〈反〉知的独占 ―特許と著作権の経済学

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制作 : 山形浩生  守岡桜  
  • エヌティティ出版 (2010年10月22日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (433ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784757122345

〈反〉知的独占 ―特許と著作権の経済学の感想・レビュー・書評

  • ルソーは、「社会契約論」のなかで、国家に安定性を与えるために、百万長者も乞食も存在しないように、、つまりは極端な貧富の格差が生じないようにすべきだと主張した。彼は万人が全く差異のない平等をよしとはしなかったが、極端なのはアキマセンゼ、と言ったのだ。

    大事なのは、「程度」の問題である。どんな物事にも「ほど」がある。ほどを知るとは大人になるということである。原理原則に引っ張られて、極端に走ってはいけないのである。

    レバ刺しを食べれば、食中毒のリスクが生じる。このことに人は自覚的であるべきだ。しかし、レバ刺しなんて毎日食べるものではなく、年に数回食べる程度の健康リスクはほとんどない(免疫抑制者など例外は除く)。毎日レバ刺しを食べるような酔狂な人はまれだし、毎日食べていれば健康によくないというならばケンタッキー・フライドチキンだってチョコレート・パフェだって同じことである。食中毒に注意し、レバ刺しがそのリスクであることを認識するのは大切なことだ。注意を喚起するのは、ぼくみたいな感染症屋や行政の大事な責務だ。しかし、それを法律で禁じるというのは「極論」である。絶対たる安全、ゼロリスクを希求する極論だ。
     
    知的財産権についても、ゆるく考えたい。それは完全なる善でも完全なる悪でもない。<反>知的独占もひとつの「極論」であり、知的独占がイノベーションを阻害したり、利益を減じることはない、というケーススタディに満ちている。しかし、知的独占がある人たちの利益を増すのはあきらかで、だからこそ独占したがるのだ。リナックスは素晴らしいが、アップルやマイクロソフトを駆逐したり、凌駕したりはできなかった。いや、リナックスみたいなコンセプトと、アップルみたいなコンセプトが同居している社会こそが豊かな社会なのだ、とぼくは思う。

    図書館があっても出版業界は崩壊しなかった。貸本屋があってもマンガ業界は消滅しなかった。むしろ消滅したのは貸本屋のほうだ。ぼくはジャズ喫茶が好きであの空間を豊かだと思う。まだなくなってほしくはない。ジャズミュージシャンやレコード会社が「権利」を主張してジャズ喫茶の廃止を訴えるような、みっともない真似はしてほしくない。ディズニーがジャングル大帝もどきの映画を作った時、多くの日本人は鬼のクビでもとったように突っ込みを入れたけれど、手塚治虫もほとんど全ての日本の漫画家も、ハリウッド映画をパクっている。それをパクりというか、オマージュというか、パロディというか、剽窃というか、言い方はいろいろだけれども。

    この問題は、「どれだけ利益が得られるか」とか「イノベーションが阻害されるか」といった「功利」で議論してはいけない問題だと思う。「世の中がこうなっている」という説明で議論してもいけないと思う。官僚とか法律家の視点「世の中を以下に精緻に説明できるか」で説明してはいけない。そうではなく、あるべき姿、倫理の問題として捉えるべきだ。

    特許は、製薬メーカーに新薬開発のモチベーションを与える。しかし、極端に特許による利益が増えると、特許を取ることが手段ではなく目的となる。そこで、ちょっと剤形を変えただけのme too drugが増加する。古い薬、ジェネリックが安くなりすぎるのも問題だ。患者が搾取されるのもよくないが、メーカーが利益を全く出せないのも同時によくない。メトロニダゾールみたいな良い薬は、もすこし利益を出してあげればよいのだ。ぼくは冗談で、新薬に仕立て直して特許を取ればよいのにとか言う。ビタミンCとかグルコサミンを配合した、「フラジール・ゼット」とか「超スーパー・フラジール」とか名付けて高値で売ればよい。特許による利益が暴利的でない形で、パテントの切れた薬が商売にならないくらい暴落しないような形で、より緩やかな形で両者が併存していた... 続きを読む

