- Amazon.co.jp ・本 (579ページ)
- / ISBN・EAN: 9784753102242
作品紹介・あらすじ
〈帝国〉という言葉は捉えどころが無いのですが、それでも関心を呼び起こされるのは、現代という時代が捉えどころが無いからです。この現代性を壮大なスケールとヴィジョンで解き明かしてくれるのが本書です。例えば、今日テロという犯罪を戦争に仕立てて、国際社会を戦争状態におとし入れるような社会が、いつからどのように始まったのか?また、市場原理という原理主義が、われわれの日常生活を巻き込んだ生政治(剥き出しの生)へと転換したのは、どのようにしてか?これらの大問題を冷静に分析しつつ、現状分析に甘んじていられない、将来の可能性への熱いまなざしをマルチチュード(群集、多数性)に向けています。グローバル化に応じた、一国主義に捉われない世界の解放の視座を提供します。
感想・レビュー・書評
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数年前にこれを図書館から借りて読んだが、今思い返してそこに何が書いてあったか、さっぱり思い出せない。いや、マルチチュードとかいう言葉が何とも生煮えで宙ぶらりんの形で記憶に引っかかってはいる。読み終わった時は、この理解できなさは、多分日本語の訳のせいではと思いつき、確か原書まで買った記憶がある。でも今日まで原書の読破も果たされぬまま、分厚いEmpireもどこかに埋蔵されているはずだ。ということで、「要再読」のタグは付けておこう。
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大著である。序に「本書の執筆は、ペルシャ湾岸での戦争がまさに終わった後に開始され、コソヴォでの戦争がまさに始まる前に完了した。」とあるように、執筆姿勢はきわめて今日的な問題意識に貫かれている。世界は、この書物の執筆期間に負けず劣らず混迷の度を深めている。国連という機関の存在を無視した米英軍によるイラク攻撃という異常事態に見舞われている今日の世界を読み解く上での示唆に満ちた書物というべきか。
著者のアントニオ・ネグリは60年代イタリアの非共産党系左派の理論的指導者として知られるが、後にテロリストの嫌疑をかけられ投獄、現在は仮釈放中の身である。マイケル・ハートは亡命中のネグリが教鞭を執ったパリ第8大学で彼に師事し、ネグリが獄中で執筆したスピノザ論『野生のアノマリー』を英訳している。二人の著者は本書の中で共産主義者であることを宣言し、プロレタリアートに未来を見出している。これは現在の社会的風潮から見てもきわめてめずらしいことと言わねばなるまい。
ソヴィエト連邦の瓦解により、冷戦時代は終焉し、世界は合衆国がヘゲモニーをとる資本主義社会に落ち着くかのように思われた。ところが、政治的には、二十世紀最後の十年間は湾岸戦争をはじめとする戦争、紛争、内戦が後を絶たず、まさに世紀末的な様相を帯びることになった。経済的には「グローバル化」という言葉が盛んに叫ばれるようになったが、「グローバル化」とは単なる「アメリカ化」のことではないかという批判に見られる如く、国民国家という政治形態はその流れに脅威を感じていた。
著者たちは、この混沌たる時代に現れた「グローバル化」の動きを、従来の「帝国主義」とは一線を画し、「〈帝国〉」と名づける。つまり、「〈帝国〉」は、かつての「帝国主義」のように、一つの国民国家の主権の拡張の論理に基づくのでなく、脱領土化、脱中心化されたネットワーク上の支配装置であると主張するのだ。ドゥールーズ/ガタリからとられたと思われるこの概念は、今までにない画期的な秩序と権力の構成を示唆する。
国家という領土を持たず、国民という臣民を持たない「〈帝国〉」は、その力を行使するために、必然的に労働力を多国間の多様な人民に頼らざるを得ない。ここに、「〈帝国〉」に対する対抗勢力として「マルチチュード」が誕生する。「マルチチュード」はスピノザに由来する概念で、一般的には「群集」「多性」と訳されたりするが、まったく新しい能動的な社会的行為体であり、働くことによって自己を特異性として生産する新しいプロレタリアートなのである。
