空へ―「悪夢のエヴェレスト」1996年5月10日 (ヤマケイ文庫)

  • 山と渓谷社
4.23
  • (34)
  • (23)
  • (10)
  • (1)
  • (2)
本棚登録 : 308
感想 : 28
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784635047517

作品紹介・あらすじ

1996年5月10日、日本人女性第2登を果たした難波康子をはじめ6人の死者を出した遭難事故がエヴェレストで発生した。アメリカのアウトドア誌のレポーターとして、公募登山隊の実態をレポートするために参加した著者が、たまたま事故の当事者となり、生存者の証言など徹底取材のすえに著した山岳ノンフィクション。世界15カ国で出版、ベストセラーとなった。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 翻訳に少し読みづらさがあるが、内容には圧倒された。いつかエベレストを間近に眺めたい。登りたいと、軽々しくは言えない。

  • 小さな満足がいくつも重なって幸福めいたものになっていき、ひとことでいえば、クライミングに対する飢餓感がすっかり鈍っていた。

  • 映像をみた後に一気読み。おそろしい!人間が、山が。(でも、人間も山も好き。)作者はこの作品を書き終えた後、自責の念は薄まったのだろうか?もう一度映像を観なおしたくなった。

  • 1996年のエベレスト大量遭難の記録。あの年、エベレストでは12人が亡くなった。
    遭難の一番の原因は天候の悪化。とはいえガイド、シェルパ、顧客、登頂を望む人たちにはそれぞれのバックボーンと性格があった。人災ともいえる、細かな理由が積み重なってあの惨事になったということがよくわかる。

    ロブとスコットがライバル関係にあり、顧客の登頂を競ってなければ。
    ガイドのロプサンやスコットが疲弊してなかったら。
    ダグが去年エベレストに敗退して、ロブがそれに同情してなかったら。
    台湾隊が日程を無視したために渋滞が起こってなかったら。南アフリカ隊がもっと救助に積極的だったら。
    ロブホールが「まとまって行く」と決めたために、先へ行く人たちが待つことになり、そのための体力の消耗。

    作者もまた、ガイドのアンディの知力が落ちているということに気づかなかったこと、帰り道に別人をアンディと誤認するというミスをおかす。
    そして、作者は、テントに戻ってからは一度も救助に加わっていない。(個人的に…彼はそのことから目を逸らすために、ことさらに南アフリカ隊や台湾隊、日本隊の卑怯さを強調し、後に救助に加わったアイマックス隊などを賛美しているようにも思える。)

    最大の失敗は、2時になったら引き返すという決まりを守らなかったということになるのだろう。時間を守って登頂を断念した数名は助かったのだから。
    「引き返す勇気」というやつだ。

    作者はロブホール隊で、登頂して生還した唯一の顧客。作家として何か持ってるのだろう。
    救助に行かなかったことを批判されているけれど、彼は「生きて帰ってこれを書かねば」と思っていたのではないか。彼は命も指も失えない。その判断は責められないと思う。

    日本人としての不満は、北陵で日本の福岡隊がインドの遭難を見殺しにしたと批判していること。
    作者はインド隊だけの主張を書いている。福岡隊にもインタビューしろとは言わないけど、その後福岡隊がインド隊に抗議して、インド隊が福岡隊に謝罪したという事実くらいは書いてほしい。
    アナトリの本は片方からしかインタビューしてないと非難するのは「おまいう」だよ。(自分も救助に行かなかった癖に…と、これは言ってはいけないことだが)

    そして、極限の状態で人のために動く人たちには頭が下がる。
    ダグを見捨てないロブホール、何回も救助に向かうガイドたち、迷っている人のためにキャンプで大きな音を出そうと提案するハッチソン。特にスチュアートハッチソンは、地味に意思が強くて好き。


