世界史の教室から

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著者 : 小田中直樹
  • 山川出版社 (2007年6月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (182ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784634640276

世界史の教室からの感想・レビュー・書評

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  • 最初は世界史をいかに高校の教育現場で教えられているか、そしていかにして教えることが大切なのか、ということを書いてある本だと思っていたらば、それは主たるテーマではなかった(そういうことも書いてあるが)。

    「歴史はいかに語られるべきか」という問題を設定し、高校の教育現場で生徒に面白いと評価された先生のインタビューをもとに、そこからさらに(1)歴史のなかの「因果」をいかにたどるか、(2)いかに他者に接近することができるか、という問題を抽出し、その回答へ接近しようとしていく。

    (1)歴史のなかの「因果」はいかにたどりうるか―すなわち史実にいかに迫るか―という問題については、対象に対し仮説を立て、それに基き対象の原因を探求し、間違っていたら仮説は修正する。また、探求のプロセスをつねに他者とのコミュニケーションにひらいておき、他者からの疑問・批判に応答し、場合によっては自らの探求のあり方を修正する。それがすなわち、自然主義的とも、歴史主義的とも異なる、「ウェーバー・ドレイ・スコチポル・リッカート型」ともよぶべきアプローチだそうだ。

    こうやって書くと、歴史学の手法を学んだ者にとってはこれはごく当たり前のことのような気もするけれど・・・。でも、わざわざこういうことを書かないといけないということは、歴史学をとりまく現状は「物語」論や言語論的転回のせいで、なかなかこういう「ウェーバー(略)型」アプローチは理解されていない、ということなのだろうなあ。

    (2)いかに他者に接近することができるか、という問題。あまりこういうことを真面目に勉強したことがないので、新鮮な興奮をもって読むことができた。他者理解は国や文明のレベルではなく、個人のレベルでしか行われないという話は、なるほどという感じだ。

    まず集団的アイデンティティの許容範囲について、「集団的アイデンティティを、当該集団のメンバーから異論が生じるのを妨げる方向にはたらく「対内的制約」と、当該集団の外部におけるなんらかの決定がもたらすインパクトから当該集団を守る方向にはたらく「対内的制約」に区別し、絶対的に承認ないしは尊重されるべきは後者だけ」(p141)とまとめられたキムリッカの所説を引用している。まあ、これもまた「対内的制約」「対内的制約」の境界線はどうなんだという疑問はあるような気がするけれど、とりあえず「対内的制約」のカテゴリを設けることで、残りは個人の次元でアイデンティティを議論しようね、ということになっている。「個人の次元で他者を理解するにはどうすればいいか」という課題、これは僕も同感である。

    ただ「世界史を高校でいかに教えるか」という課題に対してはおそらくほとんどこの本は役に立たないのではないだろうか、という気もする。もともと面白い授業をする先生を探す調査がまずかなり偏差値の高い大学であること、そこから思うに、アンケートの対象になった先生も進学校の先生ではないかと思われるからである。先生とコミュニケートする能力がそもそも無いような生徒を相手に、広い知識と歴史学的知識を持っているとは限らない教員が、この本で展開されているような「歴史はいかに語られるべきか」という問題に接近しうるのだろうか?という疑問がどうしても残った。

    けれど、最初に書いたように、これは世界史の授業を展開している現場から「歴史はいかに語られるべきか」を考える本なのだから、今書いたような疑問を提示することはフェアではない、という気もかなりする。

    また、(1)歴史のなかの「因果」をいかにたどるか、(2)いかに他者に接近することができるか、という問題に対してさまざまな論者の議論が引用されている。相変わらずものすごい読書量で圧倒されまくり。けれど、この問題こそ具体的な史実を駆使して説明されるべき問題なのではないのかなあ、という気もする。まあこれも、「歴史はいかに語られるべきか」を考える本なのだから、言うだけ見当違い、という気もかなりするけれど。

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