テレビ的教養 (日本の〈現代〉 14)

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  • NTT出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (316ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784757141056

作品紹介・あらすじ

「一億総白痴化」は「一億総博知化」だった?!テレビは格差社会化を止める教養セイフティ・ネットとなるか。

感想・レビュー・書評

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  • 「マス・メディア論」 吉田達先生 参考図書
    https://library.shobi-u.ac.jp/opac/search?searchmode=complex&target=local&barcode=00060388

  • ふむ

  • 従来の活字的教養に対して、テレビ的教養をどのように浸透させるかを概括した労作だが、テレビ番組を政府がいろんな意味で制御してきた歴史があることを知った.西本三十二(みとじ)らが初期の段階でテレビと教育の問題を議論してきたことも知らなかった.メディアに関する歴史で、紙芝居のピークが1952年で1日100万人の子供が見ていたこと、1958年が映画館年間入場者数、ラジオ受信契約者数のMaxだったこと、大宅壮一の「一億総白痴化」が1957年、田名角栄が1957年10月にテレビ予備免許をNHK7、民放36と大量に出したこと、1971年に教育番組としてセサミストリートが大ヒットしたこと、ファミコンが1983年に出て86年に650万台になったこと、などが印象に残った.テレビ自体、学校で教育に使われてきた事実はあったとしても、実際にはほとんど経験の記憶はない.今後はパソコンやタブレットを学校がどのように活用するが焦点になろう.

  • 著者:佐藤卓己
    シリーズ:日本の〈現代〉
    デザイン:土屋光

    【内容紹介】
    発売日:2008.04.26
    定価:2,484円
    サイズ:四六判
    ISBNコード:978-4-7571-4105-6
    「一億総白痴化」の道具と危惧された時代から半世紀。日本のテレビ普及台数は一億台を超えた。本書では、戦後日本のテレビの歴史と日本人の教養のかかわりを膨大な資料から徹底考察する。
    http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100001852



    【目次】
    目次 [i-vi]
    凡例 [vii]

    序章 テレビ的教養を求めて 003
    教育的テレビ観と「教養のテレビ」/「一億総白痴化」と「一億総中流意識」/教育=教養+選抜

    第一章 国民教化メディアの一九二五年体制 021
    1 放送メディアの連続性 021
    「日本の現代」を映すテレビ/視聴覚教育か、聴視覚教育か/アマチュア無線のナショナリズム/教化宣伝のラジオ放送
    2 学校放送と戦時教育の革新 033
    「放送教育の父」西本三十二/一九三五年全国学校放送開始/学校放送の「役に立った戦争」
    3 戦争民主主義と占領民主主義 047
    教育民主化のプロパガンダ/軍隊教育―社会教育―放送教育/広報教育学と日本放送教育協会

    第二章 テレビの戦後民主主義 067
    1 軍事兵器から家庭電化へ 067
    テレビの一九四○年体制/国産技術の巻き返し/アメリカの「視覚爆弾」
    2 一億総白痴化と教育テレビの誕生 082
    「六メガ」娯楽と「七メガ」教育の日米決戦/学校現場からの放送文化批判/水野正次の革新と抵抗/「テレビこじき」のプロレスごっこ/一億総白痴化論の系譜/《何でもやりまショウ》という植民地的民族性/大宅壮一の文化的植民地論
    3 日本的教育テレビ体制の成立 117
    電波争奪戦と一億総博知化運動/日本教育テレビNETの成立/白根孝之のテレビ教育国家/田中角栄とスプートニクの衝撃/世界に冠たる教育テレビ体制/科学技術専門教育局の「メガTONネット」

    第三章 一億総中流意識の製造機 143
    1 テレビっ子の教室 143
    電波に僻地なし?/静かな教育革命/テレビっ子の階級性/「壁のない教室」への抵抗/教育における「メディア論の貧困」/テレビ大国の「期待される人間像」/教室の近代化と日本列島改造
    2 教室テレビと放送通信教育 174
    テレビが教室にやって来た/西本・山下論争のメディア論/テレビの「バナナ化」/《セサミ・ストリート》のテレビ的手法
    3 「入試のない大学」の主婦たち 193
    勤労青年の教育機会/有閑主婦の教養趣味/民放教育局の消滅/「テレビ的教養観」調査/社会教育の終焉

