基礎情報学―生命から社会へ

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  • NTT出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784757101203

作品紹介・あらすじ

本書は情報学についての入門書でも概説書でもない。既存の情報科学や情報工学、メディア論、コミュニケーション論などとは異なる観点から、情報/メディア/コミュニケーションというものをラディカルにとらえ直すことが、本書のねらいである。

感想・レビュー・書評

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  • 基礎情報学は哲学。「人間」ではなく「ヒト」から出発し、情報の意味作用に注目する。「意味をつくりだす存在としての生命」という生命観。脱テキスト中心主義。ヴァレラのオートポイエーシス論、ギブソンのアフォーダンス論、パースの三項図式、ホフマイヤーの生命記号論、ルーマンの社会システム論、ドブレのメディオロジー。※じつはシンプルなアイデアなのに、すげー難しいのは、同業者(プロ研究者)への目配りみたいな記述が多いからだと思った。

    # 基礎情報学の使命

    生命存在の無根拠性、偶然性、盲目性、被拘束性を自覚しつつ生存のための模索を始めること。 → 地球環境を激変させていく人間中心の科学技術進歩主義や、マスメディアを通じてはたらく巨大資本の圧倒的な権力作用に対する、一種の批判的な視座。

    # 本書の目的

    - 情報の意味作用はいかにして生まれるのか?
    - 情報の意味はいかにして社会的に共有され、社会的リアリティを形成するのか?

    # 情報学的転回

    - 20世紀の言語学的転回:普遍主義の否定。相対主義の優位。
    - 21世紀:情報学的転回は、「生命」と「機械」という普遍的な要素を社会学的考察に導入し、相対主義と普遍主義の接点を探る。

    # キーワード

    - 情報:それによって生物がパターンをつくりだすパターン。 → 意味解釈の自己言及性、再帰性。
    -- 原-情報:生命情報を受信した生物が、その「意味」を解釈し、刺激を受けて自らの生命体としての構造を変化させ、何らかの行為をなす、この構造変化により生成されるもの。
    -- 生命情報:あらゆる情報は、基本的に生命体による認知や観察と結びついている。
    -- 社会情報:ヒトの社会において多様な伝播メディアを介して流通する情報。生命情報がヒトにより観察/記述されたもの。狭義の「情報」。
    -- 日常的情報:個人差などによる意味解釈のズレが少ない断片的な事項からなる社会情報。ふつう「情報」と呼ばれるもの。
    -- 機械情報:社会情報のなかで意味内容が潜在化し、表現形式である「パターン」という面だけをもつ情報。意味内容と関わりなく形式的・機械的に処理される情報。 → 意味解釈の斉一性を社会的に広げていく。
    - 観察者:情報を受信した(原-情報を刻印された)生物と構造的カップリングしたヒトの心的システム。
    - 意味解釈:観察者である心的システムが、自他の生命体システムと構造的カップリングをおこなってその観察/記述をおこなうこと。社会における意味解釈の斉一性が機械情報の流通を可能にする。
    - メディア:コミュニケーションを秩序づけるもの。素材を形式(フォルム)にまとめあげるメカニズム。
    -- 伝播メディア:情報を担うパターンの伝達や蓄積の効率化を実現するもの。ITなど。
    -- 成果メディア:コミュニケーション同士の論理的なつながり、さらにはより広く意味内容的なネットワークを保証するメカニズム。適切な問題領域にコミュニケーションをみちびく。貨幣、真理、権力、愛など。パーソンズの象徴的一般化メディア。
    --- 範列的(paradigmatique)メディア:コミュニケーションの並列的な選択、連想的な拡大を助ける。
    ---- 意味ベース:意味の社会的なストック。テーマのネットワーク(図書館情報学)。 → 権力作用。
    ----- 知識ベース:専門家が作る。
    ----- 常識ベース:マスメディア・システムが作る。 → 現実-像
    --- 連辞的(syntagmatique)メディア:コミュニケーションの直列的な継起、論理的な接続を保証する。
    ---- 二値コード
    ---- プログラム
    - コミュニケーション:記述を何らかの伝播メディアによって一つの形式にまとめあげたもの。
    - 社会:コミュニケーションを構成素とするオートポイエティック・システム。
    -- 環節的分化社会(太古):音声・対面メディア、私的コミュニケーション優位
    -- 成層的分化社会(古代から中世):文字メディア
    -- 機能的分化社会(近代):印刷文書メディア、公的コミュニケーション優位
    - 現実:社会システムが人々の心的システムに与える拘束・制約。互いに矛盾しており、「複数の現実」がある。
    - 現実-像:マスメディアが常識ベースを通じてつくる、社会の斉一的・顕在的な擬似統合的イメージ(想像の共同体)。可視的で理解できる現実の似姿。現実-像をつくり出すマス・コミュニケーションは、人気/不人気の二値コードにもとづく連辞的メディアによって導出されるので、現実-像は不安定。
    - マスメディア・システム:マス・コミュニケーションを構成素とするメタ社会システム。
    - マス・コミュニケーション:「社会観察者」による「コミュニケーションについての記述」を素材とする。

