牛車で行こう!: 平安貴族と乗り物文化

著者 :
  • 吉川弘文館
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本棚登録 : 243
感想 : 37
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  • Amazon.co.jp ・本 (164ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784642083188

作品紹介・あらすじ

車種は? スピードは? 嫌なやつと同乗したら? 平安貴族の移動手段「牛車(ぎっしゃ)」とは、どんな乗り物だったのか。古記録や古典文学、絵巻物を素材に、乗り降りの作法、生きる動力=牛の性能、乗車定員やマナーなど、失われた日常生活を豊富な図版とともに生き生きと再現。牛車に魅せられた著者が、その魅力を余すところなく語るユニークかつ必読の書!

感想・レビュー・書評

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  • 清少納言『枕草子』や紫式部『源氏物語』に手を出しはじめてから、ますます平安時代への興味は尽きることがない。
    ひとつの事を知り始めると、そこから知りたいことが次から次へと枝分かれしていく。あまり寄り道をしていると、肝心なところへ戻れなくなることもありそうだから、そこは注意しなきゃだけど、このどんどん興味が枝分かれして膨らんでいく感覚には、とてもワクワクしてしまう。

    そんななかで、また1つ。平安貴族の乗り物であった「牛車」について、面白い本があるよとブク友さんのnejidonさん、myjstyleさんに教えていただいた。
    牛車といえば?
    「それは平安貴族の乗り物!」
    「そして……」うーん、その後が続かない。
    平安時代では当たり前の景色として馴染んでいた「牛車」。歴史史料や物語、マンガなどで知っているつもりになっていたけれど、現代人のわたしは「牛車」に乗ったことも実物を見たこともない。
    たしかに「牛車」にフォーカスすると、たくさんの疑問が湧いてくる。
    牛車って貴族なら誰でも乗れるの?
    種類があるの?
    乗り方はあるの?
    何人乗れるの?……などなど。
    そんな基本的な疑問から、わたしが思いもつかないマニアックな疑問にまで本書は丁寧、かつ分かりやすく答えてくれる。
    なにより、その答えは単なる「牛車」の分析や乗り方だけに留まらず、乗り物文化の実態、そして平安貴族社会のあり方まで広がっていく。

    本書の構成を簡単に説明したい。
    第1章および第2章では、実際に牛車に乗り込み、移動し、降りるまでのシミュレーションが行われた。これらのイメージ作りのため、豊富な歴史史料だけでなく、物語や説話なども素材として使用されている。
    第3章では、そもそも「貴族はいつも牛車に乗っていたのか」がテーマとなり、それが逆に「牛車に乗らないこと」についてまで考えることになっていく。
    第4章は、「檳榔毛車」という牛車を取り上げて分析していく。著者の京樂真帆子さんは大学の先生なので、授業で学生に牛車の車種を説明する時には、「唐車はベンツ、檳榔毛車はクラウン、網代車は私が乗っているアクアだ」と言うことにしているらしい。わかりやすい……
    第5章で注目するのは、「一緒に車に乗る」という人間関係だ。
    第6章では、江戸時代の松平定信による牛車研究『輿車図考』について紹介される。
    21世紀になった今でも、定信の研究は「使える」らしく、実際に辞典や古典文学の解説書に掲載される牛車の図には、彼が復元したものが使用されているのだ。

    どのテーマも興味深い。
    “乗り物好きさん”なら、ある意味、新鮮な気持ちで読めるかもしれない。また『枕草子』や『源氏物語』などの古典文学、藤原道長や藤原実資などの人物名を少しでも知っていると、途端にテーマが身近に感じられたりするだろう。もちろん全く平安時代の知識がなくても大丈夫。図や史料もたくさん掲載され、理解しやすくなっている。

    なかでもわたしが一番印象に残ったのは、自分でも意外だったけれど第6章だった。
    松平定信が牛車に興味をもったのは、そもそも『平家物語』の絵を作成しようとしたところにあったらしい。『平家物語』を図像化するためには、「猫間」に出てくる木曽義仲の失敗(牛車の乗り方の作法などなど)も描かなければならない。とすると、彼が乗った牛車の種類や、意地悪をした牛飼童の衣装など、具体的な情報が必要となってくる。そこで、牛車の研究に着手したのであろうと、京樂先生は述べる。
    先生が注目したのは、定信が参考にし、引用した古典籍群の多彩さであった。定信が『輿車図考』に引用した古典籍は、ゆうに90冊を超え、これに、参考にした図像史料を加えると100種以上の史料に目を通したことになるそうだ。
    写本を入手して閲覧する、それはどれほど気の遠くなる作業であったろうか。

