アファーマティヴ・アクションの帝国―ソ連の民族とナショナリズム、1923年~1939年―

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制作 : 半谷 史郎  塩川 伸明  荒井 幸康  渋谷 謙次郎  地田 徹朗  吉村 貴之 
  • 明石書店 (2011年5月13日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (720ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750333519

アファーマティヴ・アクションの帝国―ソ連の民族とナショナリズム、1923年~1939年―の感想・レビュー・書評

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  •  ソ連は、アファーマティヴ・アクション(積極的差別是正政策)を推進する帝国であったという主旨の歴史実証主義研究。

     ソ連の政策は、多くの場合、場当たり的で、抑圧的、また民族浄化や強制移住などの暴力的な試みがなされたものの、それでもソ連当局は、民族を否定するよりも各民族の発展に配慮し、政策的に取組んでいたという事が書かれている。

     これは、だから「ソ連は素晴らしいものだ」とか、だから「ソ連は、抑圧的な体制ではなかった」などと主張しようとするものではない。ソ連の政策に暴力的な強制力が往々にして内在されていて、自国民を時に強力な暴力を用いて排除して来た事は、改めて確認する事のない明らかな事実であり、もし個別の評価を下す事を求められるならば、これは明らかに糾弾されるべき行為だろう。

     他方で本書が主張するのは、ソ連では、理解されている以上に諸民族の権利に配慮し、政策を導入して行った事もあり、時にこれが行き過ぎとなって、民族間の緊張を生んだ事、またソ連は、人口の大半を占め、共和国的にも最も大きいロシア人にいかに対応するのかという大問題を抱え続け、悩み苦しんでいた。各民族の積極的登用は、時に文盲で、職業的能力を有さない現地住民の採用を強制的に現地の様々な機関に求めたが、これによって職業的な知見を有するロシア人が解雇されるなどの問題が生じた。ロシア人は、自らがロシア革命の主導的役割を果たしたのに、他の民族のように自分たちの権利が認められない事に憤った。

     しかし、ロシア人に様々な民族的機関を提供すれば、ソ連=ロシアとなってしまい、ソ連を構成する他の民族とロシア人の間に圧倒的な権力的非対称性が生じてしまう。ロシア人の不満を押えながらも、各民族への配慮を行う、しかし、行き過ぎや危険性を感じたら、これを――時に暴力を用いて――修正する。こうした試行錯誤の繰り返しが初期のソ連に見られた政策であり、それでも、ここには各民族の民族的自治への配慮が欠かされる事なく存在したと本書は指摘する。その意味で、ソ連は一つの民族による国民国家ではなかったし(ソヴェト人を創設する事も、逆に他民族の全面的なロシア化を押し進める事もなかった)、非ロシア人だけが徹底して抑圧され続けたわけでもなかったという。これは、ソ連から亡命した人々ですら、「ソ連では、民族的な違いは問題にならない。ロシア人であろうと、他の民族であろうと同権であるし、そもそも民族的な違いを問題にする事はあってはならない」というような言説からも見出されるという。ある亡命者は、「抑圧されたという点で言えば、ロシア人が他民族という図式ではなく、クレムリンが全ての民族を等しく抑圧していた」と主張した程である。

     このような主張を歴史実証主義に基づいて明らかにした本書の意義は極めて高いだろう。これは、特定の社会が旧来的な秩序を打ち破り、新たな秩序と国家建設の拠り所を作る際に、いかに民族や大衆と向き合うのかという難問に対して、ソヴェト政権も今まで指摘されて来たよりは現実的で、妥協的な政策をとらざるを得なかった事、場合によっては民族の牢獄と非難されていた政権が、実は率先して民族的自治に基盤を置く政策を次々に導入していた事を明らかにした点からも指摘できる。

