- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784757141216
作品紹介・あらすじ
曖昧かつ不安定な現代社会において再生を遂げつつある、帰属と安心のよりどころとしての「コミュニティ=共同体」とは何か。ポストモダニズム、トランスナショナリズム、多文化主義の諸相からインターネットまで。グローバリゼーション研究の最新成果を駆使して、現代思想の重要概念を徹底分析する。『想像の共同体』(アンダーソン)から『帝国』(ネグリ=ハート)をへて生まれた全く新しい共同体論。
感想・レビュー・書評
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内容が多岐にわたっているため要約しづらいが、グローバル化時代におけるコミュニティの復権を、「コミュニカティブ(対話的)・コミュニティ」という点に集約して論じたもの。
政治哲学・社会学をひきながら「コミュニティ」の変遷を問い、さらに政治的・文化的に「コミュニティ」がどう定義されてきたかを考察する。これらをベースに、一気にポストモダン・グローバル化の視点を持ち込みまとめあげる。
一方でたいへん整理されており、他方でたいへん錯綜してもいるが、議論としてはやはり圧巻の構成である。
たしかに(訳者が解説で述べたとおり)ポストモダンに傾倒しすぎな面もあるが、私の「ポストモダン」に関する断片的な知識に照らせば、その方向でおおよそ正しいように思う。ポストモダン的なコミュニケーション形態が登場し、それは情報通信技術の発展にともなって、ますます強化されつつある、というところだろうか。(しかしポストモダン理論に関しては不勉強なので、なんともいえないとこが悔しい)
もう一点なるほどと思ったところは、訳者解説における「グローバリゼーション」の定義。何の集団を媒介することなく、直接に個人が世界に結びつけられてしまう――曖昧でもやもやした「グローバリゼーション」という言葉が、ふとクリアになった瞬間であった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
さまざまなコミュニティのことが書いてある、というよりは、さまざまなコミュニティ論が説明されている、というような本。
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「自分たちが依存するようになったものを失うことへの不安のために、市民は、ローカル・コミュニティを植民地化している企業への異議申し立てを控えるようになっている。」(p93)
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タイトルにひかれて購入。購読している『Foreign Policy』という雑誌で「What is the International Community?」というタイトルで特集が組まれたときに、世界各国の学者が日常的に特別はっきりとした定義もないままに使用する「国際社会」という名のcommunityの本質を炙りだそうと各自の意見を述べていたことから、現代人にとってのコミュニティとは何か?を考えてみたいと思っていた。その時に丸善で見つけた本がこれ。
実際読み始めてみると、数千年にわたる人類と共同体の関わり合いについて、今まで学者や哲学者や社会学者が積み重ねてきたものすごく広範な議論を、うまくまとめてくれている。しかしながら、その広範な議論が様々な学術領域におよぶため、このコミュニティ分析の歴史を追った書籍前半の内容を理解するだけでもかなり高いレベルの知識と情報量が必要とされる感じ。
個人的に一番面白いと感じたのは、20世紀に入ってから数多くの国民国家を巻き込んだ戦争や経済的大変動、メディアと情報通信技術の発達によって交流したグローバル化とそれによるコスモポリタン・コミュニティ、サイバーコミュニティ、そしてヴァーチャル・コミュニティの誕生と爆発的速度での拡大の過程に焦点をあてた書籍の終盤部分だった。
私達がふだん新聞やニュースで見聞きする「共同体」、「国際社会」などの漠然とした言葉の実態をさぐろうとする著者:ジェラード・デランディの視点の多様性と学際的考察能力のすごさは圧倒的ですらある。地球規模で展開する反グローバリズム運動から、日本国内における少年少女を標的にした事件の続発から叫ばれる、自治体や地域社会さらに細かくは近所付き合いの崩壊にも応用できる多様なコミュニティ理論。
ミルフィーユのように重層的に存在する複数のコミュニティへ、私達現代人が帰属していることへの理解が深まったことがこの本を読んだことの何よりも大きな収穫。「的」などの言葉を用いた必ずしも意味として明解ではない訳文(私の理解が足りないだけの場合もあるが)などが散見される点が本の内容を若干難しくしてしまっている部分はあると思う。だがその難しさを補ってあまりありほど内容がすばらしいので、☆4つ。理解できる人が読めばこの分野における今後の議論の出発点になりえる書籍だと思う。 -
分類=コミュニティ・グローバライゼーション。06年3月。