    わたしは、そこまでの苦労の先に、定信が目指していたものは何だったのか……が気になったのだ。そのキーワードとして登場するのが『源氏物語』だった、と考えていいのかもしれない。
    江戸幕府老中で、寛政の改革を行った定信は、生涯において『源氏物語』全巻を7回も書き写したというから驚きである。江戸時代の大名までをも魅了する『源氏物語』とは……!
    ところが彼の『輿車図考』には、『宇津保物語』や『蜻蛉日記』、『枕草子』などは引用されているのに、『源氏物語』の中の文章は採録されていないのだ。なぜなら、そこには研究の結果を『源氏物語』の解釈に活用すべきなのであって、その逆ではないとの定信の考えがあるからだと京樂先生は言う。
    牛車の現物を見たことはなかったはずの定信が懸けた研究への情熱とその成果に、わたしは感服するしかない。さらにそれを『源氏物語』の解釈に活用すべきという考え方には、感動すら覚えたのだ。

    最後に、京樂先生の授業って面白そうだなぁと思いながら著者略歴の欄を見ると、な、なんと!我が県の県立大学人間文化学部の先生ではないですか。びっくりしたぁ。こんな身近におられたとは(びわ湖のそばの緑豊かな、とても雰囲気のよい学校なんですよ。カモの行列が堂々と構内の道を渡っていたり、人懐っこいネコちゃんがいたり……)。京樂先生の公開講座とかあったら、ぜひとも行ってみたい。
    ああ、大ファンの山本淳子先生も京都の大学の先生だし、こんな身近にお二人ともおられるんだと思うと大学生になって学びたいわ。市民講座とかの機会がないかアンテナを張っておかなければ。

    • nejidonさん
      地球っこさん♪
      レビューと関係ないのですが、牛車つながりですごい出来事があったの。
      なんとなんと、「車あらそい」の帯を締めた女性に遭遇し...
      地球っこさん♪
      レビューと関係ないのですが、牛車つながりですごい出来事があったの。
      なんとなんと、「車あらそい」の帯を締めた女性に遭遇したのですよ!!!
      ちょうど背に当たる部分に、びっしり雅な刺繍が施されてました。
      あまりに珍しいのでつい「素敵な帯ですねぇ、源氏の君も喜ばれるでしょうね」と話しかけてしまいました(笑)
      その方の曾祖母にあたる方の手詩集なんだそうです。
      いやぁ、画像が貼れないのが惜しいわ。。
      2021/02/14
    • 地球っこさん
      Minmoさん、おはようございます。

      牛車にフォーカスを当てるなんて、かなりマニアックですよね(*^^*)
      でも読みやすくて面白かっ...
      Minmoさん、おはようございます。

      牛車にフォーカスを当てるなんて、かなりマニアックですよね(*^^*)
      でも読みやすくて面白かったですよ♪
      コメントありがとうございました。
      2021/02/15
    • 地球っこさん
      nejidonさん、おはようございます。

      それは素敵ですね!
      なんと、美しく雅な刺繍だったことでしょう。
      見てみたかったなぁo(>...
      nejidonさん、おはようございます。

      それは素敵ですね!
      なんと、美しく雅な刺繍だったことでしょう。
      見てみたかったなぁo(>∀<*)o

      それにnejidonさんのお声の掛け方も素敵です。
      その方も「車あらそい」に気づいてもらえて嬉しかったと思います♪
      2021/02/15
  • 牛車について知りたいなどと思う人が、どれほどいるだろうか。
    私もそのひとりだったのだが、タイトルに惹かれて思わず手に取りとても楽しく読み終えた。著者のお名前が「京樂さん」だなんて、いささか出来過ぎの感・(笑)
    表紙画像も素敵だが中身にも画像・図版が多く、文章も簡潔で読みやすいので161ページはあっという間。
    「枕草子のたくらみ」の興奮がまだ残る身にとっては、新たな興奮の火種となった。
    牛車に乗りたいというひとも、いや二輪が好き&マイカー大好きというひとも、おすすめ。

    最初は牛車の種類から始まる。
    種類があるということすら知らなかった私は、ここでもう目からウロコ。
    「唐車(からぐるま)はベンツ、檳榔毛車(びろうげのくるま)はクラウン、網代車(あじろぐるま)はアクア。」であるらしい。自分の分をわきまえて車種選びは慎重にしなければならないのだが、それを逆手にとって偽装工作に用いられることもあったとか。
    うーん、不倫をスクープされた議員さんがこの時代に生きていたらさぞかし・・(以下略)

