甲子園野球と日本人: メディアのつくったイベント (歴史文化ライブラリー 14)

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  • Amazon.co.jp ・本 (197ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784642054140

作品紹介・あらすじ

今や国民的行事と化した高校野球大会。全国を興奮のるつぼに引き込む汗と涙と感動のドラマ、その始まりには新聞社の社運を賭けた拡張競争があった。80年に及ぶその歴史をたどり、日本独特の野球観の形成を考える。

感想・レビュー・書評

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  • ・朝日新聞→夏の甲子園
     毎日新聞→春の甲子園
     メディアとしての収入が必要なため、
     同じ目的を持つ鉄道会社などと協力をし、
     対戦形式は「トーナメント戦」とした。
     →その方が、選手の闘争心が湧くため。しかし、
     「一高野球」や「武士道野球」の精神からは外れていて、矛盾している。
    ・第一高校による、「一高野球」や「一高応援」
     一高野球・・・エリート社会で生まれた野球。
      試合とは、学校をしょってたつことであり、
      国外試合となると、国をしょってたつこと。
      この押し付けがましい考え方に反対する生徒も現れ、
      後半の一高野球の戦力低下は、この気持ちのばらばらが原因のひとつ。
     一高応援・・・野球部は学校の看板をしょっているので、
      当然応援生徒にも熱が入り、野次や威圧行為などの行為が目立ち、
      下品であると中傷された。
    ・野球の人気に対して、他の新聞から批判があった
    ・「武士道野球」・・・野球というものが日本で始めて紹介されたとき、
     球場は「戦場」などといわれ、戦争に見立てられたりもした。
     また、試合開始の挨拶のときに一列に並んで礼をする所など、
     ”礼に始まり礼に終わる”など、武士道にのっとったものが風習となった。
     高校球児は、戦争に向かう戦士のように真剣にのぞみ、
     粉身砕散の覚悟で勝ちをもぎとりにいかなくてはならない。
    ・高校野球は、教育の一環であり、グラウンドは”大きな教室”
     野球を通して、人間として成長する場。

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著者プロフィール

1943年 神奈川県生まれ 1967年 東京大学文学部国史学科卒業 1972年 東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学 元東京経済大学教授 ※2016年12月現在
【主な編著書】 『海外観光旅行の誕生』(吉川弘文館, 2002年) 『陸羯南』(吉川弘文館, 2007年)  『「中立」新聞の形成』(世界思想社, 2008年) 『近代日本のメディアと地域社会』(吉川弘文館, 2009年)

「2023年 『近代日本メディア史 Ⅰ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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