フィンランドは教師の育て方がすごい

著者 :
  • 亜紀書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750509037

感想・レビュー・書評

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  •  ここ最近、耳にすることが増えている「フィンランド・メソッド」とのフレーズ。教育の世界でもここ数年注目を集めているようです。本書はそんなフィンランドの教育事情についての考察をまとめた一冊。時期的には第二次世界大戦後からの経緯が綴られていて、社会民主主義の視座も含めて興味深く読めました。

     フィンランドと日本の「教職(教師)」の最大の違いは、少なくとも戦後の日本社会においては「専門職」として位置づけられているかどうか、との点と感じました。フィンランドでは学士では不十分で、修士以上が条件となります。そして「教師は自己評価して日々研修に努める専門家」として、着任後も不断の研究に従事することが求められます(私も教職は持っていますが、耳に痛いです...orz)。

     「知識は常に更新される、このことがヨーロッパの教育のもう一つのキーワードだ」、教育に対して「学問」として向かい合っているからこその、言葉でしょう。これを踏まえて「フィンランドの教育学は机上の空論から脱する仕組みを作っている」との流れを見ると、それだけでフィンランドの教師の質の高さが伺えます。少なくとも「労働従事者」ではないなぁ、とも。

     「子どもは自ら学ぶ存在で、教師はそれを支援する専門家」、これは「学習」の本質を突いた言葉だと思います。そしてそれを文字通りに教え育んでいくのが、「教育」なのではないでしょうか。そういった意味で、本来教職とは「専門家」であるべきで、少なくとも時間に縛られる労働従事者では不十分なのだろうと、そう思います。その高い意識を持ってして初めて「人を教え育む」という行為に携わる資格が得られるのではないでしょうか。

     さて、そんな意識に支えられた「教育の成果」を測る指針の一つとして、経済開発協力機構(OECD)が行っているPISA調査という学力調査があります。昨今の日本は下がる一方ですが、一つ意外だったのがOECDにおいては「ゆとり教育」の理念が評価されていた点でしょう。

     それでは何故日本の「ゆとり教育」は失敗したのでしょうか。本来であれば、教職が専門職として昇華されていく流れのきっかけになったとも思います。にもかかわらず、理念を持ちえないただの労働作業へと変質してしまったのは何故でしょうか。

     理念を実践していく現場の教師に受け止める余裕もないというのはあったでしょう。でもそれ以上に「日本教職員組合(日教組)」に代表される労働組合が主導するサポタージュなどで、骨抜きにされてしまったからだとは、言い過ぎでしょうか。

     本来、自己研鑽に充てるべき時間のみでは飽き足らず、「教育」の本分である授業までも放り出して政治活動に従事することを是とするような活動が主流になってしまっていたのは、今更ながらに怒りしか残りません。こと日教組においては、山梨や大分、北海道、三重など、その「デモ行為への参加実績」は上げ始めるときりが無いですけどね。。

     「教師」が専門職としての待遇や社会的地位にはないといった言い分もあるでしょうが、授業をおざなりにして政治デモに参加するなど、そもそもの「教育者」としての意識が無いのも問題です。この点については、先日(2013年1月)の「駆け込み退職」などを見ても、「やはりな」と感じてしまってもいますが。

     ちなみに私が教職を学習していた時代(1990年代後半)、どうすれば授業に集中させられるかといた、単なる詰め込みではない手法の検証がなされていました。同時に、当時実施直前であった「ゆとり教育」への警鐘もされていて、このままではまずいのではないかとの話をしたのを覚えています、、閑話休題。

     個人的には「学習することを学ぶこと、および他者を支援することが、要求される」との理念がまっとうに適用されることを期待します。そうすれば、昨今問題となっている、大津でのいじめ(というか暴力)問題や、大阪での体罰(というか暴力)問題などと同じような事案への抑止効果も出てくると思いますから。