    # メモ

    情報の意味解釈の斉一性とは、一種の権力作用に他ならない。

    生命システムと機械システムの違い:

    - 歴史性→意味解釈の多様性→同一入力からの多様な出力
    - 閉鎖性→入力も出力も存在しない→現実と幻想の区別は存在しない→主客の区別も存在しない

    →生物はオートポイエティック・システム。入出力で特徴づけられる情報処理機械ではない。

    「情報」は生命体の外部に実体としてあるのではなく、刺激を受けた生命体の内部(in)に形成(form)される。自己言及的変容(解釈学的変容)が情報の意味作用。

    - ソシュールの記号学は静的な二項関係
    - パースの記号論は動的な三項関係

    ホフマイヤーの生命記号論:生命体の意味解釈の特徴は「自由度」「(物理的因果律などの)ルールからのズレ」

    外情報(exformation)にこそ真の「意味内容」がこめられている。(ノーレットランダーシュ)

    パース記号論の意味解釈(アブダクション)においては、演繹と異なり、誤りの生じる余地がある。→解釈の自由度

    自然法則。世界の予測可能性。環世界。アフォーダンス。

    「自然には習慣化する傾向がある」(パース)

    生命体には本質的に宿命(ルール)と自由(ルールからの逸脱)がある。(ホフマイヤー)→情報(記号)の意味解釈の規則性と誤り。

    「システムの現象をシステムそのものにとって意味づけ、システムの自律性をシステムの内的な機構として特徴づける記述の様式をつくり出したのが、オートポイエーシス論である」(河本英夫)

    「原-情報」が「社会情報(狭義の情報)」となるためには、観察者/記述者が必要。→パースの三項図式、ヴァレラの自律システム。

    自分という生命体を自ら観察し記述するときでも、たとえば、潜在的な情動と顕在的な言表行為とのあいだには常に隔たりがある。
    ※一次的理解と二次的理解。どちらにも「ズレ」は生じる。前者はメタ認知の不完全性。

    情報の意味解釈において「普遍的妥当性の不成立(主観性、誤りなど)」が発生する契機:

    1. 解釈者によるもの。同じ記号(情報)も別様に解釈されうる。
    2. 観察や記述という行為そのもの。

    生命単位体 ⊆ オートポイエティック・システム ⊆ 自律システム

    - 構成的閉鎖系:再帰的に相互依存するプロセスのネットワーク。理論上は上位概念だが、事実上、自律システムに等値される。
    - 自律システム:構成的閉鎖系が観察者と構造的カップリングした複合システム。
    - オートポイエティック・システム:自律システムのうち、観察者と構造的カップリング構成的閉鎖系の要素的なプロセスがとくに「構成素の産出プロセス」であるもの。自己を創出する自律システム。
    - 生命単位体:オートポイエティック・システムのうち、構成素が「物理的な具体的単位体」を構成するもの。

    - 有機構成:非物質的
    - 構造:物質的

    - 受信者:生命単位体
    - 観察者:心的システム

    情報は伝達されない。

    ヒトと社会:複合システムの形成と階層関係の消滅。→相互浸透

    上位の社会システムが、下位の心的システムに拘束・制約を加える。

    伝達作用(ドブレ)