    第四章 テレビ教育国家の黄昏 217
    1 ファミコン世代のテレビ離れ 217
    テレビ文化の空虚な明るさ/「全員集合」文化の終わり/ファミコンの「小さな物語」/○歳児からの学歴無用論
    2 ビデオの普及と公共性の崩壊 233
    ビデオ革命の衝撃/「ナマ・丸ごと・継続」利用の破綻/新自由主義の規制緩和と公共性の動揺/映画教育の消滅と放送教育の限界/コンピュータ時代の情報教育/ハイビジョン教育の狂騒
    3 生涯学習社会の自己責任メディア 256
    生涯学習の台頭と学校放送の空洞化/「ゆとり教育」の逆説/「放送教育の世紀」の閉幕

    終章 「テレビ的教養」の可能性 269
    文化細分化のテレビ論/社会関係資本の衰弱/情報弱者のメディア・リテラシー/教養のセイフティ・ネット/「学力崩壊」と「一億総白痴化」リバイバル/エンター・エデュケーションの公共性/一億総博知化の夢へ

    あとがき(二〇〇八年三月 佐藤卓己) [293-296]
    参考文献 [297-312]
    事項索引 [313-316]




    【抜き書き】
    「あとがき」から
    ――――――
     本書を含む「日本の〈現代〉」シリーズの企画を編者の猪木武徳先生からお伺いして、すでに四年が経過している。私は二○○四年四月に国際日本文化研究センターから京都大学大学院教育学研究科に移り、メディアと教育の問題に本格的に取り組み始めた。娯楽や報道にスポットを当てることの多いテレビ史を、教育・教養の視点から書き改める試みは魅力的に思えた。
     しかし、二○○三年末には東京、大阪などでの地上デジタル放送が開始され、二○○五年のライブドア騒動、NHK不祥事などを契機とした放送法改正問題などが続発し、テレビを取り巻く社会的状況はこの間に激変した。また、二○○二年から全面実施された「ゆとり」中心の学習指導要領の帰結が、「学力崩壊」として社会問題化している。そうしたリアルタイムの問題関心に引きずられて、本書の構想は何度も書き改められた。私の目には、教育の危機がテレビ放送の危機と二重写しに映っていた。正直いえば、これほど執筆に苦労しようとは思わなかった。
     書き上げてみて、ようやく気がついたことがある。本書のテーマは前著『言論統制――情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』(中公新書、二○○四年)に接続している、と。同書の主人公・鈴木庫三少佐は、陸軍派遣学生として東京帝国大学で教育学を学んだ異色の軍人である。本書でも西本三十一お自伝に登場している(本書四一貢参照)。敗戦後、阿蘇に引きこもった鈴木は公職追放が解除されると、大津町公民館長として農村の青年や主婦を対象に社会教育を続けていた。同書の結びの一節を引用させていただきたい。この自問を、私はその後も忘れることができなかった。
     この稀有な教育将校は、その後、高度経済成長に邇進する戦後日本をやはり憂いつつ亡くなったのだろうか。一九五五年に五○%を超えた高校進学率はその後も急上昇を続け、建前としては貧富の差なく高等教育を受ける機会を保障された大衆教育システムが出来つつあった。果たして、彼が夢見た「誰でも教育を受けられる国」は実現した。だが一方で、国民大衆の進学熱はそれまで一部の富裕階層の「地獄」だった受験勉強を、国民総動員の「戦争」へと変えていった。戦前から使われた「受験地獄」に代わり「受験戦争」という新語が登場したのは、ちょうど鈴木が没する一九六○年代半ばである。「教育の国防国家」を説いた教育将校の目には、それはどのように映っていただろうか。
     そして、二一世紀の日本。ゆとり教育の下で「受験戦争」は過去の記憶となり、戦中から続いた平等主義の「教育国家」は、大きな曲がり角にさしかかっている。努力はダサく、知識よりも趣味が評価される現代日本で、大志とともに青少年から喧嘩の気概も失われている。「教育国家」はこのまま終焉を迎えるのであろうか。(佐藤 2004:408f)
     さらにいえば、一九六○年生まれの私は、それこそ生まれた瞬間からテレビに接していた生粋のテレビっ子であり、本書の記述は自我形成のプロセスを抉り出す、ほろ苦さを伴う作業であった。もちろん、近年の大ヒット映画《ALWAYS三丁目の夕日》のような「テレビが家にやってきた」という思い出に(私の世代ではカラーテレビの記憶だが)、ノスタルジーを感じないわけではない。だが、そうした郷愁を極力排して、本書では同時代資料を検討することに努めた。そのため、私は書庫にこもり『日本の教育』『放送教育』『視聴覚教育』の全巻に目を通した。いずれも半世紀以上続いた機関誌だが、教育学の勉強を兼ねて創刊号から丹念に読み進んでいった。