    乗り方は後ろ乗り、前降り。こちらの田舎道を走るバスと同じ。
    これを知らずに間違えた木曽義仲さんは、ご丁寧に平家物語絵巻にその様子を描かれ、古の頃から京都人は「いけず」だったという確証を得ることとなった。
    現実には、今も昔も世の中を支えているのは田舎者だもの。
    到底敵わない腹いせに、こんな絵を残したのね、と思うことにしよう。

    定員は4名。相撲の桝席と同じ。
    定員オーバーになったらどんな事態になるか、本当にあったエピソード付き。
    乗車マナーもちゃんとあって、上席と下席、嫌な奴と同席することになった場合や目上のひとに会ったらどうするかも書かれている。(そうそう、天皇はお輿に乗ります。牛車には乗りません!)

    衣装を整え、共の者を揃えて牛車を用意する(牛と牛飼のセットで)のもなかなかに大変だったらしく、急ぐときは馬に乗っていたらしい。しかも、貴族とはいえ男も女も、よく歩いたらしいのだ。
    内裏の中は当然徒歩になるが例外も認められていて、それが輦車宣旨(れんしゃのせんじ)と牛車宣旨(ぎっしゃのせんじ)と言われる特権。ここは内裏の見取り図付きになっている。

    どの説明もイメージがわきやすく、目の前で平安貴族のささやきや動きが見えてきそうなほど。
    室町時代には廃れてしまったらしいが、「枇榔毛車(びろうけぐるま)」の「枇榔」はヤシ科の植物で、沖縄県おきなわ市の市の木だという。
    予備知識として持っていたら、沖縄に行った時の見方ももうひとつあったのに、と悔やまれる。

    ところで気になる点がいくつか。
    牛と牛飼と牛車は3点セットでそれぞれの貴族の邸宅に住まわっていたのだろうか。
    それとも、何箇所かに詰所でもあったのだろうか。
    乗車の際、チップを渡したりしたのだろうか。牛飼の身分は何だったのだろう?
    どなたかご存知の方がいらしたら教えてください。

  • 平安貴族のカーライフ、という言葉につられて読んだが面白かった。

    貴族は天皇からの距離感を装束から身の回りの一切、そして住まいまで様々な形で表明して生活しているので、車の乗降でもうんざりするような決まりがあるのだろう。
    なんか大変だよね、と思った。

  • 牛車。古典を読んでいると当たり前のように登場する乗り物。だが、本書を開き、いざ一歩踏み込むと、まるで泥沼のように深く、底の見えない世界が待ち受けていた。

    本書によれば、平安時代、貴族にとって牛車はごくごく一般的な移動手段。生活の中に溶け込んでいたらしい。いわば現代の自家用車であり、ハイヤーである。その一方で、牛車には格付けがあり、身分や有職故実により使用できる車種が厳密に決まっていたという。
    すなわち、ある程度の高級車であれば、乗り手が誰なのかは推察できたことになる。「さすが〜様、最新式の檳榔毛車や!ええなぁ。見てみい、あの御簾の洒落とること!」、「あかん、あの車は〜や!今はおらんと言うといて」なんて会話が交わされていたのかもしれない。

    当然、乗り方にも作法があり、牛車に乗り慣れない田舎者は物笑いの種となった。相乗りする場合は上座下座の区別もある。ちなみに4人乗りまではスタンダード。車中は畳敷きである。

    本書には所々で牛車が描かれた古典が引用されている。そして、本書の説明を読むことで、その古典の理解が飛躍的に高まるという趣向だ。奥が深いな牛車道。そして、乗ってみたいぞ牛車。

    本書は牛車が当然のように行き交っていた平安時代を主に扱う。そのため、読んでいくうちにいくつか疑問が生じた。
    まず、牛車の起源である。おそらく大陸由来かなと想像するが、いつから牛車が使用され始めたのか明確な記載はなかったように思う。
    次に、天皇が牛車に乗らない理由である。上皇は乗るようだが、単純に危険だからだろうか。それとも何か意味があるのだろうか。これは騎馬にも当てはまる。上皇は馬に乗ったようだが、天皇は馬にも乗らなかったのだろうか。…こんな疑問が自然に湧いてくるのだから、私も牛車の世界に絡め取られつつあるのかもしれない。