  •  経済学者が知的財産権を全否定するすっごくラディカルな書。要するに知的財産を独占させることは競争を否定することであり,百害あって一利なしという刺戟的な説を滔々と述べる。
     知的財産制度は,中世に恣意的に賦与されてた特権を多少修正した制度にすぎず,本質は独占である。早く来た移民が遅れてきた移民を排除するようなもの。しかも知財は,土地とか動産とかいう有形物でなく,情報という無形物に与えられるから余計に始末が悪い。
     インセンティブを与えるために独占権の付与が必要というのが定説だが,モーツァルトやベートーヴェンの時代には著作権はなかったことなど,著者たちはいろいろ例を挙げて異を唱える。知財がなくても発明はなされ,作品は作られてきた。インセンティブとしては,先行者利益で充分。模倣には時間も金もかかる。マネされないうちに,自分の技術・作品から利益は得られる。それが発明・創作のインセンティブになる。
     それどころか,知財があるために技術革新が滞ることも多い。蒸気機関の改良は,ワットの特許が切れるまで進まなかったし,初期の飛行機の発達は,ライト兄弟の特許がなかったフランスで進行した。
     独占者がレントシーキングすることは社会的な損失となる。独占利益を維持するために,生産に結びつかない監視・訴訟などの活動に興じる不毛。
     しょうもない特許が成立することも多く,サブマリン特許,パテントトロールの問題もある。特許のほとんどは防衛的に取得されるのでその数も必然的に多くなり,審査にも維持にも時間とコストがかかる。知財がなければこのような無駄な労力は要らない。
     そんなこんなで,著者たちは知財権を徐々になくしていくべしと主張する。とりあえず期間を短くするとかして権利を弱めることから始める。ただ世の中の状況はこれとは反対に権利を強くし,また途上国にも法整備を迫るなど,地理的にも拡充していく方向。
     まあ極端な論,ということにはなろうが,巷間無闇に叫ばれる知財礼賛の言説に対する良い冷や水にはなっている。歴史的な経緯から制度としてはかなり定着しているので,弊害が少なくなるような運用を考えていくのがいいかな。著作権は登録制とかいいかも。特許など,現状では何でも一律で同じ期間保護されている。これもベストではないんだろうが,差別化するのもまた難しい。いっそ制度をなくしたらそういう余計な心配もないのですっきりするという気持ちは理解できる。
     医薬品産業についても,一章を割いて検討している。そのうえで,特許は不要・有害と結論してる。反著作権だけあって,本の内容はフリーで公開されている(英語版のみ)→ http://bit.ly/hOoDpC

  • 知的財産の保護は、イノベーションを促進しない。むしろ阻害する。趣旨は明快。説明も詳しいが、経済学の知識がないせいか、よく理解できなかった。

  • 特許などの知的財産を守る法律は、世界の発展の邪魔になっているんだ、という話。目から鱗、というより、そうかそういう見方をしてもいいんだ、とすっきりした。Appleが「丸みを帯びた四角」で特許をとったり、松本零士が歌詞のことで歌手を訴えたり、大の大人がなんなのそれ、とは思いながら、でも知的財産って大事なことだからな、と思っていたぼくは知らず知らず洗脳されてたのかもしれない。
    とはいえ、ちょっとすっきりしない点も多々。たとえばブランドの偽物は? この本でははっきりした線引がされないが、不必要な知的独占と、必要な知的独占?があるのでは? 知的独占をせずに発展したオープンソースについてもっとつっこんで欲しい。対立する意見も取り上げているが、扱いはちょっと雑で、納得性はあまりない。

  • ひとことでいうと、
    「知財(著作権&特許)の概念は『不必要悪』である」と
    全力で斬って捨てる話である。

    もちろん、そのロジックは、数々の歴史的データや産業分析の諸研究を
    ベースに緻密に組み立てられ、
    否定派(=知財擁護派)からの想定されうる反論も大方論破している。
    私自身は読み終わったとき、ぐうの音も出なかった。

