天下統一とシルバーラッシュ: 銀と戦国の流通革命 (歴史文化ライブラリー 404)

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  • 吉川弘文館
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784642058049

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  • 1533年灰吹法びよる石見銀山をはじめとした鉱山開発による銀流通の拡大と、海外取引通貨として及び国内通貨としての流通、鉱山の直轄化、石高制や度量衡、為替といった商制度の整備。
    16世紀西日本を中心とした経済活動の背景。
    様々な文書の引用と現代語訳も多く丁寧な著作。

  • 大学院の時にお世話になった本多先生の御著書。
    本書は「銀」流通という視点を据えて、東アジアの流通経済及び国際関係、国内の流通構造の統一過程を鮮やかに描いている。
    日本銀は16世紀前半(1530年代)に博多商人・神屋寿禎らが関わって石見銀山を本格的に開発したことが端緒となる。早くから博多商人が関与していたことから貿易品として使われるようになる。
    後の地方権力(大内氏や毛利氏)も銀による交易を積極的に行っていくことになる。
    日本銀がアジアに出回るようになると、アジア外からポルトガルやスペインが銀を求めて東アジアへやって来る。
    まさに本書のタイトルにある「シルバーラッシュ」現象が起こるのである。

    国内では、銀(石見銀)の浸透は凄まじい早さで展開し、早くも織田政権の天正年間初めには経済活動の中で用いられるようになる(主に贈答用など)。
    さらに、豊臣政権の天正末年~文禄年間にかけては高額貨幣として、経済活動における銀遣いも行われる。
    ここで紹介されている、経済活動における金遣い・銀遣いの事例は後の徳川政権にも引き継がれていくことになる。
    また、国内流通構造の統一政権による掌握過程も描かれてお、銀流通はその過程を推し進める役割も果たしていたといえる。

    個人的に興味のあった、なぜ貫高制から石高制へ移行したのかという疑問に対するアプローチも示されており、幅広く勉強することができた。

  • 戦国時代後期、石見銀山の開発を契機とした東アジア貿易の激変を銀の流通という面から追跡し、近世へと繋がる物流・経済体制の転換過程を明らかにする内容。特に金銀米銭の貨幣としての位置付けの変化が興味深かった。

  • 戦国時代の石見銀山の発見と開発が日本と世界の経済に与えた影響について。日本銀が朝鮮や明に流れていく過程と日本の対外貿易や倭寇にヨーロッパ人、信長の通貨政策、石高制の萌芽、荘園制市場構造の解体と強い中央政権の誕生による求心的流通構造、海賊の行く末、朝鮮出兵など、銀や貨幣の話だけではなく、戦国時代の経済全般に関して多くのことを学べる。

  • 【書誌情報】
    著者:本多博之(1960-)
    ジャンル:日本史 > 中世史
    シリーズ:歴史文化ライブラリー 404
    出版年月日:2015/06/22
    ISBN:9784642058049
    判型・頁数:4-6・224頁
    定価:本体1,700円+税

    16世紀前半の石見銀山の発見と開発は、日本経済はもとより、世界史上の東アジア貿易や国際関係にどのような影響を与えたのか。銀の支配と流通の視点から、毛利・大友氏ら西国大名の貿易・外交や、織豊政権の物流など政治・経済の変化を活写する。戦国乱世から徳川政権誕生へと続く“天下取り”の時代を、激動する東アジア世界の中に位置づける。
    http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b199722.html

    【簡易目次】
    シルバーラッシュと東アジア世界――プロローグ

    石見銀山の発見と開発 一五二〇年代~四〇年代 
      石見銀山の発見と開発/日本銀の海外流出/中国商人・ヨーロッパ人の日本進出

    戦国大名と銀 一五五〇年代~八〇年代前半 
      東アジア世界の動きと銀の国内流通/大名権力と銀/西国大名の外交・貿易/織田信長と金銀・米

    豊臣政権と銀 一五八〇年代後半~九〇年代 
      豊臣政権の誕生と物流・貿易の変化/天下人と大名/第一次朝鮮出兵と講和・休戦期/第二次朝鮮出兵と政権末期の情勢

    徳川政権の誕生と銀――エピローグ 

    参考文献

  • 16世紀前半の石見銀山の発見・開発から始まった中世日本における銀の流通が、東アジアにおける国際関係や戦国・豊臣政権期の国内政治・経済にどう影響を及ぼしたかを述べたのが本書である。

