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この作品からのみんなの引用
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ある「メジャー系」週刊誌は、二〇〇一年から〇二年にかけ、電車の中吊り広告やコンビニ置きなどの露出はあったものの、実売部数は一〇万部を切っていたという。他方、同時期の「ガンガン系」月刊誌には、三〇万部を超す実績を持つものがあった。しかし、それでも、一〇万部に満たない部数の週刊誌が「メジャー」とされ、三〇万部を超す月刊誌は「マニアック/マイナー」とされるのである。
― 15ページ -
文献: p. 299-304
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第4章 マンガのリアリティ(マンガにおける近代的リアリズムの獲得
「コマわり」とは何か ほか) 第5章 テヅカ・イズ・デッド―手塚治虫という「円環」の外で(手塚治虫という円環 より開かれたマンガ表現史へ ほか)
みんなの感想・レビュー・書評
2011 9/16読了。筑波大学中央図書館で借りた。
@sakstyleがザ・インタビューズで激奨していた本(http://theinterviews.jp/sakstyle/757318)。
キャラ・キャラクター概念の区別と「キャラ」の発見など、書名はよく知っているけど読んだことがなかったので、中央図書館に行った機会に借りてきた。
マンガ表現論の確立、あるいは現代のマンガを批評する方法の模索的な話?
sakがよく引くというガンスリ論とか、序盤や終盤で指摘されるガンガン系マンガが無視されている問題とかが面白かった。
ていうかこのあたりをなんでゼロアカ以前に読んでなかったんだって話でもあるがレディネスがなかったんやとか言い訳しておく。
小池一夫によれば、「キャラクターを立てる」というのは、すなわち読者である私たちと同様に「身体を持った人間」が、「物語空間の背後にも」「永続して存在する」ことを想像させること、と定式化できる、とされる。そして著者の伊藤剛は、この指摘から「キャラクター」と「キャラ」の違いを考えた時、「キャラの強度」とは、テクストからの自律性の強さと、複数のテクストを横断し、個別の二次創作作家に固有の描線の差異、コードの差異に耐えうる「同一性存在感」の強さを有していることである、としている。
この部分が(うまくまとめられてない気もするけど)、なるほどー。と思った。面白いです。
あと、宇野常寛が「レイプ・ファンタジー」と半ば切り捨てたガンスリを、ジャンルへの強い批評性を持った挑発的な作品、と評価したのが面白かった。
【目次】 まえがき 第一章 変化するマンガ、機能しないマンガ言説 1−1 なぜマンガ言説は、現状に対応できないのか 1−2 「読み」の多様さとシステム論的分析の必要性 1−3 マーケット分類とジャンル分類のあいだ 1−4 『少年ガンガン』にミル言説の断絶 1−5 誰が子供のマンガを「殺した」のか 1−6 キャラクター表現空間のなかで 第二章 切断線を越える... 続きを読む »
マンガにおけるリアルとは。
確かにマンガは「宇宙」でも「未来」でも「非現実」でも自由自在な訳で、リアルさへの技術的な方法論は興味深い。
でも福本伸行や青木雄二のようにストーリーに引き込む力があれば、絵のリアルさは必要がないのもマンガの特徴だろうと思う。
なぜマンガはつまらなくなったのか、その表現・評論史を紐解く。その過程の「フレームの不確実性」「キャラ/キャラクターの両分」「マンガのサブシステムの概念」は発明だと思う。 「フレームの不確実性」と「キャラ/キャラクターの両分」については、コマ割りの効果や変化とは、キャラ立ちとは何かが発端となって、単にマンガを読むだけでもその一角は発見できると思うが、マンガのサブシステムの概念に関しては非常によ... 続きを読む »
何もそんな難しい表現にしなくても、という部分はあったけど、読み応えはあった。
あと、図もわかりにくいものが多くて、入れなくても良いよーと思ったり。
手塚治虫中心主義からの脱却という感じで、読んでいてとても面白かった。
だけど、難しくて理解しきれないところもあるので、他の書評とかを読みつつもう一度精読してみようと思う。
テヅカを中心に皆考えすぎなんじゃないの、というスタート地点から、自分なりにマンガ史を書こうとしている感じか?とりあえず、いろいろな評論とかを下敷きにしてるから、門外漢が読むとつらい。タイトルが大仰なので手にとっちまった。東「動物化するポストモダン」がどう面白いのかがようやくわかった。でも後半はよく分からん。

漫画表現論の最高本!「テヅカ・イズ・デッド:ひらかれたマンガ表現論へ 」
テヅカ・イズ・デッド:ひらかれたマンガ表現論へ
伊藤 剛/著 http://d.hatena.ne.jp/goito-...





