勝海舟と江戸東京 (人をあるく)

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  • 吉川弘文館
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  • Amazon.co.jp ・本 (147ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784642067775

感想・レビュー・書評

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  • 読んだら歴史好きの父にあげようと思ってお正月前に読みました。
    ちょっと父の好みとは違うかもしれないし、私好みではあるので、あげるのはやめようかと…。(笑)
    表紙になっている「勝海舟江戸開城図」は江戸東京博物館で見たことがあるので、表紙を見てニコニコ。

    勝海舟の生涯をざっと紹介する第一章。
    江戸時代の勝海舟の業績を書いた第二章と明治の業績を書いた第三章からなっている。
    先人の研究や古文書を紐解きながらの著述は、多分父の好みではない。
    でも私はめっちゃ面白かったわ~。

    勝先生をべた褒めしている人の話も、けなしている人の話も、一応参考資料と突き合わせて分析しているのだけど、肝心の勝先生の言動が時々勘違いしたものだったりするので、
    そういうポンコツなところも好きなんだよなあ。

    江戸を戦場にしないために奔走する。
    徳川慶喜の名誉を回復するために奔走する。

    食うに困った旗本を静岡に茶畑を作って働かせたのは有名な話だけど、幕府を見捨ててさっさと朝臣に寝返った挙句に明治政府に頬りだされた人たちをも、頼まれれば何とかしようと一肌脱ぐ。
    こういうところも好きなんだよなあ。

    特に財テクに長けていたわけではない勝先生が大勢の人の生活の面倒を見、就職を世話し、名誉を回復することができたのは、人脈の広さゆえだと思うんだよねえ。
    アンチもいたけれども、一本筋の通った彼の言動は多くの人を動かした。

    福沢諭吉からの借金申し込みを断ったのは、私財を大事に抱え込んだまま人に借金を申し込むなということもあるのだろうけど、福沢諭吉の面倒を見られるほど俺にも余裕はないよってことだったんじゃないのかな。
    苦笑いしている勝先生の顔が思い浮かぶようであるよ。

    幕臣としてどうなのかとの指摘もございますが、ちょっとしたことで言いがかりをつけられお取りつぶしをされかねないときに、ずっと徳川家を擁護し続けたのは勝先生じゃないですか。
    国賊としてお墓をつくることが許されなかった西郷隆盛のお墓を、こっそり作って祀っていたのも勝先生。

    女子学生のための寮は男子学生の寮のようにおんぼろではいかん。
    安心して学生を託せるような建物と、舎監が必要だと言ってその分のお金も工面した勝先生。
    「宗教は人間の良心に属する事柄であり、これは個人に任せるべきで、政府が干渉すべきではない」とキリスト教を守ったのも。

    江戸城無血開城以外はとんと歴史の中に名前を残そうとしていない勝先生。
    でも明治になってからの30年も、せっせと精力的に人と人をつないでいたのです。

    巻末に勝海舟のゆかりの地がいくつも紹介され(ありがたいことに住所付き)、参考文献があるのもありがたい。
    座右の書決定。

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著者プロフィール

1961年静岡県熱海市生まれ。国立歴史民俗博物館・総合大学院教授。文学博士。著書に『旧幕臣の明治維新』『沼津兵学校の研究』『シリーズ藩物語 沼津藩』など多数。

「2017年 『幕末の農兵』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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