アーキテクチャの生態系

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  • NTT出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784757102453

感想・レビュー・書評

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  • mixiや2ちゃんねるといった日本特有のサービスの仕組みや技術的なアーキテクチャを解説した良書でした。

  • 現代の情報化社会を独自の視点で捉えている.
    いろいろなネタがたくさん出てくるが,結論は何なのかいまいち判然としない.
    自分で考えろということか.

  • 「すでに分析したように、ニコニコ動画の特徴は、実際には同じ時間を共有していない(=非同期的な)ユーザー同士が、あたかも同じ現在を共有(=同期的な)コミュニケーションを交わしている〈かのような〉錯覚を得ることができる点にありました。」

    内容は、特にニコニコ動画の話は、感心した。mixi、ニコニコ動画、『恋空』を中心に書かれた本で、facebookやgoogleに関する説明はあっさりしていた。

    この本を読む上で気になったのが、全体を通して回りくどく、わざと難しい言葉を使っていることだ。これから教養を身につけようとする人にとって、この本はとても知的に見えるのだと思う。

    なぜ、日本のit企業と海外のit企業のクールさはこれほどまでに違うのか。

  • [読んだ理由]==================
    忘れた。。


    [読んだ後の感想]==============
    2ちゃんやGoogle、ミクシイなど様々なウェブ関係のサービスを横断的に捉えて、それぞれの関係性を整理する。その際には個々のサービスの内容に深く入りすぎずに、それぞれ一般化して扱っている。一般化して扱うことで、ウェブ以外の学問領域との共通性も見つけ出していて、色々と新鮮だった。ヒットするサービスは偶発的に発生するわけではなく、必然があるんだなぁ、と。そして互いに仕組み/アーキテクチャに共通性があるのだなぁ、と。

    ちょっとアカデミックな感じなので、読み慣れてなくてちょっとつかれた。


    [備忘録]======================

    ■第一章:アーキテクチャーの生態系とは
    「規範」や「法律」という規制方法が有効に働くには、規制される側が、その価値観やルールを事前に「内面化」するプロセスが必要になりますが、「アーキテクチャ」は、規制される側がどんな考えや価値観の持ち主であろうと、技術的に、或いは物理的に、その行為の可能性を封じてしまうのです。


    ■第二章:Googleは如何にウェブ上に生態系を築いたか
    ウェブ上ではリンクを通じて情報が発見され、共有され、そしてより多くのリンクを獲得した情報が更に人の目に触れていく、という「自然淘汰」のメカニズムが常に働いています。

    2000年代中盤、米国のシリコンバレー界隈は、ネットバブル崩壊意向の低迷期を抜け出し、Web2.0といったバズワードを伴いながら、再び活況を取り戻したと言われます。この背景には、Googleが信仰ソーシャルウェア企業にとっての「プラットフォーム」としての役割を果たすことで、ウェブ業界全体をけん引するという構図が有りました。更にこの光景を比喩的に表現すれば、Googleをいわば苗床にして、新たなソーシャルウェアが次々と(しかも安定的に)生まれる「生態系」が形成されたといえるでしょう。

    ウェブを開発したバーナーズ・リーは、恐らくGoogleのようなものが生まれてくるとは創造もせずに、リンクというアーキテクチャを考案したことでしょう。又ブログの開発者やユーザーたちは、Googleの検索システムに適合するはずだということは、恐らく当初のうちは考えてもいなかったはずでしょう。こうしたウェブ上のイノベーションは、「偶然」とはまた別の言葉を使えば「意図せざる結果」として生み出され、結果的にその時時の情報環境の状況に適応する形で生き残ってきたとみなすことができます。

    今眼の前に有る単一のアーキテクチャの存続だけを願うことや、あるひとつの進化の道筋だけを原理主義的に正しいものとして信仰することは退けなければなりません。ウェブの生態系は、Googleの周辺だけに発生するわけではない。だとするならば、私達は、ウェブ上の様々なアーキテクチャの生態系が生み出す多様性を捉えるために、「相対主義」的認識を取るべきなのです。


    ■第三章:どのようにGoogleなきウェブは進化するか
    筆者は、2ちゃんねるに書かれた「内容」に着目するのではなく、どのようにして2ちゃんねるという巨大で広大なウェブ空間上において、「検索」という認知限界をサポートする仕組みを有しないままに、膨大なユーザーの間でコミュニケーションや情報交換が上手くわーくしているのか、そのメカニズムに着目したいのです。