    1533年、石見に灰吹法が伝えられて、そこから本格的に石見銀山で銀の生産が開始される。銀は、まず綿布の代価として朝鮮に向けて、次に明にも流れた。当時の明では、税の銀納化に伴って銀需要が高まったのに加えて、明国内の銀採掘が低迷していたのが背景にある。銀は、国内通貨として流通する前に貿易通貨としての流通が先行していた。当時の海外貿易は、大内氏らによる勘合貿易の他に後期倭寇の密貿易も大きな比重を占めており、後期倭寇の代表的な人物として王直が挙げられている。1549年にイエズス会のザビエルが鹿児島に上陸する。ここからポルトガル船が日本を目指すことになり、南蛮貿易が開始されたとされる。

    1570年にポルトガル船が初めて長崎で交易を開始して、マカオ―長崎間の定期航路が開設される。翌年の71年にスペインがマニラ市を建設。マニラ―アカプルコ(メキシコ)との間で定期航路を開設される。ここにおいて、「新大陸の銀(ポトシ銀)が太平洋を越えて明に流れ込むルート」と「日本銀がマカオを通して明に流れ込むルート」が成立する。ポトシ銀と石見銀は、国際通貨として取り交わされて、その多くが軍事費などの慢性的な銀不足だった明に吸収されることになった。「世界システム」に日本が取り込まれた時期だと個人的に思う。

    「織田信長の金銀と米」と名付けられた章では、信長による通貨政策と租税政策が取り上げられており、個人的に一番面白く読んだ。信長は、当時の京都の町々に朝廷への利子納入を銭ではなく、利子米として定めた。このことから正確な計量性の必要性が生じた結果、公定枡(のちの京枡)が誕生した。以上のように、米(量)の価値尺度化が推し進められ、それが後の石高制の祖型であると筆者は述べている。(P.94~P.110)

    織田信長の後を継いだ豊臣政権では、大坂城や聚楽第の建設といった大規模な普請が行なわれた。それに伴い、大坂や京都、伏見に建築資材や生活物質の大量搬入が始まった。ここにおいて、京都、奈良などを核とする荘園市場構造から大坂、京都、伏見を核とする中央市場に諸大名の領国が結びつく新たな「求心的流通構造」が誕生したと述べられている。(P.110~128) また天下統一後に金・銀が中央に集中した。豊臣統一政権下での武家・公家・寺社勢力などの諸権門は、自らの権威を高めるために、「儀礼」の場を重視して、そのために必要な品々を金・銀といった高額貨幣で購入していた。これを時代背景として、大坂・京都といった中央市場に日本各地から年貢米などが売却されて金・銀に換えられる「貢租換金市場」が急速に発展を遂げたと述べられている。(P.142)

    慶長・文禄の役と二つの朝鮮出兵の戦間期に、秀吉は、生野銀山を直轄領にし、例えば、石見銀山を持つ毛利氏に対して金・銀の一部を上納させたように諸大名を通して間接的に金銀鉱山を把握した。ここにおいて、国内の諸鉱山から金・銀が豊臣政権下に集中する金銀運上体制が確立した。(P.150)

    17世紀半ばから、石見銀山は原料枯渇で規模は縮小していき、銅生産へと切り替えていく。江戸幕府は、銀輸出を禁止して、銅貿易(例えば、棹銅なんかが多く輸出された)に切り替えていく。その結果として、東アジアでは、銀を基軸とした通商がしだいに見られなくなり、石見銀山の開発から始まった経済現象としてのシルバーラッシュの終息を持って、本書は閉じている。(P.185~P.199)

    以上が本書の要旨である。銀の流通を中心とした戦国時代から江戸時代初期にかけての経済・流通史そして交易史として大変おもしろく読んだ。文句なしでオススメです。

    評点 9点 / 10点

  • 石見銀山の発見と産出銀の急増により、日本国内のみならず東アジア世界の経済構造が変わっていく様子が一次資料で丹念に跡づけられながら、述べられていく。織田政権、豊臣政権下での流通構造の変化が起こり、江戸三貨制度・石高制度へとつながっていく。『戦国織豊期の石高制と貨幣』(吉川弘文館、2006年)も読んでみたく思った。

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