「公共性」論

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著者 : 稲葉振一郎
  • NTT出版 (2008年3月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (404ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784757141803

「公共性」論の感想・レビュー・書評

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  • 【目次】
    目次 [001-003]
    引用 [007-008]

    I 「公共性」と「市民社会」――概念史の試み 009
    バズワードとしての「公共性」「市民社会」/「市民社会」の概念史/「市民社会」概念の再審
    II 公共性の理論(は可能か?) 051
    ハーバーマス公共性論再訪/アレント『人間の条件』/アガンベン『ホモ・サケル』
    III 人工環境のエコロジー 093
    人工物の集積としての「公共圏」/人工環境・「第二の自然」/公共性と人工環境のエコロジー/祝祭性としての公共性
    IV リベラリズムのアイロニー 143
    リベラル‐コミュニタリアン論争/多元性へのコミットメント?
    V 他律的/ひ弱なリベラリズム? 169
    リベラリズムは政治思想か?/生の技法(処世術)としての他律的リベラリズム/二つのリベラリズム
    VI 環境管理型権力と全体主義 191
    「環境管理型権力」再論/「“安楽”への全体主義」/「よき全体主義」?
    VII 「例外状態」 233
    「追放」をめぐって/「例外状態」は本来性か?
    VIII 幸福なホモ・サケル 243
    ロックの自然状態/幸福なホモ・サケル/ホモ・サケルとしてのプロレタリアート/発展段階論再訪
    IX 「よき全体主義」からの脱出 283
    「経験機械」「水槽の中の脳」/「よき全体主義」拒絶の根拠/徳倫理としてのリベラリズム/「左翼」と「保守主義」
    X 左翼の隘路 339
    近代立憲主義再訪/市場の「暴走」の抑制?/「ネオリベ」という幻影

    エピローグ 389

    あとがき(二〇〇八年二月 稲葉振一郎) [403-404]

  • 和図書 362/I51
    資料ID 2008103410

  • 公共性とは所与のものではないことから、
    全体主義や動物化の議論を通して、リベラル・デモクラシーの立場を取り、自然、社会、個人の諸関係を結んでいく。

    これまでの社会論≒公共性論の整理+著者の構想だけれど、
    何も考えなくて済むようなポストモダン的な社会ではない、
    方向へ少しでも向かう道筋をつけようとしている。
    配慮しつつの啓蒙路線。
    これは仕方ないし、こういう方向でしか啓蒙はもうできない。

    種々の議論と論者が入れ替わり立ち代り出てくること、
    著者自身ふらふらするところがあって、全体の流れを意識しながら読まないと迷子になる。
    また、具体的に創出or批判しなければならない、という意識が強く、悲観的であると言いながら物言いは大胆なところがあるので怖気づかずに読まないといけない。

  • 『「公共性」論』読了。正確には昨晩に。エピローグはよく分からなかったが、それ以外は大体理解できた気がする。辿りついた所は、なんていうか、ちょっとだけひ弱なリベラリズムとでもいおうか。
    posted at 09:28:31
    前半は「公共性」という言葉を様々な文脈に配置しなおす(市民社会論、歴史発展論、自然状態論、アレント等)。後半は「ひ弱なリベラリズム」と「よき全体主義」を巡る。「よき全体主義」は何故否定されねばならないのか。「例外状態」論等を検討しながらも「幸福なホモ・サケルはありうる」となる @
    posted at 09:37:48
    しかし、ここでくっそオモロイ一大スペクタルですよ!!「よき全体主義」否定をロジックを、被管理者の立場ではなく管理者の立場に立つことで発見するんだよ!! @
    posted at 09:39:34
    ちんちんもげるかと思ったね。「ハイパー収容所がそのような物であり続けるためには、管理者は被収容者の前に―コミュニケート可能な他者として―姿を現わしてはならない」。この時すでに管理者は人間ではない。 @
    posted at 09:42:10
    「よき全体主義」を否定した後、あまり見通しはよくないけど、多分リベラリズムを選択せなあかんのだろうが、でもこれは「ひ弱なリベラリズム」でもなければ「逞しきリベラリズム」でもなかったと思う。統治者と徳としてリベラリズムは選択され、為政者は「公共性」の啓蒙を選択せずにはいられない @
    posted at 09:53:14

  • 読了:2011/01/06 図書館

  • 400ページ程の本書の帰結するところは著者曰く「着地点はひどく見慣れた風景」との事だが、そこに至るまでの本書の内容は結構険しい。論は理路整然としているので順を追っていけば読み解けるが、とにかく骨が折れる。それでもそれだけの内容はあると思う。「公共性」などという定義するのも共通認識を形作るのにも非常に困難なものを現在において捉え、理解することを助けてくれる1冊。良書です。

    市民社会における公共性とは何か?という問いに対して、著者はハーバーマスとアレンとの著作から公共性(市民的公共圏)の姿を描いてゆく。さらにはミル、ホッブス、ロックといった社会契約論的な地平まで遡って、公共性というものが成立する(と考えられる)政治的・社会的背景を掘り起こしてゆく。

    そのような掘り起こしの中で、ハーバーマスが抱いていた19世紀末の公共性の危機的状況が、現在においては危機の消滅という方向に動いていることを指摘し、それを東浩紀のいう「動物化」と捉える。

    そして動物化せず、全体主義にも陥らない立場としてリベラリズムを位置付ける、というのが本書の戦略と理解した。

    こうして見ると、ポストモダンの現在において、公共性(市民的公共圏)を形作るのはひどく弱い働きかけしか出来ないようだ。建築という実体性のあるものをつくる自分としては、もっと突っ込んで考えて生きたいテーマである。

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「公共性」論の作品紹介

21世紀の批判的社会思想のキーワード=「公共性」。しかし、人工環境のもとで動物化する私たちに、「市民社会」「公共圏」は可能なのか。概念史を整理し、法学、経済学、現代思想、認知科学の成果を吸収し、「公共性」を徹底思考する。よりよき世界を構想するすべての人、必読。

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