    スレッドの表示順序は固定しておらず、絶えず書き込みの状態によって流動するため、「スレッドがフローする」というわけです。こうしたスレッドフローというアーキテクチャによって、活発にコミュニケーションが行われているスレッドは、一覧の上に表示されやすくなり、ユーザーの目に止まりやすくなります。

    「常連を排除する」という2ちゃんねるの「設計思想」は、他の一般的なネットコミュニティの運営者のそれと比べると、寧ろ真逆のものと言えます。

    「dat落ち」という特性は、事後的に見れば「常連を排除する」というコミュニティ活性化の機能を果たしているように見えるけれども、その機能自体は、決して予めそうした目的のために設計されたのではなく、又別の制約条件を受けて生み出されたものだった。2ちゃんねるのアーキテクチャが生まれてきた背景にも、こうした進化論的な図式を当てはめてみることができるのです。

    産経新聞izaの記事では、祭りや炎上を引き起こすネットユーザーたちを、所謂「ネット右翼」ではなく、「ネットイナゴ」と呼ぶほうが適していると指摘されています。同記事では「イナゴには悪意も善意もない。あるのはただ食欲のみだ」と形容しているのですが、換言すれば「つながりの社会性」に興じる者達は、右か左かといった政治的なイデオロギーの内容には関心がなく、祭りや炎上に参加しているという事実だけを求めているということです。

    2ちゃんねる語をウェブ上で用いることで、互いが誰であるのかを問うこと無く、「みんな同じ」であることを功名に先取りしてしまうコミュニケーション。2ちゃんねる語によって「アイロニカル共同体のメンバーだ」というシグナルが送られると、互いに平等な匿名メンバーとして「お約束の中で」振る舞えるように成る。こうした言葉遣いの最も表層的なレベルでの共通性を軸に、2チャンネラーたちは「うちわ」の協会設定を行ってきたわけです。

    「ネット空間で特に顕著だが、日本人は人を褒めない」「心のなかでいいなと思ったら口に出せ。だれだって、いくつになったって、褒められれば嬉しい。そういう小さなことの積み重ねで、世の中はつまらなくもなり楽しくも成る」

    日本は集団主義的、アメリカは個人主義的、という認識があるので、アメリカのほうが余り他人を信用していないのではないか、と日本人は考えがちだが、実験を行うと事実は逆であるということを明らかにしています。アメリカのように、人的流動性の高い社会では、不確実な環境の中でも、より良い交渉や共同のための相手を探すために、まずは見知らぬ他人の信頼度を高く設定しておいて、izaその相手が「信頼」に足る人物かどうかを、後から細かく判断・修正するほうが効率的だからです。
    一方日本社会は関係の流動性が少なく、ずるずるべったりな相互依存的関係を気づいた上で、その「うちわ」のメンバー間で協力したりすることが多くなります。そこでは、その場の人間関係に常に注意をはらい、果たして誰が「仲間」で誰が「よそ者」であるかを見分ける、「関係検知的知性」が進化する。

    はてなダイアリーの開発手法は、「ソフトの翻訳」でなく「文化の翻訳」。英語圏で使われるソフトウェアのインターフェイスを翻訳するだけでは、日本では余り受け入れられない。その時必要なのは、ソーシャルウェアのアーキテクチャの内部にまで踏み込んで、日本のコミュニケーション文化、作法、監修に合わせたものに作り変えることだ。


    ■第四章:何故日本と米国のSNSは違うのか
    mixi:「儀礼的無関心」的なアクセス、つまりリンクを貼らずに直接アクセスすることで安全に覗き見をするという行為すらも、事実上不可能にすることができるようになります。言うなればミクシイは「足あと」機能というアーキテクチャの仕掛けによって、「儀礼的無関心」という規範的な振る舞いを「強制的関心」へと変換してしまうわけです。

    ミクシ以上のコミュニケーションのあり方は「つながりの社会性」の性質を見事に体現しています。「つながりの社会性」とは、要するに、特に内容のない、ただ互いに「つながっていること」だけを確認するために行われる、自己目的型のコミュニケーションを意味していました。
    これは皮肉なことに、匿名性が極めて薄いはずのミクシイでさえ、結局は匿名掲示板の2ちゃんねると同様の性質を帯びてしまったということを意味しています。つまり、結局日本のウェブ上では、匿名掲示板の2ちゃんねると、ゲーテッド・コミュニティのミクシイという、ともに「つながりの社会性」によって特徴付けられるようなソーシャルウェアが台頭してしまったということです、。

