甲子園野球と日本人: メディアのつくったイベント (歴史文化ライブラリー 14)
- 吉川弘文館 (1997年3月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (197ページ)
- / ISBN・EAN: 9784642054140
作品紹介・あらすじ
今や国民的行事と化した高校野球大会。全国を興奮のるつぼに引き込む汗と涙と感動のドラマ、その始まりには新聞社の社運を賭けた拡張競争があった。80年に及ぶその歴史をたどり、日本独特の野球観の形成を考える。
感想・レビュー・書評
-
・朝日新聞→夏の甲子園
毎日新聞→春の甲子園
メディアとしての収入が必要なため、
同じ目的を持つ鉄道会社などと協力をし、
対戦形式は「トーナメント戦」とした。
→その方が、選手の闘争心が湧くため。しかし、
「一高野球」や「武士道野球」の精神からは外れていて、矛盾している。
・第一高校による、「一高野球」や「一高応援」
一高野球・・・エリート社会で生まれた野球。
試合とは、学校をしょってたつことであり、
国外試合となると、国をしょってたつこと。
この押し付けがましい考え方に反対する生徒も現れ、
後半の一高野球の戦力低下は、この気持ちのばらばらが原因のひとつ。
一高応援・・・野球部は学校の看板をしょっているので、
当然応援生徒にも熱が入り、野次や威圧行為などの行為が目立ち、
下品であると中傷された。
・野球の人気に対して、他の新聞から批判があった
・「武士道野球」・・・野球というものが日本で始めて紹介されたとき、
球場は「戦場」などといわれ、戦争に見立てられたりもした。
また、試合開始の挨拶のときに一列に並んで礼をする所など、
”礼に始まり礼に終わる”など、武士道にのっとったものが風習となった。
高校球児は、戦争に向かう戦士のように真剣にのぞみ、
粉身砕散の覚悟で勝ちをもぎとりにいかなくてはならない。
・高校野球は、教育の一環であり、グラウンドは”大きな教室”
野球を通して、人間として成長する場。詳細をみるコメント0件をすべて表示