僕は、そして僕たちはどう生きるか

  • 1383人登録
  • 4.05評価
    • (180)
    • (169)
    • (95)
    • (18)
    • (9)
  • 264レビュー
著者 : 梨木香歩
  • 理論社 (2011年4月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784652079799

僕は、そして僕たちはどう生きるかの感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • 梨木さんのファンタジーの凛とした強さが大好きなのだけれど。これはなんと言うのだろう…一応はフィクションの形をとっているけど。

    14歳のコペルくん、訳あって一人暮らし。叔父のノボちゃん(染色家)と材料採集のため、登校拒否中の友達 ユージンの家の庭に入らせてもらうことになり…

    草木染め、野草摘み、カニムシなど微小な生き物たちなど、梨木さんらしい要素がふんだんに盛り込まれている。
    スベリヒユのベーコン炒め、ウコギご飯、ヨモギ団子のところなんかわくわくしてしまう。

    でもこの本のテーマはもっと重たくて、集団の心理だったり、自分の意見を言えなくなる恐ろしさだったりする。
    ユージン宅の敷地内に隠れ住むインジャ、彼女にその場所を提供したショウコ。大人の巧妙な罠にかかり、追い詰められたインジャや、教師にのせられてしまう生徒の群れ、ペットとして可愛がってきたコッコちゃんを犠牲にしなければいけなかったユージン。

    面白かった、とか感動した、という感想はないのだけれど読んで良かった。
    それはおかしいと思ったとき、誰かが傷つけられそうになっているとき、私は集団心理に飲み込まれずにいられるだろうか。自分を持っていたい。

  • 学校へ行かなくなった子にはきちんと理由があって、
    でもその理由を言ったところでどうにもならないから
    「行かない」ということを続ける。
    それは一見あきらめとも見えるけれど本当は別のものもあるんじゃないかと
    思いながら読み進めた。

    それはとても繊細なことで、でもそれがわからない担任が・・・。

    言いたいけれど言えない、という状況は誰にでもある。
    言えないような状況を作ってくる人もいる。

    **
    一歩外にでれば大変なことがたくさんあって
    もし足を踏んでくる人がいれば「痛い」といえばいい。
    踏んでる方は気がついていないかもしれない。
    知ってて踏んでいてもちゃんと痛いと叫ぶ。
    それでも踏むなら怒る。
    それでも踏むならもう相手の抱えている問題で、こっちに非はない。
    **

    非はないとわかっていても、じゃあその踏まれている足はどうすればいいのだ。
    逃げたとして、逃げられたとしてもすっきりしないだろう。

    そんなことを考えた。
    とても深くて、いい一冊だった。

  • 作者がどうしてこの本を書こうと思ったのかが知りたくなる作品だ。
    作家によってはあとがきがあって、「なぜ、今これなのか」が分かりやすい場合もある。でも梨木さんはあとがきを書かない人だから、そこも読者の受け取り方によって違ってくるという遊びがある作家のように思う。

    タイトルの通り、「僕は、そして僕たちはどう生きるか」がテーマだ。

    人は時として、AじゃなくBが本当は正解だとしても、それを集団がAでよしとすればそれがあたかも正しいかのように主張する。
    それをBだと主張する人間ははじかれるし、おかしいと判断されてしまう。
    出る杭はうたれる。

    それを、周りに流されずに自分が感じたアンサーを答え続けられる人が先駆者になったり、一握りの特別な人になっていくんだろう。

    本にも書かれていたが、人は1人では生きていけない。
    それは正しい思う。ただ、生まれてくる時も死ぬ時も人は1人だとも思う。
    今の私にとっては、群れのなかでしか人が生きられないということは残酷な真実のように感じた。

    追記:児童文学だけど大人向けの本だと思う!

