- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784750513263
作品紹介・あらすじ
2011年3月11日東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波により、三陸の沿岸は甚大な被害を受けた。しかし平安時代以前に遡る社寺の多くは、高台にあり被害を免れたと報告される。
白洲正子は十一面観音が「水神」「龍神」であったという仮説を立て、日本各地を旅した。また景観工学者の樋口忠彦は、十一面観音を本尊とする奈良・長谷寺の地形を山と河川が造りだす日本列島の景観の一典型だとした。
このように、三陸の沿岸をはじめ、日本各地の海や、川や、湖や、沼の畔には数多くの十一面観音像が祀られ、「水の守護神」として地域の人々から大切に守られてきたのである。
十一面観音を水辺に立てることは、治水や利水の成果を示すため、その事業に命を懸けた先人を弔うためだったのではないか。あるいは町や村の近くまで押し寄せた津波や洪水の経験を記憶にとどめるためだったのではないか。大和路、琵琶湖畔、東京とその近郊、濃尾平野、そして三陸沿岸を歩き、「水」との戦いの歴史であった日本列島民の足跡をたどる。
感想・レビュー・書評
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<神仏習合の痕跡を訪ねる旅>
日本には古来、土着的な信仰がある。古くからの神が祀られていたところに、仏を祀る「寺」が出来ていく。やがて、日本の神は仏教の仏が衆生を救うために現れたとする「本地垂迹」思想が生まれていく。
明治維新に「神仏分離」が行われ、甚だしきは「廃仏毀釈」に到った。
寺のあった場所に元々あった土着の信仰の痕跡もわかりにくくなってしまった。
著者は各地の十一面観音を訪ね歩き、主に「治水」の観点から、古の人々の祈りに耳を澄ませている。
本書で大きく取り扱われているのは、長谷寺系の十一面観音である。十一面観音は通常、左手に紅蓮を挿した花瓶、右手に数珠を持つが、長谷寺系列のものは、多くが数珠の代わりに錫杖を持つ。
各地に「長谷」と冠する寺は数多いが、水を求め、水と闘う様相が濃いものが多いという。錫杖は水脈を訪ねて歩く姿かもしれず、また水脈のある場所に生えた木を連想させるものかもしれない。
十一面観音は、白山神社や洞窟・岩場ともまた関わりが深いとされる。
洪水で母を失ったという円空も十一面観音を作っている。
水難に苦しむ地域で生まれ育った二宮尊徳は、厚い観音信仰を持っていたという。
論理的にかっちりと説を作っていくというよりも、痕跡を訪ね、見つめていくような本である。
タイトルからも窺い知れるように、東日本大震災が本書執筆の1つの契機にはなっているが、特に、三陸海岸のみに注目したわけではないし、防災の観点を強く語るというわけでもない。
現在の寺の向こう側に古代の信仰や祈りが見えてくるような、そんな作りになっている。
*白州正子や西郷正綱の著作がところどころで引用され、なかなか興味深い。