    たしかに、ミクシ以上の日記やコメントや足跡といった1つ1つのコミュニケーションは、さしたる内容を含んでおらず、まさに「繋がり」を確認するために行われているに過ぎない。しかし、そのコミュニケーションを行うことを通じて、人間関係の微細な「距離感」を計測するということ。これこそが、ミクシイを利用する人の隠れた「利用目的」の1つだといえるのではないでしょうか。

    人は現実社会において、様々な「カオ」を使い分けて生きている。だからミクシイという1つのSNS上に、全ての人間関係を混在させてしまうことはするべきではない、というわけです。


    ■第五章:ウェブの「外側」は如何に設計されてきたか


    ■第六章:アーキテクチャはいかに時間を操作するか
    「真性同期型」である以上、セカンドライフは「閑散としている」風景を完全にメタバース上から抹消することはできません。セカンドライフはその「広さ」という観点で見れば確かに大規模な仮想空間では有りますが、「人口密度」という点で言えば貧弱であり、それ故必然的に「閑散としている」後継を生み出してしまうのです。

    「真性同期型アーキテクチャ」が「後の祭り」を不可避に生み出してしまうシステムだとすれば、「擬似同期型アーキテクチャ」は、いうなれば「いつでも祭り中」の状態を作り出すことで、「閑散化問題」を回避するシステムである、ということができるのです。

    インターネットの出現は、テレビや新聞のように「みんなが一斉に同じタイミングで同じコンテンツを見る」という体験のシンクロ性をバラバラに解体してしまうものでした。


    ■第七章:コンテンツの生態系と「操作ログ的アルゴリズム」
    ケータイの「番通選択」は、それまで一方公的に仕掛けられていた電話という「同期的」なコミュニケーションを、受け手の側が選択可能にすることを意味していました。つまり、twitterの「選択同期」とケータイの「番通選択」は、「選択可能な動機的コミュニケーション」という点で、共通しているのです。


    ■第八章:日本に自生するアーキテクチャをどう捉えるか

  • ミクシィ、2ちゃんねる、ニコニコ動画、ケータイ小説、初音ミク…。日本独特の発展を遂げたウェブサービスを中心に、「ゼロ年代」を代表する論客が記す社会分析論です。あまり一般向けでないかもしれません…。

    本書は『ゼロ年代』を代表する若手論客の著した社会分析論です。そのもっとも特徴的なところはウェブの世界を中心にしたもので、この文章を書いている現在では少し内容が古くなりかけているもの、たとえばセカンドライフやウィニーの名前があることにネットの世界が持つ時間の速さというものを実感しておりました。

    ミクシィ。2ちゃんねる。ニコ動。さらには『恋空』などに始まるケータイ小説についてや、『ボカロ』でおなじみとなった初音ミクなどが、語られていて、読みながら乱立しているウェブ関係のサービスがどのような生態系を描いているのかがよくわかりました。特に、フェイスブックやツイッターなどのアメリカ発のプラットフォームに対して、『ガラパゴス』と揶揄されながらも独自のサービスを立ち上げてそれが我々ユーザーの心を捉えているということがわかって、
    『あぁ、こういう風になっているんだなぁ』
    という理解は得られました。

    ただ、量の分厚さと内容の難しさから、万人受けするかといえばそうとはいえず…。社会分析論を研究されている方や、ウェブなどでユーザーがどういった行動をしているかということを調べるマーケッターなどは今読んでも得るところは多いと思うのですが、なんともいえません。「ラットイヤー」と呼ばれ、めまぐるしい発展、変容を遂げていくIT、インターネットの世界ですが、これに我々がどう向き合い、何を選択していくかについて、ヒントにはなる一冊かとは思われます。

  • アーキテクチャと日本文化の絡みが面白い。著者はmixiが寡占する日本市場でFBは拡がらないと予測したがこれは外れましたね。その理由を考えてみるのも一興。おそらくは,招待制と足跡がポイントなんだろうな。

  • 社会学の観点で、日本におけるオンラインサービスにおける、情報設計を理解できる。

  • mixiやWinny、ニコニコ動画やケータイ小説のように、日本には独自の進化を遂げたインターネット文化が多数存在している。それらを読み解き、日本におけるインターネットでのコミュニケーションを読み解く本。