    こうしていればよかったのに、とは、その場にいないから言えること。
    文章には又聞きではない迫力があり、痛ましいけど面白いです。

  • 1996年5月10日にエベレストで起きた大量遭難事故。

    エベレストに向かうまでの参加者の動機から如実に書き記されていた。緻密なインタビューに基づいて、一つ一つの描写が詳しく記されている。

    登場人物、感情、情景に対する主観と客観が入り交じった描写によって、場面場面を体験しているかのような臨場感ががありました。迫力凄かった。

  • 良きリーダーとは何か、自分がその立場だったらどう振舞うかについて考えながら読めた

  • 1996年5月にエベレストで起きた大量遭難事故の詳細。
    筆者自身が登山家であるため、山での描写が非常に詳しくリアルで、自分も作者と同じ場所にいるような気持ちになった。
    悲劇が待っていることはわかって読んでいたが、先が知りたくて一気に読んでしまった。
    この本を読んだらエベレストなんて絶対に登りたくない、と思うので、いや、読まなくても、簡単な山ではないことは知っているので、エベレストに登頂したいという人が数多くいることが理解できないが、読んでいる最中にインターネットで検索してみたら、今でも数多くのエベレストへの商業登山ツアーが存在することを知り驚いた。
    冒険ではない登山を登山と見なさない人たちも、今もたくさんいて、それでも死亡事故のニュースはあまり聞かなくなったので、商業登山もいろいろ改善されてきているのだろう。

  • 1996年エベレストで起きた大量遭難死事故の現場に居合わせたルポライターが書いた実話である。
    実際に何人もの人が死んでいるため、この表現は不適切ではあると思うが、とても面白い、というのが正直な感想。
    ハラハラドキドキでページを捲り、結末を知っているがゆえに、死に繋がる悪手の判断をする場面では、天を仰ぐことが何度もあった。
    死が目前にきている極限状態であっても、人は他人のために行動する、そのことが胸を打ち、感動する。
    事実、ガイドのロブホールは、顧客(仲間)を見放して下山していれば、生きて還ってきていただろう。
    だが、それを選ばなかった。

    複数の隊が同じ日に頂上攻撃を行い山頂付近で渋滞し体力を消耗したこと、ライバルの公募隊に負けたくないという気持ち、前年に山頂目前で撤退したダグハンセンへのロブホールの同情、いろいろな要素が重なり、この遭難事故は、起こるべくして起こったことが分かる。

    登場人物の性格や背景や関係性が詳しく書いてあるため感情移入しやすく、エベレストという過酷すぎるほど過酷な環境も詳細に描かれている。
    人間ドラマとしても読み応えがあるし、エベレスト登山とはどういったものかを知るためにも非常に良い本だと思う。

  • デスゾーン、映画エベレストと合わせて非常に読み応えがかった。

    印象的だったのは、クラカワー自身のアンディへの無念
    アンディ自身は実際に非常に追い込まれていて、チームとしたらクラカワーはヘルプに回れる側ではあっただろう。

    また、ロブがダグに時間切れを告げられなかったのは、情、といっていいだろう。
    あのシチュエーションで頂上を目前に引き返せるだろうか。


    商業隊というビジネスモデル自体にどこかに無理があったのだろう。そして破綻したビジネスモデルは悲劇を招く。

    恐らく、顧客が多すぎた、値段が安すぎたのは言えるだろう。
    死亡率を考えると、マンツーマン、成功報酬型が現実的だった?

  • エベレストで起こった遭難の悲劇の当事者として、その渦中にいた著者が、真実を丁寧に伝えるために書いた本だ。当然、そんな経緯の著書なので、批判にさらされることもあった。著者は出来るだけ登場人物に敬意を表しつつも、真実を伝えることに気を使ったろう。高度8000mを超えると、そこからは一挙手一投足に死を左右する判断をしなければならない。それも、低酸素で思考力がままならない状態でだ。エベレストを目指す人は、半分、いや半分以上がエベレストに取り憑かれた人で、登山に命をかけている感じだ。そんな人に、頂上を目前にして、危険だから引き返すべきだ、との判断を下すのは並大抵のことではない。登る勇気より、下る勇気の方がとてつもなく大きいと感じた。8000mを超えると最終的には誰にも自分の生死の責任は取らせられない。それが、登山の案内人のシェルパにも、登山隊長にも。そう感じた。

  • 映画で初めて、エベレストの事故を知った。エベレストの過酷な環境および、事故の前後を詳細に記述されており、エベレストに登るくらい息苦しい。
    再度読みたい。

  • 数々の登山家を魅了してやまない世界最高峰のエベレストを舞台に、登山のプロフェッショナルでなくても多額の金さえ払えばエベレスト登頂をアシストする公募登山隊の実態を取材するために登山に同行した著者が目にしたのは12人もの死者を出し、エベレストの登山史史上で最悪とも言える悲劇であった。

    著者のジョン・クラカワーは自らも登山を愛好するルポライターとして、公募登山隊の実態を把握すべく、一人のメンバーとしてエベレスト登頂に参加する。夢のエベレスト登頂を目指して集まった多国籍なメンバーや、同時期に登頂する他の公募隊たちとベースキャンプなどでジョン・クラカワーは親交を深めていく幸福なシーンが前半は続く。