    ワット、ライト兄弟、ワトソン、といった、
    「歴史に残る発明王」が、いざ発明がなされたあとは特許の防衛者に
    まわり、技術革新と経済発展を妨げる存在になっていたことは、
    「偉人」というカテゴリでそれらの人物伝を学んだ者としてはかなりショックなのだが、
    それは明らかに真実であると納得できた。

    知財擁護派にはいくつかの持論のパターンがありうる。
    発明者を特許で守って、稼げるようにしてあげなければ誰も発明しない、というのは
    有力な1つの論だが、
    本書ではこれを歴史が否定していることを明らかにしている。
    そんな権利保護がない時代から、人は発明し、創作し続けていたし、
    それらを自由に模倣して広めることこそが結局、文明の発展を後押しするコア・エンジンだったのである。
    言い換えると、知財の仕組みは、文明の発展のブレーキでしかないのだ。

    ///
    ちょうど、クリス・アンダーソンの
    「Makers」を読み終わったところで、
    本書と実に繋がりの深い部分があると感じた。

    ネットで繋がって、誰しもがオープン・イノベーションに参入できることで、
    驚くべき早さで改善と革新が続いていく。
    それはソフトウェアに限らず、ついにハードでも起きるようになった。
    そして大事な点として、
    知財制度のもとでは「海賊」「侵害者」というくくりで悪と位置づけられる
    人や組織が、
    オープン・イノベーションの仕組みの中では、
    ともに革新を進める「仲間」になるということは、驚くべき転換である。

    ///
    知財保護という概念は、極めて西洋的だなと私は思った。

    もちろん、著者も明示するように「コピー/リアルのもの」の所有権は
    認め、これを保護しなくては自由で安全な市場経済は成り立たない。
    それは、奪い合いの中で疲弊してきた人類の貴重な知恵の実践である。

    しかし、それを「アイディア」に適用すると、途端に人類活動に対する
    ブレーキになってしまう。
    同じ「権利」という枠組みで認識してしまうと、知財擁護は当然のように
    錯覚してしまうが(私も今までずっとそう思っていた)それは不必要悪、なのである。

    もちろん、アイディアや創作物をコピーされないような仕組みを作ること
    自体は、なんら悪ではない。
    たとえば、先端的なソフトウェアを制作、販売する会社があるとして、
    そのコードに、自社技術の粋を集めて、頑丈なプロテクトをかけることは、
    それは企業の利益追求手段として、やりたければ、やればいいのである。
    ただそこに、知財概念を持ち込んで、データコピーの行為そのものが悪だと
    いう仕組みをつけてしまうこと、すなわちそれは残念ながら世界の現状であるが、
    それは経済発展に対する不必要なブレーキなのだ。

    ///
    私は本書を読んで、
    日本の戦国時代のことを想起した。

    戦国時代、火縄銃が日本に持ち込まれた。最初はたったの2丁。
    歴史著作家の井沢元彦氏によると、
    おそらくそれは、日本に火縄銃(銃そのものだけでなく、硝薬類?)を
    売りつけて儲けようとしたビジネス・プロセスであっただろうということだ。
    しかし、驚くべきことに、
    日本の鍛冶職人たちは、その数少ないサンプルを分析して、
    あっという間にコピーを作り、さらに改良を加えていった。
    そして、製法が日本の多くの地域にどんどん拡散し... 続きを読む

  • 本書の意義は、知的独占を認める特許の社会的意義が、一般に認識されているほど自明ではなく、むしろ社会的厚生を低下させている可能性すらあることを、示したことにある。

    全撤廃を0、現状を1とし、その間のグラデーションを含めて、どの地点が最適かを議論することは、非常に面白く、また有益であろう。しかし、いくら過去事例をもとに数値シミュレーションを行ったところで、仮定の起き方次第で結論が180°変わるであろうことは目に見えているため、社会的実験を行う他に客観的結論を得ることはできそうにないが、これは政治的観点から見て、不可能である。つまり、イノベーションを促す最適な制度設計に関する客観的な答えは、永遠に出ない(これは、知的財産権にかぎらず、あらゆる制度設計に対しても言えること)。

