁)」ことから他の(例えば神が人類や世界を作ったとされる年を基準にするよりも)汎用性があり、また年初を1月1日に固定したこと(これはヨーロッパでも16世紀後半からであり、キリスト教世界で最終的に統一されたのが18世紀半ばという)によってキリスト紀年は世界共通紀年に成り得た、ということです。またキリスト紀年は“起算年であるキリスト元年はじつはキリストが生まれた年ではない”し、“(ヘブライ文化でもギリシア・ローマ文化でもないアラビア数字で表記されており”、そのアラビア数字も“じつはインドで発明されたもの”であるから“現行の4桁のアラビア数字による紀年表記は世界中の英知の結晶”であり“キリスト紀元は宗教的にはすでに自己否定的な紀年法となっている”ため宗教性に関しても問題ないと筆者は述べています(82~84頁)
    「「もっとも強いもの、賢いものが生き残るのではない、変化に柔軟に対応できるものだけが生き残るのだ。」これはダーウィンに仮託して世界に流布している格言であるが、キリスト紀年こそまさにこの典型ではないかと私は考えている。6世紀に生まれたキリスト紀年は、千数百年の歴史のなかで、時代の要求に応じてその身を順庵に変化させることで現在まで使われつづけ、いまや世界の共通紀年として使用されているのである。(84頁)」
    以下備忘録
    ・(太陰暦のイスラームの暦では)1日は午後6時半前後から始まり翌日の午後6時半前後に終わる。そのため午前0時に1日が始まる現在の世界共通の日付とは異なる。
    ・(旧暦の明治5年12月3日をもって明治6(1873)年1月1日にするという、日本において太陰暦を廃止して太陽暦を導入する)改暦を断行したのは当時参議を務めていた大隈重信である。・・・当時の明治政府は財政状況が困窮を極めていた。旧暦のままでいると明治6年は閏月のため1年が13カ月となる。当時すでに月給制を導入していた役人への給料支払いを1回多くしなければならない。ところが欧米諸国が 採用しているグレゴリオ暦を導入すると明治5年の12月3日が明治6年の1月1日となる。12月は2日間だけなので12月分の給料は払わないことにし、グレゴリオ暦には閏月が存在しないため明治6年の給料支払いは12回で済むので、政府としては財政の節約ができると考えたようである。
    ・(中国では「1949年9月21日、毛沢東は中華人民共和国成立宣言文のなかで、「世界の大多数の国家と同様の年号を決定する」として、キリスト紀年を「公元」という名称で導入することを宣言した(74頁)」が、「ほとんどの歴史家や学生はこれがキリスト紀年に由来するということを知らない。私(著者)の推測では、コミンテルンをとおして、ソヴィエト連邦の使っていた「われらが年代」という紀年表記を「公元」という訳語で表現したのではないか考える(表記ママ)。だから、そのもう一つ遡ったもとの紀年表記はキリスト紀年に由来するのだという意識が希薄なのではないだろうか。(75頁)」

  • おもしろかったです。キリスト紀年が世界に広がっていったのは、(1)地質学の発達の結果明らかになった、創世年紀に世界が存在していたという新たな知見にも「紀元前」という表現で対応できたこと(つまり近代科学の発達と親和性をもっていたこと)、(2)1年のはじめを1月1日に固定したこと、などを挙げている。

    「1年のはじめが1月1日とは限らない」という指摘は、「現在当たり前と思っている感覚は、歴史をみてみると必ずしもそうではない」ということを教えてくれる好例だろう。勉強になりました。

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