イワンの馬鹿 (トルストイの散歩道)

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制作 : 北御門 二郎 
  • あすなろ書房 (2006年5月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (102ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784751523827

イワンの馬鹿 (トルストイの散歩道)の感想・レビュー・書評

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  • どんなに人にいいように使われても、
    悪魔に邪魔されても、
    ただただ愚直に仕事をして
    いいとも、いいとも、と来る人来る人を養ってあげる
    馬鹿なイワンの話。

    手や背中を使うより、
    頭を使って仕事をするほうが
    百倍も難しい、と言う悪魔に、

    ほう?じゃ、お前さん、
    お前さん自分自身でどうしてそんなに
    自分を苦しめているんだね。

    と尋ねるイワンの台詞が印象的でした。

    考えすぎてしまうと、
    人を憎んだり、欲深くなったり、
    素直に人に優しくしてあげられなかったり。
    グルグルと考えて考えて
    勝手に死にそうになるよりも、
    何も考えず馬鹿のように純粋に
    人のために何かしてあげようとすること、
    そういうことがいちばん必要で
    大切なんだろうなあと思いました。

    考えるのをやめるのは難しいんだけど。

  • 商人と軍人の兄達。末っ子のイワン。
    悪魔達が彼らを破滅させようとするがイワンだけ馬鹿故に破滅しない。働き者。
    最後悪魔の大将が頭を使え!と説教するが手にタコを作って働いてない者は相手にされない。
    結末に大笑い。
    悪魔の消え方が面白い。ポツーンと地面に穴が残るところ。好き。

  • 2016/5/17

    子どものとき違う訳者のものを持っていた。伊坂幸太郎氏の「サブマリン」を読んで再読したくなった。
    「自分を愛するように、神と隣人を愛せ」という教えを信じたトルストイの名作。
    馬鹿のイワンと欲張りな2人の兄。戦争とはなんなのか、お金ってなんなのか、考えさせられる。

  • 子供の書籍に分類されていたけれども
    訳の単語も文体も古臭くて通じないだろうと思って
    奥付を見たら2006年初版だというのに
    1913年生まれの北御門さんという人の翻訳だった

    気になって1963年初版の古い翻訳を読み比べてみたけれども
    まだ現代文に近いように思えた

    まあこれはこれで良いのかもしれないけれど
    何度か読んだ大人が読んでも違和感があるものを
    初めて読む子供に贈る気にはなれない

    内容には奥深いものを感じ取ることが出来る
    例えば徹底したお人好しが結果として
    悪魔の誘いにも騙されず一成る神の教えに近く
    相対性時空間というこの世の真理にも近い生き方ではないかと
    問いかけているとしてもかなりの遠回りで
    余程深読みしなければ何を言わんとしているのかすらわからない

    又一成る世界と相対成る世界が織りなす環境を対立させているばかりで
    肝心なこの摩擦界の意味に踏み込んでいないことが残念である

  • ある裕福な農民には三人の息子がいた。
    長男は軍人として、次男は商人として働いているが、バカな三男は他の仕事に就けずに、農民となって父の手伝いをしていた。
    ある日、この三兄弟を仲違いさせようと、三匹の悪魔がやってくる。長男と次男はまんまと悪魔の策略にはまって財産を失ってしまうが、三男だけは別で……。

    ***

    なかなか教訓的なお話だな、と思いました。
    お金さえあれば本当に幸せなのかな? などと、生き方について考えるきっかけになる本。文章も難しくなく、小学校高学年からでも読めます。
    いろいろ考えちゃいますね。面白い本でした。

  • ええこっちゃ

  • むかしある国の田舎にお金持の百姓が住んでいました。百姓には兵隊のシモン、肥満のタラスに馬鹿のイワンという三人の息子と、つんぼでおしのマルタという娘がありました。兵隊のシモンは王様の家来になって戦争に行きました。肥満のタラスは町へ出て商人になりました。馬鹿のイワンと妹のマルタは、家に残って背中がまがるほどせい出して働きました。

