経営史 (有斐閣Sシリーズ 3)

著者 :
  • 有斐閣
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  • Amazon.co.jp ・本 (274ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784641059030
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作品紹介・あらすじ

本書では、企業がどのようにして、なぜ今日あるような姿になったかどう問題を取り上げてみたいと思う。多くの読者が興味を持つのは、企業はいったいどういう仕組みで動いているのかとか、日本の企業の将来はどすなるのだろうかといったことがらであろう。今日までの企業の発展について学ぶことは、これらの問題に対するより広い視野を提供する。それはまた、企業が重要な地位を占めている現代の経済社会についての認識を深めるうえでも有益であろう。

感想・レビュー・書評

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  • ふた昔前の経営史の教科書。資本主義の歴史の中でいつ現代企業が成立し、現代企業の成立に伴ってどのような経営組織や経営手法の変化があったのかをアメリカ合衆国、イギリス、日本の三国を単位として記述している。書かれた時代を反映して本書で扱われる現代企業は専ら大企業であり、中小企業への関心は薄く、また、1990年代以後の成長産業となったIT企業については全く記述がなされていないが、19世紀~20世紀に登場した現代企業(株式会社)とその経営について概要を掴むためには却ってこれだけ視野が制限されていた方が分かりやすいかもしれない。あと、本書の知見のかなりの部分、たとえば現代企業とは何かといった定義の部分について、A.D.チャンドラーの『経営者の時代』が用いられているため、本書の大企業中心の現代企業形成について知りたい方はチャンドラーの本に続くのも良いかも。

    本書で強調されていることは、19世紀半ばにアメリカ合衆国で発達した鉄道会社が、史上初めて登場した規模の大きさゆえにその後の大企業の経営モデルになったことについての指摘である。

    “……経済発展を飛躍させる最も重要な要因である確実で安価な輸送手段と,迅速な情報手段の実現はまさにこの鉄道と電信によって可能となり,それがアメリカにおけるビッグ・ビジネス形成の重大な前提となっていったのであった。”(本書30頁より引用)

    “ 鉄道と電信はそれまでバラバラに存在していた3つの地域経済(引用者註:アメリカ合衆国の東部、南部、西部)を結びつけアメリカ国内市場を一挙に創出していった要因である。この鉄道と電信は自ら創出した市場を網の目のように連結し,企業活動にとって必要不可欠なインフラストラクチャーをも提供した。ここで注意しなければならないのは鉄道の発達は現代企業にとって国内市場の創出,企業活動の基盤形成といった基本的要因を整備したばかりでなく,それ自身が現代企業の組織モデルであったことである。すなわち鉄道や電信会社はそれ自体がアメリカに出現した最初の現代企業であった。また巨大鉄道の建設は株式会社制度の発展や金融機関あるいは建設事業といった周辺産業の整備をもたらした。”(本書30-31頁よりん引用)

    この時代は具体的には1840年代であり(31頁)、本書では1841年に「ウェスタン鉄道」が起こした列車事故が、「安全に運行を果たす」という社会からの要請(というよりも非難)
    を実現するためにトップ・マネジャー(社長、管区長)とミドル・マネジャー(運転部長、機械工長)といった役割分担を果たしたことが、現代企業の組織形態の萌芽であったとしている(32-33頁)。

    続いて1846年にフィラデルフィアに創設された「ペンシルヴァニア鉄道」に、1852年に技術者から社長に就任したエドガー・トムソンの経営改革により、現代企業組織はその体裁を整える。1857年にトムソンが「ペンシルヴァニア鉄道」社に導入したライン=スタッフ制は、20世紀にデュポン社やGM社が採用する事業部制組織の先駆的形態となるのであった(35頁)。

