経済学の船出 ―創発の海へ

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  • NTT出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (290ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784757122673

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    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/62237

  • 実際には貨幣の機能は人々の縁を切ることではない。逆にそれは弱い円を成立させるためのもの

    有効性の本質は、必要なものを、必要なところでに、適切な形で届けること

    無人の森で木が倒れたとき音はしない。たとえ音波が生じても、それを、聞く人がいなければ、音はしないのである。

    人間も生命である以上、最も大切なことは生きること。それゆえ生きることに貢献することが、有効だと言える。

    価格は人に気分で決まるから、気分が変われば価格も変わる。そして気分は変わりやすいもの。

    価値の源泉とは、交換価値とは関係がない。

    餌のありかがわからないでいる蜂の巣に、適切な形で情報が届けられたなら、蜂は環境に適応し、生き延びることが出来る。こういった「情報
    」は、生きる手助けをするもの。

    ★★全体状況を無視して、ある情報を凝視し、その情報に価値あり否やと問うても意味がない。
    届けられる情報それ自体に価値があるのではなく、それが届けらることで、蜂が生き延びることで、はじめて価値が生み出される
    →まさに。そして、うちはこのマッチングがうまくいってない。

    ものを指し示すという行為は、指し示される側が、相手の指し示していることの意味を受け止める努力をすることでのみ成り立つ。いくらこちらが何かを指し示しても、相手が知らんぷりしていれば、どうしようもない

    コミュニケーションは受け手が行う。メッセージの発し手は叫ぶだけであり、それだけではコミュニケーションは発生しない。誰かが受け止めて感情を変える、心を動かすことが決定的条件。コミュニケーションが生じるには受け手が学習の構えを開いておかねばならない、

    確かに外界の何かを意味する言葉の定義は、どんなものでも、究極的にはそういうモノの指し示しに依拠せざるをえない。モノを指し示して、その名を言うというこの行為は、「直示的定義」と呼ばれている。この哲学的表現は、言葉の意味を教えられるほうに、知的努力があってはじめて超えられるところを隠蔽している。我々のメッセージには、我々の語りえないものが語りえないままで残っており、それが受け取られるかどうか、受け手側が我々の伝達しえなかったものを、自力で見出すかどうかにかかっている

    ポラニーが重視するのが、このメッセージを受け取る側の努力である。そしてこの努力そのものは、「これこれこういうふうに努力しています」と語りうるものではない。これが暗黙の次元で作動する知るという過程。すなわち暗黙知である。

    ★ポラニーは、明示的であれ潜在的であり、知識が存在するときには、背後でかならず暗黙知すなわち「暗黙の知ること」という過程が作動していると主張しているのである。この過程が暗黙であるというのは、そこに注意を向けると作動がとまってしまうから。

    ポラニーの暗黙知は、暗黙的知識ではなく、暗黙の知るという過程のこと

    暗黙知(=暗黙に知ること)を動的な過程として把握することは、ポラニーを理解するうえで、不可欠である。というのも、「創発」という概念が暗黙知の拡張だからである。創発とは、以前には存在しなかった原理が出現する過程のこと。ポラニーは、暗黙知と創発とを本質的に同じものとみなしている。

    ★創発がプロセスである以上、暗黙知もプロセスでなければならない。それゆえ暗黙知はknowingでなければならない。

    まったく制御することも、それどころかそれ自身を感じることすらもできないような内的行為

    暗黙知は、知る過程
    →つまり「時間」ということかな。それを知りつつある時には自覚できないような、そういう類のもの

    生命の生きるための力の発揮を創発とよぶ

    何かが生命に届けられ、そこで創発が起きれば、価値が生まれる。

    創発的価値と貨幣価値との解離は、貨幣価値そのものにとっても深淵な脅威。貨幣的価値にドライブされた市場以上に、創発的価値の産出を有効に促進する機構は存在しない

    必要なものが必要な場所に適切ん届けられ、人間の生きる力が発揮されることが価値の源泉。これを創発的価値と呼ぶ。しかし、この価値はいわゆる貨幣的価値と常に厳密に一致しているわけではない。それは容易に解離する

    企業活動の本質は、創発的価値の生成を貨幣的価値の実現に結びつけること。

    これまで実現されていなかった創発的価値を、貨幣的価値に接続しえたとき、それをイノベーションと呼ぶ

    受け手が経験に基づいて感情を変えるという意味での学習過程を作動させていなければ、コミュニケーションは成立しない

    ★★受け取り可能範囲にメッセージが入ったとしても、それによって受け手に「経験に基づいて感情を変える」という出来事が生じなければ、メッセージは何の変化も起らず、それゆえ「何も新しいことはない」という形で処理されてしまう。キャッチャーに受ける気がなければ、ボールは受け取られない。