    京樂真帆子さんの牛車愛炸裂なわけだが、本書にはその京樂さん以上に強い印象を残す研究者が登場する。あの松平定信である。教科書でもおなじみ「寛政の改革」の立役者。政治家として評価の分かれる人物だが、頭抜けた学者としての面もよく知られる。まさか牛車の研究までしていたとは。それも今なおトップクオリティの。本書で使われる図版の多くが定信の著書からの引用であるのは驚愕としか言いようがない。

    というわけで、古今の研究者魂を見せつけられた、そんな一冊だった。

    • 地球っこさん
      Minmoさん、おはようございます。
      またまた失礼します。

      私もこの本読みました。
      著者の牛車愛炸裂、わかります!
      「唐車はベンツ、檳榔毛...
      Minmoさん、おはようございます。
      またまた失礼します。

      私もこの本読みました。
      著者の牛車愛炸裂、わかります!
      「唐車はベンツ、檳榔毛車はクラウン、網代車は私が乗っているアクアだ」
      という言葉が印象的でした。

      あと、やっぱり松平定信は強烈でした。
      牛車の現物を見たことはなかったはずの定信が懸けた研究への情熱とその成果。さらにそれを『源氏物語』の解釈に活用すべきという考え方。
      いやはや敬服いたしました。

      今まで気にしてませんでしたが、Minmoさんの疑問に、私も知りたいです。どこかに答えはあるのかしら。
      またこの本も読み返してみようと思います。
      2022/09/09
    • Minmoさん
      地球っこさん、こんばんは。コメント、ありがとうございます
      地球っこさん、こんばんは。コメント、ありがとうございます
      2022/09/09
    • Minmoさん
      何度やっても、うまくコメントが反映されない…。

      本書は、以前ブクログのタイムラインで流れてきて、おもしろそうだったので、頭の中にしばら...
      何度やっても、うまくコメントが反映されない…。

      本書は、以前ブクログのタイムラインで流れてきて、おもしろそうだったので、頭の中にしばらく積ん読してました。
      地球っこさんの感想だったのかも。そんな気がします。

      天皇は牛車を使わない、でも上皇は使うというのは、本書を読んでも理由が謎でした。やっぱり、事故とか、危険を避けるためなのかな。まあ、あんまり帝にひょいひょいと外出されても周囲が困ってしまいますし。

      こういうモノの歴史は歴史学でもよくやりますが、本書を読むと、自分の中でぼんやりしていた古典の世界の解像度が少し高くなって、とても楽しい経験でした。
      2022/09/09
  • 平安貴族の乗り物「牛車」。国語便覧の挿絵とかが頭に浮かぶけど、それ以上のことは知らなかったと気づく。あ、後ろから乗って、前に降りると聞いたことがあるけど、その程度。源氏物語の車争いとか、「地獄変」で炎上する車とか、派手に登場することもある牛車について、実際の所どんなものでどのように使ったのかを、平安文学研究者がわかりやすく語っている。

    著者の言うとおり、牛車は平安貴族にとって日常の乗り物だったわけで、そうした視点が新鮮だ。どういう場合牛車を使ったのか、遠出の時も乗ったのか、マイカーみたいにみんな持ってたのか、考えてみれば知らないことだらけ。

    ふーん、そうだったの、ということがいろいろ書かれていたが、特に興味を引かれたのが、平安文学によく登場する輦車宣旨や牛車宣旨。漠然としたイメージしかなかったので、詳細が記されていて面白かった。帝以外は徒歩が原則である大内裏内で、特別に車の使用が許された場合も、その経路は「待賢門から春華門まで」などと、かなり厳密に決められていたらしい。火事などの非常時においても、どのようにして(何に乗って、どんなルートで)参内したかということが後々問題になったというのだから、呆れてしまう。

    この件に限らず、貴族が牛車などに乗るに際しても、さまざまな決まり事や慣例があったことが本書を読むとよくわかる。貴族たちは、公私にわたって、こういう時はこうしなければならない、この場合はこうしてはいけないという無数の細々とした縛りのなかで暮らし、何かするときに(あるいはした後で)その道の権威に「どうすべきか(どうすべきだったか)」をしばしば問い合わせていたようだ。うーん、なかなか大変そう。貴族文化の優雅さは、煩瑣な有職故実と表裏一体のものなのだろう。