    “ こうした鉄道における組織革新は1880年代までにアメリカ大鉄道の標準的な営業手続きとなった。この組織革新は,広大な地域に散在する多数の事業所や数千人もの人員を管理調整し,巨大資本が投下された鉄道運行を安全かつ効率的に運営する必要から生じたものであった。ここで注意しておきたいのはこの組織革新が徐々に進化してできあがったものではなく,1850年代から60年代にかけて一挙にできあがったという点である。もう1つ重要なことは組織革新を遂行した人々はすべて鉄道建設や橋梁建設に関する専門教育を受けた経験豊かな土木技師であったことである。彼らには見習うべき組織も手本もなく,ただ自分たちが受けた教育や実務を通じて,こうした組織革新を実現したのであった。また彼らは勤務する会社を所有することなく,俸給で働く従業員であった点も重要である。彼らのこうした生き方はそれまでの商人や事業家の生き方よりも現代の大企業につとめるビジネスマンに近かったのである。
     鉄道会社はアメリカで初めて中央の本社と地域部門(管区)を設立し,現業部門における責任と権限およびコミュニケーションの流れと範囲を明確にした内部組織構造を作りあげた企業であった。また,組織を運営するために多数の俸給専門管理者を雇用し,本部における会社全体の指揮をとるトップ・マネジャーと現業部門における運営をつかさどるミドル・マネジャーによる経営階層組織を作りあげたのも鉄道会社であった。その理由はそれまであらゆる意味で鉄道ほど大規模な企業が存在しなかったということに尽きる。この巨大な鉄道の発展こそが19世紀アメリカでしか起こりえなかった変化なのである。アメリカにおける現代企業発生の要因を考えるとき,この1850年代に一挙に創出された大鉄道の役割は,アメリカをくまなく結ぶ国内市場の完成,企業活動の基盤完成,そして現代企業の先駆形態という3つの意味において,強調してもしすぎることはないのである。”(本書36,38頁より引用)

    なお、本書では、ニューヨークがアメリカ合衆国の金融の中心となった原因について、1848年の欧州自由主義革命から避難してきたヨーロッパ資本が、投資先をちょうど同時期に合衆国がメキシコから奪ったカリフォルニアのゴールド・ラッシュとそれに伴う鉄道建設ブームに向けるに際して、ニューヨークにあった合衆国の輸入商社がヨーロッパとの為替業務から鉄道証券の取引業務に専門化することが契機となって実現したと述べられている(本書40-41頁)。鉄道はニューヨーク証券取引所をも作りあげたのである。

    なお、前述の通り、鉄道会社の経営組織は1921年9月にデュポン社が採用する事業部制組織に引き継がれ、事業部制組織は自動車のGMにも採用されて20世紀の製造業の大企業に適合した組織形態となるが(本書88-95頁)、それについては煩瑣になるためにここで終わりにする。


    メモ

    ・本書ではアメリカ合衆国の市場形成について、欧州や日本と比較した際の重要な差異について二点論じられている。一点は、全国市場の形成が1850年代~1880年代という数十年の間に一挙に進んだことであり、もう一点は、アメリカ合衆国の全国市場の創出と工業化が
    同時に進んだことである。この結果アメリカの工業化は内需を中心に発展することが可能になり、国内市場の狭隘さから常に海外市場(輸出)を意識しなければならなかった欧州や日本の資本主義とは異なる経済構造を持つに至った(41-42頁)。

    ・T型フォードの販売は1908年。「日給5ドル、1日時間労働制」という当時としては信じがたい好待遇のフォード主義(フォーディズム)の発動が1914年(95-98頁)。ヘンリー・フォードが自動車工場のベルトコンベヤーを発案したのは、シカゴの精肉業者が牛の解体作業をベルトで行うことに刺激されたため(97頁)。

    “ 1908年にフォード(H.Ford)によって完成されたT型フォードはそれまで金持ちの遊び道具であった自動車を,大衆のもっとも便利な輸送手段に変えてしまった。しかしフォードが作りあげたのはT型フォードという車ばかりではなく,その後現在にいたるまでの「自動車の時代」であり,ベルトコンベアーによって安価に良質品を大量生産する,いわゆる「アメリカン・システム」だったのである。”(本書95-96頁より引用)