    受け手の学習回路の作動が不全である場合、受け手は無関心な態度をとる。この場合、受け手は、何らかの事前の思索を展開することなく、漫然とメッセージを受け取る。このときの「予期」は、「制約」と同じ意味。それゆえ受けては、予期しないものは無視するか、意味をねじまげて「予期通り」に解釈し、予期していたものは「予期通り」と受け取ってこれを黙殺するのである

    逆に受け手の学習回路が開いている場合、予期はより積極的なものとなる。受け手は事前に独自の思考を展開しており、メッセージを受け取った場合、それが置かれた状況の全体から意味を構成する。これが「経験」するということ。この経験によって感情を変化させることで、創造的なコミュニケーションが可能になる。

    受け手の学習回路が停止してハラスメント的状況に陥っているか、それとも受け手が学習回路を開いて創造的な状態になっているか

    人間の心は、印象や刺激を、予期の枠組みに合致させようとする。それは「心を変えさせ」ようとする、つまり受け取りを予期していないものを受け取らせ、予期しているものを受け取らせないような、いかなる試みに対しても頑強に抵抗する。もちろん、受け取ったものが予期に反しているという事実に気づかせることは可能。しかしそれには何が受け取られているかを事前に知る必要がある。

    Bは学習しておらず、そのフリしかしていない。自分に都合のよいメッセージをAに贈り返す。Aはそのメッセージをまじめに受け取って学習過程を作動させ、Bにメッセージを返す。しかしこのようなことを繰り返していると、Aはやがて混乱する。Bのメッセージに一貫性がないから。Bのメッセージを適切に解釈できなくなり、Aは自分がおかしいのではないか、と思い始める。

    コミュニケーションは言い換えると、常に要求を突き付けてくる。それは常に、受け手が何者かになること、何かをすること、何かを信じること、を要求してくる。それは動機に訴えかける。言い換えれば、もしコミュニケーションが受け手の切望、価値観、目的に合致すれば、強い力を発揮する。もしそれが、受け手の切望、価値観、動機に逆行すれば、それはまったく受け取られないか、よくても抵抗されるだけ


    ★★ここでいうコミュニケーションは、情報の発信のこと。このようにメッセージを投げかけられるということは、受け手にとって面倒くさいことでもある。逆に要求しないメッセージの提示を受けては好む。

    飢餓もなく、道具もいつでも手に入り、情報も氾濫しているとしたらどうであろう。当然のことであるがこの場合、商品をいくら供給しても創発はおきない。商品の消費が価値を生まなくなっているのである。欠便しているのは商品ではない。商品も情報も過剰な時代に不足しているのは、人々の創発への構えのほうだ。それを開くことが価値を生み出すために不可欠


    問題は、創発の構えがなぜ不足するのか、である。商品の不足は創発を発揮する条件を失わせるが、創発の構えそのものは、ハラスメントにより失われる。人々が自分の感覚を受け止め、その意味を理解するという暗黙の次元の作動は、ハラスメントにより疎外される

    自らの感覚から解離させられた人間は、無力感に浸ることになり、商品の利用者ではなくなり、単なる消費者となる。単なる消費者とは、自らの苦しみの原因から目を背け、そこから生じる痛みをごまかすための刺激を求めて、必要もないのに商品やサービスを蕩尽する者。その消費活動は、創発を伴わず、価値を生み出さない、ただ資源を浪費する

    このような状況に陥った消費者ばかりが存在する市場では、何を供給しても価値は生み出されない。それゆえ、創発の構えを回復し、消費者を利用者へと転換することが、経済活動の大前提となるが、それには消費者の感覚を呼び覚まし、生きる力の発揮を可能にすることが不可欠。これは容易なことではないが、しかし少なくとも、その方向へ人々を導く風を送り込むことが、ビジネスを展開する上で、最大の資源となる。人々が捉えられている呪縛の網に、新たなコミュニケーションの回路をひらくことは、その風を送り込む上で、重要な役割を果たす

    ビジネスはその目的から始めざるをえない。目的はビジネスそれ自体の外部に存在する。実際、ビジネスを行う企業が社会の器官である以上、それは必然的に社会のなかにある。ビジネスの正しい定義はひとつしかない、顧客の創出である。

    企業の環境はコミュニケーションでできている。コミュニケーションの内容を知るには、コミュニケーションをするしかない。それを通じて自分に求められていることを理解するのがマーケティング。それに自らの活動の影響の注意深い観察と、内外からの声に耳を澄ます誠実な態度以外にはない。最も重要なマーケティングは、トラブル