     タイトルの「テレビ的教養」という言葉は、直接にはヨ教養番組」に対する視聴者の意識調査』(財団法人放送番組センター、一九七○年)の「テレビ的教養観」に由来する。この調査報告書にめぐり合い、その企画・実施・分析者の中に竹内郁郎、児島和人両先生の名前を見たときは、本当に運命的なものを感じた。
     一九八九年にドイツ留学から帰国した私を学術振興会特別研究員として東京大学新聞研究所に受け入れてくださったのは竹内郁郎先生であり、その演習で輪読したJ・メロヴィッツ『場所感の喪失』(原著は一九八五年)は私のテレビ論の出発点となった。また、ドイツ史研究者だった私は、児島先生のゼミでメディア調査理論を初めて学んだ。児島先生には『現代社会とメディア・家族・世代』(新曜社、二○○八年)に「「放送教育」の時代――もうひとつの放送文化史」を執筆する機会を与えていただいた。それは本書の基本的枠組みをなす論文である。また当時、新聞研究所客員教授であられた津金澤聡廣先生には、その後多くの共同研究でご指導いただいたが、今回も放送と教育に関する貴重な文献を数多く御恵贈いただいた。私は本書を手にするたびに、先生方の学恩を思い出すことになるだろう。
    ――――――

  • 少し異色のテレビ文化史。この本は題名にもあるように、教育や教養という観点からテレビを見ている。そしてテレビに大衆的な教養の可能性を探ろうとしている。著者によれば、日本のテレビ文化の特徴は世界的にも珍しい「教育テレビ」の存在にあるという。といってもこれはNHKの教育テレビではなくて、教育にテレビを使うという流れが日本で発展してきたことを言う。例えば、現在のテレビ朝日は日本教育テレビとして営業を開始しており、現在のテレビ東京ももともと教育番組専門のテレビ局としてスタートしている(p.140f)。したがって、「日本のテレビ史は、より教育的に書かれてしかるべきなのである」。(p.23)

    はじめに掲げられている教育と教養の違いが明確で参考になる。それによれば、教養とは選抜抜きの教育である(p.17)。教育とは知識や技能を習得して何らかの選抜、競争を勝ち抜くためにある。この選抜は学校教育では試験などであるし、社内教育では社内の出世や会社自体の他社との競争だろう。教養とはそうした選抜や競争を離れたところにある。テレビは学校に導入され教材としての可能性を議論されたように、教育のメディアとして使われてきたところに日本の特徴があるが、著者はこの教育メディアとしての役割の向こうに教養のメディアとしての可能性を見ようとしている。

    最初に著者は戦後のテレビ教育についての基本的な考え方の由来を戦前に追っている。いつもどおり、それは戦前と戦後の連続性を論じるものだ。放送というメディアが、総力戦体制に国民を統合していくために使われた主要メディアであることは明白だ。特に、児童の自発的活動を促すといった、教育における個の重視というモチーフが戦前の軍隊の自立教育に由来するという議論(p.53-60)は面白い。第一次世界大戦までならともかく、第二次世界大戦では戦闘は細分化し多様な側面を見せる。そうした多様な戦闘に対して、一つ一つ司令部から指揮を発する訳にはいかない。現場の下士官レベルで判断して動かなければならない。そうした軍人像の教育が自立教育に懸けられていたのだ。