    ・本書ではイギリスの資本主義の、アメリカ合衆国と比較した際の非能率性(とまで言っていいかはわからないが)が強調されている。1862年にそれまでの諸法を統合した会社法成立後、イギリスでも企業形態としての株式会社の法的な地位は保障されたものの、イギリスにおいては株式会社の進展は緩慢であった(127-128頁)。イギリスで支配的だった株式会社の企業形態は”株式分散は親類・縁者等の狭い範囲に限られ,経営も専門経営者ではなく,所有者によって行われる同族企業的色彩が濃い”(本書128-129頁より引用)「非公募株式会社」(private company、私企業)であり、1890年に株式会社総数の23%、1914年に77%がこの「非公募株式会社」であった(128-129頁)。株式会社の進展がドイツなどに比べて遅く、しかも「非公募株式会社」が主流だったことがイギリスの特徴だった(135頁)。全体的にイギリスでは家族経営性が強かったことが、大企業の発展や効率的な経営の導入に際する阻害要因となったとのことである。

    “ しかしながら,イギリスでは企業を家の財産と考える家族資本主義(family capitalism)の伝統が強く,それが良い方に向かえば,ガラス工業の〈ピルキントン〉(Pilkington)や石鹸の〈リーバ・ブラザーズ〉(Lever Bros.)のような超優良の家族企業も出現したが,全体として家族資本主義は大企業の効率経営体制の確立に阻止的に作用したのである。”(本書144頁より引用)

    “ 大産業企業への成長がアメリカ,ドイツと比べて緩慢であった主要な理由は,どちらかと言えば,企業家の投資意欲=資本需要の側に求める方が適切と思われる。企業家の家族資本主義的傾向,伝統に安住する保守性,低水準の利益再投資性向,技術革新への鈍さ,これらの要因こそがイギリスにおける大企業形成への大きな障害になったと言ってよい。”(本書148頁より引用)

    ・イギリス経営者の最終学歴について本書では述べられている。本書によれば1965年にある調査では、1万名の取締役の内大学卒業者は14%、資本金500万ポンド以上の大企業でも27%であり、日本やアメリカ合衆国の経営者の約90%が大学卒であると比較するとイギリスの数字は非常に低いとのことである(186頁)。勿論、これは裏を返せば大学を卒業せずとも経営者になれるというイギリス社会の流動性の表現でもあるので悪いことではない。

    とりあえず具体的な統計数値でイギリス経済の不振を論じた部分と、逆にいわゆる「英国病」は存在しなかった主張した部分を以下に引用する。

    “ 19世紀の中葉に「世界の工場」として繁栄したイギリスでは,1870年代から経済成長に翳りが見え始めた。1820~70年代までの実質国内総生産(gross domestic product)の年成長率は2.4%であったが,1870~1913年にかけてそれは1.9%低下した。これを1人当たりGDPでみても,1.5%から1.0%に減少している。同時期(1870~1913年)のアメリカやドイツと比較すると,両国はそれぞれ2.0%,1.6%とイギリスより高い1人当たりGDPの伸びを示していた。イギリス経済の国内的・国際的な二重の停滞現象が明らかとなったのである。
     これを個々の産業部門でみると,まず鉄鋼業では1870年に世界生産の50%を占めた銑鉄生産は1913年には13%に激減し,鋼生産も同期間に43%から10%に低下していた。これに対し,後進資本主義国として目覚ましい発展を遂げたアメリカは鋼生産で14%→40%,ドイツも10%→21%へと飛躍的に生産シェアを拡大している。イギリスでも生産の絶対量では銑鉄で1.7倍,鋼で19倍ほど増加したにもかかわらず,世界生産におけるシェアは急落したのである。以上の事態は,鉄鋼業と並び基幹産業であった綿業でも,程度の差こそあれほぼ同様であった。1850年に主要紡績国合計の約60%の紡錘数を誇ったイギリス綿業は,1910年には41%にその比重を低下させた。……”(本書138頁より引用)