    従って、採用すべき制度の意思決定を論理によって成すことはできず(これはコンドルセのパラドックスなどに鑑みれば、別に真新しいことではない)、最終的には、文化思想信条信念価値観上、どの制度が好みか、という感情論に基づく決定にならざるをえない。ヒッピー寄りの価値観を持っている者(オープン・ソース・コミュニティに生息している人間の多く)は、知的財産権全撤廃寄りの制度を求めるだろうし、エスタブリッシュメント寄りの価値観を持っているもの(エリート畑を歩んできた官製独占企業の経営者など)は、知的独占権を推進するだろう。後は、どちらが、中間層の感情をより強く引き寄せるソフト・パワーを獲得するに至るか、という問題に帰着する。

    その意味で本書は、知的独占の弊害を示す事例をこれでもかというほど記述して大いに話題をさらい、一部中間層に「え~、特許ってこんな風に使われてるのか~、こんなの嫌だな~」と思わせる上で一役も二役も買った。文化思想信条信念価値観ブロックの激突における、ヒッピー陣営からの一撃としては、記念碑的価値があったといえよう。

    よって☆5つ。

  • 特許や著作権などの「知的独占」は本当にイノベーションやクリエイティビティを高めるのか?という多くの人が前提としている命題に食い込む。多様な事例をもとに、特許や著作権の制度は、イノベーションにつながらないばかりかむしろ有害であると主張。制度自体の廃止を提言している。以前から疑問に思っていた特許の有効性を考える上でとても参考になる。

  • 率直に言えば、レッシグの著書に中途半端に経済学的味付けをしただけのような内容で、あまり目新しさは感じられない
    論旨に共感はしつつも、論考に同意する事はなかった
    クリス・アンダーソンが何冊かの著書で分かりやすい形で実践してるんだから、レッシグ分からない向きはそっちでいいんでないかしら

  • この業界にいる人は、一度読んでおくべきだろう。自由経済主義の経済学者が書いた知的財産独占不要論。
    製薬分野での知識がないため、本書の主張が正しいのかわからないが、少なくともエレクトロニクス分野では反論は難しい。一言でいうと、特許や著作権が創作者のインセンティブになるというのは誤った固定観念で、特許保護が無い時代のほうが有用な発明が生まれたし、特許がイノベーションを増やしたという証拠はない。特許がなければ開発投資を回収できないというが、実際には特許で初期投資を回収した例は殆どなく、特許になる前の市場での先行者利益で回収される。

    著作権など無い方が良いという著者の主張通り、原文は無料公開されている。
    http://levine.sscnet.ucla.edu/papers/anew.all.pdf

    和文解説
    http://orion.t.hosei.ac.jp/hideaki/rageagainst.htm

  • ミケーレ・ボルドリン&デヴィッド・K・レヴァインは『<反>知財独占』のなかで、

    「もしアイデアが簡単に模倣されたら、『最初にアイデアを思いついて具体化した人』には何の報酬もなくなるだろう。アイデアは知的独占権を保証して保護し、『正当な』報酬を得させよう。そうすればインセンティブ、つまり『次も頑張ろうと思える身心の糧』がえられるはずだ」

    という論理をものの見事に覆しています。

    ボルドリン&レヴァインが論じた内容。それは
    『知的財産権による独占、権利保護が、かえって経済発展の邪魔で、お金の回転や人の成長を悪くしている』
    ということです。

    特に『第7 章 知的独占の擁護論』で挙げられた『価格のつかないスピルオーバー外部性』、『模倣の外部性』について、です。
    わかりやすい身近な例で論じられているので、こちらに引用しましょう。