    マスメディア・システム-機能的分化システム(近代社会)-心的システム

    現実は論理的言語、現実-像は感情的イメージ。

    知識ベースの拡大 → 専門家の不可視の権力 → マスメディアが常識ベースを通じてつくる「現実-像」を人々が渇望する。

    機能的分化システムの特徴は安定性/硬直性。マスメディア・システムの特徴は不安定性。 → 知識社会の衆愚化

    マスメディアのつくる「現実-像」が、社会の斉一的・顕在的な擬似統合的イメージとして渇望される。

    ルーマン社会学の戦略:ポストモダン相対主義のパラドックスを逆手にとり、複数の社会像(機能的文化システム)の重ね合わせとして、事後的に全体としての「社会」を浮かび上がらせる。「二次的観察」の可能性に言及することで理論の普遍的正当性を主張する。

    # 残された問題

    近代社会を単一の相のもとにとらえてよいのか?

    マスメディアの、論理的言語から、映像的・音響的イメージへの重心移動。 → (1) 機械情報の融合 (2) 生命情報と機械情報とを結ぶ回路の出現。

    ベル批判:理論知の多くは、斉一的な現実-像と、それをふまえて生み出される人々の均質な欲望を基盤にして編成されてきた。しかし、インターネットの普及で、その状況は一変するだろう。 → 多種多様な現実-像へと分裂、多様化する。 → 生産効率中心の理論知だけでなく、斬新な発想、身体に立脚した経験知、意識できない暗黙知が必要とされるのでは。学際的・横断的な総合知への要求が高まる。

  • ヒトとヒトの間で根源的には情報は伝わらないということを前提に、それにもかかわらず、なぜ情報が伝わる「かのように」この社会が動いていくのかを説明する。
    オートポイエーシス理論に基づくと、生命は外界から刺激を受け取ることはあっても、情報の意味はその個体の中に、その個体の歴史を基づき立ち上がるものである。したがって、ある情報を発したヒトが伝えたかった意味内容が、受け取った人にそっくりそのまま伝わるとは限らない。
    しかし、ヒトが発した情報が、ヒトの上位に位置する社会システムの素材となり、社会システムでのコミュニケーションが続く限りにおいて、ヒトとヒトの間で疑似的にではあるが情報が伝わったと見なされる。
    この社会システムでの(疑似的な)情報伝達の説明においては、同じくオートポイエーシスをベースにしたニコラス・ルーマンの理論に多くを拠っている。ルーマンと異なる点は、ヒトの心的システムと社会システムとの間に階層関係を認め、さらに社会システムの上位にマスメディア・システムを位置づける点である。
    ヒトとヒトの間で情報は伝わらないという前提により、社会での(疑似的な)情報伝達のメカニズムを炙り出すことができており、また、メディアをヒトの間における(本来はズレるはずの)情報の意味解釈の斉一性を担保するものとして位置付け直すことができている。
    ただし、ヒトとヒトの間で情報は伝わらないということは、このような社会での情報伝達を分析するために便宜上置いた前提ではない。ヒトの間で情報が伝わることを無邪気に認めると、ヒトをインプットとアウトプットのある情報処理機械とし、コントロール対象とする見方へと安易につながるのである。そうならないためにこそ、この前提が重要なのだ。
    著者の西垣通先生は、コンピュータがヒトに近づくことよりも、ヒトがコンピュータに近づくことを、ヒトをコンピュータに近いものとして見るようになることを懸念している。ヒトが抑圧されない情報社会を作っていくために、ヒトに情報は伝わらないという根源的な視点を忘れてはならないのである。

  • 社会情報学ないしは情報社会学なる分野は未だ確立されていない。社会学方面、工学方面からのアプローチに加えて、医学生理学方面からのアプローチが足りないのが一因か?

  • 基礎情報学の入門書、「生命と機械をつなぐ知」を先に読んでいたので、内容的にはすでに大体のところは把握済みだった。入門書と同様の内容が丁寧に書かれている。最後はインターネットシステムについての可能性について述べられて終わる。この本は2004年出版のものだから、入門書の方が基礎情報学としても先に進んでいるわけだ。

    基礎情報学とは、オートポイエーシスという生物学の考え方を情報学に応用したものという認識だったが、この本を読んでみると、むしろルーマン社会学を情報学向けに考察しなおしている感じが強い。

    内容としては、観察者のところで混乱した。具体的には「社会観察者はその機能に直接関連して専門的に活動している者ではない」というところだ。あれ?社会システムでコミュニケーションを行ってる心的システムは観察者だとばっかり思っていたのに…。でも、よくよく読んでみると、どうやら観察者≠社会観察者のようだ。観察者=コミュニケーションの参加者の心的システム、社会観察者=ジャーナリストの心的システムということで、ひとまず理解しておく。

    次は、続 基礎情報学を読んで、基礎情報学がどのように発展していくかみていくことにする。

  • 文系情報学の標準的テキスト(?)