    ちょっと残念なのは、せっかく軽やかなタイトルなのに、語り方にやや硬い感じがすることだ。これは、述べている内容についてきちんと根拠を示し、論点を明確にする、という学者らしい書き方のせいだと思う。もちろんこれ自体全然悪いことではないが、「この章ではこれこれしかじかのことを述べます。 ~ 以上見てきたように、この点についてはこれこれしかじかであることが明らかになりました」というような念押し(?)は、一般向けの本では違和感があるように思う。「はじめに」で本の構成をあらかじめ述べるというのも、すごく学者っぽい。そこに味わいがあるとも言えるけど。

    • nejidonさん
      たまもひさん、こんばんは♪
      思わずニッコリしてしまいました。
      今ちょうどワタクシも同じものを読んでおります(笑)
      言われる通り、「そう...
      たまもひさん、こんばんは♪
      思わずニッコリしてしまいました。
      今ちょうどワタクシも同じものを読んでおります(笑)
      言われる通り、「そうだったの?!」というものがたくさん登場しますね。
      よくここまで調べ上げたなぁと、感心しながら読み進めております。
      図が多いのも、理解しやすくて助かりますね。
      でもでも、この方の語り口、ワタクシはとても好きです。
      私自身も話し始めは「これについて話します」と言って話します。
      主旨の分からない話は苦手とします。一応女なんですけどね・(笑)
      こればかりは個人の好みなので致し方ないのですが。
      2017/10/27
    • たまもひさん
      nejidonさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
      おお!と思わせるタイトルですよねえ。これは読まずばなるまい、という気持ちに...
      nejidonさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
      おお!と思わせるタイトルですよねえ。これは読まずばなるまい、という気持ちになりました。研究者ならではのしっかりした考証は信頼感充分です。

      語り口については、おっしゃるとおり、まさに好みの問題なのだと思います。私は、専門家が自らの研究分野やその周辺のことについて、一般向けに書いた本がとても好きですが、特に、思いきって「こっち側(シロート側)」に足場を置いて書かれたものが好みです。かといって、俗受けを狙ったものはイヤだなあと思ったりして、いやまったく我ながら小うるさいことですねえ。

      ちなみにワタクシ、日常生活ではいたって理屈っぽく、ダラダラした無駄話が大嫌い、「雑談のできないヤツ」と言われてますが、そうだけど、何か?と開き直っております…。
      2017/10/27
  • 平安文学・文化を牛車から読み解いていく1冊。
    さらりと読めて楽しい。着眼点に座布団3枚。

    牛の車と書いて牛車(ぎっしゃ)。
    今でこそほぼ見ることはないが、平安時代には大流行した。藤原道長や紫式部、清少納言の頃の貴族の乗用車である。
    一口に牛車と言うが、何種か車種があり、誰でもどのタイプにも好き勝手に乗れたわけではない。身分に応じて乗れる車、乗れない車があった。内裏や寺社など乗ってはならない場所もあったし、自分より身分が高い人とすれ違うときのマナーや、車内の上座・下座など、事細かい「文法」があった。
    こういうことをわきまえていないと「お里が知れる」というわけで、牛車の降り方を知らなかったばかりにこっそり嘲笑されていた木曾義仲のような人もいる。こっそりどころか、間違って下りているシーンが絵巻にされて残されているから、まさに末代までの笑いものである(いやね、京都人(--;))。

    最高級車は唐車(からぐるま)と呼ばれるもの。唐破風の屋根が特徴で、太上天皇や皇后、摂政・関白クラスでないと乗れない。都でも滅多に見ることはなく、あれはどなたの車かとだいたい予測が付く。
    次が檳榔毛車(びろうげのくるま)で、檳榔(ヤシ科の植物)の葉を割いて編み、車体を作ったものである。こちらは大納言や中納言など、四位以上の公卿の乗り物。
    一般的に使われたのは網代車(あじろぐるま)で、檜皮や竹を薄くした板を網代に組み、車体に付けたものである。このレベルになると、見ても誰が乗っているのか特定することは不可能で、大衆車にあたる。

    物語の中でも、牛車の車種は大きな役割を果たす。光源氏は超高級車に乗れる身分だが、秘密の恋の時、また政治的に失墜した場合には、大衆車である網代車に乗る。当時の読者であれば、「そうそう、こういうときはそうだよね」とうなづける、リアリティのある描写だったことだろう。

    牛車に付き従うこと、あるいは同乗させてもらうことが、ある種のステイタスになる場合もあった。壮麗な車列の横を歩くことができれば、自分はこの人物と縁故があるのだぞと世間に知らしめることになるし、また同乗であればなおさらだろう。血縁だけでなく、政治的つながりも示すことにもなる。声高に語らずにそれとなく周知させる牛車の「文法」は意外に大きいものであったのかもしれない。