    彼らが悲劇に見舞われるのは後半、ベースキャンプを離れて山頂を目指す工程である。予期せぬ悪天候の中で一人、また一人と倒れていき、ジョン・クラカワーが参加した公募隊で生き残ったのは彼を含めて半分のメンバーのみ。空気の薄さ、マイナス数十度になる寒さと猛吹雪の中で人がどのように死んでいくのかが恐ろしいほどリアルに描かれていく。

    そして結果的に下山できなかった半分のメンバーを残して生き残ったクラカワーらは残りのメンバーらを見捨ててしまった、という傷跡を一生背負うことになる。

    極限状態の中で自らの生命を確保するためには、他者の生命を見過ごさざるを得ない。そうした倫理の極点に迫られたときに人は何を思うのかがここまで痛切に描かれたノンフィクションというのはないだろう。

  • エベレスト3Dを鑑賞し、詳細を知りたくなり読了。
    読んでしばらくはこの遭難事件ばかりに意識を持っていかれた。
    ジョン・クラカワーの作風は好きだと思う。

  • 1996年にエヴェレストで起きた複数の遭難事故。死者達は商業登山ツアーの顧客やガイドたちだった。作者は商業登山の実態をレポートするため顧客の1人としてツアーに参加し、悲劇の当事者の1人となる。お金さえ出せば世界最高峰の頂きに連れていってもらえると思っている顧客。会社の利益のためになるべく多くの人数を頂上に登らせようとするガイド。読んでいると、このような悲劇が起きるのも仕方ないことに思える。自らも頂上を踏むも仲間を失うことになった作者は、なるべく公平に事件を捕らえ思いを述べている。もちろん当事者である以上全く中立何であり得ないが、少なくともさくしゃの誠実さを感じられる内容だと思った。

  • ちょっと! あんたテントで寝てたくせにアタシのトリーのこと悪く言わないでよ‼ とか思いながら読んでたけど、読み終わるとあの山を体験した本人が感じた生々しさ、胸に迫るものがあった。
    特に生還したあとの気持ちとか。
    読むならデス·ゾーンと合わせて二冊読むべき。

  • 登頂日を迎えてからの展開は圧倒的だが、それまでの前置きが長いうえに登場人物が多すぎて苦労した。
    おそらくカタカナ人名を上手く把握できないという自分の特性ゆえに。

  • 多くの遭難者を出した現場に参加者の1人として居合わせ、生還した著者によるドキメンタリー。エベレスト登山のツアーに伴う問題点、登頂への段階的ステップの解説、個々のメンバーの描写で前半部が構成され、遭難当日以降が描かれる後半部は読むのを止められない緊迫感に満ちていいる。悲惨な結果を生み出した要因については当然著者の主観が入っているものの、事実関係の裏付けと推論は妥当性があり、またレポーターである自分の参加がもたらした影響、遭難時の自身の大きな誤認、一部遺族からの批判なども披瀝されていて、その客観性や公平感から一定の信頼度を持って読む事ができる。遭難日の事態推移と各人の行動もよく整理されてわかり易く、読み手を混乱させない。これほどの力量の書き手が、エベレスト登頂を果たし、且つ苛酷な現場を生き延び、そこで見たものを多くの読者に届けることができた事自体、運命的なものを感じてしまう。

  •  20年前の1996年にエヴェレストで実際に起きた大量遭難事故を、同行していたアメリカ人ジャーナリストが書いたノンフィクション。今年(2016年)、映画化もされた。
     パーティーの中には日本人女性として2番目にエヴェレストに登頂を果たした人もいたが、残念ながら帰還することはできなかった。

     高度8000メートル以上の壮絶な環境が人間の脳や身体にどのような影響を与えるのか、また商業登山が始まった頃のガイドと名声を求める顧客、シェルパたちの心理状態や関係がどのように変化していったのかがリアルに描かれ、分厚い本にも関わらず後半は一気に読んだ。

     生き残って取材を重ねた著者の記述をどの程度信じるかは読者次第だが、無責任なツアーガイドや経験豊富なはずのリーダーたちの誤った判断だけでなく、遭難者を救助しようとしなかった自分の行動も非難を覚悟で書いており、過酷な環境がいかに冷静さを奪うかを教えてくれる。

     なおヤマケイ文庫版よりも、最初に出た文藝春秋出版の単行本の方が写真や地図が多くおすすめ。

  • 1996年5月10日エベレスト大量遭難事故。
    映画『エベレスト 3D』を観て以来、この件に釘付けになった私。その第一級資料と言える本書をようやく読み終えた。
    ちなみに、とにかく登場人物が多いので、映画を2回観てwikiを熟読してなかったらまったく展開について行けなかったと思う。