  • 情報の「本質」は生命による「意味」作用であり、意味を表す記号同士の論理的関係性やメディアによる伝達作用は派生物に過ぎない。情報の「意味」とは、生命システムにおいて発生し、伝達されるものである。そして本書で取り上げている「基礎情報学」は、世界を「情報」から眺め、かつ従来の情報工学や情報科学では扱いが難しかった、意味の世界を探る学問である。その背景には、近年のテレビやマルチメディアによる各種表現の広がりによる、これまでのテクストのみによる情報伝達及び意味処理形態の限界などがある。

  • 関連本二冊目だけどむしろ疑問が増えた。 1. 「階層的」自律システムの制約強すぎないか? 2. 社会システムの説明あたりで、急に現象論的で場当たり的になってる気がする。 3. 観察者や相互作用の辺り良くわからない。写像・要素・作用素とかでシンプルに出来ない?

  • こころの情報学、を詳しくしたような本。おもしろい内容なのだが、なぜかインパクトが感じられない。

  • タイトルは「情報学の基礎」の意味ではなく「基礎情報の学」。”情報”の統一的な基礎付けをしようという意欲的な著作。だから、油断して読みだすととたんに迷子になること請け合い。

    情報といえば、シャノン=ウィーバーの情報理論なのだけど、あれは情報の定量化による通信可能性に関する理論であって、情報の持つ意味内容にはいっさい手をつけていない(だからこそ情報を定量的に取り扱うことができた)。でも、情報とは何かという根本的な問いを立てたのなら、それが含有する意味内容、そしてそれが与える影響にまで踏み込無必要がある。

    というわけで、西垣の基礎情報学になるわけだけど、ここで西垣は情報を「それによって生物がパターンをつくりだすパターン」と定義する。一般的な情報の理解とはかなり異なる定義だが、それは情報が持つ意味内容までを包括した理論化を目論んでいるから。意味内容の視点から考えるのであれば、必ずそれを受容し利用する生物の存在に行き着かざるを得ない。「生命から社会へ」という副題の意味はそこにある。

    そして、こうした情報と生物との関係を記述するために、西垣はオートポイエーシス理論を援用した分析を試みる。マトゥラーナ=ヴァレラが提唱した自律的・自己言及的な生命システム像であるオートポイエーシス理論は、生物の構成を閉鎖的なもの、外的な刺激とその反応の連鎖として捉える。その後ルーマンによって社会学・システム論に応用されるのだけれど、西垣はそこに情報を位置づけることで、生命に対する意義を見出そうとする。

    ここまででも相当に普通の情報学とは違って理解が難しい。続編の「続 基礎情報学」はこれに輪をかけて難しい。そもそも、西垣の主張、構想の妥当性も正直良くわからない。それでも情報の統一的な基礎付けを行うという挑戦には夢があるし、好奇心も刺激される。


    【読書メモ】
    ・情報とは「それによって生物がパターンをつくりだすパターン」
    ・情報は生命の世界認知活動「意味」と関わるはず→しかし情報工学は意味を排除する方向に。
    ・社会は「人」の集まりではなく「コミュニケーション」を構成素とするオートポイエティック・システム
    ・近代は「機能的分化社会」→それぞれのサブシステムの中でコミュニケーションが自律的に生成消滅し、意味が伝達
    ・マスメディアは「現実ー像」を提供→現実に一定の解釈をほどこし、斉一的な「説明」として人々に提示される一種の虚像

  • たにちゅさんの本から。
    前半だけで良いと言われてたけれど、全部読んだ。
    後半も面白かった。機械情報あるいは社会情報になるときに、
    音象徴は破棄されたのではないか。

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著者プロフィール

東京経済大学コミュニケーション学部教授/東京大学名誉教授

「2018年 『基礎情報学のフロンティア』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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