    ブログ仲間の薔薇豪城さんが、トルストイを読んで戦前に兵役拒否を志し、結果的に生き残った北御門二郎(1913~2004)という人について書いていました。それで興味を持って初めて「イワンの馬鹿」を青空文庫で読んでみました。

    戦争好きで軍人になった長男と、お金好きで商人になった次男と、馬鹿で正直でお人好しで、信心深く、農民をやっていた末っ子のイワンという構成は、最初は「三匹の子ブタ」じゃないか!と思うのですが、次第に「戦争と平和」童話版の様相を示し出して、ちょっとした大河ドラマになるのです。

    重要な登場人物に親玉の悪魔と、三人の小悪魔が出て来ます。三人の小悪魔が上の二人の兄弟を籠絡してイワンで失敗するのは「定番」。

    ところが、イワンが小悪魔から兵隊や金を作る「魔法」をゲットすることで、物語は印度との戦争を含む「マクベス」的な世界に変貌するのです。

    マクベスは自らの欲望に飲み込まれて自滅する。イワンは、兵隊も金も、音楽隊とオモチャとしか考えない。徹底した無欲と勤労精神、そして「いいとも、いいとも」と受け入れる困った人に対する「無償の愛」を武器に、最終的には「ハッピィエンド」を勝ち取るのです。

    最後に残るのは「理想の国」です。イワンのみだけでなく、妃も、国民も「馬鹿」であることが、生き残った「根拠」となります。

    戦争に対しては二つの「岐路」がありました。一回目はお兄さんに対しては無償で兵隊を与えたイワンであったが、次に兵隊を所望された時にイワンが初めて「NO」と言った時です。

     イワンは頭をふりました。
    「いいや、わしはもう兵隊はこさえない。」とイワンは言いました。
    「でもお前はこさえてやると約束したじゃないか。」
    「約束したのは知っているが、わしはもうこさえない。」
    「なぜこさえない、馬鹿!」
    「お前さんの兵隊は人殺しをした。わしがこの間道傍の畑で仕事をしていたら、一人の女が泣きながら棺桶を運んで行くのを見た。わしはだれが死んだかたずねてみた。するとその女は、シモンの兵隊がわしの主人を殺したのだと言った。わしは兵隊は唄を歌って楽隊をやるとばかり考えていた。だのにあいつらは人を殺した。もう一人だってこさえてはやらない。」