    “……とくに第2次大戦直後から1973年の石油ショックまでの時期には,「英国病」は存在しなかったと言ってよい。なぜならば,1950~73年の時期こそイギリスが史上最高の経済成長率を実現した時代だからである。1人当たりのGDPの年成長率で見ると,1700~1820年の0.4%,1820~70年の1.5%,1870年~1913年の1.0%,1913~50年の0.9%に対し,1950~73年は2.5%に上昇している。それ故,経済成長率で見る限りイギリス経済は,第2次大戦後決して停滞しておらずむしろ繁栄したと言うべきなのである。事実,イギリス国民の生活水準は,耐久消費財の購入,海外旅行などの面で戦後はるかに豊かになった。さらに失業率も戦間期の10%以上と比べ,2~3%と大幅に低下したのである。その意味でも「英国病」は存在しなかったと言える。
     しかしながらイギリス経済を国際比較の視点から見るならば,イギリスの国際的地位が後退したことは明らかである。同じく1人当たりGDPの成長率で他国と比較すると,1950~73年日本の8.4%は別格として,フランス4.1%,ドイツ5.0%とイギリスより高く,先進国中最も低いアメリカ(2.2%)のみがイギリスを下回っているに過ぎない。また国民所得の絶対額でも1973年にはドイツの5000ドル,フランスの4300ドル,日本の3300ドルに対して,イギリスは2900ドルと低水準にあった。商品の国際競争力でも,価格,品質の両面でイギリス製品は不利な状況に置かれていた。貿易収支は大幅な赤字であり,ポンドの諸通貨に対する交換率は長期低落を続けた。”(本書172-173頁より引用)


    要するに、オイルショックまでイギリス経済は繁栄していたけれども、他国の繁栄には見劣りする繁栄であり、19世紀末以来のイギリス経済の長期低落傾向が持続し続け、国際的地位もそれに伴って低下していたことについてのイギリス人の主観的な危機の表現が「英国病」であった。第二次世界大戦後のイギリス帝国の崩壊後もその危機感に拍車をかけたのであろう。

    ・日本に近代的な工業製品が導入されたのは1859年の「開港」以後だが、新技術による製品が技術上の問題を解決して国内市場に根を下ろすのは1890年代であった(190-191頁)。

    ・日本で初期の株式会社制度の発展を担ったのは、欧米とは異なって自国の工業化に先駆けて1880年代に創業した鉄道会社だったが、20世紀初頭に鉄道が国有化された後は電力会社が日本の株式会社の中心となった(193-194頁)。

    ・日本で19世紀後半に近代的な会社組織が欧米から移植されてから支配的な労使関係であった請負制(親分子分制度)に代わって、本格的な雇用関係とそれに伴う労務管理制度が導入されたのは第一次世界大戦~1920年代のことであり、その際、当時の主要産業だった繊維産業や機械工業などの大企業では雇用関係を家制度における親と子の関係になぞらえる「経営家族主義」も導入された(198-199頁)。なお、本書では「日本型経営」の特徴とされる終身雇用、年功序列、経営家族主義、集団主義について、欧米企業でもそのようなものが存在したのに、その点が認識されていなかったことが強調されている(240頁、250頁)。

    ・日本の大企業の特徴である財閥の役割は、資金的資源の配分であった(223頁)。

    ・戦後の日本企業に於いて、大企業は最終製品生産企業が主流となった。これは戦前の大企業が繊維産業などの素材生産企業だったことと比較すると、大衆消費社会の進展に見合った変化であろう(233頁)。

    ”……自動車,ガソリン,加工食品,その他耐久消費財と呼ばれる製品は,戦前はほとんど一般には知られていなかった。これらの市場が形成されるのは,1950年代半ば以降のことである。最終消費財を供給する企業は,戦後の大衆消費市場に対応して発達したわけである。……(本書231頁より引用)。

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著者プロフィール

一橋大学名誉教授

「2014年 『ソーシャル・エンタプライズ論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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