    また、アメリカ的なテレビ文化、そのエンターテインメント主体の番組づくりと教育メディアとしてのテレビをどうバランスするかというテーマも深く追われている。特にテレビの放送方式についてアメリカの6MHz方式と、日本独自の7MHzのどちらを採用するのかを巡る論争が、教育メディアという位置づけの中でうまく扱われている(p.87)。6MHz方式を採用することがアメリカのテレビの低俗文化の侵略を招く、というテレビ有害論の反対論調は精神戦争のメタファーである。結局は1951年に6MHz方式の採用が決定される。これはサンフランシスコ講和条約に至る日本の独立機運を受けた流れだ。実際にはアメリカ方式を採用したからこそ、日本のテレビ機器がアメリカを席巻することになる。

    テレビといえば大宅壮一の「一億総白痴化」という言葉が有名だが、これも上記のアメリカ批判のなかにあるという(p.103)。商業主義的なアメリカテレビ文化から日本の教育テレビをどう分離するかの話の中に、一億総白痴化の議論がある。こうしてスローガン的にテレビ有害論が確立される。とはいえ、この一億総白痴化が言われた1957年には、テレビを見ていた人は一億人もいない。1957年でテレビを見られたのは東京・大阪・名古屋周辺の受信者33万件で、普及率は5.1%(p.107f)。つまり一億総白痴化の議論は新聞や雑誌などのメディアを通じて得られたイメージでしかないことを押さえておくべきだろう。

    著者はこの「一億総白痴化」から距離をとった教育テレビの試みを「一億総博知化」と逆手に取って論じていく。主に日教組の研究集会やその研究誌における教育教材としてのテレビを巡る論争をたどっている。こうしたテレビを通じて日本国民を教化するという発想そのものがまた「高度国防国家から高度経済成長へ続く教育国家の連続性」(p.132)を示すものだ。そして日教組の言論のなかには、こうした国からの強制に対して戦前の言論弾圧の風を感じる論調もある。

    とはいえ学校の教育教材としてのテレビはあまり成功しなかった。代わりに、放送大学を始めとする市民的教養のメディアとしてのテレビが表に出てくる。こうした発展を遂げた日本のテレビは、大衆教養へと向かう。これは教養番組がエリートのためのものであるアメリカとの大きな違いだ(p.197)。こうして学校の軛を離れた教育テレビは、勤労青年の教育を経て、主婦の教養、そして生涯学習へ続く(p.201-216)。

    しかし現在では教育メディアとしても教養メディアとしても、テレビの輝きが失われたことは確実だろう。現在のテレビはすでに「情報弱者」のメディアであって、直接的な活動的社会活動とテレビ視聴時間はおおむね反比例している(p.278)。著者は自身もテレビっ子として育った身として、情報や教養の格差を埋めるものとしてテレビを復活させること、誰にでも開かれた手軽な教養メディアとしてのテレビ(教養の水道p.282)、良質なテレビ文化を求めている(p.292)。それが21世紀の新たな公共圏への入場券としてもその位置を保つことを希望している(p.20)。

    さて、個人的にはテレビについてほぼ何の思い入れもなく、テレビっ子でもない自分にはテレビ的教養の可能性を信じる気にはまったくなれなかった。家族の食卓にほぼ誰も見ているわけでもなく、単なる賑やかしとして付いているテレビは、家族間の会話が無い実情をその表面的な騒々しさで偽装するメディアでしかなかった。現代でも公共圏への入場券としてテレビは機能するのだろうか。それは、別にテレビを使わずとも公共圏へ入場できたものの単なる実感の無さだけなのだろうか。自分にはそもそも著者が熱っぽくテレビについて語るその熱がまったく共有できなかった。