    「不殺生」はどんな場合でも妥協することのない、イワンにとっての第一原則なのです。

    それでも、世の中は平和には傾かない。兵隊を持っているお兄さんとお金を持っているお兄さんが2人共同して、助け合ったからです。産軍協同は現代でも世界の基本性格です。

    親玉の悪魔は、2人のお兄さんを破滅させて、タラカン王をそそのかして遂に「イワンの国」に攻め入る。それが二つ目の「岐路」です。

    「タラカン王が大軍をつれて攻めよせて来ました。」
    「あ、いいとも、いいとも。来さしてやれ。」とイワンは言いました。
     タラカン王は、国ざかいを越えると、すぐ斥候を出して、イワンの軍隊のようすをさぐらせました。ところが、驚いたことにさぐってもさぐっても軍隊の影さえも見えません。今にどこからか現われて来るだろうと、待ちに待っていましたが、やはり軍隊らしいものは出て来ません。また、だれ一人タラカン王の軍隊を相手にして戦するものもありませんでした。そこでタラカン王は、村々を占領するために兵隊をつかわしました。兵隊たちが村に入ると、村の者たちは男も女も、びっくりして家を飛び出し、ものめずらしそうに見ています。兵隊たちが穀物や牛馬などを取りにかかると、要るだけ取らせて、ちっとも抵抗しませんでした。次の村へ行くと、やはり同じことが起りました。そうして兵隊たちは一日二日と進みましたが、どの村へ行っても同じ有様でした。人民たちは何でもかでも兵隊たちの欲しいものはみんな持たせてやって、ちっとも抵抗しないばかりか、攻めに来た兵隊たちを引きとめて、一しょに暮そうとするのでした。
    「かわいそうな人たちだな。お前さんたちの国で暮しが出来なけりゃ、どうしておれたちの国へ来なさらないんだ。」と村の者たちは言うのでした。
     兵隊たちはどんどん進みました。けれどもどこまで行っても軍隊にはあいませんでした。ただ働いて食べ、また人をも食べさせてやって、面白く暮していて、抵抗どころか、かえって兵隊たちにこの村に来て一しょに暮せという者ばかりでした。
     兵隊たちはがっかりしてしまいました。そして、タラカン王のところへ行って言いました。
    「この国では戦が出来ません。どこか他の国へつれて行って下さい。戦はしますがこりゃ一たい何ごとです。まるで豆のスープを切るようなものです。私たちはもうこの国で戦をするのはまっぴらです。」
     タラカン王は、かんかんに怒りました。そして兵隊たちに、国中を荒しまわって、村をこわし、穀物や家を焼き、牛馬をみんな殺してしまえと命令しました。そして、「もしもこの命令に従わない者は残らず死刑にしてしまうぞ。」と言いました。
     兵隊たちはふるえ上って、王の命令通りにしはじめました。かれらは、家や穀物などを焼き、牛馬などを殺しはじめました。しかし、それでも馬鹿たちは抵抗わないで、ただ泣くだけでした。おじいさんが泣き、おばあさんが泣き、若い者たちも泣くのでした。「何だってお前さん方あ、わしらを痛めなさるだあ、何だって役に立つものを駄目にしなさるだあ。欲しけりゃなぜそれを持って行きなさらねえ。」と人民たちは言うのでした。
     兵隊たちはとうとうがまんが出来なくなりました。この上進むことが出来なくなりました。それで、もういうことをきかず、思い思いに逃げ出して行ってしまいました。

    これによって、穀物や牛馬だけが目標だったタラカン王の侵略は止まります。撤退します。これが世に言う「無抵抗主義」です。

    「現実ではこうはならない」とすかさず誰かが言うでしょう。私もそう思います。

    「無抵抗主義」で、戦争自体は(今のところ)止めることはできなかった。しかし、少なくとも戦前の日本人の1人以上はこれによって命をかけて兵役拒否をしたのです。つまり人の心を変えたわけです。そして、兵役拒否制度は現代世界で多くの国が取り入れているのは、ご承知の通りです。トルストイの文学が無駄だったわけではない。

    「イワンは今でもまだ生きています。人々はその国へたくさん集まって来ます。かれの二人の兄たちも養ってもらうつもりで、かれのところへやって来ました。イワンはそれらのものを養ってやりました。」と、最終章は述べています。「イワンは今でもまだ生きて」いるのです。
    2015年1月25日読了

  • イワンと悪魔達のやり取りが面白いね。
    あと3匹のこぶたのような兄弟も面白い。

    とりあえず、あしたからしっかり働こうと思いました。そして人には優しくかな。

  • 少し長めの童話。馬鹿の定義の再考の機会。共産主義と資本主義の対立。トルストイが共産主義寄りだったことがうかがえるが、共産主義が共産主義としてやっていくには、トルストイが言うところの馬鹿でなければいけないのだろう。悪魔は資本主義の顕現かな?唖娘やイワンは馬鹿であるが、馬鹿とは純粋無垢であることの同義語であるように使われている。働く意味を考えさせられる。また、イワンの国では、金銭が人々の認識の上でしか価値がないことが如実であり、人類は物理的な価値しかない金銭では飯が食っていけない点で、資本主義の暗黙の了解の脆さを表している。

  • “耕さざるもの喰うべからず”が教訓の寓話。

    この作品は、資本家・軍人の存在を強く否定する。
    何故なら人類にとって、金貨は食べられないし、殺戮は滅亡に通じるからだ。
    また彼等、搾取する者は、更に強いものにねじ伏せられるので、
    恒久的な平和を得られないことを指摘する。
    更に存在意義が無い決定的な証拠として、彼等が食べ物を産出しない点を指摘する。
    生きるために最も基本で、最も尊い行為は、田畑を耕すことしかないのだ。

    以上のことを、愚直な三男坊イワンと、身勝手な二人の兄、
    そして悪魔とのやりとりから読み取れる。

    人は人に勝りたがるものだと思うけど、イワンの生き方には賛同したい。

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