  • 梨木香歩は大好きな作家の一人です。
    中学生を読書対象の中心に創られた久しぶりの物語。

    今の中学生は大変なのだ。もちろん、小学生や高校生もそうだろう。
    「普通」でいなければ、学校では生きづらいのである。
    そして自分の意志とは関係なく「普通」という「群れ」からはみ出され、「個」として生きていかざるを得なくなる場合もあるのだ。

    この「群れ」と「個」の間には絆がない。また「個」として生きていくのは子どもたちにとって辛すぎ、危険も多い。

    この「群れ」と「個」とを自由に行き来できれば良いのだが、現状は、一度はみ出され「個」が「群れ」に戻るのは難しい。

    しかしそれでも、作者は、「個」であることも「群れ」であることも大切なことと考え、「群れ」から離れた「個」のために、「群れ」の中に「個」の場所を用意し、互いに行き来できるようにしようと考えている。

    「個」だけでは生きていけないのだ。「個」に寄り添い、ともに生きていく誰かが必要なのだ。大人は、その絆をつくる手助けをしなければならないと思う。

    梨木香歩の自然への傾倒は、初期の作品と変わらず、この物語のなかでも、植物や生物、自然環境について詳しい描写があり、その一つ一つに引きつけられずにはおれない。この物語を自然のなかで語ることで、厳しい現実に対峙できたのではないだろうか。

    大人にもお薦めの一冊。

  • 14歳の少年による、ある休日の記録。

    自然や植物の豊かな描写の中で、
    「僕は、僕たちはどう生きるか」について考えられている。


    梨木さんの書く少女も女性も青年もすてきですが、
    中性的で落ち着いた表現だから、少年の主人公をいつか読んでみたいとおもっていたんです・・・

    そして、自分の存在意義とか哲学的なこと考えるならやっぱり、少年でなければと、おもうし、
    理想や正しさをいやらしさなく語れるのは、少年の特権な気がする。

    そんな象徴的少年に、コペルとユージンはぴったりでした。

    たくさんの問題提起があって、
    梨木さんから『あなたはどう考えますか』と言われている気分。

    流されて、その他大勢で生きることは楽だしとても安全で、
    でもそれに甘んじていると、なにも考えなくなる。

    考えなくなることは、一番、怖い。


    わたしがいま、この作品から受け取ったメッセージは、
    「考え続けなさい」ということ。

    読む時々によって、いろんな読み方ができそう。

  •  梨木香歩は非常に批判精神の強い作家です。
     作品ごとにその傾向は強まって、というか、よりむき出しになって来ているように思えます。本作品でもいくつかの具体的な事例が、それと分かるように提示され批判されていました。
     しかもその内のひとつは、本書と同じ出版社が出す人気シリーズの一冊。批判の内容にはうなずける箇所もあり、「インジャ」の身に起きたことにはぞっとしたものの、しかしこのエピソードがあくまでも(おそらく)フィクションである以上、これを当該作品・著者へ批判の根拠とするわけにはいきません。エピソード自体が物語の中でも浮いているようで、ここは少しもやっとした部分でした。

     一方で、安易な「命の授業」への批判をあらわしたエピソードは、作品の根幹のテーマに関わるものとしてうまく組み込まれていたと思います。
     教室の中で、ふと顕現する集団と個人のパワーバランス。熱血教師の中にある無意識の嗜虐心。それらに違和感を覚えながらも受け流してしまったコペル君。自分がそうとは知らないまま「集団の圧力」に屈し友人を裏切っていたことに(そして自分が忘れている間にも、傷ついた友人の方はずっとそのことについて考えていたことに)コペル君は立ち直れないほどの衝撃を受けます。これは、もちろんコペル君が卑怯なやつなのではなく、「個人」の側につくことは誰にとっても難しいのだということでしょう。それだからこそ「大多数/個人」という構図ができるのですから。
     過去の闘争について聞いている時、ほとんどの人は(勇敢に闘った/集団の圧力に屈しなかった)個人の側に自分を重ねるのではないでしょうか。そして大勢の側についた人達を愚かと思うでしょう。すでに価値判断の済んだ出来事について、そう思うのはごく自然で簡単なことです。
     しかし、いざそのような対立状況に置かれたとき、私たちは個人として立つことはおろか、対立状況にあるということに気づくことすら難しい。それを、コペル君の小さな事例は教えてくれます。一人ひとりのこのような鈍さにこそ、戦争という悲劇を呼び込む危険がある、というところまで作者は主張を広げています。
     その点ではこれを「新しい戦争児童文学」(古田足日)として読むこともできるのではないか、と思いました。