    私が最も驚くのは、この極限状態において、よくぞ皆人間性を失わずにいられたということ。自分の身に置き換えて考えずにはいられない。自分だったらどうだろうか。「こんなデスマーチが続くくらいなら、いっそ死なせてくれ」「この崖から一歩踏み出しさえすれば楽になる」「このままここにほうっておいてくれ」そう、きっと生きることを諦めてしまう。
    また、他人を心配する余裕も皆無だろう。隣で人が倒れようと、それはその人のこと、自分にできることは何もないと歩を進める。疲弊して感受性の摩耗しきった神経では特にそうなってもおかしくない。
    逆に、誤解を恐れずに言えば、助けられなかった命に対してシェルパを含む登攀スペシャリスト達が取り乱す様子が意外であり、印象に残る。そういった人達は、人の死にも慣れているのではないかと勝手に思っていたからだ。
    こんな感想が出てくるのは、私がフィクションの中の死にしか触れたことがなく、リアルに生死を感じたことがないという証なのかもしれない。

    それにしても山の頂というものは不思議だ。ヘリコプターのような文明の利器が使えない。到達するには、己の肉体で挑戦するしかない。こんなの、南極や海底や宇宙とも違う。

  • 読み応えあります。
    顧客とガイドとシェルバと営業者それぞれの立場、また商業登山隊ごとの事情と天候と登山者の体調、実力が絡み合い事故が起きている。
    それにしても、壮絶な環境である・・・デスゾーン。

    先日読んだスコット隊のロシア人ガイド ブクレーエフ氏の著作よりも、ジャーナリストなので読みやすく、より俯瞰的な視点でかかれていると思います。

    天候によりあっという間に危険を通り越して死に直面してしまう世界。それでも人を惹き付けるエベレスト。世界一というだけで。理解出来ない部分とあこがれも感じてしまいます。

  • 映画(エベレスト3D)の題材の、正に登頂を果たした生存者が書いた本。映画では理解しきれなかったことが全部わかった。関わった人数も国も多いし当然だけど名前はカタカナだし、え?これは誰だっけ?と戻ったりして読むのに凄く時間がかかったけど著者がジャーナリストだったこともあり、帰国後生存者には何度もインタビューをし、高度8000メートルでの記憶力、判断力の脆さをそれぞれの発言でカバーして、恐らく真実に近い一冊だと思う。数々の予期せぬ出来事、不運が重なり起きた悲劇を、文章でここまで再現してクライマー以外の者にリアルに伝える力は凄いと思った。エベレスト登山の仕組み、エベレストが商業登山と言われる所以、問題点、何故エベレストが危険なのか、何故下山でこれほどまでに犠牲者が出たのか、各々の葛藤、下山後のそれぞれの思い等、全てが詳細に書いてあって凄く読み応えがあった。

  • たったひとりで、ロープも、金物類も使わずに登る夢想家、フリー•ソロイストが最高の賞賛を受ける。

    そういえば、じじの名前は昇だけど、
    登にも通ずるし、よい名前だ。

  • 自然の前には人間はちっぽけなもの。いつも謙虚でいなければ。

  • チョモランマ登頂の現実・難しさを教えてくれる
    何回読んでも心に響く本

  • この世の地獄…と思いながら読んでいると、余りに驚いて吹き出してしまうようなこともあって、でも最後はやっぱりものすごく悲しい。悲劇でしかない。ふらふらで登頂して、途中で死んでしまっても、それは登頂成功ということに激しく違和感。

全28件中 1 - 28件を表示

著者プロフィール

1954年生まれ。ジャーナリスト、作家、登山家。
当事者のひとりとして96年のエベレスト大量遭難事件を描いた『空へ』(1997年/日本語版1997年、文藝春秋、2013年、ヤマケイ文庫)、ショーン・ペン監督により映画化された『荒野へ』(1996年/日本語版1997年、集英社、2007年、集英社文庫。2007年映画化、邦題『イントゥ・ザ・ワイルド』)など、山や過酷な自然環境を舞台に自らの体験を織り交ぜた作品を発表していたが、2003年の『信仰が人を殺すとき』(日本語版2005年、河出書房新社、2014年、河出文庫)以降は、宗教や戦争など幅広いテーマを取り上げている。

「2016年 『ミズーラ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ジョン・クラカワーの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×