    時代が下るにつれ、牛車文化は徐々に廃れていく。
    牛を維持するのも大変だし、檳榔毛車であれば、材料の確保も難しくなっていく。
    現在では祭でわずかに見るか、文献上から読み解いていくしかないが、牛車文化は相当の奥深さ、興味深さを秘めているようにも思われる。


    *葵祭なんかだと、糞を拾う係の人(ボロ拾いというんだったかな?)を見かけるのですが(たいてい学生さんのバイトっぽい)、平安期もいたんですかね、行列の中に? 着飾って付き従うならともかく、牛の糞を拾って歩く役、あんまりうれしくないな(^^;)。

  • 平安貴族の乗り物であった牛車(ぎっしゃ)。
    古典文学や日記、絵巻等の資料から、牛車の種類や乗り方、牛、
    マナー、車内での作法等を詳細に解説。
    第一章 車を選ぼう・・・身分・階級・性別で車種が異なる。
    第二章 牛車で行こう!・・・乗り方・乗車中・降り方。
    第三章 歩くか、乗るか?・・・徒歩・騎馬・大内裏内での移動。
    第四章 ミヤコを走る檳榔毛車・・・憧れの檳榔毛車とは?
    第五章 一緒に乗って出かけよう!・・・同乗者には人間関係有り。
    第六章 廃れたからこその牛車・・・貴族文化の衰退。財政の逼迫。
        松平定信発案で編まれた研究書『輿車図考』の登場。
    平安時代の雅やかな貴族文化に登場する、牛車について、
    かくも詳しく説明している本は貴重です。疑問が一気に解消!
    貴族の威信を示す華やかな牛車の手の込んだ意匠を盛った
    外見や内部はもとより、乗り降りについてや座る席次についてまで、
    事細かに教えてくれます。木曾義仲のような恥ずかしい姿まで!
    しかも、すべて牛車だけの外出では無く、
    徒歩や騎馬のあったという、実は逞しい貴族の姿にも驚きました。
    そして、
    『馬車が買いたい!』鹿島茂/著のオマージュが窺えます(^^♪
    かたや近代フランス文学と馬車、こちらは日本古典文学と牛車。
    文学等から読み解く手段を比較するのも面白い。
    また、松平定信の『輿車図考』にも興味が深まりました。

  • 牛車にここまでフォーカスした本は初めて読んだけどとても面白かった!牛車にこんなに種類があることも、階級によって乗れる牛車が決まっていることも、だからこそ牛車を見るだけで中に誰が乗っているかがわかったり、それを利用して自分を偽ることが行われていたりと平安時代の貴族の日常を垣間見れるようで面白い。絵巻の絵や図解も大切なところに挟まれていてイメージをしやすく、牛車初心者にはぴったりの本。一度でいいから牛車にのってみたいなぁ

  • 本書では、牛車の車種、それぞれに乗車可能な身分、乗車や降車の作法、車の図解説明、牛車に乗れる場所、徒歩じゃないといけない場所、などなど、牛車についての様々な事柄が平安時代の日記や物語を引用しながら書かれています。

    たとえば、本書を読むまでは、牛車は一人しか乗れないものだと思っていたのですが、四人乗れるそうです。しかも、車内での上座・下座がしっかり決まっていて、前後ならば前側が上座、左右ならば右側が上座。つまり、1前右、2前左、3後右、4後左、の順になっています。びっくりです。男性ならば袍や直衣、女性ならば十二単を着ていて結構幅を取りそうな感じがしますけれども、そんなに乗れたんですね。

  • これは楽しい(^^)♪今まで平安時代の話を読んで、もわぁ~んとしかイメージがなかった牛車(--;)その牛車がエピソードと共に紹介されている!(*゚Д゚*)これを知っていると少し威張れるぞ<(`^´)>

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著者プロフィール

滋賀県立大学人間学部教授。兵庫県生まれ。1986年京都大学文学部国史学科卒業、1989年奈良女子大学大学院文学研究科修士課程修了、1992年京都大学文学研究科史学博士課程満期退学、1995年「平安京都市社会史の研究」で文学博士の学位を取得。1996年茨城大学助教授、2001年滋賀県立大学人間文化学部助教授、2007年准教授、2009年より教授。平安京の都市文化を研究する。

「2024年 『一時間でわかる紫式部と近江』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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