    ブランドは、消費者と企業との関係のこと。ブランドは企業のことではない。それはコミュニケーションの場のこと。企業と消費者とが共に学習回路を開きつつ、対話する場のこと

    企業と顧客とのコミュニケーションは、理想的には図5-5のように表現しうる。ここで企業は製品やサービスの提示を通じて、顧客にメッセージを送る。このメッセージは、顧客が自ら創発する手助けをする。メッセージを受け止めて自ら創発した顧客は、その喜びを、企業に謝礼を支払う形で表現する、これが企業の創発たるイノベーション。

    顧客と企業とのコミュニケーションを厳密な意味で名指すことはできない。コミュニケーションが展開している場合、対話者自身が常に学習を通じて変化しており、そこで展開されるメッセージも刻々変化する

    ブランド価値を言葉か何かで露出しようとしたとき、それはその瞬間に消え失せる。ブランド価値を定義するあるいは実体化する作業それ自体が、時間や空間を固定することを含んでいるから

    ブランドは常に変化することを宿命づけられており、ブランド価値は常にあらたに再構成され続けなければならない

    ターゲットの彼以下、流行の変化、消費者の関心の変遷、、、こうしたブランドの環境の変化を考えると、ブランドの命がけの跳躍に終わりはない。いつのときも、受け手にたいして意味をなすかどうかがとわれる

    企業は顧客とのダンスを通じて、。ブランドを生成し、変遷する。ブランドは、新しい現実をつくりだす創発性はあることが大事

    我々が行わなければならないのは、より良い情報を多く発信することではない。そうではなく、より良いコミュニケーションを生み出すこと。我々自身の、そして人々の学習過程をひらくこと。

    商品の価値は、利用者の創発を手助けすることにあり、価値は利用者の創発から生じる。これが創発価値説

    利用者の創発が阻害されている要因がある。それを取り除いたり、そこに供給することで、自ずから生きる力が発揮されればこれは創発が起きたということ

  • 智慧の悲しみ。

  • ドラッカーがきっかけでこの本にたどりついきました。
    ほかにも私も好きな賢者の名前がサラッと出ていたし色々発見があって楽しい。

  • 『経済学の船出ー創発の海へ』読み終わりました。
    読み始めてから半年以上の時間が過ぎていました・・・
    ホメオパスの認定試験が落ち着いて、いろいろ心も落ち着いて、ようやく読み終えました。が、あと3回くらいは読まないとというか、最初から最後までを続けて読みたいです!
    読んでいる途中から、ぜひとも安冨歩先生には、ホメオパシーの祖、サミュエル・ハーネマンの『医術のオルガノン(第六版)』『慢性病論(第二版)』をお読みいただきたいものだと頭の中にグルグルとまわっていました。
    読み終わるまで数ページ、そんな私の目に飛び込んできたのは、こんな文章。
    (経済学の船出・257ページより引用)
    【現代資本主義のような、関所だらけの社会では、病的なコミュニケーションであるハラスメントが蔓延する。そうすると、人々の暗黙知の作動が阻害され、創造性に著しく欠けることになる。・・・(中略)・・・この事態をもたらした理由の一つは、西欧文明に基礎を置く近代そのものの持つ思考枠組みの欠陥にある。それはものごとを際限なく分割して捉えたうえで、その間に共通の何かを設定して秩序を形成しようとする思考法である。
     このアプローチには本質的問題がある。それは、スピノザの言うように、「自然の中の或るものを全体との関連を離れて部分的にのみ把握」したうえで、それをつなぎ合わせて全体を理解しようとするデカルト的アプローチの問題に集約される(スピノザ 1958、165頁)。しかし、ホイヘンスの振子時計実験が示したように、二つの相異なる振動数を持つ柱時計は、相互に接続されて一つのシステムを形成することで、新たな振動数で同期した。この現象を、全体を離れて部分に注目し、それを再構成することで理解することは、決してできない。システムの全体の接続関係こそがシステムの命だからである。】
    とあり、おぉ!まさしく、サミュエル・ハーネンマンが『医術のオルガノン(第六版)』(日本語版)146ページ§12の脚注(1)で書いている【バイタルフォースは、どのように体に病気の発現をさせるのか、つまり、どのように病気を生み出すのか。こういう「どのように」とか、「どうして」とか、という問いから、治療師は何も役立つものを引き出すことはないだろう。その答えは、治療師には永遠にずっと隠されたままであろうから。つまり、生命の支配者は、病気について知る必要のあるものだけ、過不足なく十分に治療に役立つものだけを、治療師の前に示すからである。】
    とあり、まさしく暗黙知を前提にしている医術なんだ!と心が躍りました。
    そして、さらに、経済学の船出・260ページには、安冨歩先生が分類するところでの社会生態学者やその先駆者が挙げられていて、【・・・社会生態学では音楽や芸術や文字は非常に重要な一分野を形成する。というのも、社会生態学は、合理的な神秘主義に立脚するからである。マイケル・ポラニーとウィトゲンシュタインとが言うように、暗黙の次元は語りえない。語りえない領域に触れるには、芸術が必要である。実際、よく知られるようにウィトゲンシュタインは、音楽を学問と同等に重視していた。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベン、レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ、フョードル・ミハイロヴィチ・ドエトエフスキー、チャーリー・チャプリン、安部公房、宮﨑駿、マイケル・ジャクソンといった人々は、私にとって社会生態学の重要な「学者」である。それ以外にも、鍼灸に代表されるような、長い年月にわたって有効性を立証してきた伝統医学にも、多くを学ばねばならない。】
    とあったのです。
    涙出そうになりました。
    「全体を離れて部分に注目し、それを再構成すること」で成り立っている現代医学。
    暗黙知がある、という前提で、全体の中で示されたものに着目する治療(ハーネマンのホメオパシー)。
    この伝統医学からの「学び」の部分には、ぜひホメオパシーの祖、サミュエル・ハーネマンも研究対象にしていただきたいと切に願いながら、もう一度『経済学の船出』を読みたい私です。
    そして、もちろん、安冨歩先生の新刊『ドラッガーと論語』も読みたいし、『合理的な神秘主義』も再度読みたい!