     他方で、いくつかの疑問が生じる。第一に、本書の主要な対象は、1939年までであり、その後はカバーしていない。著者はその後もある程度継続してアファーマティヴ・アクションは維持されたとしているが、具体的な中身については、異論を含めて様々な問題が提起されるはずであろう。例えば、第二次大戦では明らかに、ソ連のロシア化(ロシア人の民族主義をソ連の民族主義の中核に位置づけた)を行った。無論、これは第二次大戦とその後の限られた期間に導入された一面的な政策だが、同じく第二次大戦時の独ソ戦前後には、北コーカサスの諸民族を初めとする様々な民族が敵性民族として強制移住の憂き目に遭う。片方で、特定の民族を言わば強制力を用いて排除する事に努めておきながら、片方で民族自治に基盤を置く政策を導入していたからといって、それをアファーマティヴ・アクションと理解していいのだろうか。この場合、自治共和国を廃止されたり、強制移住の憂き目にあった民族とそれ以外の民族に対する政策を同様に扱って良いのかという問題に加え、アファーマティヴ・アクションという政策の継続性や力点の置き方、そしてそれの重要度の問題、優先課題における位置づけはかなり時代毎、分野毎、民族毎に違うような気がしてならない。むしろ、当初に、民族自治に基づく連邦制と、その下での各民族の発展という原則を打ち出し、1920年代から30年代に苦しみながらもその基盤を強化していった事が、事後の時代にも、否応なくこれらの原則と向き合う事を要求し、その結果として名目的にこの政策が維持されていたのではないかと思うところもある。このような立場に立てば、以後の時代は、別に積極的にこの政策を維持した訳でも、継続したわけでもなく、なあなあに正統的な共産党及びソヴェト政権の路線を維持したに過ぎないと理解する事も可能なのではないだろうか。

     第二に、民族に対する配慮は、別に全ての民族が等しく同権であった事を意味する訳ではない。むしろ、本書が指摘するように、各民族の民族文化や言語の発展とその権利拡大を政権が認めている最中でさえ、識字率も高く、党員の組織化や文明化の進んでいたウクライナのような共和国は、連邦レベルに自らの要求を押し付けようとする能力すら有していた。他の民族は、せいぜい自らの共和国において、これらの政策を推進したに過ぎず、民族間のパワーバランスや各民族の実質的にな権利には相違があった。これは、ソ連邦の制度的枠組みがよりはっきりする後の時代、即ち共和国、自治共和国、自治州などという階層制が固定化されるとより大きくなる。アファーマティヴ・アクションは、全ての民族を対象としていたが、その政策の中身として見た場合、必ずしもその政策が各民族を同権的に扱っていた訳ではないのは、強制移住などを含めてみれば、これも明らかな事だと思う。

     最後に、個人の関心に引き寄せて本書を見た場合、例外的な事例、例外的な民族をどう捉えるのかという問題である。本書では、ソ連当局の公式的な見方に則り、東方民族と西方(西洋)民族に分け、前者をソヴェト当局は文明的に遅れた民族と見なしていたとする。前者も極東地域から中央アジア・北コーカサスなどと広く、この内部をそれぞれどう評価するのかという問題はもとより、例外的に位置づけられるいくつかの民族をどう捉えるのかという問題がある。これは西方・東方のディアスポラ民族は勿論の事、先に挙げた1944年に強制移住させられる民族などである。こうした民族の問題への対峙は、アファーマティヴ・アクションの中でどう理解出来るのか、「国境を接し、ブルジョア民族主義者と提携する事を脅威と感じ、移住させたが、それでもアファーマティヴ・アクションという基本路線に変化は生じなかった」という単純な見方で良いのかという点に評者は大きな疑問を持っている。ソヴェト政権が、受け身的にこうした問題に対応した、対応せざるを得なかったという理解の図式は、アファーマティヴ・アクションという政策の継続性を強調する事や、ソ連当局が苦渋の決断をしたというような側面を誇張しているようにも感じられる。現実として、ソ連当局が暴力を用いて一つの民族の浄化を行おうとしたという事も否定の出来ない事実として存在する訳であるので、それが大衆に露呈して政権が政策の修正を求められたとか求められてないとかいう歴史的事実は別にしても(1944年の強制移住は秘密裏に行われたため、少なくとも全連邦的レヴェルでは露見せず、問題化しなかった)、アファーマティヴ・アクションという概念とソヴェト政権の政策を考える上では無視できない大問題であるように思う。

  • 読むのに時間かかった。良本です。

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アファーマティヴ・アクションの帝国―ソ連の民族とナショナリズム、1923年~1939年―の作品紹介

ソ連の民族政策をアファーマティヴ・アクションという視点から体系化し、第二次世界大戦前のソ連の民族政策がいかに矛盾に満ちたものであったかを大量の原史料をもとに詳細に解説する、幾多の常識を覆す画期的な研究書の待望の邦訳。

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