  • テレビによる教育に関する本を読みました。非常に興味深い本でした。テレビによる教育は失敗だったと指摘している。当初、テレビによる教育は大きな期待がもたれていました。現実に、その効果は大きかったと指摘している。ただし、子供たちは、教育番組自体に興味を持ったわけではありません。テレビがハイテクだったから、興味を持っただけです。しかし、テレビが日常のものになると同時に、その教育効果は大きく低下しました。多くの教師は、上記のことを実感して、テレビを利用した教育を控えるようになりました。これは、パソコンによる教育も同様です。テレビと同様に、パソコンは、教育ツールとして期待されました。しかし、テレビと同様に、パソコンを利用した教育は失敗しました。テレビと同様に、パソコンがハイテクであるときは、大きな教育効果があります。ただし、パソコンも日常のものになると、その効果はなくなります。さらに、テレビと異なり、パソコンを使用した教育には、莫大なマンパワーを必要とします。大学における語学のマシン学習の失敗を思い出しました。ソフトはよく出来ているそうです。ただし、うまくいかないようです。生徒の動機付けの問題だそうです。先生、友達と一緒に勉強するから、勉強できるようです。パソコンに向かって、一人で勉強することは難しいそうです。僕は、語学のマシン学習を経験したことはありませんが、持続する自信はありません。

  • 確認先:目黒区立目黒区民センター図書館(MG01・I01・N01)

    大宅壮一がテレビ放送を指して「一億総白痴」といったのは有名なエピソードである。しかし佐藤は、そうした大家の言は彼の教養主義とテレビが相容れなかったもあるが、同時に「教育放送の歴史」を重ねるとき、「一億総白痴」と断定付けられるのか疑問符を提示する。というのも、教育放送の歴史というのは必ずしもNHK教育テレビの歴史と同一ではなく、むしろ後のテレビ朝日となる「NET(日本教育テレビ)」、同様に後のテレビ東京となる「東京12チャンネル」といった民間資本の教育放送チャンネルの歴史やそうしたチャンネルが開局したいきさつのバックヤードとしての教育とメディアの複雑な関係についても視野を広げる必要があるからである。

    佐藤はいう。日本のテレビ事情は戦前の国家総動員運動に端を発した精神総動員の影響を受けていると(この精神総動員運動、換言すれば「均整化」であり、戦後の教育界にもやはり引き継がれていた)。戦後テレビ放送がたとえ民間ベースであろうがなかろうが、資本注入にアメリカ政府の影響があろうがなかろうがそれは変わらず、「教育」に対する権威の形成が左右していたのではないかと勘ぐりたくなるほどの完成を見せている。
    そう考えるとテレビ神奈川が神奈川県教育委員会の学校放送枠を用いて放映していた「のびる子体操」とか、同様に千葉テレビの「なのはな体操」をニコニコ動画の一部ユーザーのように嘲笑うことはできず、これらもまた学校放送の歴史との間で思考せねばならない事項であるといえなくはないだろう。

    放送と教育をめぐる複雑な関係、あるいは(今は昔になっている)教養番組はなぜ生まれたのか、について考えるときに必読な文献であろう。「テレビ有用論」「有害メディア論」の嚆矢となった1940年代の精神総動員運動がメディアにもたらした影響の残滓がどこまでわれわれの思考形成に残っているか、そしてその残滓がいわゆる「クイズショー」に見られないか(少なくとも「ホンマでっかTV」は一度覗き見してその傾向が見て取れた)――テレビやネットを介してやり取りされる教養をめぐる批判的想像力のきっかけとして。

  • 一億総白痴化の対極論、テレビ有用論について書かれた本かと思って読み始めたのだが、読み終わってみると、そういった議論自体が現代社会では不毛であるとを感じざるを得なかった。
     本書の内容(テレビ的教養)は、読書の意図とは異なり、学校教育におけるテレビ放送の活用史(教室における教師による教育VSテレビによる教師、生徒への教育)であった。学校教育におけるテレビの利用にこんな歴史があったとは、そういった意味では面白く読めた。
     結論的には「教養=教育-選抜」が知りたっかた内容かもしれない。

  • [ 内容 ]
    「一億総白痴化」は「一億総博知化」だった?!
    テレビは格差社会化を止める教養セイフティ・ネットとなるか。

    [ 目次 ]
    序章 「テレビ的教養」を求めて
    第1章 国民教化メディアの1925年体制
    第2章 テレビの戦後民主主義
    第3章 一億総中流意識の製造機
    第4章 テレビ教育国家の黄昏
    終章 「テレビ的教養」の可能性

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著者プロフィール

佐藤卓己(さとう・たくみ):1960年生まれ。京都大学大学院教育学研究科教授。

「2023年 『ナショナリズムとセクシュアリティ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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