  • 2013/11/14:ざっと読み。

    ちょっと読みにくかったので、1/3程度で今回は諦め。

    基本的に、共感と経済学のことが書かれている筈なので、
    ここらへんの本と似ているはずなのだが...
    また挑戦してみよう

    ジェフリー・サックス 『共感の経済学』
    原丈人 『だれかを犠牲にする経済は、もういらない』
    内橋克人 『共生経済が始まるー世界恐慌を生き抜く道』

  • 130928 中央図書館

    安冨自らの思考による、マルクス価値形態論の修正から始まり、静的な平衡現象しか記述できない従来型経済学に囚われた「幻想」に支配されずに、ひとりひとりがミクロなコミュニケーションを充実させることが、幸福の増大につながる。それが社会科学の役割である、と説く本。

    面白いが、教養としてよむのは×であろう。

  • 経済学の船出(安富歩著)

    網野善彦によると日本の構造の中で、かつて「聖」勧進(寺院・鐘/橋・道路など公共社会事業を開く。(各〃家に門付けによって、集められた浄財(原始)-->守護など国家権力で集められるようになった。(現在の徴税誠意度)
    これは、(共同体/市場)の二項対立図式に扱い、そこでは互酬性再配分)この場合市場の暴力は共同体の人間的繋がりを破壊する。
    ドラッカー(1957)
    「市場の弊害は嫌気が差したからといって、市場を放棄したからといって、物質やサービスの流れを適切に制御する方法は存在せず。市場外部に存在する空想が全体主義に帰結する。
    (グローバル経済=全体主義)
    =>「礼」に基づいた経済><非礼なもの
    これによって人間関係が充実するかどうかである。
    「縁」->「呪縛」にならないような社会
    「縁が切れない社会」=「」呪縛に転化?

    礼・・相手との関係を破壊する。
    多くの人が「縁」を切れないと思い込んでいる。これがハラスメントになり、
    呪縛になる。
    縁を切る勇気:社会の質を維持し、保つ前提。破壊することは創造することと比べ、天地の開きがあるくらい簡単。
    論語「君子は和して動ぜず、小人は同じて、和せず。人に対する恨み:
    我慢して縁をつないでいる。・・・「同」
    縁を切る勇気・・・「仁」:を持つとき「和」が生まれ礼が実現する。

  • 刺激的。自らが批判的に読めるようになるまでは星4つ。

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著者プロフィール

東京大学東洋文化研究所教授。1963年、大阪府生まれ。
著書『「満洲国」の金融』『貨幣の複雑性』(以上、創文社)、『複雑さを生きる』(岩波書店)、『ハラスメントは連鎖する』(共著、光文社新書)、『生きるための経済学』(NHKブックス)、『経済学の船出』(NTT出版)、『原発危機と「東大話法」』(明石書店)、『生きる技法』『合理的な神秘主義』(以上、青灯社)、『生きるための論語』(ちくま新書)、『満洲暴走 隠された構造』(角川新書)ほか

「2021年 『生きるための日本史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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