    手押し車が発明された後、これを砂や泥や肥料の輸送で生産的に利用するには、みんなに見えるところで使う必要がある。通りがかりの人は、だれでも手押し車を使っているところを見て、手押し車のアイデアを手に入れることができる。そして大急ぎで家に帰って、自分でも手押し車を組み立てる。このようにして、貴重な手押し車の知識が発明者の許可なしに、支払いもせずに伝わる
    (『<反>知財独占』草稿の下訳PDF、129ページ『価格のつかないスピルオーバー外部性』より引用)

    知的財産擁護論者は、この例から
    「これでは、手押し車発明者には何も与えられない。
    発明にかけたコストが回収できない。
    発明によって手に入ると期待していた利益もあげられない。
    こんなことでは、経済人はだれも発明家に投資しないし、発明家は発明を止めてしまい、経済は停滞して国家は破たんし失業率はうなぎのぼりになるであろう!」
    という論理を展開しているそうです。

    私たちのような一般人も、こうした論理を「権威ある研究者がそう言っているんだし、法律だってそうなってるんだから、こうあるべきだよね」と思い込んでいます。
    思い込みは危険です。私たちの行動を決める前提はたくさんあります。そのひとつ、法律の存在です。
    もし法律の拠り所となった経済学の権威がおかしいとなったら?
    法が保障しようとする『権利の枠組み』すら疑ってみることは、大事なことですし、論理的にも当然の行動でしょう。
    Webで「入手時に無料で手に入れられたものには対価を払う必要はない」というのは、おかしな論理です。
    商品入手時やサービス受けた時点でお金を払わなくても、後払いの通信販売や、食後にお会計するレストランは沢山あります。
    多くの人が、それを当然のこととして利用していらっしゃるんですもの。Webだけが異様な状態なのです。

    不況及びお小遣いカットで、貧しい人が沢山いて、それでも音楽が好きで、動画も好き、という友人たちが、
    「どんなに小さくても、お金の形で『アリガトウ』を届けてあげたい」
    と思うような作品。
    そういう作品を、沢山作り出していけるように。こういった基礎的な経済分析はとても重要だと思います。

    白田 秀彰教授による、『<怒>知的独占』もまた、優れた小論文ですのであわせて一読をお勧めいたします。http://orion.t.hosei.ac.jp/hideaki/rageagainst.htm

  • 流し読み。

    結論:特許・著作権は有害、廃止すべき
    理由:①特許や著作権は競争・イノベーションを阻害し、社会的効用を下げる
       ②特許や著作権がなくても、アイデアを考えた人にはお金が流れる

     理由①については一応納得できる。「特許・著作権」って「独占」の状態とも言えるわけで、「独占」が良くないことは感覚的にも理論的にも理解できるし、「オープンソース」に基づいたサービスが次々と生み出されている現状にも合致している。
     ただ、②は本書でいくら説明されてもなかなか納得できない。本書では特許や著作権がなくても特許発案者や著者は十分に利益を得られる事例がいくつも紹介されているんだけど、その例がちょっと微妙だ。例えば、人気ミュージシャンが知財として保護された商品(=CD)の売上から得る収入はほんのわずかだと具体的な数字を出しながら説明しているが、それは知財の問題というより、音楽業界の収益構造の問題だと思う。また、本の著作権収入の例でアメリカの政府文書を出すのは不適切だ(もちろん、著者自身も政府文書と商業本では状況が異なると認めてはいる)。

     このように、特許や著作権を「廃止すべき」という主張には納得できないものの、「やみくもに強化しようとする現状は危険」という主張には共感できる。ただ単に「強化」するだけではなく、クリエイティブ・コモンズのように「柔軟」にすることが大切なのではないかと思う。

     本書の結論に共感できる人がどれくらいいるかは分からないけど、豊富な事例と学問的な分析(著者は経済学者)をもとに書かれており、「刺激的」な本ではあると思う。

     本書を読んだ上で、特許や著作権について自分なりに考えた結果、「権利は守るべきだけど利権はなくすべき」という考えに至った。

  • 知財の仕事をしている自分にとって、いつも見聞きするのは特許制度の社会的意義、産業の発展への寄与、といったことばかり。この本はそれとは真逆の議論を示しているようだったので、大変興味をもった。
    確かに、説得力がある。今後長期的には、知的財産フリーな方向へ進むのかもしれない。思えば、仕事で特許出願とかやってるけど、意味ない出願であったり、他社排他を狙った出願とか、清々しく社会貢献を目指したものは無いなあ。そんなもんでいいのかなあ、と考えてしまった。

