銅像受難の近代

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  • Amazon.co.jp ・本 (354ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784642038034

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    ●銅像とは何なのか。誰が、どこに、なぜ、どのような目的で建てるのか。そして、芸術としてはどうなのか。そしてなぜ撤去されるのか。銅像となる人物に対する評価、銅像を建てる人物の人徳、設置する場所の意味、維持の方法、銅像の利用の仕方などいずれも銅像には欠かせない条件を形成する。そのうえに、造形としての美しさや技術の熟達の度合い、人格の表現などが銅像に対する見方を大きく左右する。一見他よりは良さそうに見える銅像であったとしても、いずれの要素が欠けてしまえば、ある意味では当然のごとく難に遭うこととなる。ましてや近代社会はめまぐるしく変遷する。その人物に対する現在の見方と後世における見方が変わるのも当たり前であり、時代が変わればその銅像に対する認識のされ方が一変してしまうのはこれまで見てきたとおりである。近代日本においては雨後の筍のごとく銅像が次々と製作されてはいるが、その後の戦中の金属供出、戦後の連合国軍総司令部による軍国主義・超国家主義の除去という強烈なフィルターに多くが引っかかってしまった。網の目くぐり抜けて現代まで生き残ってきた銅像の方が、例外的なしぶとい存在だったと認識するほうが適切である。残った銅像は多くの障害を乗り越える、他の銅像とは異なる何らかの要素を持っていたということになる。

    →銅像の受難とは、戦中の金属供出や、戦後の軍国主義的銅像の撤去の事かと思っていたが、そればかりではなく、日本に近代的銅像(仏像以外という意味)が建立されて間もなくから、銅像の出来栄え(表現方法、鋳造技術、台座・背景との調和)、銅像としての価値、銅像となる人物論、実に様々な難儀が銅像に降りかかっている。
    近年、銅像といえば、アニメのキャラクターが町おこしが話題の中心だが

著者プロフィール

1966年千葉県に生まれる。1990年京都大学文学部哲学科美学美術史学科卒業。現在、姫路市立美術館学芸員。 ※2013年6月現在
【主な編著書】『コレクション・日本シュールレアリズム 16 米倉寿仁・飯田操男』(本の友社、1999)、『戦争と美術 1937-1945』(共著、国書刊行会、2007)、『銅像受難の近代』(吉川弘文館、2011)

「2022年 『銅像受難の近代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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