スピノザ、マキアヴェッリ、フ-コー、ジル・ドゥールーズ、フェリックス・ガタリ、ベンヤミン、ウィトゲンシュタインそれにマルクスやローザ・ルクセンブルグを援用しながら、ローマ帝国の時代から合衆国に至るまでの権力の推移とそれに対抗するマルチチュードの布置を論じる筆さばきは鮮やかなものだが、一番の問題は、「〈帝国〉」という現実的な権力と秩序の持つリアリティに対して、対抗勢力として期待されながら、現実には分断されたままの「マルチチュード」の圧倒的な脆弱さをどうするかという点にある。この大事な点に来ると、著者の語り口は荒野に呼ばわる預言者のようで、今ひとつ説得力が感じられない。ひねくれ者の評者などは、著者が「ホモ・タントゥム」と呼び、一種の社会的自殺だという「労働と権威の拒否」「自発的隷従の拒否」という在り方の方に惹かれてしまったのだった。 -
階級闘争型の従来の労働運動とは異なる、政党主導の政治運動とは異なる、自己決定やアイデンティティをめぐる社会運動。新しい社会運動。上意下達のヒエラルキーではなく、横並びのネットワーク。仏の五月革命、米のベトナム反戦、ポーランド連帯(ワレサ)。環境保護、フェミニズム推進、反戦、反人種差別。アラン・トゥレーヌTouraine『現代の社会闘争』1970
資本家と労働者の対立が緩和された。治安、経済成長、平等はある程度充たされた。人々は自らのアイデンティティを求めるように。クラウス・オッフェOffe
容易に決着しない異なる政治的主張同士が正当性をかけて激しく争うこと自体がデモクラシーの本質であり、他者の説得や他者との合意を強調しすぎてはいけない。闘技的(agonistic)なデモクラシー。▼政治は友と敵を分けるが、敵ではなく対抗者と見よう。多様な者、異質なものをお互いに認め合うことが政治だ。色んな人と議論を戦わせることで、自分は何者かも確認できる。▼女性、LGBT、人種、環境、貧困。様々な争点がある。各々ばらばらに運動するのでなく、運動同士が連帯すべき。民主主義はより根源的になる。シャンタル・ムフMouffe1985
*左派ポピュリズムを盛り上げて右派ポピュリズムに対抗。
情報社会で、自由に情報を得られるようになり、自分の生き方やアイデンティティを再検討するようになった。とくに高い教育を受けた中産階級。メルッチMelucci1989
アメリカ、G8、多国籍企業、世銀、IMF、世界経済フォーラムなど、権力のネットワークが形成されている。中心があるわけでもなく、特定の領土に限定されることもない権力のネットワーク。この巨大権力のネットワークに対抗するには、支配される民衆もネットワークを作る必要がある。反資本主義を掲げる学生・ジャーナリスト・学者・会社員・移民など、様々な人がつながり、集まり、議論し、行動する。伝統的な社会主義運動・労働組合運動・左翼政党とは異なるネットワークによる抵抗を目指そう。WTOへの抗議運動、G8への抗議運動、ダボス会議への抗議運動。世界社会フォーラム。ネグリ&ハートNegri & Hardt『帝国:グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』2000 -
―2003年6月―
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60を超えて読むには無茶苦茶わかりにくい本。翻訳のせいなのか、悪文なのか?久しぶりにこんな本読んで、頭がトコロテンだ。最近の柔らかいファシズムと言われるものと帝国の話はつながるのかな?40年以上前の大学の国際関係論のゼミで、きちんと体系だった勉強すべきだったな。遊びすぎた。勉強しなおすか。
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国際関係論の授業で知り、図書館で借りる。が、600ページ近い大作で諦める。マルチチュードのコンセプト自体は別の本で確認したい。
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数年前にこれを図書館から借りて読んだが、今思い返してそこに何が書いてあったか、さっぱり思い出せない。いや、マルチチュードとかいう言葉が何とも生煮えで宙ぶらりんの形で記憶に引っかかってはいる。読み終わった時は、この理解できなさは、多分日本語の訳のせいではと思いつき、確か原書まで買った記憶がある。でも今日まで原書の読破も果たされぬまま、分厚いEmpireもどこかに埋蔵されているはずだ。ということで、「要再読」のタグは付けておこう。
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特に印象はなし。
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2007/05/18 購入
2007/07/16 読了 ★★
2014/12/11 読了