     「平等は、誰にも同じものを提供することではなく、誰もが自分の才能に合った教育を入手する権利である」、これは結果の平等ではなく、機会の均等こそが自然でかつ公正な「教育の理念」であるべきとの、非常に理解と納得のいく内容です。

     一方での「革新系の教育関係者は、学習の機会均等だけではなく、結果も平等であるべきだと考える」とは、非常に恐ろしい考え方だと思います。人の個性を、多様性を、考えるという本質的な活動を、すべからく否定していますから。明言こそしていないものの、革新系の教育関係者は「日教組」のトガッタ人々のことを示していると思います、民主党・輿石氏などに代表される。確かに北朝鮮に心酔してやまない日教組のヒトビトが好みそうな思考経路ではありますけどもネ。

     それでは 「平等は、誰にも同じものを提供することではなく、誰もが自分の才能に合った教育を入手する権利である」とは、どう対処していけばよいのでしょうか。つきつめていくと「子ども一人ひとりに学ぶ姿勢を作る事」となるのでしょうが、非常に困難な道だと思います。

     画一的な「平等な結果」だけを追い求めるのであれば、その意図した「結果」通りに子供が動くように強制的に捻じ曲げてしまえばいいでしょう、、日教組がやっていることはまさしくこれにあたります。

     しかしそうではない、子ども一人一人の個性を大事にしながら、決して画一的な手法ではなく、各々の個性にあったやり方で「子どもが自分なりの学ぶ姿勢を見つけて作る」のを支援していくのが、本来の在り様だと思います。また日本では失敗してしまった「ゆとり教育」の本分もその点にこそ、あったのではないでしょうか。

     では、具体的にどうすれば、、言葉は悪いですが、現場での試行錯誤を重ねて、効果的にPDCAを回していくしかないと思います。そういった意味では、現場で教育に従事する「教師」に権限をもっと持たせるべきでしょう。もっとも「自由であるからこそ責任が自覚される」となり、評価基準も明確にした上になるでしょうが。

     教師はあくまで伴走者であって、主役は子供です。その子供が「自身の力で考え、価値観を構築し、他者との関係性を模索していくための社会性を身につけていく」のが、「教育」の本分ではないかとも。少なくとも「自分がこの授業に参加していたのだ」という存在感も感じることができれば、そう変な方向に進むことはないとも感じています。

     日本とは教育学の在り様も事情も異なるのでそのまま全てを移植できるわけでもないでしょうが、成人以降の「生涯学習」との理念とも合致して、相乗効果的に「人間形成」が継続されていく事になるのかな、なんてことを考えさせながら、興味深く読めました。

     「私たちは、「未来の学力」を子どもたちに用意しなくてはならない」、この責任の重さを実感している教師の方はどの位いらっしゃるのだろうか。もちろん「教師」に限ったことではなく、子供を「教育」する立場である人であれば、すべからく必要な視座なのだと思いますが、、精進します。。 orz

     こんな中、一つ興味深い試みと感じているのが、母校東洋大学で実施されている「往還型教育実習(http://www.toyo.ac.jp/lit/toyopsp/outline_j.html)」との教育学のカリキュラム。2009年度開始らしく、このカリキュラムを受けた「教師」の方々が実社会に出るのは来春2013年度になるのかな。これは是非、成果を見てみたいところです。

     そして、昨年末の政権交代に伴い、2006年に改正された教育基本法から派生する、教育再生事業の加速化を期待したいところです。民主党政権下では輿石氏に代表される日教組が幅をきかし、、実質的に停止状態となっていましたから。

     ん、「日本を取り戻す」、そのためのヒントになればと感じさせてくれた、そんな一冊でした。

著者プロフィール

1950年、岐阜県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。都留文科大学副学長。主な著書に『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』『フィンランドは教師の育て方がすごい』(小社刊)、『競争をやめたら学力世界一』『競争しても学力行き止まり―イギリス教育の失敗とフィンランドの成功』『こうすれば日本も学力世界一』(朝日選書)、他多数。

「2015年 『国際バカロレアとこれからの大学入試改革』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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