  • 途中でやめちゃった

  • 「知的独占は悪である」という主張はもはや新しいものとは言えないが、本書が新しいのは、それを「私有財産は善である」と主張する同じ口が主張していることにある。その意味で、本書は「知的独占性悪説」の最終証明としての役を果たしている。

    しかし、私はそれでも知的独占を皆が止める充分な理由にはまだ満たないとも考えている。何が足りないのだろうか?


    本書「〈反〉知的独占」は、一言で言うと知的独占は反資本主義的であることを示した一冊。

    目次
    第1章 はじめに
    第2章 競争下での創造
    第3章 競争下のイノベーション
    第4章 知的独占の害
    第5章 著作権延長問題
    第6章 競争のしくみ
    第7章 知的独占の擁護論
    第8章 知的独占はイノベーションを増加させるか?
    第9章 医薬品産業
    第10章 悪しきもの、良きもの、醜きもの
    訳者あとがき
    参考文献
    索引
    そう。反資本主義的。知的独占が反民主主義的であり反自由主義的であるという主張はこれまでさんざんなされており、そして今や「ふつうの人」、すなわち「知財を現金化」する機会がこれまでなかった人にも知られてつつあるが、反資本主義的、つまり「経済学的に損である」という主張はこれまでさほどなされていなかった。

    別の言い方をすると、知的独占は、「お金で買えないものはありません」派にとっても実は損なのですよ、ということである。「お金で買えないものがある」派の、「お金で買えないものを損なうから悪」という主張ではなく。

    大事なことなので繰り返すが、著者たちはバリバリの資本主義者たちである。私的財産の保護の重要性を説く下りに関しては、「ふつうの資本主義者」ですら鼻白むほど強く主張している。だとしたら、なぜそれが知的財産となると反対の主張となるのか?

    競争を、阻害してしまうからだ。

    その例として、20世紀の最大の発明の一つとして挙げられることも少なくない、ライト兄弟飛行機が取り上げられているのが実に印象的だ。飛行機に詳しい方ならご存知のとおり、実はライトフライヤーの後、米国では飛行機の進化はしばらく止まっていた。特に大きいのは動翼(ラダー、エレベーター、エルロン)の不在で、ライトフライヤーではその代わり翼をねじっていたため、制御がずっと難儀だったのだ。

    この動翼を発明したのは、同じく米国人のカーティスだが、しかしライト兄弟の知財が包括的すぎたため、動翼も特許侵害ということになってしまい、米国はそのためしばらく「飛べなくなって」しまった。同じ頃フランスではそのようなことがなかったので、飛行機の進化はしばらくその地で進むこととなった。その進化史は言語にすら刻まれていて、なぜ胴体を専門家は body と呼ばず fuselage と呼ぶかといえば、それが原因なのだ。

    極めつけなのは、このねじり翼がライト兄弟のオリジナルではないことを著者たちが指摘していること。おなじことはリリエンタールがすでにやっていたのだ。

    人のものが人のものでなくなり、そして人のものでないものが人のものになる。知財の世界でこういったことは日常茶飯事であるが、よく考えるとこれはエネルギー・質量保存則が成り立つ物財の世界ではまず起こらない。人にあげたらその分きっかり減るという物財の法則は、知財においてはまるで成り立たないのだ。

    実はまさに同様の主張を、私も「弾言」においてなしている。

    …僕があなたのノートを1000円で買ったら、僕の財布から1000円減って、あなたの財布に1000円増えます。ゼロサムゲームというわけで、カネの保存則は、その瞬間は成立しています。「空間軸に対して等方である」と物理学者なら言うでしょうか。
     しかし、物価は上昇しますし、経済は徐々に大きくなっていきます... 続きを読む

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