- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784750330327
作品紹介・あらすじ
年越し派遣村が社会に突きつけた貧困問題。湯浅誠らによる「反貧困ネットワーク」主催の「反貧困フェスタ2009」の内容を元にした本書は、好評を得た2008年の『反貧困の学校』に続くもので、派遣村問題の根源にある「労働と貧困」に焦点を当てる。
感想・レビュー・書評
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300322740 368.2-ハン-2
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読書レポート:反貧困の学校2 | デジたろうとピアノ http://digitaropiano.luna.ddns.vc/digitaropiano/?p=3090
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前作「反貧困の学校」に比べればだいぶ体験談的な部分が多くなり、内容が具体的に理解しやすくなっている。
しかし、代わりに要領を得ない話や個人の偏った主張が活字となってしまっているように感じた。
特に私が違和感を覚えたのは、労働組合の権利を主張することの重要性を高校生に伝えるというところ。
伝えること自体は悪くないし、労働三権の内容を伝えるだけ、よりはどういうときに使うべきか、実例は…などケーススタディーのような形にするのは良い方法だと思う。
しかし、Ⅱ部で語られている角谷さんという方の「得するバイト術」というアピール方法は好きではない。
労働三権は得するためにあるのではなく、人が人として当たり前に生きるために必要だから、社会全体で認識を共有すべきである。
確かに「得する」という切り口だと高校生くらいに伝わりやすいのはわかるが、その切り口だと権利を主張するのは自分の利益になるため、という認識が育ってしまうのではないだろうか。
まだ社会に出ておらず、社会の本質がわかっていない学生だからこそ、安易にわかりやすい表現に走るのではなく「権利」の本質を伝えるべきなのではないか。
権利は、同じ社会に住む人々が互いを尊重し自分らしく生きるためのルールだ。
その本質を誤らせてしまうような教育は正しい教育とはいえない。 -
いま、雇用や仕事そのものがどんどん海外、特にアジアに進出していく傾向にあるなかで今後どうすればいいのかを考えさせられる本でした。
この本に描かれている舞台の2009年の段階では、前年度の2008年末に「年越派遣村」が結成され、「貧困が可視化」された1年でした。僕がなぜ、今年の最後の最後にこういう話題を書いている理由はたったひとつ。ひとつボタンを掛け違えていれば、僕自身もあの中の一人だっただろうからに他ならないからです。あまりそのときのことは詳しくは書けませんが、まったく彼らのことを「他人事」とは思えませんでした。
「板子一枚下は地獄」僕が育った地元の街は漁師町だったのでだれかれともなくそういうことが言われていたのですが、いまの時代は一度失職をしてしまうと即住居も失うハメになり、再就職をするときにも住所があるのとないのでは雲泥の差がありますから、そこで彼らのいう「貧困スパイラル」に簡単に陥ってしまう現状があります。
ここでは障害者雇用の問題や、ハローワークの職員などに代表されるような公務非正規労働者のの問題。たとえ大企業の正規雇用者であっても別室に呼び出され、ありとあらゆる手段を持って「自己都合」退職に持っていくように、「退職推奨」が行われていることをIBMの例を取り上げて説明されていました。こういった状況をある外国人は
「いまの日本では凍死、餓死を容認している」
と言っていたのがまさしくそのとおりだと思わずにはいられませんでした。そして、この本で多くのページを割いているのが女性の労働と貧困に関する箇所でした。突然の雇い止めや派遣社員はほぼ確実に正社員に雇用されることができないと言う現実。過剰な労働でも我慢して働き、体を壊して何の保証もないまま放り出される女性たちの様子が赤裸々に証言されていて、胸が詰まる重いでした。
「政府の職業訓練とか、自立支援とか、もう本当にくだらないと思います」
と言う言葉が頭を離れません。
そして最後に、高校生の労働問題に対する内容でした。僕は色々あったので労働三法を自分で勉強したのですが、高校を卒業して社会で働く人のほうが絶対数は多い以上、授業として、「働き方」や労働法をもっと教えるべきではないかと思っていたのですが、「知る」と言うことが「得」なんだということが分かればこれからの労働市場も変わっていくのですけどね。そんなことを考えさせられた一冊でした。 -
働くことを考えさせられました。湯浅さんが言われるように、社会に溜めの部分がなくなってきていると思う。効率一辺倒では、余裕がなくなってします。社会を変えるために、人々が、個人主義でなく、組織的に、経営者としての視点でなく、社会を良くしようという視点で、変えていかないといけないと思う。