- Amazon.co.jp ・本 (403ページ)
- / ISBN・EAN: 9784757143302
作品紹介・あらすじ
近年、人間行動の進化に対する関心が高まっている。単に遺伝子の影響からのみ進化を説明するのではなく、人間の「文化」についての学習や継承の影響を科学的な手法で検証する分野が成長してきた。本書はこうした諸潮流を、「進化」を軸にして展望する。
感想・レビュー・書評
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ダーウィンの進化論を社会学に当てはめる。著者は生物学者。
ダーウィンの主張のエッセンスは、変異、自然選択、継承、であり、これらは社会的現象でも起こりうるとされ、生物学で起こったようなサブカテゴリー(心理学、文化人類学、経済学)の統合が起こるだろうと予測する。社会現象は複雑であるが、自然科学の分析ツールである、細かい単位に分けて単純化しモデル化してその動向を検証するという行為は社会学でも成り立つ。経済学でも実験や同条件に絞った比較はより多く行われており、徐々に浸透している。
文化は、遺伝子に基づく変化よりもずっと早く起こる、つまり縦よりも横の伝播力が強くマスメディアなどで一気に広まる。環境の短い時間軸での大きな変化への対応はむしろ文化が遺伝子よりも大きな役割を果たしておりこれが人間と他の動物の繁殖度の差を説明できるかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
とても興味深いテーマだが、自分の頭ではまだ十分に理解できなかった。
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「生物学分野で用いられる系統学的手法と動的モデルの真価は、その厳密さにある。言語学者と文献学者は、歴史的系統樹を直感に基づいて構築するが、生物学者や文化の系統を研究する学者は、最尤法やベイズ推定法といった定量的な統計学的手法を用いて、明白かつ正確な基準を備え、統計的確実性を推定できる系統樹を作成する」(p.200)、「系統学的手法は、文化的に伝達された人工物、行動、写本、あるいは言語を、従来の非公式で主観的な分類法よりも正確に再構築する方法を提供する」(p.316)とはいつても、なにによつて比較するかは結局、主観をまぬがれえないやうにも思ふのだけれど。
「カービーらが出した結果は、そうした共通の特徴が、文化進化の産物であること、つまり、言語が、言語に特化しない、より一般的な認知プロセスに適応したことを示唆しているからだ」(p.228)。メモ。 -
歴史
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最近、気になっている概念として、文化の進化というのがある。ここが整理できると色々なことがスッキリするはず。
というわけで読んでみたのだが、う〜ん、今ひとつかな?
著者は、ダーウィン進化論の考えをベースに、定量分析とか、数理モデルとか、実験などの自然科学的な方法論を入れる、社会科学を統合できる、みたいな主張。
確かに、なるほどのところもあるのだが、まだまだ統合の日がやってくるようには思えないな。
が、こうして形として整理してくれたので、私の文化の進化ということに対するモヤモヤの理由がよくわかった。
つまり、文化の進化という時に、ダーウィン的な進化とスペンサー的な進化があるということ。
スペンサー的な進化は階段的なもので、社会がだんだん高度で複雑なものに発達していくというもの。初期の人類学とか、マルクスの唯物史観とかにも通じる議論。
一方、ダーウィンの進化は、樹形図的なもの。どんどん枝分かれしていて、多様性が増していく。何かがより良いというわけでなく、多様な適応地形に応じて、最適なものが残っていくプロセス。
この2つの概念が混在していたので、これまで文化の進化についてうまく考えられなかったんだな〜。
多様性がますダーウィン進化については、著者の議論の方向はよくわかる。(ただし、数理モデルみたいなのが、文化のコンテンツを理解する日がくるとは思わない)
一方、今気になっているのは、どちらかというとスペンサー的な進化概念だな。
これは、文化人類学などによって、批判された考え方で、またこの本でも、一蹴されている感じ。
が、文化の進化が、単なる多様化や適応というだけでない高度化、複雑化があると想定することはできないのだろうか?
つまり、人間の意識がより高まって、非暴力的な方に変化していると考えることはできないだろうか?という議論。
これは、スティーブン・ピンカーの「暴力の歴史」で示唆されていたもので、これはかなりの信ぴょう性があるきがする。
一方、これがスペンサー流の進化論につながる危険性も同時に感じる。
うん、ここが私の今の引っかかりだな。 -
2017年5月14日に紹介されました!
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