     最後のBBQのシーンには救いがあります。コペル君と、「インジャ」の女の子と2人の人間がこの場面で回復の兆しをみせています。そういえばこの作者はくり返し、ある種の、体温あるコミュニティ(「許し合える、ゆるやかで温かい絆の群れ」)を描いて来てもいるのでした(『からくりからくさ』『村田エフェンディ滞土録』など)。その意味でも非常に「らしい」作品だったと言えるでしょう。

  • 単なる「群れ」の「一員」に過ぎない自分が、日常に紛れ、忘れそうになっていることを、見事に言語化してくれている。

    私が生きていくうえで、忘れてはいけないもの。

    ・「何かがおかしい」って「違和感」を覚える力
    ・「引っ掛かり」に意識のスポットライトを当てる力
    ・「正論風」にとうとうと述べられても、途中で判断能力を麻痺させてしまってはいけない
    ・「あれよあれよという間に事が決まっていく」その勢いに流されてはいけない
    ・そして、もし戦時中に生きていたら、私も愛国少年少女と同じように、「非常時」という大義名分の威力に負けて、自ら進んで思考停止スイッチを押し、個を捨ててしまうのだろう、という意識。

    だからこそ、
    大切なのは「考え続ける」こと。


    この小説が、今、出版されたってことが、危機的状況なんだろうな。


    そして、自分を保つためには、群れから離れることも必要…に激しく同意。

  • 人がいかに簡単に周囲に流されるか、ということ。
    この物語の中に、流れに流されたくなくて一人になることを選んだ三人が出てくる。
    戦時中徴兵されることを肯じなかった人。
    命の授業という名目で自分のかわいがっていた鶏を絞めて食べることを強制された少年。
    心ならずもAVに出ることになってしまった少女。
    もう一度、書く。人はいかに簡単に周りの圧力に抗しきれなくなるものなのか。その結果を受け止められなくなったとき、いったん群れから離れて一人で生きることを選んだ。
    一緒に命の授業を受けていて、ペットを殺されることになる友達の気持ちに気づけなかったコペルが述懐する。「何かがおかしい」って「違和感」を覚える力、ひっかりに意識のスポットライトを当てる力が、なかったんだ。
    この表現は本当に的を得ている。
    そして、さらにこの小説の深いところ(梨木果歩のすごいところ)は、同じ教室にいたコペル君が自分の行動、感情を洞察するところ。友達の気持ちに気づいていなかったのではなく、気づいていてそれをごまかしていたというところまで省察するところだ。

  • 引き返せない大きなうねりの中で「どう生きるか」

    集団の恐さ
    安易さの愚かさ
    想像力の欠如

    「当たり前」は本当に当たり前なのか?
    集団の力に流されそうになっていないか?
    「みんなそう思っている」の「みんな」は誰なのか?

    自分の頭で考えなければいけない。
    考えないと安易なほうに、集団のベクトルに、ただただ流されてしまう。そして知らず知らずのうちに誰かを容赦なく追いつめたり傷つけたりしてしまう。それすらも想像できないままに。想像できても抗えないままに。

    10代の時に出会いたかったな。
    でも大人になってからも同じ。
    考え続けなければいけないんだ。

  • バクシーシ山下氏の例の本とともに読了。
    ともに理論社。

    特定秘密保護法案が可決された今、身につまされる思いで読む。
    わたしもコペルくんと同じタイプ。いやもっとだめだめだけれど。

全264件中 1 - 10件を表示

僕は、そして僕たちはどう生きるかのその他の作品

梨木香歩の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

僕は、そして僕たちはどう生きるかはこんな本です

僕は、そして僕たちはどう生きるかを本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

僕は、そして僕たちはどう生きるかを本棚に「読み終わった」で登録しているひと

僕は、そして僕たちはどう生きるかを本棚に「積読」で登録しているひと

僕は、そして僕たちはどう生きるかの作品紹介

やあ。よかったら、ここにおいでよ。気に入ったら、ここが君の席だよ。コペル君14歳、考える。春の朝、近所の公園で、叔父のノボちゃんにばったり会った。そこから思いもよらぬ一日がはじまり…。少年の日の感情と思考を描く青春小説。

ツイートする