    『希望論』という本をきっかけに濱野智史さんに興味を抱き、卒業論文の参考文献探しを兼ねて読んでみた本です。

    内容は、引用欄を読めばおおよそわかるかと思います。

    2008年発行ということもあり、LINEに関する直接的な言及はありませんが、
    "いうなれば、ミクシィは「足あと」機能というアーキテクチャ上の仕掛けによって、「儀礼的無関心」という規範的な振る舞いを、「強制的関心」―誰が誰に関心を示しているのかをすべて明らかにしてしまう―へと変換してしまうわけです。"
    という言及は、既読表示機能という形で関心の有無を可視化する、というLINEの構造的特徴を彷彿とさせます。
    また、
    "たしかに、ミクシィ上の日記やコメントや足あとといった一つ一つのコミュニケーションは、さしたる内容を含んでおらず、まさに「繋がり」を確認するために行われているにすぎない。しかし、そのコミュニケーションを行うことを通じて、人間関係の微細な「距離感」を計測するということ。これこそが、ミクシィを利用する人々の隠れた(無意識的な)「利用目的」の一つだといえるのではないでしょうか。"
    という言及も、外部との交流をほとんど前提としない環境で内容をあまり含まないスタンプのようなコミュニケーションを行うことで「繋がり」を確認させる、というLINEの特徴をやはり彷彿とさせます。

    私は正直、
    「mixiはタバコと呑みとパチンコの話にか流れてこない無内容な空間」("飲み"ではないところがポイント)
    「LINEは暇つぶしのための雑談空間」
    のように思い日本発のサービスをあまり積極的に使っていないので、筆者の立場に強く共感することができました。

    ですが、進化の原動力が「繋がりの社会性」という言及が作中であるように、日本では内容よりも繋がっているといういう事実自体にコミュニケーションの重点を置くことが少なくありません。

    日本に生まれ、日本語と日本人としてのアイデンティティをベースに成果物を出す上、こういった日本特有のアーキテクチャを理解した上で人々に影響を与えられる枠組みを考えていきたいと感じました。

  • 現代思想好きの生徒複数に「これ基本です」と言われて読んだ。なるほど確かに面白い。ウェブから覗ける日本の「いま」がここにある。

    この本のタイトルにもなっている「アーキテクチャ(情報管理型権力)」はしばしば「自由の拘束」という否定的文脈で語られるけど、この本はそういうスタンスを取らず、アーキテクチャを「生態系」という比喩概念で捉えて、そこで何が起きているのかを分析してく。この「生態系」という比喩が成功しているなと思う。だって、そうすることでグーグルを中心にしたアメリカ発の生態系とは異なる、日本独自の生態系の多様さやそれらの特徴(2ちゃんねる、ミクシィ、Winny、ニコニコ動画)が見えてくるもの。だからこの本は、ネット社会論としてだけでなく、日本社会論としても読める。そこがとても面白かった。

    その中で「疑似同期」や「限定客観性」などの興味深い概念が提示されていくのだが、ここで特に印象深かったのは、ケータイ小説「恋空」が、なぜケータイユーザーに「リアル」と感じられたのかという分析。僕も「恋空」は話題になった時にちょっと手にとっただけで「これはひどい・・・」と放り投げてしまったクチだけど、この小説をケータイの操作ログの集積として読んだ時に「リアル」が生まれてくるという指摘は目から鱗だった。僕同様に、「恋空」の読者を「あんなのがリアルに感じられるなんて・・・」と内心バカにしていた方、ここだけでも読んでみて~。自分の読みがいかに限定的だったのかわかる。

    最後の章で、筆者は、日本のケータイ的な文化とそれよりも普遍的なPC的文化の融合を予想している。ちょうどこの感想を書いている2010年10月現在、日本的なガラケー機能を併せ持ったスマートフォンの発売が、auから発表されたばかり。今後の日本の情報環境がどうなっていくのか、この人の分析には引き続き注目してみたい。

  • かなり面白かった。
    ここでは生態系は、エコシステムみたいな自然の摂理みたいなことが、いわゆるWebサービスでも使う人達によって色々決まりやルール的な構造=アーキテクチャで変わっていく、ということを書いている。

    2ちゃんねるやニコニコ動画、Winnyなどは今見ると古典的な感じもするが、ニコニコ動画は今もあるし、2ちゃんねるは死んでいない。Twitterやmixiなどの話もあるので面白い。

    ユーザーとして、そしてそれらを社会学的?な分析を経て考えるとこうなるのだなあと、非常に面白く読める。

    では、翻ってWebサービスを作る側はここまで考えているかというところで、考えればいいわけでもないし、最初からそこまで設計できるかはおいておいて、非常にこういうUIUXに直結するルールやサービスの面白さは大事だなと言えそう。

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著者プロフィール

1980年生まれ。情報環境研究者。著書に『アーキテクチャの生態系』(NTT出版)、共著に『希望論』(NHK出版)、共編著に『日本的ソーシャルメディアの未来』(技術評論社)など。

「2012年 『恋愛のアーキテクチャ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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